第15節 菖蒲あざやか、帯しゅっと ― あやめ?杜若? パレスチナにおけるイスラエルの位置
あやめか、杜若か。似て非なる二つの花のあいだに、人は“区分”という言葉を作りました。けれど、根は同じ水辺にあり、互いの姿を仲良く映し合って咲いています。パレスチナとイスラエルの未来もまた、その水辺に光という希望を求めているのです。大隅綾音と魚住隆也の議論は、 理解の義務という新しい概念にたどり着き、再び誠実の意味を問い直していきます。
ここにお載せしておりますイラストは、私の言葉の羅列により、A.I.が作成してくれました。
〚豊橋駅です〛
六月の午後。菖蒲。
紫と白、あやめと杜若――どちらがどちらか、私にはもう分からなかった。
けれど、違いを区別しようとする執念が、時に今、そこにある危機が潜んでいる気がした。
隆也が窓辺に寄り、
静かに言った。
「綾音、今日の議題は“帝国の約束”だ」
私は頷いた。
「イギリスとパレスチナの……あの複雑な関係ね」
「そう。
彼らの“約束”が、いまも中東の秩序を縛っている」
〚豊橋市の水上ビルにてです〛
机の上に並べられた三枚の文書。
古びた紙には、インクのにじみが歴史の重みを刻んでいた。
隆也が一枚ずつ指でなぞりながら言った。
第一次世界大戦中、イギリスは三つの矛盾した約束をした
(1)フサイン=マクマホン協定(1915–1916)【註1】
アラブ人に独立を約束した
隆也の声が、まるで祈りを語るように低く響いた。
“His Majesty’s Government are prepared to recognize and support the independence of the Arabs…”
私は読み上げながら息を詰めた。
「つまり、アラブ人に“国を持たせる”と約束したのね」
「そう。でも同時に――」
(2)サイクス=ピコ協定(1916)【註2】
「フランスとは、中東の分割を秘密裏に決めていた。」
“France and Great Britain are prepared to divide the Near East into spheres of influence.”
私は言葉を失った。
「……アラブ人への約束を、同時に裏切っていた」
「しかも、それだけじゃない」
(3)バルフォア宣言(1917)【註3】
“His Majesty’s Government view with favour the establishment of a national home for the Jewish people in Palestine.”
〚母校です〛
隆也の声が、静かに、しかし重く響いた。
「ユダヤ人に“民族的郷土”を与える――つまり、同じ土地を三者に同時に約束した」
「……それって、法の上ではどうなるの?」
「約束の履行が相互に排他的なら、
それは“信義の崩壊”だ。
――でも、当時の国際法には“誠実の原則”がまだなかった」
私はペンを握り、ノートに書いた。
“国家が嘘をついても、法は沈黙していた。”
【註1】 Hussein-McMahon Correspondence(1915–16):
第一次世界大戦中、イギリスとアラブ側との往復書簡。
アラブ独立を支持する約束がなされたが、後にパレスチナ地域を除外する解釈が提示され、紛争の火種となる。
【註2】 Sykes-Picot Agreement(1916):
英仏露間の秘密協定。オスマン帝国崩壊後の中東を分割する取り決めであり、
国際法的拘束力を持たないが、植民地主義的意図の象徴とされる。
【註3】 Balfour Declaration(1917):
英国外相アーサー・バルフォアが発した公開書簡。ユダヤ人国家の建設を支持する一方で、
“非ユダヤ人の権利を害してはならない”と但し書きを添えた。
〚フェンスの向こうは母校の敷地なのです〛
帝国の“信託”という虚構。戦後、イギリスは国際連盟の委任統治を得て、パレスチナを“管理”した
隆也が続ける。
「委任――trusteeship。
響きは美しいけど、実態は支配だった」
私は問い返した。
「でも、国際連盟は“平和のため”に作られた組織でしょう?」
隆也は苦笑した。
「名目上はね。
だが“平和”の名の下で、
旧帝国が支配を継続する仕組みを作った。
それが“委任統治制度”なんだ」
彼が文書を指差した。
League of Nations Mandate for Palestine, Article 2
“The Mandatory shall be responsible for placing the country under such political, administrative and economic conditions as will secure the establishment of the Jewish national home.”【註4】
私は静かに読み上げ、
「……“ユダヤ国家の建設を確保する”。
つまり、すでに方向性が決まっていたのね」
「そう。
アラブ人の意思は、初めから考慮されなかった」
【註4】 League of Nations Mandate for Palestine(1922):
国際連盟の決定により、イギリスがパレスチナの委任統治権を得た。
“ユダヤ人の民族的郷土”の建設を義務づけ、アラブ人の自決権を事実上排除した。
〚ホームの端は母校の正門です〛
沈黙する法、語る歴史。私は呟いた。
「……結局、法はいつも“事後”なのね」
隆也はゆっくりと頷いた。
「そうだ。
国際法が“信義誠実”を原則として掲げるようになるのは、
第二次世界大戦後、国連憲章でのことだ」
Charter of the United Nations, Article 2(2)
“All Members shall fulfill in good faith the obligations assumed by them under the present Charter.”【註5】
「――でも、その頃にはもう遅かった」
隆也は窓の外を見つめた。
「約束の連鎖はすでに断ち切れず、
互いの憎しみだけが残されていった」
私は目を伏せた。
「残された憎しみ……。
そんな状況を、作ってしまったなんて」
隆也の声が静かに重なる。
「それは帝国の罪だ」
【註5】 Charter of the United Nations(1945):
第二次世界大戦後、国際連盟を継ぐ形で成立した国際組織。
第2条2項に“善意の履行義務(good faith)”が規定され、
国家間の信義の法文化的基礎となった。
〚国道から見た。アニメーションにもでてた波形屋根〛
綾音の独白 ― “約束は、祈りだったはずなのに”
私はペンを握りながら、
小さな声で呟いた。
「……約束って、本当は人と人を結ぶものなのに。
どうして国家がそれを壊すの?」
隆也は答えなかった。
その沈黙の中で、私は思った。
法は“人の理性”の産物だと信じていた。
けれど、その理性が人の心を超えてしまうとき、
法は冷たい刃に変わる。
あやめと杜若。
同じ水に根を張りながら、違う色で咲く花。
その違いを、
どうして人は“戦う理由”にしてしまうのだろう。
「……ねえ隆也」
「うん?」
「もし世界が、もう一度“約束”をやり直せるとしたら、
どんな言葉で書き直すと思う?」
隆也は少し考えてから言った。
「“共感に基づく条約”。
それができたら、戦争は減るかもしれない」
私は微笑んだ。
「共感を、法にできたらいいのにね」
《次回へ》
〚駅の国道を挟んで反対にはヒロインの方々の学校『県立ツワブキ高校』〛
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第15節 菖蒲あざやか、帯しゅっと ― あやめ?杜若? パレスチナにおけるイスラエルの位置では、イギリスの三重外交の矛盾と国際法の形成過程の視点を軸に描きました。
次回は、第15節 菖蒲あざやか、帯しゅっと ― あやめ?杜若? パレスチナにおけるイスラエルの位置 【続き1】法と信義 ― 国際法の光と影、国連分割決議、イスラエル建国宣言、ナクバ、ICJ勧告意見、そして現代における“法の正義と政治の現実”の対立を綾音と隆也の議論を通じて展開いたします。




