episode2.制御対象
夜は、設計できる。
それが前回と今回の、唯一の違いだった。
陽の光を恐れなくて済む。
多少のミスも、地下洞窟の中では事故として誤魔化しが効く。
城の工程は順調に進んでいる。
人間の工程表には遅延がなく、地下施設は城の一部として正式に位置づけられた。防災導線、維持管理、非常用区画。どれも正しく、合理的で、疑う理由がない。
洞窟は「管理可能な空間」へと変換されつつある。
問題は、そこにいる私たちだ。
私は配分表を閉じ、通路の照明を一段落とした。
光量を下げるのは習慣だ。意味のあるものほど、暗いほうが見える。
私はショートボブだ。
理由は単純で、長い髪は管理コストが高い。湿度、粉塵、血の匂い。洞窟ではすべてが絡みつく。効率を優先するなら、切る以外の選択肢はなかった。
感情も同じだ。必要な分だけ残し、それ以上は持たない。
通路の先に、二人がいた。
ひとりは、漆黒の長い髪を背中に流した女。
洞窟の暗さの中でも、その黒は際立って見える。知性は高い。判断も早い。だが情緒は安定していない。夜が深まるほど思考は跳躍し、血の匂いに引き寄せられやすくなる。
それでも彼女は必要だった。構造を理解し、意味を組み立て、計画の穴を言語化できるのは、彼女だけだ。
「数、ずれてる」
彼女は配分表を指した。
声は冷静だが、視線が落ち着かない。思考が先に走り、感情が追いついていない兆候。
「修正済み」
私は即答する。
説明はしない。説明は余計な意味を生む。
もうひとりは男だった。
建築士。人間側の施工に関わる知識を持つ。地盤、荷重、導線、安全基準。人間が信じる言葉を、すべて理解している。
キラキラと光る金髪。
短く切られた髪はツンツンと跳ね、洞窟のわずかな照明でも反射する。表情は軽く、動きは速い。
歳の頃は三十に届かないように見えるが、それは見た目に過ぎない。
私たちはヴァンパイアだ。
外見の年齢と、経過した時間は一致しない。
彼はその若さを楽しむように振る舞う。
だが衝動性が高い。興奮が判断を追い越す。人間の血に反応しやすく、注意人物として分類されている。
……数が合わない。
二人のうち、どちらかが事故に見せかけて捕食したのだろう。
まあいい。現時点では微細な事だ。
いくらでも補充は利く。問題は、血の跡が表沙汰にならないこと。
「地下施設、次の工程に入る」
彼は楽しそうに言った。
「人間側、完全に安心してる。あれはいい設計だ。俺が人間でも信じる」
私は一歩だけ距離を取った。
衝動は感染する。距離は、最初の防波堤だ。
「安心は危険です」
それだけ伝える。
彼は肩をすくめる。
「わかってる。でも今回は完成させるんだろ?」
黒髪の女が、一瞬だけこちらを見る。
その視線には、期待と不安が混ざっていた。
「完成させる」
私は肯定する。
「そのための統制だ」
最初は、三人で歩き始める。
だがそれは一時的な状態にすぎない。
血の匂いは、道標になる。
夜が深まれば、洞窟の奥から、通路の分岐から、同胞は自然と集まってくるだろう。誘わなくてもいい。呼ばなくてもいい。匂いは嘘をつかない。
今回の旅路も、最初から三人で完結するようには設計されていない。
統制とは、抑圧ではない。
数を決め、順序を決め、意味が生じる前に分散させること。感情を禁じるのではなく、感情が臨界に達する前に流れを変える。
血を禁忌にしない。血を特別扱いしない。
前回、失敗したのはこの一点だった。
血に意味が生じた。意味は物語を生み、物語は観測を呼ぶ。
誰かに「これは何だ」と観測された瞬間、朝は始まっていた。
血が観測されると、私たちは見えるようになってしまう。
輪郭を持ち、位置を与えられ、人間の視界に固定される。
一度見える存在になれば、隠れることはできない。
それは捕食される側に回るという意味ではない。
世界から、排除されるという意味だ。
なんたる失態。
あとわずかで完成だったというのに。
いや、完成していた。血の宴に興じすぎただけで。
今回は違う。
供給は細分化され、時間帯は固定され、夜の密度は均質に保たれる。
滞留を作らない。誰かが過剰に反応する前に、流れは次へ移る。
それが、夜を延命する唯一の方法だ。
そして、最優先の統制対象は私だ。
記憶を持つ者は危険だ。
失敗を知っているということは、成功を期待してしまうということでもある。期待は焦りを生み、焦りは判断を早める。
早すぎる判断は、血に意味を与える。
だから私は、全体像を見ない。
必要な地点だけを切り出し、次に起きることを予測しない。洞窟がどこへ繋がるかを知っていても、その先を思い描かない。
思い描いた瞬間、設計は私の手を離れる。
人間側の進行は、むしろ安定していた。
地下施設の完成度に満足し、誇りを持ち始めている。城は安全で、堅牢で、よく管理されている。
洞窟は異常ではなく、城の一部として受け入れられている。
それは成功の兆候であり、同時に危険の兆候でもあった。
完成に近づくほど、朝は近づく。
人間の工程には期限があり、祝賀の日程が組まれ、完成式の予定が共有される。
光は、必ず入る。
そのとき、血が意味を持たない状態を維持できているか。
それだけが、成否を分ける。
通路の先で、気配が増え始めている。
まだ姿は見えないが、匂いが変わった。薄く、重なり、夜の密度がわずかに上がる。
同胞が集まり始めている証拠だ。
黒髪の女が、息を整える。
金髪の建築士が、無意識に歩調を早める。
私は立ち止まり、照明をさらに落とした。
夜を均すために。
理想郷は、すでに形を持ち始めている。
完成させると決めた以上、退路はない。未完成という安全策は、もう使えない。
統制は、成功するか、失敗するかのどちらかだ。
そして失敗した場合、次はない。
それでも、私は完成を選んだ。
自分自身を含めて制御できると、信じたからだ。
夜は、まだ続いている。
だが、朝の気配は、確実に近づいていた。




