表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
OVER TAKE ❦ 大隅綾音と魚住隆也 ❦ ともに行こう!  作者: 詩野忍


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

33/53

第21章 土潤いて頬つめた−土熱れ「心臓の沈黙 ― 解剖における尊厳」

叙情描写・法医学的手技・倫理的省察より大隅綾音と魚住隆也の静かな対話によって、司法解剖の実務的過程を通じて、“死を切り開くことは、命を理解すること”であるという主題を浮かび上がらせます。

綾音と隆也の手の震え、沈黙の祈り、そして「尊厳」という言葉の意味が、衣の光の中に静かに滲み出る節です。

ここにお載せしておりますイラストは、私の言葉の羅列により、A.I.が作成してくれました。

 Ⅰ 朝の静寂、祈りの始まり


 蝉の声が響きはじめた朝。

 大学附属法医学室は、冷たく清潔な空気に満ちていた。

 壁の時計が秒を刻み、ガラス瓶のラベルが淡く光る。


 大隅綾音は、衣の袖を少し折り、手を組んで小さく頭を垂れた。

 その前には、白布で覆われた遺体。

「――この亡き方の人生を、敬意をもって開かせていただきます」

 その声は、祈りにも似ていた。


 隣で魚住隆也が深く一礼する。

「……今日も、よろしくお願いします」

 二人の手が、同時に手袋をはめる音だけが響く。


「司法解剖は、死を“暴く”ためじゃないの。

 真実を、“静かに照らす”ための行為」

「だからこそ、冷たさの中にも温度がある」


 その瞬間、解剖台の上の白布が、まるで息をしているように静かに揺れた。


 Ⅱ 第一刀 ― 科学の祈り


「では、胸腔から始めましょう」

 綾音の声が、柔らかくも凛としていた。


 隆也が記録台に立ち、計測値を読み上げる。

「身長、百六十七センチ。体重、五十八キロ。性別、女性。

 外表所見、特記事項なし」

「切開部位、胸骨中央線……」


 メスが光を受けてきらりと輝いた。

 綾音は一瞬だけ呼吸を止め、白布の下に手を伸ばす。

 その一刀は、まるで祈りの線のように滑らかだった。


「――生を、もう一度“開く”の」


 音はほとんどなかった。

 皮膚、脂肪、筋肉、胸骨。

 層をなぞるように、慎重に、正確に。


 隆也はただ黙って、その手の動きを見守っていた。

 その姿は、まるで舞のようで、宗教的でさえあった。


「科学って、冷たく見えるけど、本当は“祈り”なのよ。

 私たちは、死を前にして手を合わせているだけ」

挿絵(By みてみん)

 Ⅲ 胸腔を開く ― 呼吸の記録


 胸骨鋸が静かに回転する。

 音は低く、一定のリズムを刻んだ。

 綾音が助手に合図を送り、胸郭を左右に広げる。


「肺はやや膨張。左葉に出血斑。……吸引痕あり」

「喫煙歴?」

「ええ。肺胞壁の煤沈着が見える」


 綾音はピンセットで小さな気泡をすくい、ガラス皿に移す。

「肺の色って、人生の色なの。呼吸の仕方で、全部変わる」


 彼女は続けた。

「呼吸が止まる瞬間、心臓はまだ動こうとする。

 でも酸素が来ないから、細胞が一つずつ沈黙していく。

 それが“死”の定義――機能の不可逆的停止」


 図解①:死の三徴(Triad of Death)


 ① 心停止(Cardiac Arrest)

 ② 呼吸停止(Respiratory Arrest)

 ③ 脳機能停止(Cerebral Death)

 → これら三者の不可逆的停止により、法的死が成立。


「つまり、“死”って、瞬間じゃなく過程なんだ」

 綾音:「そう。心臓が止まっても、細胞はしばらく“生きてる”。

 ――それを、私たちは見届けるの」


 Ⅳ 心臓を取り出す ― 沈黙の臓器


 解剖台の上に置かれたステンレスのトレイ。

 その中央に、赤い鼓動の残影のような臓器があった。


 綾音はそっとピンセットで持ち上げ、重さを量る。

「心臓、二百八十グラム。大きさ正常。

 冠動脈走行、左前下行枝に硬化。……閉塞率、約七十パーセント」


「虚血性変化、つまり心筋梗塞の可能性?」

「ええ。顕微鏡で見れば確定できるわ」


 彼女は心臓を開き、弁の内面を指でなぞる。

「この弁、きれいでしょう。

 人がどれだけ生きて、どれだけ愛したかは、ここに残る」


「……“愛したか”?」

「心臓は、人生の“拍動の記録”だから」


 図解②:心臓内部構造(模式図)


 右心房 → 右心室 → 肺動脈 → 肺静脈 → 左心房 → 左心室 → 大動脈

 弁構造:三尖弁/肺動脈弁/僧帽弁/大動脈弁

 主要血管:左前下行枝・右冠動脈


 綾音は手を止め、静かに呟いた。

「――“心臓の沈黙”って、永遠に拍動がやまないことなの。

 医学的には停止、でも倫理的には継続している」


「つまり、私たちが見てるのは“止まった拍動”じゃなく、“残された音”……?」

「そう。法医学とは、“沈黙の音”を聞く学問なの」

挿絵(By みてみん)

 Ⅴ 腹腔 ― 食べた最後の記憶


 次に、腹部が開かれる。

 淡い黄色の脂肪層を通り、胃が現れた。

 綾音は慎重に切開し、内容物を確認する。

「未消化の米粒と野菜。――最後の食事、たぶん夜の八時」


「食べたもので、死の時間も分かるんだね」

「そう。食事内容・胃排出率・残留時間――全部“時間の時計”になる」


 図解③:胃内容物と死後経過時間の推定


 内容物状態推定経過時間備考


 完全消化6時間以上胃排出完了

 半消化2〜6時間食後中期

 未消化1〜2時間食後直後


「これで、死亡推定時刻は21時前後。

 ね、隆也くん。食べたものが、その人の“最期の記憶”になるのよ。」

「……優しいね、綾音。」

 綾音:「法医って、本当は“優しさ”の学問なの」


 Ⅵ 頭蓋を開く ― 思考の跡


 解剖は頭部へ。

 隆也が頭皮を開き、骨鋸を回す。

「骨厚、五ミリ。異常なし」

「脳を損なわないように注意して。ゆっくりね」


 頭蓋骨が外れ、脳が露わになる。

 柔らかな灰白質が光を反射した。

 綾音はそっと持ち上げ、トレイに移す。


「脳重量、一二八〇グラム。血管破綻なし。脳溝正常。

 ――美しい脳だわ」


「“美しい”って言うんだね。」

「ええ。考え、愛し、悩んだ“形”だから。」


 図解④:脳の主要構造(法医観察部位)


 大脳:前頭葉(理性)/側頭葉(記憶)/後頭葉(視覚)

 小脳:運動協調

 脳幹:延髄・橋(呼吸・循環中枢)


「脳って、“人間の痕跡”そのものなの。

 だから扱うときは、どんな臓器よりも丁寧に」

「……解剖って、命を切るんじゃなく、人生を“読んでる”みたいだ」

 綾音:「うん。だからこそ、沈黙が必要なの」


 Ⅶ 解剖の終章 ― 手を合わせる時


 全ての臓器を観察し終えたあと、綾音は白布を再びかけた。

「臓器の配置を戻し、縫合を始めます」

 その声はかすかに震えていた。

 針が通る音が、静寂に小さく響く。


「――人間を“閉じる”って、何度やっても慣れないね」

 隆也がぽつりと呟く。

「慣れたら終わりよ。

 法医が“心”をなくしたら、死者の声が聴こえなくなる」


 最後の縫合を終えると、綾音は両手を合わせた。

「この亡き方の真実が、正しく伝わりますように」

 その祈りは、綾音と隆也の“倫理”の言葉だった。

挿絵(By みてみん)

 Ⅷ 法廷への橋渡し ― 解剖報告書


 夜、綾音はデスクに向かい、報告書を書いていた。

「死亡原因:虚血性心疾患(冠動脈硬化に伴う)。

 死亡時刻:推定21時頃。

 外因:認めず」


 彼女の筆は止まらない。

 隆也が静かにコーヒーを置く。

「……綾音。今日の手、震えてた」

「うん。でも、それでいいの。

 震えなくなったら、人でなくなる」


 報告書の末尾に、一文が加えられた。


  “本亡き方のお体に対し、最大の敬意をもって観察を行った。”


 それは、科学の文書の中で最も人間らしい言葉だった。


 Ⅹ 半夏生の夜、静かな鼓動


 夜。

 棟の外では、雨が細く降っていた。

 夏の花が濡れ、葉の白が月光を反射していた。


 綾音と隆也は、静かに建物を出る。

「ねえ隆也」

「はい」

「心臓って、止まっても、どこかでまだ動いてる気がするの」

 隆也は胸に手を当てた。

「……きっと、今も、誰かのために鳴ってるよ」


 その言葉に、綾音は微かに頷いた。

 風が吹き、白い花弁が二人の足元に舞った。

 それはまるで、沈黙の中に残る“心臓の鼓動”のようだった。

 司法解剖とは、命を解くことではなく、

 命の意味を“つなぎ直す”こと。

 《次回へ》

ようこそお越し下さいました。

ありがとうございます。

いかがでした?

静寂の中で開かれ、そして閉じられた亡き方の胸腔。そこにあったのは、停止ではなく、なおも微かに響く「生の余韻」だったのです。大隅綾音と魚住隆也は、白布の向こうに宿る“尊厳”を見つめながら、科学とは祈りであり、倫理とは愛の形であることを知るりました。司法解剖の手は、命を切り裂く刃ではなく、人生を読み解く筆先に変わっていきます。

 そして綾音と隆也は悟ります――死とは終わりではなく、「法と心の境界線」に灯る一条の光なのだと。

 次回は、第22節 大雨時行、スカート弾む―土熱れ「鑑定書と証言の倫理」では、法廷という現実の舞台で、綾音と隆也が“言葉で命を守る”試練に挑みます。科学と真実の重さ、そのはざまで揺れる彼らの証言は、再び“心臓の鼓動”を蘇らせる――沈黙の奥にある、亡き人の声を伝えるために。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ