第11節 螳螂の祈り、指先に ― 芒種の中の滝川事件と大隅健一郎氏
芒種の風は、田の稲を揺らし、緑の香りを運びます。その風の中で、私は一枚の古い文献を開いています。
昭和八年、滝川事件――。
法学が弾圧され、学問の自由が奪われた時代。 だが、大隅健一郎先生はその嵐の後で語られました。
「沈黙の中にも、誠実は生きている」と。
螳螂が小さな鎌を掲げ、嵐に抗うように、私たちもまた、法を信じ、言葉を紡ぐ。芒種の午後、祈るようにページをめくる指先が、無意識にも過去と現在を静かにつなぎはじめていました。
ここにお載せしておりますイラストは、私の言葉の羅列により、A.I.が作成してくれました。
田圃の向こうから、蛙の声が響いていた。
空は薄く曇り、湿った風が肌を撫でる。
私は図書館の古い木の机に座り、
手元の資料に目を落とした――「滝川事件関係史料集」。
昭和八年六月。
京都帝国大学法学部教授・滝川幸辰が、
刑法学における自由主義的立場を理由に休職処分を受けた。
自由がその指先からすり抜けていった瞬間。
「隆也、これを読んでると胸が痛くなるの」
私は静かに言った。
「“法を信じる者が、法によって縛られる”――
そんな矛盾が、どうして生まれてしまうのかしら」
隆也は隣で、ノートを閉じた。
「滝川事件はね、制度ではなく“空気”が人を追い詰めた事件だと思う。
条文のどこにも“思想を処罰する”なんて書いてなかった。
でも、社会が恐れた。思想の力を」
「……恐れた」
私は小さく呟いた。
「それは、自由が“他者の鏡”だからね。
誰かが自由であるということは、
誰かが不安を感じるということでもある」
隆也が静かに頷いた。
「だからこそ、学問は孤独になる。
けれど、大隅先生はその孤独を“誠実”と呼んだ」
図書館の窓の外では、風が強くなり、
竹林がざわめいていた。
私は資料の中の一節を指でなぞった。
「国家権力が学問に及ぶとき、
それは必ず法の尊厳を傷つける」
「これ、滝川先生が辞表を出す前に語った言葉なの」
私は声を落とした。
「大隅健一郎先生は、この事件を“法の倫理的試練”と呼んでいたわ。
法の条文は沈黙しても、人の良心は沈黙してはいけないって」
隆也は目を細めた。
「先生らしいね。
制度よりも、人の誠実を信じる学者だった」
私は微笑んだ。
「ええ。
“法は支配の道具ではなく、対話の言葉である”。
それが先生の信念だった」
法学と良心 ― 「法を語る者の孤独」
私は机に両肘をつき、深く息を吸った。
「ねえ隆也、法って、どこまで人の心に寄り添えるのかしら」
隆也はしばらく考え、答えた。
「法は、心に寄り添うための“距離”を測る学問だと思う。
寄り添いすぎても盲目になるし、離れすぎても冷酷になる。
滝川事件は、その距離の取り方を間違えた社会の悲劇だ」
「距離の取り方……」
私は手のひらに小さな影を作りながらつぶやいた。
「螳螂が、風の中で鎌を合わせるみたいに、
人間も、自分を守るために距離を測っているのかもしれない」
隆也は小さく笑った。
「でも、螳螂は祈る姿にも見える。
だから、先生はこの事件を“螳螂の祈り”って呼んだんじゃないかな」
私は目を丸くした。
「……本当にそう言ってたの?」
「うん。昭和三十年代の講義録に出てたよ。
『学問は小さな祈りである。
信念とは、無力であることを恐れぬ勇気だ』って」
私は言葉を失った。
胸の奥に熱がこみ上げてくる。
静かな図書館の空気の中で、
その一文が私の心の中に深く沈んでいった。
「法の倫理」とは何か
「でも、法の倫理ってなんだろう」
私はペンを回しながら尋ねた。
「滝川事件のように、国家が法を利用するとき、
倫理はどこに逃げるの?」
隆也は指先で机を叩きながら答えた。
「大隅先生の立場では、倫理は“制度の外側”にあるんだ。
法が形式を失っても、
それを支える“人間の誠実”があれば、法は蘇る。
だからこそ先生は、会社法でも手形法でも、
“誠実”という言葉を何度も書いた」
「つまり、倫理は“人間の中にある法”なのね」
「そう。書かれていない法、けれど最も強い法だ」
私はふと、螳螂が風に揺れる幻を見た気がした。
その細い体で、見えない敵に鎌を掲げる――
まるで、言葉で世界を守ろうとした学者たちの姿のようだった。
現代への問い ― 学問の自由と沈黙の勇気
外に出ると、夕立の前の湿気を帯びた風が吹いていた。
夕暮れの光の中、田の稲が柔らかく波打つ。
私は小さくつぶやいた。
「滝川先生たちが守ろうとしたもの……
今の私たちは、ちゃんと受け継げているのかしら」
隆也が隣で立ち止まり、
夕陽を見ながら答えた。
「沈黙する勇気。
言葉を捨てない誠実。
それを持ち続けられる限り、学問は死なない」
「……螳螂の祈り、ね」
「そう。
小さくても、確かに届く祈り」
私は指先を合わせ、
そっと掌を重ねた。
指の間から、ほんのりと温かい光が漏れるような気がした。
《次回へ》
ようこそお越し下さいました。
ありがとうございます。
いかがでした?
芒種の風が吹く田のほとりで、二人は“沈黙と誠実”という言葉の意味を見つめていました。滝川事件が問いかけたのは、法の権威ではなく、人がどこまで自由を信じられるかという覚悟だったのではないのでしょうか?大隅健一郎氏の言葉――「学問は小さな祈りである」――が、今も心の中で息づいています。
次回は、第12節 腐草ほたるに生まれなおし ― 螢火の下で天安門事件と趙紫陽談義、1989年の天安門事件と趙紫陽の政治的・倫理的立場をめぐり、大隅綾音と魚住隆也の議論が、螢火の灯る夏の夜に静かに展開していきます。




