第53節 水泉動 ― 鑑定人の倫理と責任
「沈黙する科学に、良心の流れを通わせる」
凍った地の下で、水脈が音もなく動き始める。
それは、まだ春の兆しも見えぬ季節に訪れる、
“生命の予告”のような現象である。
鑑定人の倫理もまた、その水泉に似ている。
見えないが、確かに流れている――。
法廷で科学を語るということは、
ただ正確であればよいのではない。
その言葉が、人の運命を左右するからこそ、
真実と誠実のあいだで揺れる良心を持たねばならない。
隆也は、静かに言った。
「綾音、倫理は、
“迷いを感じる力”のこと。
迷わない鑑定人は、危ない」
水は、見えぬところで動いている。
その流れが止まったとき、
科学は、心を失う。
ここにお載せしておりますイラストは、私の言葉の羅列により、A.I.が作成してくれました。
Ⅰ 倫理は“見えぬ法”である ― 科学の底にある責任
司法医学における「倫理」とは、
“科学の冷たさ”を“人間の温度”で中和するための法である。
それは条文にはなく、
一人ひとりの良心の中に静かに流れる「内なる規範」。
倫理とは、「見えない法」。
それを失えば、鑑定はただの数値に堕する。
「綾音、事実を知るより、
事実をどう伝えるかが、倫理。」
― 隆也
Ⅱ 図解①:鑑定人の倫理構造 ― Structura Ethica Forensis
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Ⅰ 科学的誠実(Veritas Scientiae) │ 観察・測定・記録の正確性
Ⅱ 法的責任(Officium Juris) │ 法廷での中立性・証言の一貫性
Ⅲ 人間的尊厳(Dignitas Humana) │ 被害者・加害者・遺族への配慮
Ⅳ 沈黙の倫理(Ethica Silentii) │ 語らぬことの判断・公表の節度
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註:四層の倫理構造は“科学の呼吸器”であり、
真実の冷却と加温を調整する。
Ⅲ 鑑定人の責任 ― “語る自由”と“沈黙の義務”
鑑定人の責任は、二重構造にある。
語る責任と、沈黙する責任。
語りすぎれば偏る。
沈黙しすぎれば無責任。
その中間で、真実の水脈はかすかに流れる。
「綾音、僕らは“真実を守る沈黙”を知らねば。
それが倫理の第一歩」
― 隆也
Ⅳ 観察記録(綾音筆)
Case No. 53-C
主題:死亡時期判定における倫理的考察
状況:
依頼人側と被告側で死後経過時間に見解差あり。
検体:肝組織・筋肉繊維・眼球硝子体
所見:
・硝子体K値:10.8
・筋肉酵素活性:中度低下(死後約8時間推定)
・皮膚乾燥:開始期
判断:
死後8~10時間と鑑定可能。
ただし、温度条件・搬送経路に変動あり。
結語:
“確定的表現を避ける”ことが倫理的正確性に繋がる。
曖昧を恐れず、「範囲」で語る。
― 綾音(記)
Ⅴ 隆也注解 ― 「倫理とは、ためらう勇気」
「綾音、正しいって言葉に、
科学者が甘えたら、もう終わり?
倫理は、“ためらう勇気”のこと。
迷うことをやめた瞬間、人は独善になる。」
― 隆也(注解)
Ⅵ 図解②:倫理判断の流れ ― Flumen Ethicae
(模式図)
観察(Observation)
↓
自問(Reflection)
↓
判断(Judicium)
↓
表現(Expression)
註:倫理は外に示すものではなく、
内に問う過程である。
その流れが止まると、科学は凍る。
Ⅶ 倫理的決断の事例分析 ― Case Reflectio
事例A:記録の欠落
― 検体撮影データが一部欠損。再提出を求めるか否か。
→ 審理の公平を優先し、補足書面を自発的に提出。
事例B:遺族からの私的質問
→ 情報開示の線引きを明確にし、感情的慰めと事実説明を分離。
事例C:鑑定書の修正依頼
→ 法的要求に対して「科学的根拠なし」と明示回答。
「倫理は、人の目ではなく、自分の良心に見られている感覚だ。」
― 綾音(覚書)
Ⅷ 詩篇:水泉の声 ― Testimonium Fontis
「氷の下で、
水は静かに動いている。
誰も見ていなくても、
その流れは途切れない。
科学の言葉もまた、
人の良心によって動かされている。
見えぬ倫理の流れこそ、
真実を生かす血流なのだ」
― 綾音
「科学が心を持つとき、
それは倫理と呼ばれる」
― 隆也
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第54節 水泉動―鑑定人の倫理と責任《手稿資料集:水泉の声(Testimonium Fontis)》です。
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ありがとうございます。
いかがでした?
倫理と責任は、
鑑定人が科学の内部に“心”を取り戻すための道である。
正確であることと、
誠実であることは、似て非なる。
その差を知る者こそ、真の司法医学者。
私、綾音と隆也は、
「迷いを抱いたままでも歩ける強さ」を信じていた。
次節では――
第54節 雉始雊 ― 傷は時を語る
そこでは、「炎症反応」「血液乾燥」「組織修復」という生体の“時間の記憶”を軸に、
「創がどのように時を記録するか」――すなわち、
**司法医学的時間鑑定(Chronologia Forensis)**の核心を描きます。
――水泉動。
見えぬところで流れるものこそ、真実の源である。




