陽気な生首
わたしには、どうやら首から下がありません。
すっかり首の下辺りから感覚がなく、ちょっとだけ目を動かすと、首から大中小さまざまな管がつながれていて、いろんな機械に伸びています。
病室だと思われる室内は窓もなく白い壁で囲まれていて、さらにその壁も機械に埋め尽くされていました。
「なんてコンパクトな体になったんでしょうか!」
驚いて声を上げたら、看護師と思しきひとも驚いて部屋から出て行ってしまいました。
次に部屋の扉が開いたら(音でわかります。わたしの位置から扉は見えません)、とてもたくさんのひとが入ってきました。老若男女いますが、皆さん白衣を着ています。
「こんにちは」
見知らぬひとびとにあいさつすると、彼らは驚いた様子です。
「この状態で、会話ができるのか?」
「しているので、なんとも」
「どうやって話しているんだ?」
「舌ものどもありますので」
とは言え、どうやら体がないようなので、呼吸はどうなっているんでしょう?
鼻に管が通っているけれど、肺はありません。たくさん機械のつながれた、どれかが役割を果たしているんでしょうか。
「これはすごい。人体の神秘の解明にぐっと近付く奇跡の被検体だぞ!」
興奮気味の彼らに、わたしは、お役に立てるならなによりです、と返しました。
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「わたしはどうやら、大きな交通事故に遭ったそうです。体はぺしゃんこになっていたのに、なぜか息(?)があって、大きな病院の先生がかなり頑張ってくださったらしいですね。
その先生に協力してくださった医療機器メーカーの方々も頑張ってくれたそうです。
そうして、首だけで生きているわたしが誕生したわけですね」
病室を訪ねてきた学生さんたちに、わたしは経緯をお話ししました。大体、皆さんが尋ねたかったことはお話しできたのではないでしょうか。
彼らは白衣を着ていますが、普段お会いする先生方よりずっと幼い顔つきで(そうは言っても、わたしとさほど年齢差はなさそうですが)、わたしのことを珍しそうに見ています。
学生さんたちは、みんな興味津々で(あるいは気味悪そうに)手を挙げて疑問を投げかけてきました。
「ご家族はなんと言っているんですか?」
「事故でみんな死んじゃいました。今は天涯孤独というやつです」
「食事はどうしているんですか?」
「鼻の管からブドウ糖とか入れられているらしいですよ。基本、脳しか動いていないので。あとガムとか噛んでお口の筋肉を鍛えてます」
「普段はどんなことをしているんですか?」
「ニュースとか、映画とか、ドラマとか観てます。皆さんと変わらないですよ。そこの壁にある液晶テレビは、わたしの視線で操作できるようになっています」
最新式のテレビを自慢すると、学生さんたちは少しわたしのことを身近に感じてくれたみたいです。
その和やかな雰囲気の中で、じっとこちらを見つめてくる学生さんがいました。
冷たい雰囲気です。
でも、珍しくはありません。やはり今のわたしは奇妙な状態なので、本能的に拒絶するひともいるのです。
もう学生さんの受け入れは124組目なので、慣れたものです。
その冷たい目をした学生さんが、手を挙げました。
「はい、どうぞ」
「……こんな、どこにも行けず、好きなものも食べられず、なにもできない人生に、意味はあるのか?」
その質問に、室内はしんと静まり返ってしまいました。誰もが心の中でそう思って、でもわたしを前に絶対に口にしなかった言葉です。
これはけっこう、珍しいことです。
でも、そう思うのは当然です。
なにせ、わたしはそれを毎晩考えていますからね。
これはかなりプロフェッショナルと言って差し支えないでしょう。
プロフェッショナルらしく、わたしは余裕をもってほほえみました。
「わたしの人生に、価値があるのか、という質問ですね?」
「そうだ」
「ありますよ。
……今日、貴方に会えました」
冷たい目をした学生さんは、明らかに動揺しています。思ってもみない回答だったようです。わたしはさらに笑みを深くしました。
「たしかに、もう大好きだったマシュマロも食べられません。好きだった花の香りも嗅げません。鼻からつながったチューブからの呼吸と首のさきっぽからつながっている機械がわたしの生命線です。
けれど、ここにいる皆さんは、きっとお医者さまのたまごなんでしょう? わたしを見て、人間って不思議なんだな、こんなになっても生きてるんだなって思ったでしょう。
こんなになっても生きているんなら、諦めないで頑張るお医者さまに、なっていただけるかもしれませんよね。なら、わたしのこの姿には意味があると思いますよ」
と、当面考えていたことを口にしました。いつか考えを変える日が来るかもしれませんが、まあ、そのときはそのときです。
冷たい目をした学生さんは、そうか、とだけ返事をして、うなずいてくれました。
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数日後、冷たい目をした学生さんが、今度はひとりで病室を訪ねてきました。
「わあ、お客さまなんてはじめてです。どうしたんですか? 忘れ物ですか?」
学生さんは相変わらず仏頂面で、自分でここへ来たのに不機嫌そうです。
「……あんたはどうしてそんなに呑気なんだ。自分の状況をわかっていないのか?」
「むう。この姿でどうやって状況を把握しろと言うんですか?」
「そうじゃない。……あんたが奇跡の被検体とか言われてたのは一年以上も前で、あんたを研究しようとしてもどの機械がどう作用しているのかわからないし、一本でも管を外したら死にそうで、結局大した研究成果は残せそうにない、と大学病院のお荷物になってるじゃないか」
「ああ。そういう話ですか。知ってますよ。予算も減らされていて、病院長さんは疫病神、なんてわざわざ言いに来られます」
学生さんはその話に眉を上げて、ますます不機嫌そうな顔になりました。
「わたしにはこの部屋のことしかわかりませんが、けっこういろいろと知っているんですよ。わかっているかは、わかりませんけれど」
「……そうか。鈍臭いのは、しゃべり方だけってことか」
「なんですか、失礼なひとですね!」
「ようやくわかったのか」
「失礼な学生さん、もう一度お尋ねします。今日はどんなご用ですか?」
「……あんたと、話しに来た」
わたしは、予想もしていなかった言葉に目を丸くしました。本当に、そんなことを言われたのははじめてです。
「だから、用事は済んだ。もう帰る」
「え。そうですか……」
今の会話に、それこそ意味なんてあったんでしょうか。
でもまあ、数奇な人生です。変わったできごとのひとつやふたつ、起こることもあるでしょう。
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失礼な学生さんは、それからほとんど毎日会いに来ました。
長くても一週間と間を空けたことがありません。
どうやら、わたしがいる大学病院の附属大学医学部に通っているみたいです。授業の合間や、実習の隙間にこの部屋へやって来ているようでした。
「ねえ、失礼な学生さん。こんななーんにもない部屋に来ずに、お友だちと遊びに行かなくていいんですか?」
「……別に。医学部ってのは、勉強で忙しいんだよ。遊んでる時間なんてない」
「はあ、そんなものなんですね」
わたしは文系だったので医学部というか、理系の世界観がまるで理解できないんですが、そういう文化なんでしょうか。
わたしだったら、勉強するのだってお友だちと図書館に行ったりカフェに行ったりして進めますけれど。あ、ネットのもくもく会とかも案外楽しいんですよね! それは今もときどきしています。
「ところで、あんたはいつもどこを見てるんだ?」
そんなことを訊ねられたので、わたしはそのまま言葉を受け取って、
「液晶ディスプレイですよ。首はひとりじゃ動かせないので、真っ直ぐ見たところにディスプレイがあるようになってます。キーボードも表示されるので、視線操作でメールやチャットのやり取りもできますし、ウェブ会議だってできるんですから!」
最近は医学会にも出て発言することだってあるんですよ。わずかばかり謝礼も出るので、大学病院は積極的にしごとを入れてきます。この部屋にしかいなくても、結構多忙なんです。
えへん、と管の入った鼻をぴすぴすと鳴らしましたが、失礼な学生さんはふーんと受け流して、ディスプレイに細工をしようと手を伸ばします。
液晶ディスプレイのフレームの上に、桜の枝が飾られました。
桜の枝は短くて、でも黒っぽい枝のごつごつとした質感と、今にもはらはらと崩れそうな、薄桃色をした五枚の花びらのかたまりが、無機質な白い箱の中で場違いに浮かび上がります。
あっ、やっぱり何枚か花びらが散っています。
ほとんど無風の部屋でも、ちらちらと薄い花びらが舞って、床にふんわりと落ち着きました。
「えっ、えっ? どうしたんですか、それ?」
「キャンパスの敷地内からもらってきた」
「勝手に折ったんですか? ダメですよ! 枝がかわいそうじゃないですか」
「あんたは、自分がかわいそうなのか?」
「……少なくとも、痛い思いはしますよ」
すごくすごく痛い。今もなぜか痛いと感じることもあります。
痛い体はもう、なんにもないのに。
幻肢痛というそうです。もうない体を、頭は受け入れられていないらしいです。
失礼な学生さんは、少し申し訳なさそうな顔をして、頭を下げました。
「……すまん。余計なことをした」
「あ、あの……違うんです。余計なことじゃなくて……花だけ! 枝は痛そうなので、花だけでいいんです」
しまった。わたし、彼にとても失礼なことを言いました。
本当は、とってもうれしかったのに。
「お花、久しぶりに見ました。とってもきれいですね! ありがとうございます」
最初に、こう言うべきだったのだ。
失礼で、やさしい学生さんはようやく顔を上げて、少し恥ずかしそうにうなずいた。
「うん……また、持って来ても大丈夫か?」
「もちろんです!」
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やさしい学生さんが、ナナカマドの実を持ってきてくれました。けれど学生さんは部屋の様子に目を丸くして、飾るのも忘れてぼうぜんとしています。
「なんだ、これ……」
「いらっしゃい。学生さん! 今日は看護師さんたちがお部屋をクリスマス仕様にしてくれたんですよ!」
普段真っ白い窓のない病室は金銀のモールで飾られ、わたしの首からつながっている機械にも滅菌消毒したオーナメントが引っ掛けられています。
機械ごとわたしと解釈するなら、ゴージャスにおしゃれしている感じです!
「……いいのか、これ?」
「ええ。お医者さまにも許可を取っていますし、看護師さんといろいろと相談しながら飾ったんですよ。いいでしょう?」
思い切り自慢すると、学生さんはむっつりと唇をへの字に曲げてしまいます。
なにか気に障ることを言ったでしょうか?
「……お前のこと、ひとりぼっちなんだと思ってた」
「? わたしは看護師さんともお医者さまともお話ししますし、ネットでもお友だちがいますよ。
去年はまだこの体に慣れませんでしたし、お医者さまや医療機器の技術者さんもたくさん来ていましたから、みなさんとお話ししながらクリスマスを過ごしましたけど。
でもみなさん、新しい味のガムとか、ちょっと変わったスクリーンセイバーとか、最近流行ってるらしい映画のデータとかをくれましたね」
「…………そうか」
「でも、プライベートで会いに来てくれるのは、学生さんがはじめてです! 生のお花も、この体になってからは学生さんしか持ってきてくれません」
とくに病院は、ほかの患者さんにとって生花が良くないこともあるから、医療従事者のひとが勤務中に触るのは抵抗があるのでしょう。
そう言ったら、学生さんはようやく機嫌を直したらしく(どこにご機嫌ポイントがあるのか、よくわからないひとですね)、ディスプレイにナナカマドを飾ってくれました。
黒い枝と朱色のちいさな実が、とても冬っぽいコントラストになっています。この賑やかな部屋でも決して負けていない存在感です!
「ありがとうございます! とってもかわいいですね」
「……また枝を切った」
「うーん、でも、ナナカマドはどうしても……ポインセチアなんかは土が付いちゃいますし、そうなるといくらなんでもこの部屋には置けませんからね」
「……花束とかも、考えたんだが」
「いいですよ。高いじゃないですか。いつも学校の敷地内で取れるものを運んでくれるだけでうれしいです。それに、実の部分だけにしてくれています」
持ってきてくれたナナカマドは、細い枝がしなるほど実がなったものを束ねてブーケにしてくれていた。
この表情筋が死にそうになっている学生さんが、赤いリボンをどこかで購入したのかと思うだけで面白かわいい。
「ふふ。ありがとうございます」
「……お前さ、電子書籍も読むのか?」
「はい。読みますよ。あとオーディオブックなんかも、わたしには便利ですね」
本を読み上げた音声を聞くオーディオブックは、本が手元になくても読書ができるので、本当に便利です。体があったころはあまり使いませんでしたが、なくしてわかる世の中の便利なものというのはいろいろとありますね。
「……データを送る」
「もしかして、クリスマスプレゼントですか? ならわたしからもなにか贈ります」
「いい。お前、金なんかあるのか?」
「もちろん! これでも少しは働いているんですよ。お金があっても、看護師さんたちへのプレゼントでしか使ったことないですけれど」
なにせ、食べ物は病院に管理されていますし、お洋服も靴もバッグも、文字通り使いどころがありません。
賠償金、みたいなのとか、遺族年金とか、学会でのスピーチとか、いろいろと収入はあっても医療費に消えていくだけです。
なにかモノを買ったとしても、自分ひとりでは開封もできませんしね。
「というわけで、アカウント教えてください!」
学生さんは自分のスマートフォンを取り出して、わたしにメールアドレスを訊ねてきます。教えた数分後には新着メールの表示がディスプレイに表示されます。しっかりアカウントが記載されていました。
けれどそれ以上に、メールボックスに学生さんの名前があることが、なんだかうれしく感じます。前よりずっと仲良くなれた気がしました。
さっそくわたしはディスプレイに記録していた電子書籍サイトのタブを開いて、学生さんのアカウントにおすすめの本を贈ります。
「なにを俺に贈ったんだ? ……小説かよ」
「あんまり読まないんじゃないですか? ……あっ、わたしに贈ってくれたのって科学エッセイですか? 学生さんらしいですねー!」
「うるさい」
学生さんがちょっと不機嫌になるのも面白いです。まるで友達とクリスマスパーティーをしているみたい。
いくらお医者さまや看護師さんと仲良くなっても、こうはいきません。なにせ、みなさんはおしごとでわたしに付き合ってくれているんですからね。
もちろん、いくらおしごととは言っても、こうして部屋を飾り付けて贈り物を用意してくれるのは、彼らの善意にほかなりませんが。
「あはは。来年もクリスマスしましょうよ」
「……俺は忙しいんだ」
「ダメですか」
「ダメとは言ってない」
「どっちなんですか」
面倒くさい学生さんですね。
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面倒くさい学生さんは、そのうち月に一度の訪問に減っていきました。やっぱり、大した変化のないこの白い箱だけの会話では、彼の知的好奇心を満たせなかったのでしょう。
残念です。とっても、とっても残念。
そう思っていたら、珍しく面倒くさい学生さんがやって来ました。
「こんにちは! お久しぶりですね!」
「……嫌味か?」
「事実ですよ」
「実習が多すぎるんだ。寝る時間だってない」
ムキになって反論した学生さんは、液晶ディスプレイに小さなひまわりを飾って、それから病室に備え付けられたパイプ椅子に腰掛けました。
そうして、わたしにつながれた大きなキューブ型の機械の上に頭を乗せます。
「えっ、どうしたんですか?」
「言っただろ。寝る時間がないほどで、ここへ来られなかったんだ。だから、この部屋で眠ればいい」
どうだ、天才だろう? そういう目でこちらを見てくるので、わたしはなんと言っていいかわからなくなりました。
普通に家に帰って眠ればいいのでは?
けれど、それを口に出したら帰ってほしいみたいに聞こえるでしょう。そうではないので、わたしは口を閉じるしかありません。
「……いいですよ。起こしましょうか?」
「三十分後に頼む」
学生さんはそう言って、本当に目をつむってしまいました。すぐに寝息が聞こえてきたので、寝不足なのは本当なのでしょう。
そう言えば、髪が随分ぼさぼさです。お医者さまになるって、大変なんですね。
わたしは三十分のタイマーをセットして、じっと学生さんの様子を眺めていました。
手があったら、頭をなでてあげたかもしれません。
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面倒くさくてやさしい学生さんは、今日も桜の花を液晶ディスプレイの上に飾ってくれます。もう三回目なので、学生さんも手慣れたものです。
「試験、合格した」
「わあ! そうですか! おめでとうございます!」
国家試験に挑んでいる、と言っていたので、無事に合格できてなによりです。
「そうだ。お祝いをしましょう! やさしいお医者さまの誕生記念です!」
「なんだ、やさしいっていうのは」
「わたしのところにこんなにお見舞いに来てくれるなんて、やさしいひとですよ」
最初は、ちょっとおっかなかったですけれど。
それはちょん切られた喉のさきっぽで飲み込んで、新米のやさしいお医者さまに笑いかけました。
「なにかお祝いさせてくださいよ。ほしいものはないですか?」
「いらない。というか、お前、体調は大丈夫なのか?」
「ああ。知ってましたか」
「冬の間、面会謝絶だった」
新米のお医者さまは、硬い表情のままこちらをじっと見つめてきます。
どうやら、不機嫌なのではなくて、わたしの心配をしてくれていたみたいです。
わかりづらくて損をするひとですね。
「少し、体調が悪くなりました。いえ、体がないので『体』調は変なのかもしれませんが」
「お前のボケはいい。どういう状況なんだ」
「ときどき、頭がぼんやりすることがあるんですよ。だから、この機械さんたちも含めて、いろいろとメンテナンスに時間がかかっただけです」
どうやら、酸素とブドウ糖そのほかの要素では、わたしの脳はもうそんなに長く保たせるせることはできないようです。
というか、よくこんなに長保ちしたなあ、という方が正しい表現でしょう。
わたしの主治医の方々や医療機器メーカーの開発者さんたちも、気の毒そうな、でもどこかほっとした表情をしていたのが、忘れられません。実際、わたしも、自分ってしぶといなあ、と思っているくらいです。
それなのに、新米のお医者さまは、苦しそうに顔を歪めました。わたしの容態を案じてくれているようです。
「……本当に、やさしいお医者さまですねえ……」
「……だから、やさしいって、なんなんだ。俺はここが静かで、考え事ができて、珍しい症例も見られて、通っているだけだ」
「お花を持ってきてくれるじゃないですか」
「全部、学内で生えてるのをもらってきてるだけだ」
「ありがとうございます。とってもうれしかったですよ」
「なんで過去形なんだ!」
今までにない剣幕で怒鳴られて、脳がぴりぴりとします。心拍を示す装置がいつもよりも早い拍子で波形をつくっていきました。それを見て、新米のお医者さまはうつむいてしまいます。
「……ごめん」
「……いいえ。わたしが迂闊でした。ただの言い間違いですよ。ずっとずっと、うれしいです」
そう。ずっとずっとうれしい。
きっと、自分が死んだって、この気持ちは変わるものではありません。
一度感じた「うれしい」は、どこにも消えてなくならないんです。
新米のお医者さまに笑いかけると、彼はいつも通りわたしのベッドの隣のパイプ椅子に腰掛けました。まだバツが悪いのか、俯いたままです。
「なあ」
「はい」
「結婚しよう」
あまりに脈絡のない話に、さすがのわたしも目を丸くしました。
「えっ」
「嫌なら、いい」
「いえ、でも。わたし、首しかないですよ? それに、かなり早いうちに死んじゃいます」
「……死なない。お前は、死ねないんだよ」
「どういうことですか?」
「最近、脳科学の分野で新しい研究発表があったんだ。お前で実証実験することになると思う」
「でも、もう意識が……」
そう言いかけて、ああ、と理解して口を閉じました。
わたしの意識とかはどうでもいいのです。
脳死判定にならない限り、この治療と言う名の実験は続くのです。
「……お前は、きっとそれを拒否しない」
「そうですね。わたしは喜んで、それを受け入れます」
わたしは、それでいいと思っています。
それがきっと、この先大変な病や事故に遭った誰かが、より良く生きるための糧になるのだと信じているのです。
「でも、家族なら、選べる」
やさしいひとは、わたしをまっすぐに見つめてそう言いました。
──家族であれば、安楽死という選択肢を選ぶことができる。
わたしが苦しまないように、わたしの意識がない時にも考えて選んでくれるひとができる。
わたしがわたしでなく、ただの灰色の細胞の塊になってしまっても、その先を託すことができる。
「……ありがたい申込みなんですけれど、いいんですか?」
「なにが?」
「そんなことのために、あなたの戸籍を使ってしまって。そんなにやさしい貴方なら、きっと恋人になりたい、結婚したいって女のひとはたくさんいるでしょう? 貴方、よく見るとイケメンですよ?」
「なんだ、それ」
「看護師さんたちがきゃーきゃー言ってますから。無口なところが素敵って」
やさしいお医者さまは、はじめて聞く話だったのか、喜んでいいのか、喜ぶ場面じゃないだろ、と葛藤しているような、複雑な表情を浮かべます。けれどすぐに頭を軽く振って、
「……お前は? 俺のことをどう思ってるんだ」
「とってもやさしいひとですね」
「……それだけか?」
「まあ、もう首だけなので」
わたしはもう、自分が女性だとか、そういう感覚も薄れていました。人間というか、哺乳類のかたちを保っていませんからね。
もちろん、体があったころは、ひとなみに恋愛に興味がありました。誰かとお付き合いしたことはなかったですけれど。
「でも……言われてみれば、貴方みたいなやさしいひとと、恋がしたかったですね」
「……すればいいだろ」
「でも、こんな生首だと、ご迷惑でしょう? 生首になっても、やさしさのフリーライドには気が引けます」
「……別に、乗っかれるものがあるなら乗っかればいいだろ。それに」
やさしいひとは、わたしの首からつながれたキューブ型の機械に手を置きます。体があったら、そこに手のひらがあったかもしれません。
「……惚れてない女のところに、何年も通ったりしない」
「……そうですか」
わたしは、笑いました。
彼の言葉をそのままの意味で受け取っていいか、それさえもわかりません。
けれど、彼の言葉は、わたしにとって救いでした。
「……はい。わたし、貴方に恋をします」
/*/
わたしはやさしいひとと結婚しました。
夫はお医者さまになって、わたしが過ごす病院で働くことになったようです。
学生のころも忙しそうでしたが、お医者さまになっても忙しそうです。それでも、勤務明けには顔を見せに来てくれました。
「旦那さん、今日も来てくれるそうですよ。よかったですね」
病室を掃除しにきてくれた看護師さんに教えてもらって、わたしはうれしくなりました。夫が学生さんのころはそういった情報が手に入らなかったので、ありがたいなと思います。
「昨日旦那さんに飾ってもらったお花、下ろして花瓶に生けますか?」
「そうですね。お願いします」
生花は半日もしない間に元気がなくなってしまいます。それでもわたしの見える場所に置いておいてくれる、夫と看護師さんたちのやさしさが、わたしにはとてもうれしいです。
それでも、やっぱりお花も命を貸してもらっているので、できるだけ長く保たせたいと思っています。
昨日はアスターという赤いお花を持ってきてくれました。こんなにきれいで立派な花も、病院や学校の敷地に咲いているんでしょうか?
「……少し顔色が悪いですね。お薬挿れますか?」
看護師さんの申し出に、わたしは浅くうなずきました。
最近、日中意識を保っていることが難しくなってきていました。
「夫が来たら、起こしてください」
「わかりました」
今は、眠るのにも薬を使います。夢は見ません。それくらい、深く深く眠ります。
もしかすると、次は目覚めないんじゃないか、なんていう不安もすでに遠い感覚になっていて、ただ心地よさだけを追いかけるのです。
/*/
目が覚めたら、ディスプレイに紅葉が飾ってありました。それから、どんぐりやまつぼっくり。
夫が学生時代に、学内の敷地で拾えるんだ、といった秋の実りたちです。
「ほあ?」
間の抜けた声に、ちょうどいた看護師さんがびっくりした様子でまたたきました。
「まあ! 起きたんですね! すぐに先生を呼びますから!」
どたばたと病室を出ていく看護師さんの気配を感じながら、わたしはぼんやりと視線の先に飾られた紅葉を眺めます。
──眠った時は、そこに大輪のアスターが咲いていたのに。
アスターは夏の花です。こんなに紅葉が真っ赤になるくらいの時間、わたしは眠っていたらしいです。
すぐに廊下から騒々しい音が聞こえてきました。ばたん、と扉を開いて、革靴のかかとが鳴る音がします。すぐに夫の顔が見えました。
夫は、なんだか泣きそうな顔をしています。
「……ッ、この寝坊助が……!」
「ふふふ。さすがに、これはお寝坊が過ぎますね。ごめんなさい」
「……寿命が縮まった」
「あら? 実際に縮まったのはわたしの寿命では?」
そう言ったら、夫にぎろりと睨まれました。バイタルをチェックしてカルテに記入している看護師さんもすごい形相をしています。
わたしの体があったなら、思わずちいちゃくなっていたことでしょう。
「……ごめんなさい。冗談が過ぎましたね」
「……それで、体調はどうなんだ」
これは医師としての質問なのか、伴侶としての質問なのか、判断に迷うところです。
わたしはこういうのを誤魔化すのに慣れっこです。
「へへへ。どう見えますか?」
問い返したら、夫も看護師さんも、黙り込んでしまいました。
それが、答えでしょう。
実感としても差はありません。
「わたし、きっと今は皮と骨だけになってるんでしょうねえ」
うまくしゃべれているのかも、正直あやしいと思います。ふたりには通じているようですが、医療従事者の神業でやってのけているだけのような気がしました。何カ月も飲み食いもせず、しゃべらなければ、口の筋肉というやつが衰えてしまうでしょうから。
「……今度、マシュマロを持ってきてやる。お前、好きだって言ってたことあっただろう」
「ええ? 飲み込めませんよ」
「噛んで吐き出せばいい」
誤嚥しようにも食道も肺もありませんから飲み込みさえしなければなんとかなるんでしょうか。
でも、鼻に管が刺さっているし、管の先にある機械は知らないものが増えているように感じます。
もう、食べ物の味がわかるかもわかりません。
「……ありがとうございます」
夫に、感謝だけを伝えました。
もしかしたら、わたしの状態なんて、彼にはとっくにわかっているのかもしれませんけれど、わたしにおいしいものを与えたいと思ってくれる、その心がうれしいのです。
やっぱり、やさしいひと。
「……なに笑ってるんだ」
「いえ。いつか貴方、わたしの人生に意味はあるのかって訊いたことがありましたよね?」
「……ああ」
「やっぱり、ありましたよ」
夫の瞳は、泣きそうに歪んでいます。もしかすると、わたしの瞳も涙で歪んでいたのかもしれません。
「いっぱい、いろんなひとの『やさしい』を受け取れました。こんなに満たされた人生はほかにないと思います」
わたしは、泣き出した夫の顔にほほえみを向けます。大事なことを、伝えます。
「大好きですよ。やさしい貴方。貴方と恋ができて、よかったです」
きっともう、意識を保っていられるのは、これが最後になるだろうから。
/*/
意識が浮上します。
目を覚ましたわけではありません。もうまぶたが持ち上がらないのです。
どうやら、身体機能(体がないので、正しい表現ではないことをご了承ください)が止まってしまっているようです。
それでも、感覚だけは残っていました。どれだけ眠っていたのでしょうか。白い病室には窓もなく、季節感がわかりません。それを教えてくれていたのは、夫が持ってきていた季節の花々だけでした。
……いいえ。花の香りが、かすかにします。
鼻に繋がれた管が取り去られているようです。それでもわずかに呼吸ができているのは、自分の体ながら不思議です。一体どこで呼吸しているというのでしょう。
そうは言っても、数分と保たないでしょうけれど。
花の香りは、桜ではないでしょうか。
花の香りというより、枝の香りなんじゃないかと思っているわたしですが、たしかに、体が五体満足だったころに嗅いだ桜の香りです。
「どうだ。お前、ひさびさの花の匂いは」
すぐ傍で声がします。夫の声です。
やさしい、こえ。
「花が好きだって言ってたからな。あと、マシュマロも持ってきた」
ちぎった小さなかけらが、口元にいれられた感覚がします。ちゃんと顎をささえてくれて、歯にあたります。むぎゅっとした、なつかしいかみしめる感触。
あまくて、おいしい。
わたし、まだ味がわかったんですね。
残念。すこしでも顔がうごかせたなら、笑いたかった。
「……うまかったか? うれしそうな顔してるな」
すごい! どうしてわかったんでしょう! やっぱり夫はやさしくて、ずっとわたしを見ていてくれたから、わかるんですね。
「……なんてな。そう思いたいだけかもしれない」
そんなことないですよ。
伝わらないことが、とてももどかしいです。
「……お前は、ずっと俺のことを『やさしい』って言っていたが、やっぱり俺は、やさしくなんかない。はじめてお前を見た時は、生首に山ほど機械がつながっていて、気味の悪いオブジェみたいだと思った。会話しているのもAIなんじゃないかと疑ってたくらいだ。でも、お前は妙に陽気で、でも生首で、生首だけでころころ表情が変わった。
俺はお前が、珍しかっただけなんだと思う。俺はあんまり学校にもなじめなくて、でも医学部は忙しいから、勉強にだけかまけてても誰からもなにも言われない。
だからお前は、本当にちょうどいい話し相手のような気がしたんだ。壁打ちみたいに使うつもりで、この病室に来たんだ。でもお前はぺらぺらとよくしゃべって、俺との会話を楽しんでた。ネットも使って、看護師のひとたちとも仲良く過ごして、俺よりずっと社会性があった。
俺がオブジェだと思ってたものは、人間だった。
お前は、人間だったんだ。
そう思ったら、やっぱりお前が怖くなった。こんな姿で生きているお前が、薄気味悪かった。でも、お前は生きている人間で、そう思っている自分がすごく嫌だった。
人間ってなんなんだ? 首だけで生きているお前は、世の中とつながりを持って、関わっているひとに愛されて、惜しまれている。
俺は誰ともつながってないただの医学生で、医者だ。お前を通してでしか世界とつながっていない。俺は人間なのか? お前のほうが人間なのに。でもお前の姿は人間からは遠くなってしまった。
そんな姿になったお前とでなきゃ、俺はお前と出会えなかった。
俺は今でもお前が不思議で、気味が悪くて、怖い。すごく感謝していて、お前が五体満足で長生きできたら、どんなに良かったかって毎晩考える。
でも、それじゃお前は俺と出会わなかった。
お前が五体満足だったら、きっと俺なんかよりずっと広い世界とつながって、俺よりもっといい男と恋をしてた。だから、俺はお前がこの気味の悪い姿で良かったとも思ってる。
最低だ。ごめん。俺は全然、やさしくなんかない。
今も、俺はお前を殺そうとしてる」
夫のこえが、なみだににじんでいるのがわかります。嗚咽がまじって、とてもくるしそう。わたしの手があったなら、なでてあげたかったです。
わかっていますよ。
ぜんぶ、しってましたよ。
でも、それって、わたしのこと好きってことじゃないですか。
ちゃんと恋をしていましたよ、わたしたち。
「お前は人間だから。もう目覚めないお前の脳を使って実験されるのが、俺には耐えられない。ごめん。もしかしたら聞こえてるかもしれないのに。少しでも意識が戻る可能性が、あるかもしれないのに」
だいじょうぶですよ。あったとしても、もうまぶただってうごかせません。たしかにわたしはもう、にんげんではなくなってしまったのだとおもいます。
でも、おっとはさいごまでむずかしいはなしをしますね。にんげんってなんなんだろう、なんて。
そんなの、わたしにだってわかりませんよ。
わたしにわかるのは、もっとかんたんなことだけ。
「ごめん。愛してた」
わたしも、あなたのことがすきでしたよ。
気に入っていただけたら評価、ブクマしていただけるとうれしいです。




