第6節 蚯蚓の糸、土の手紙 ―立夏の陽射しに照らされる機関設計の自由【続き2】
第6節 蚯蚓の糸、土の手紙 ―立夏の陽射しに照らされる機関設計の自由【続き2】 では議論をさらに展開し、比較法的視点(米英独の制度との対比)や近年の会社法改正の影響を二人の応酬に盛り込みます。
ここにお載せしておりますイラストは、私の言葉の羅列により、A.I.が作成してくれました。
夏の始まりの光が机に落ちて揺れていた。
私たちのノートにはすでに多くの言葉が書き込まれている。それでも議論は止まらなかった。
「隆也、制度と人の二重構造……確かにそうね。でも日本の会社法の機関設計って、やっぱり独特じゃないかしら」
私は少し首を傾げた。
「たとえばアメリカのコーポレート・ガバナンスは、取締役会が絶対的な権限を持つ一方で、株主代表訴訟が強力に機能している。日本よりも“外からの監視”が徹底しているわ」
隆也はうなずき、ペンを回しながら答える。
「そうだな。イギリスはまた違う。会社法2006年は取締役に明確な義務を課して、“株主だけでなく従業員や取引先にも配慮すべき”と明文化している。社会的責任を制度に取り込もうとしているんだ」
「ドイツは監査役会制度よね」
私は興味深く身を乗り出した。
「監査役会が取締役会を監督する“二層構造”。あれは確かに権限分配の点では徹底している。でも日本の監査役制度とは全然違う。日本では監査役の権限が限定的だから、結局“社長と同調するだけ”になってしまうこともあるでしょう」
隆也は少し笑みを浮かべながらも真剣に言葉を重ねた。
「だから日本は中途半端に見えるんだろうな。アメリカ型の株主主権でもなく、ドイツ型の二層構造でもなく……けれど、それは“日本的調和”ともいえる。柔軟性があるからこそ、どんな会社にも適用できる」
私は考え込みながら言った。
「でも、その“調和”は時に曖昧さの温床になる。近年の改正で社外取締役の設置が義務化されたのも、その曖昧さを少しでも克服するためよね。形式だけじゃなく実質を伴う社外性が必要なのに、形だけの人事で済ませている企業もある」
隆也の瞳が鋭く光った。
「そこが日本の限界でもあり、可能性でもあるんだ。改正は企業文化を一気に変えるものじゃない。でも、“社外の目”を少しずつ浸透させていく過程で、制度は形から実質へと変わっていく。僕はその変化を信じたい」
私はグラスの氷を見つめながらつぶやいた。
「自由を与えることと、実質を伴わせること。その両立ができるかどうかに、日本の会社法の未来がかかっているのかもしれないわね」
隆也はゆっくりと頷き、言葉を締めくくった。
「自由のまぶしさに目を細めながらも、その中で影を直視する――それが僕らの役割なんだろうか?」?
風が吹き抜け、パラソルの影が揺れた。
二人の 議論は終わらない。むしろこれから、光と影の間を私達はさらに歩んでいくのだと思えた。
《次回へ》
ようこそお越し下さいました。
ありがとうございます。
いかがでした?
二人の応酬に アメリカの株主代表訴訟の強さ、イギリス会社法2006年の社会的責任の明文化、ドイツの二層構造制度、日本の監査役制度や社外取締役制度の改正といった比較・改正の要素を盛り込みました。
会社法が認める“機関設計の自由”は、理念ではなく説明の連鎖で成り立っています。 大隅健一郎氏の、見えないところで責任を紡ぐ者こそが、制度の根を支えること。 自由は放任ではなく、説明によって呼吸する構造であるのではないのでしょうか?。
次回は、第7節 竹の子すくすく背くらべ― 清風の中の商法改正の歴史 では、制度が変革の風を吹く瞬間を、過去と現在で私と隆也の、企業統治と社会的信頼の変遷、そして大隅健一郎氏の「制度は歴史の呼吸である」という思想を軸に、未来を構築する意義を語り合います。




