第5節 蛙はじめて小さな合唱―初夏の予感と株主平等原則【続き1】
湿り気を含んだ初夏の夜気に小さく重なり風はまだやわらかく、月光は水面を撫でるようにきらめいます。私たちは浜辺に座り、魚住隆也と肩を並べ、株主平等原則の芯に触れようとしています。会社法109条の簡潔な言葉の奥で鳴る、理想と現実の不協和。判例が選んだ線引き、大隅健一郎氏の学説が示す“機能としての平等”。蛙の合唱のように異なる声が調和へ近づく夜、私たちは平等という約束の正体を聴き分けようとしていたのです。
ここにお載せしておりますイラストは、私の言葉の羅列により、A.I.が作成してくれました。
夜の帳が海面に降り、潮の匂いが頬にやさしく触れた。遠くの田圃から、蛙の声が一つ、また一つ、慎ましく増えていく。私と隆也は並んで座り、ノートと条文集、それに数枚の判例抜き刷りを膝に乗せ、灯りの下で紙の白を分かち合っていた。
「109条1項――“会社は、その株主を、その有する株式の内容及び数に応じて平等に取り扱わなければならない”」
私は静かに読み上げてから、砂に指で小さな円を描いた。
「単純に見える言葉ほど、現場では難しい。たとえば、経営防衛目的の新株発行や差別的な新株予約権の付与。平等の名のもとに、実務が揺れる場面は数えきれないわ」
「条文は灯台だが、海は荒れる」
確かめながら隆也が言う。
「最判昭和57年3月18日は、支配権維持を目的とする新株発行の無効を示した。形式的に発行手続が整っていても、“会社の利益を害し、既存株主の平等を侵す”なら違法だ、と。つまり、平等原則は“目的審査”を呼び込む」
「形式でなく、意図を見る――ね」
私は頷く。
「でも、意図の審査は主観に流れやすい。そこをどう律したのかしら」
「次の大きな灯りは、東京高決平成17年3月23日(ニッポン放送事件)」
隆也は一枚の抜き刷りを示した。
「敵対的買収局面で、会社が特定の者に有利な新株予約権を発行して“白馬の騎士”を呼ぶ。裁判所は“濫用”を峻別し、株主共同の利益(会社価値)を守るための発行か、単なる支配権維持のための差別かという軸を立てた」
「そして最判平成19年8月7日(ブルドックソース事件)」
私は目を細める。
「敵対的TOBに対する差別的な新株予約権無償割当が、株主総会の圧倒的多数決議を経て行われ、最高裁は“株主共同の利益のため、かつ手続と内容が相当なら、平等原則に反しない”とした。逆説的に見えるけれど、“同じ取り扱い”が常に公平とは限らない――ということを正面から言った判決よね」
月光が緩く揺れ、波の白が細くほどける。
「大隅健一郎先生の学説、覚えてる?」
私はページの端に挟んだ付箋を撫でる。
「先生は、平等原則を“機能的平等”として理解すべきだと説いた。“自由・公示・責任”――設立論で語られた三層は、株主間の取り扱いにも通じる、と。第一に“自由” 会社の資金調達と統治設計の自由、第二に“公示” 透明な手続と情報開示、第三に“責任” 濫用時の司法審査と経営者責任。三層が同時に働いて初めて“衡平としての平等”が立ち上がる、と」
隆也が微笑む。
「形式的一律は、時に不公平を生む。だから、“機能”としての平等――会社価値と少数株主保護のバランスという機能に即して運用する。最高裁のブルドックは、多数決の“質”(情報の十分性、公正な機会、濫用防止)を問うた上で、差別的手段でも“共同の利益”に資する合理性があれば許容するとした。平等=一律ではなく、平等=衡平だと」
「けれど、衡平は滑る」
私の声は少しだけ鋭くなる。
「“共同の利益”の名の下で、経営が自分に都合のよい差別を正当化する恐れ。だから、審査の射程が要るわ。①目的(真に会社価値保護か)、②手段(過不足ない限定性か)、③手続(情報・議決の公正)、④効果(少数株主の不当な不利益の最小化)――この四点を、透明に検証する枠が」
「同感!」
隆也は、砂の上に四つの点を等間に打った。
「そして、“点”を線にするのが開示だ。ブルドックでも、総会決議の透明性と情報提供が大きくモノをいった。ニッポン放送では“緊急性”や“対抗手段の相当性”が吟味された。最判昭57は“目的審査”を開いた。点と点は、開示→多数決→司法審査で結ばれる」
潮騒の向こうで蛙の音が近くなる。
「もう一歩、内側に入って聞かせて」
私は身を乗り出す。
「“平等原則の例外”はどこまで許される? 種類株式、差別的割当、買収防衛策……境界の描き方は」
隆也は穏やかに指を折る。「**第一に“制度的に予定された差異”**は、明文と開示で正当化され得る、例えば種類株式・優先株・属人的定款条項。**第二に“緊急避難的な差別”**は、目的の正当性と比例性で正当化され得る。例えば敵対的買収の濫用対応。**第三に“恣意的差別”は、109条と会社法全体の信義則で違法・差止・損害賠償の対象。……結局、“例外”の許容は機能、会社価値×少数保護と手続、開示×公正**の両輪が回っているかどうかで決まる」
私はノートに**“平等=同一ではなく、衡平としての同等”**と書き、そこに小さな丸を二つ並べた。
「同等、いい言葉ね。同じサイズの違う色。一律を脱して、可視化された説明責任に支えられた“等価”へ」
「大隅先生流に言えば、“可視化された説明責任”が“公示”の現代語訳だ」
隆也の横顔が月光を受ける。
「そして、“誠実な不平等”という君の言葉は、“自由”の現代語訳。最後に、“誤用を裁く回路”が“責任”。三層は音階のようだ。単音では不安定でも、重ねると和声になる」
蛙の合唱がふっと大きくなり、また静まる。私は砂に譜線のような五本の線を引いた。
「なら、和声を壊すのは何?」
と私。
「恣意と隠蔽。」
隆也は迷わず答えた。
「情報非対称を拡大し、時間を奪い、少数の退出コストを吊り上げる。この三点セットは必ず平等原則を害する。だから、情報の十分性、理由・代替案・独立検証、時間の確保、熟慮期間)、**退出の衡平、TOB価格・買取請求の適正**が、実務の三つの止め金になる」
私は静かに頷く。心のどこかで、もう一人の自分が“裁く側”の視線を準備しているのが分かった。
「模擬――やってみる?」
と私。
「**“差別的新株予約権の無償割当”**の適法性を、私が裁判長、あなたが会社側・原告側を行き来して、平等原則の審査枠を確かめる」
「望むところ」
隆也は笑い、二冊のノートを入れ替えた。
――審理開始。争点は三つ。①目的:共同の利益保護か、②手段:比例・必要の限定性、③手続:情報と多数決の質。私は開廷を宣し、まず会社側(被告)に弁論を促す。
「被告は主張します」
隆也の声は低く、よく通る。
「当社は敵対的買収者の短期的利益追求により、研究開発の中長期計画が毀損されるおそれが高いと独立委員会が判断。独立専門家意見書、社外取締役の多数意見を添付し、株主総会特別決議で無償割当を承認済み。差別的付与は買収者の議決権希釈に限定され、一般株主に経済的不利益は生じない構造です」
私は首肯しつつ、原告側(既存少数株主)の主張を求める。
「原告は争います」
隆也は今度はわずかに早口だ。
「会社は情報提供を断片的に止め、代替案、価格対案・情報アクセスを封じた。‘敵対的’のレッテルに実証が乏しく、独立委員の選任経緯も不透明。発行規模は過大で、買収者以外の退出機会、公正価格も保証されていない。よって目的の正当性は未疎明、手段は過度、手続は公正を欠く」
風が一瞬止み、蛙の声だけが残る。私は判決理由の骨格を、心の中で積み上げる。“平等原則は一律ではなく衡平。だが、衡平は説明で裏づけられねばならない。”――そう書き出して、ペン先を止めた。
私は静かに口を開く。
「平等原則は、‘株式の内容及び数に応じた’衡平を要求する概念であり、会社価値保護のための差別的手段が直ちに違法となるものではない(最判平19・ブルドック)。他方、敵対的買収対応の名の下に、支配権維持の恣意が紛れ込む危険に鑑み、目的の実証・手段の比例・手続の公正は厳密に審査されるべきである(最判昭57、東京高決平17)。本件では――」
私は、両手のひらでノートを閉じた。判決は、今この瞬間の私ではなく、将来の私が言い渡すべきだと思えたから。蛙の合唱が遠のき、波の音が戻ってくる。私は隆也に向き直る。
「ねえ、平等って、たぶん“同じ音量で歌うこと”じゃないのね」
私は笑う。
「蛙の声みたいに、**音域も、タイミングも違っているのに、**合唱になる。それを壊さないためのルールが平等原則。同音ではなく、同楽章であること」
「いい比喩だ」
隆也は目を細める。
「同音を強制すれば和声は死ぬ。でも好き勝手に歌えば音楽は壊れる。その真ん中に、109条と判例、そして学説が置いた譜面台が立っている」
私は大隅健一郎氏の学説をそっと撫でる。“平等は、制度の外郭ではなく、説明責任によって温度を得る。”――先生の文字が、ページの向こうからこちらを見ているように感じる。
「自由(企業の設計と判断)、公示(開示と手続)、責任(濫用の是正)――三層のうち、どれかを疎かにすると、平等はすぐレトリックになる。理念は、説明されることで初めて、現実に触れるのよ」
「そして説明は、時間を要する」
隆也が言う。
「時間の確保を軽んじる案件は、たいてい誤る。性急な多数決は、“多数”だけど“公正”ではない」
潮の香が濃くなる。私は砂に四つの言葉を書く――目的/比例/手続/効果。そしてその上に、もう一語、静かに重ねた。誠実。
「結局、そこに戻るのね」
私は立ち上がる。
「**誠実に説明し、誠実に争い、誠実に引き受ける。**それが平等原則の体温。法が人の弱さを前提に作られているなら、誠実は、弱さのまま進むための呼吸だと思う」
「綾音……」
隆也も立ち上がる。月が高く、波の先で銀がはじける。
「**君の語る“誠実な不平等”**は、今日いちばん、僕にとって説得力があった。不平等であっても、信頼を壊さない不平等――判例の程も、先生の学説も、そこへ収束する気がする」
蛙の合唱は、もう小さく整っていた。はじめはばらばらだった声が、いつの間にかひとつの調べに解け合っている。私たちの議論もまた、互いの違いを抱えたまま、同じ楽章へと帰っていくのだろう。
私はノートを閉じ、潮騒の方へ一歩踏み出した。
「平等は、約束の仕方よね」
振り返って笑う。
「同じように扱う約束ではなく、同じように説明する約束。その約束を守るために、判例と制度と学説が譜面台に立っている」
隆也は短く頷き、ポケットに手を入れた。
「そして、君と僕の約束も」
蛙はじめて小さな合唱。初夏の夜気は、静かに、遠くまで響いていた。
《次回へ》
ようこそお越し下さいました。
ありがとうございます。
いかがでした?
“平等は同音ではなく同楽章”――109条の言葉を超えて、判例は目的・比例・手続・効果の四点で“衡平としての平等”を描き、大隅健一郎氏の学説は「自由・公示・責任」の三層でそれを支えた。差別的な手段が許されるのは、説明と誠実が和声を崩さないときだけ。蛙の合唱が一つの調べに解け合うように、異なる立場が同じ譜面を共有するとき、統治は力を持つのではないのでしょうか。
次回は、第6節 蚯蚓の糸、土の手紙 ―立夏の陽射しに照らされる機関設計の自由 では、立夏の眩しい光の下で、会社法における機関設計の自由をめぐる二人の熱い議論を、繊細かつ情感豊かに描きます。




