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OVER TAKE ❦ 大隅綾音と魚住隆也 ❦ ともに行こう!  作者: 詩野忍


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第8節 蚕起食桑の小満 ― 走り梅雨と監査役制度の行方

梅雨のはじまり、蚕が桑の葉を食みはじめる季節。

しっとりとした空気のなかで、法の世界もまた静かに息づいています。

監査役制度――企業の「良心」と呼ばれながら、その限界が問われ続けているのです。

走り梅雨の午後、私は魚住隆也と向かい合い、 制度の本質と、人間の誠実の構造について語り合っています。雨の匂いが立ち上るたびに、法が抱える矛盾と、それでも守ろうとする「信頼の形」が浮かび上がってくるようでした。

ここにお載せしておりますイラストは、私の言葉の羅列により、A.I.が作成してくれました。

 雨が図書館の窓を細かく叩いていた。

  梅雨の走り――灰色の空の下、桑の葉が濡れ、遠くの竹林が霞んで見える。

  私は分厚い商法判例集を開きながら、ページの隅を指で押さえた。

  湿った紙の感触に、少しだけ季節の匂いが混ざっていた。

「ねえ隆也、監査役制度って、ほんとうに“企業の良心”なのかしら」

  私の問いに、魚住隆也は静かに顔を上げた。

  「……どうしてそう思う?」

「制度としての美しさはあるけど、現実は形だけに終わることが多い。

  “監査”って言葉が持つ倫理の響きに、どこか甘えてる気がするの」

 隆也は、少し考えるように目を伏せた。

  「確かに、理想と現実の差は大きいね。

  でも、それでも制度を置く意味はある。

  法は完璧じゃない。けど、“誠実を強制する枠”として存在できる」

 私は小さく笑った。

  「“誠実を強制する枠”……まるで矛盾みたいね」

 隆也の声は落ち着いていた。

  「矛盾してるよ。でも、それこそが人間社会だ。

  善意を信じすぎても壊れるし、疑いすぎても立ち行かない。

  監査役制度は、その中間に立つ“調律の機構”なんだ」

挿絵(By みてみん)

 外の雨脚が少し強くなった。

  ガラスを伝う水の筋がゆっくりと流れていく。

  私はペンを持ち、ノートに書き出した。

 監査役制度とは――

  経営者の誠実を信じながら、同時に疑うこと。

  その矛盾の中にこそ、法の倫理が息づく。

「でも、昭和の頃の監査役って、ほとんど“お飾り”だったのよね」

  私は口を開いた。

  「経営判断に口を出せないし、取締役と対立すれば排除される。

  “内部監視”といっても、実質的には限界があった」

 隆也が頷く。

  「昭和四十九年改正まではそうだった。

  その後、“監査役制度の強化”が行われたけど、

  やっぱり実効性を持たせるには、社会全体の意識が変わる必要があった」

「制度よりも、人の問題ね。」

  「そう。制度は“誠実の型”を与えるけど、“誠実そのもの”は作れない」


 私は少しだけ息を吸い込み、目を閉じた。

  「平成十三年の社外監査役制度――独立性を高めるための改革だったけど、

  実際には“形骸化”が進んだ。

  “外部性”を掲げても、そこに魂がなければ何の意味もない」

 隆也は、机に肘をつきながら言った。

  「それは、大隅健一郎先生が指摘してた“倫理の形骸化”だね。

  彼は言っていた。“制度が人を支えられなくなったとき、

  法は自らを見直すべきだ”と」

「……つまり、法も成長するのね」

  「そうだ。竹が節を重ねて強くなるように。

  法の節、それが“改正”なんだ」

挿絵(By みてみん)

 雨が静まった。

  外の桑の木の葉が、雨滴を抱いたまま光を弾いている。

  私は立ち上がり、窓辺に歩み寄った。

「見て、あの葉」

  「桑の葉か?」

  「うん。蚕が食む前の葉って、こんなに艶があるのね。

  でも、一度食べられたら跡が残る。

  ……監査も同じかも。

  企業が何かを失うことでしか、透明にはならない」

 隆也はゆっくりと私の隣に立ち、

  その葉を見つめながら呟いた。

  「それでも食まなきゃ、生きられない。

  誠実も、法も、人も。――“成長の代償”だよ」


「大隅先生は、“監査とは孤独の制度”だと言っていたわ」

  「孤独?」

  「うん。誰も褒めてくれない。

  正しいことを言えば敵を作るし、沈黙すれば自分を失う。

  それでも、見ていなければならない」

「孤独を選ぶ勇気か……」

  隆也は小さく息を吐いた。

  「制度が機能するためには、その孤独を支える文化が必要なんだろうなあ」

「文化……」

  私はその言葉を噛み締めた。

  「つまり、“法の文化”ってことね。

  条文じゃなく、心に根づく倫理」

挿絵(By みてみん)

 外に出ると、雨上がりの空気がひんやりしていた。

  石畳に溜まった水たまりが、空を映している。

  足元には、濡れた桑の葉がいくつも落ちていた。

「隆也、法って、どこまで人を信じていると思う?」

  「……全部だよ。

  信じられなくなった瞬間、法は存在意義を失う」

「でも、人は裏切る。」

  「それでも信じる。それが“構造的誠実”なんだ」

「構造的誠実……」

  私はその言葉を小さく繰り返した。

  「制度の中に、信頼の構造を作る――

  それが、監査役制度の本当の意味ね」

 隆也は頷き、微笑んだ。

  「誠実は、信じることと疑うことの両立だ。

  その間にしか、法は立てない」

 風が通り抜け、雨の匂いが流れた。

  私はその瞬間、なぜか胸の奥に光のようなものを感じた。


 竹林の向こうで、遠雷が小さく鳴った。

  空はまだ曇っているのに、

  どこかで確かに、光が差し始めている気がした。

  私はノートを閉じ、言った。

  「ねえ隆也、

  法を学ぶって、正義を覚えることじゃなくて、

  “孤独に耐える力”を育てることかもしれないわ」

 隆也は少し笑った。

  「まるで監査役そのものだね」

 二人の笑い声が、雨上がりの空気に溶けていった。

  風が桑の葉を揺らし、遠くの校舎の窓に反射した光が、

  まるで新しい節を作るように瞬いていた。

 《次回へ》 

挿絵(By みてみん)

ようこそお越し下さいました。

ありがとうございます。

いかがでした?

走り梅雨の午後、雨音とともに語られたのは、“誠実”を制度でどう支えるかという永遠の問いでした。

監査役制度――それは信頼の鏡であり、孤独の器でもあります。大隅健一郎氏が説いた「構造的誠実」の思想は、今も法の深部で息づき、倫理のかたちを支えています。

次回は、第9節 紅花ほころぶ、ほほ紅 ― 小さな幸せと手形小切手法 、を初夏の陽射しとともに、私、大隅綾音の繊細な心情を織り交ぜながら、大隅健一郎氏の学説・判例、特に手形行為の独立性・裏書の信頼構造・要式性と誠実義務を中心に、魚住隆也との白熱した議論を描きます。


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