第5節 蛙はじめて小さな合唱―初夏の予感と株主平等原則
夜の静寂に溶けていく、蛙の声が響く初夏の風はまだ柔らかく、月明かりが水面に揺れています。
私と隆也は、「株主平等原則」をめぐり、法的理念・判例・実務・倫理の四層を交錯させながら、――その名のもとに隠された理想と現実の乖離を語り合います。
“平等とは何か”“公正と優遇の線引き”“企業統治における信頼の原点”を探る哲学的な議論を展開します。法が掲げる理念と、企業社会の実像。その狭間で、私たちはまた一つの真理へと歩み寄ってきます。
蛙の合唱は、まるで議論の和声のように、静かに夜を満たしています。
ここにお載せしておりますイラストは、私の言葉の羅列により、A.I.が作成してくれました。
夜の帳が降りはじめた頃、浜辺にはまだ昼のぬくもりが残っていた。
潮の香りを含んだ風が頬を撫で、遠くの田圃から蛙の声が聞こえてくる。
初夏の音――それは、命がいっせいに目を覚ますような合唱だった。
「綾音、今日は“株主平等原則”について話そうか」
その声音はどこか柔らかく、それでいて議論の始まりを告げる鋭さを孕んでいた。
「会社法109条第1項――“会社は、その株主を、その有する株式の内容及び数に応じて平等に取り扱わなければならない”」
私は暗がりの中、ノートに条文を記す。
「単純な文言に見えるけど、その背後には、企業統治の根幹に関わる理念が潜んでいるわ」
隆也はうなずいた。
「そう。条文は美しい。けれど、現実はそれを裏切るように複雑だ。
たとえば“種類株式”や“優先株”――法は例外を無数に認めている。
つまり“平等”とは、絶対ではなく、あくまで条件付きの平等なんだ」
「条件付きの平等……つまり“衡平”ね」
私は潮風を吸い込みながら呟いた。
「大隅健一郎先生は、株主平等原則を“会社と株主の信頼契約の具現”と呼んでいたわ。
法的拘束ではなく、信義則の延長線上にある倫理的命題。
制度ではなく、精神によって支えられる原則――そうおっしゃっていた」
隆也は微笑んだ。
「大隅先生の言葉は、いつも人間を中心に置いている。
でも、現場では“信頼”だけでは動かない。たとえば経営支配権争い。
大量保有株主が新株発行を利用して支配を強化する――それを“経営防衛目的”と呼んでいいのか。
**最判昭和57年3月18日(新株発行無効確認請求事件)**では、“会社の利益を害し、支配権維持を目的とする新株発行は違法”とされた。
つまり、平等原則は単なる理論ではなく、現実の“力”を律する刃でもある」
私は目を細めて、夜空を仰いだ。
雲の切れ間から月が顔を出し、その光が波の上で揺れている。
「その事件ね……発行の手続きは合法でも、動機が不純なら違法。
裁判所は“形式”よりも“目的”を問う――つまり、制度の裏にある心を見ようとしていた」
「そう。法の眼はいつも、“人の意図”を追うんだ」
隆也の声は少し低くなった。
「でもその判断は難しい。経営判断原則の壁がある。
“経営者の裁量”と“株主の平等”――この二つはいつもぶつかる」
「だからこそ、法学は美しくも残酷なのね」
私は微笑んだが、その目には一抹の切なさが宿っていた。
「平等とは、必ずしも公平を意味しない。
たとえば、内部留保の分配。配当の決定は取締役会の権限。
結果として、資金力のある株主が恩恵を受け、小口株主は沈黙する。
法はその差を是正しようとはしない。
“株主の平等”という理想の旗の下で、実態は不均衡が広がっているのよ」
隆也は少し考え込んだ。
「確かに、条文は理念を語るが、経済は力で動く。
でも僕は、それでも“平等原則”を信じたい。
なぜなら、それは“秩序の最後の砦”だから。
どんなに制度が歪んでも、“誰もが同じ基準で扱われるべき”という理念だけは、社会を支える光であり続ける」
私はふっと息を漏らした。
「あなたらしいわ。理想を守ろうとする姿勢……でも、それはきっと、現場に出れば苦しい選択になる」
「そうだね」
隆也は少し笑い、砂を掬い上げた。
「でも、法を学ぶって、苦しみを引き受けることだと思う。
制度の限界を知りながら、なお理想を信じる――それが僕らの使命だろう」
私は黙って頷いた。蛙の声が近くで響き、夜の水面が小さく揺れた。
少し間を置いて、私は話題を変えた。
「株主平等原則の例外をもう一度整理しましょうか」
ノートを開き、ペン先を走らせる。
種類株式(会社法108条)
特別利害関係株主の議決権制限(309条2項)
新株予約権の差別的発行(247条)
株主割当による優先発行の問題(第199条関連)
「これらは、法の構造上の“許容された不平等”なのね」
「そう。つまり、“制度的な差別”と“人為的な不公正”を区別するためのラインが必要なんだ」
「大隅先生の学説では、“平等原則は機能的平等に読み替えるべきだ”とある。
つまり、形式的な同一扱いではなく、“各株主の立場・影響・貢献に応じた公平な取扱い”を目指すべき、と」
隆也は少し目を細め、潮の香を吸い込んだ。
「それが、倫理としての平等だな。
数字の上の平等じゃなく、人の営みを映す平等。
……君らしい解釈だ」
「違うわ。私たちが目指しているのは、制度の冷たさの中に“温もり”を見出すこと。
条文の奥に、人の声を感じることなの」
私の言葉に、隆也は何も言わず、ただ夜空を見上げていた。
潮騒の音が遠くで響く。蛙の合唱は静かに重なり、夜の帳が深まっていく。
「ねえ隆也」
私はふと問いかけた。
「もしあなたが経営者だったら、“平等原則”と“会社の利益”が衝突したとき、どちらを選ぶ?」
彼はしばらく黙っていた。
「……僕は、“誠実な不平等”を選ぶと思う」
「え?」
「平等の名の下に、会社の価値を壊すような判断は避けたい。
でも、差を設けるなら、そこに必ず“誠実さ”を宿す。
不平等であっても、信頼を壊さない不平等――それが現実の中での理想なんじゃないか」
私はその言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなった。
「誠実な不平等……ね。
まるで、蛙たちの合唱のようだわ。
音の高さも、声の大きさも違うのに、不思議と調和している。
それが“平等”という言葉の本当の意味かもしれない」
隆也は静かに微笑んだ。
「君のそういう言葉が、法の世界に風を通すんだ」
潮の音、風のざわめき、そして蛙の声。
それらが一つに混じり合って、まるで議論そのものが夜の音楽になっていくようだった。
《次回へ》
ようこそお越し下さいました。
ありがとうございます。
いかがでした?
蛙の合唱が響く夜、二人の議論は「平等とは何か」という永遠の問いに触れました。
形式と実質、公平と衡平、理念と現実。
株主平等原則は、単なる条文ではなく、人の誠実さへの信頼の象徴であり、異なる立場や価値が響き合うとき、社会は調和を得るのです。
次回は、第5節 蛙はじめて小さな合唱―初夏の予感と株主平等原則【続き1】初夏の光と風の描写を織り込みつつ、大隅健一郎氏の学説、平等原則の機能的理解=「自由・公示・責任」に根ざす衡平的運用について議論します。




