その男、全裸につき(高速バック走行)
今日の空は、目が痛くなるほど青い。
彩度設定を間違えたまま出荷されたような、安っぽい空だ。
私は足元の石畳を、鉄のブーツのつま先でコン、と小突いた。石がわずかに浮き上がり、プルプルと震えてから元の位置に戻る。
――物理演算エンジンの機嫌が悪い。
嫌な予感がする。こういう日は、大抵『アレ』が来るのだ。
「ふう……」
溜息をつく。もちろん、システム上の吹き出しは表示させない。これはテクスチャの裏側で行う、私だけの生理現象だ。
私はアルフレッド。この『はじまりの村』の西門を守って二十年になる、しがない門番(NPC)である。
ズザザザザザザザッ!!
地鳴りのごとき摩擦音が、街道の向こうから響いてきた。
来た。
私は表情筋を死守しつつ、視線だけを音源に向ける。
土煙を上げながら、肌色の塊が迫ってくる。
男だ。一糸纏わぬ全裸に、腰布一枚。右手には初期装備の『ひのきの棒』。
だが、走り方が尋常ではない。
男は直立不動のまま、背中を進行方向に向け、凄まじい速度でバック走してくる。
地面を滑っているのではない。超高速でジャンプと着地を繰り返しているのだ。物理法則の隙間を突いた移動バグ、『慣性保存バック走』である。
(今月三人目か……)
速度は時速六〇キロを超えているだろう。
普通なら激突死するコースだが、彼らは止まらない。正規の入村手続き――私との会話イベント――すら、彼らにとっては時間のロス(タイムロス)でしかないからだ。
「……ッ!」
男は私の目の前で直角に軌道を変えた。
門をくぐるつもりはない。狙いは門柱と城壁のわずかな隙間――ポリゴンの継ぎ目だ。
あそこへ高速で突っ込み、座標判定をバグらせて壁をすり抜けるつもりだ。RTA走者の常套手段である。
だが、させない。
あの隙間の向こうは、データが存在しない虚無だ。もし彼が座標を見失って落下し続ければ、サーバー全体に負荷がかかる。最悪、緊急メンテだ。
私の安眠(定時退社)を妨害する者は、勇者だろうが魔王だろうが許さない。
「ようこそ、冒険者の方!」
私は営業用の笑顔を貼り付け、定型文を叫んだ。
同時に、半歩だけ右へ踏み込む。
男が壁の隙間に鼻先を突っ込み、半身がめり込んだ瞬間。
そこには、物理的な『無敵判定』の切れ目が一フレームだけ存在する。
ガシッ。
私の右手が、男の首根っこを掴んでいた。
(なっ……!?)
男の目が驚愕に見開かれる。プレイヤーの思考が手に取るようにわかる。ありえない、判定は発生していないはずだ、と。
私は構わず、男の突進エネルギーを回転運動へと変換した。
合気道ではない。物理エンジンの『衝突反発』を利用した、座標の強制書き換えだ。
「この村は初めてかね?」
優しげな声色とは裏腹に、私は遠心力を最大まで乗せて、男を放り投げた。
ヒュンッ、と風を切る音。
男は美しい放物線を描き、門の上を飛び越え、村の中央広場へと吸い込まれていった。
ズドォォン!
広場の噴水あたりから、盛大な着水音が聞こえる。
私は何事もなかったかのように定位置へ戻り、少しズレた肩パッドの位置を直した。
よし。今日も村の平和は守られた。
遠くから、男の興奮した叫び声が風に乗って聞こえてくる。
『おい見たか今の!? 壁抜け(クリップ)の失敗判定をキャンセルして、強制入村イベントに移行させられたぞ! これ新チャートじゃね!?』
……違う。ただの投げ技だ。
私は愛用の槍(飾り)を持ち直し、虚空を見上げた。
安っぽい青空の向こうで、誰かがSNSに書き込んでいる気配がした。
***
【掲示板:『エターナル・スフィア』本スレ Part 9021】
352 名無しの冒険者
おい、Speed_Kingの配信見たか?
初期村の門番に投げ飛ばされて、イベントスキップしてんぞwww
353 名無しの冒険者
352 見たwwwあそこの門番、あんな挙動したっけ?座標ズレ修正機能付きのAIとか、運営も変なところに凝りやがって
354 名無しの冒険者
いや、あの投げのフォーム美しすぎだろ
柔道の達人かよ
355 名無しの冒険者
門番「壁抜けは甘え」
356 名無しの冒険者
これを利用すれば、さらにタイム縮まるんじゃね?
誰か検証頼む




