第2節 よし芽吹いて風くすぐ 穀雨―やさしき雨音と取締役会の権限 【続き1】
春の雨がそっと大地を潤すように、私たちの議論もまた静かに広がっていきます。第2節「よし芽吹いて風くすぐ 穀雨 ―やさしき雨音と取締役会の権限」【続き1】では、条文解釈、会社法第362条の権限規定、判例紹介、大隅健一郎氏の学説の引用、二人の対話形式による熱い応酬を展開し、雨音に寄り添う午後、感情の揺らぎや互いへの信頼の芽生えを織り込みます。
ここにお載せしておりますイラストは、私の言葉の羅列により、A.I.が作成してくれました。
四月下旬、細やかな雨が糸のように降りしきっていた。
大学図書館の大きな窓は水滴に覆われ、外の景色を滲ませている。
キャンパスの桜はすでに散り、若葉がしっとりと濡れていた。
私は法学部の閲覧室の隅に腰を下ろし、机いっぱいに資料を広げていた。
六法全書、判例百選、そして大隅健一郎先生の論文集――そのページをめくるたびに、雨音と相まって心が静まり、しかし同時に熱を帯びていくのを感じていた。
「ここ、いい?」
声に顔を上げると、隆也が立っていた。
彼の手にもまた、分厚い会社法の参考書とノートが抱えられている。
「もちろん」
そう答えると、彼は軽く会釈して向かいに座った。
そして自然に、私たちの会話は始まった。
「株主総会と取締役会――条文だけ見れば明快な分担がされているように見えるけれど、実際はどうなのかな」
隆也が六法全書を開きながら言った。
私はページをめくり、指で条文をなぞった。
「会社法295条。株主総会は会社の基本的事項を決定する、とあるわ。でも具体的に何を決められるかは296条で“定款の変更、取締役の選解任、合併など重要事項”と限定されている。つまり、日常の経営判断には踏み込めない」
隆也は頷いた。
「そして362条で、取締役会が業務執行の意思決定を専権的に担う。だから条文上、株主総会は“最高機関”と呼ばれても、実質は“限定的な決定機関”にすぎないんだ」
私は思わず口を尖らせた。
「でも、それじゃあ株主の声が届かないじゃない。所有と経営の分離を前提にしても、あまりに隔たりすぎていない?」
隆也は窓の外の雨を見やりながら、静かに言った。
「だからこそ判例が重要なんだ。例えば八幡製鉄事件(最判昭和42年7月20日)。株主総会が取締役会の専決事項に介入できるかが争われたけど、最高裁は“できない”と断じた。株主が経営に干渉することは、かえって混乱を招くと」
私は息を呑んだ。
「株主が会社の“主人”であるはずなのに、その意思を直接経営に反映できない……制度って、なんて逆説的なのかしら」
隆也は軽く微笑んだ。
「逆説だけど合理的でもある。大隅健一郎先生も“株主総会中心主義から取締役会中心主義への移行は、責任の所在を明確化するための必然”だと論じている。誰が会社を動かし、誰が責任を取るのか――その答えを条文は示しているんだ」
私は資料を閉じ、胸に手を当てる。
「責任の所在……そうね。でも株主総会が“民主主義”を体現しているのなら、その声を軽んじるのは危うい気がするわ。制度の安定と民主的統制、その間で揺れ続けるのね」
二人の視線は交差し、雨音に溶け合った。
議論はまだ始まったばかり。
けれど心のどこかで、私は確かに感じていた。
――この応酬が、彼と私の信頼を少しずつ育てているのだと。
《次回へ》
ようこそお越し下さいました。
ありがとうございます。
いかがでした?
春雨に包まれた午後、株主総会と取締役会の関係をめぐる議論は、条文解釈と判例を交錯させながら熱を帯びていった。総会の“民主的統制”と、取締役会の“責任集中”――二つの価値の間に揺れる法学的ジレンマは、互いの心を近づける契機にもなりました。
次回は、第2節「よし芽吹いて風くすぐ 穀雨 ―やさしき雨音と取締役会の権限」【続き2】はさらに判例と学説を掘り下げ、制度の理想と現実の間を歩む二人の応酬を展開してきます。




