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Sex Symbol  作者: 東都エリ
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S#8 メソッド

 撮影合間の休憩時間。またも子役三人は集まって課題について言葉を交わす。場所は斎場。別室は使えず仕方なしに片隅で円を作る。側から見れば子ども達の微笑ましい作戦会議だ。


「どういうことですか。サリムさん。わざわざ三人分書く必要があるのでしょうか?」

「ええっと、だから自分の役を書くんじゃなくて……」


 近くに大人がいるためか、くにくにと眉間を伸ばすパラキナの言葉遣いはやたらと丁寧なものになる。普通に話すよりも遥かに流暢な日本語。しかし、その丁寧さが嫌な圧力を持っており、古嶋はどう説明したものかと目を右往左往させる。


「お互いの役について抱いてるイメージ? を書けって監督が」

「ふん、それでは三人が一致することはないでしょう」

「そうだけど……そのための二週間じゃないの?」

「すぐには終わらなさそうですね」


 パラキナはそれ以上言い返すことはせず、ただただ不機嫌な仏頂面を晒す。彼女にとってその表情は無表情とも変わりないものだったが、隠せていない不機嫌さに古嶋は損な役回りを押しつけられた気分になった。


 そもそも監督がきちんと説明していれば、あるいは先日の時点で指摘していれば、課題のやり直しなんてせずに済んだはずなのに。今更遅い後悔をしても仕方がない。それでも古嶋はほんのわずかな恨みが籠った目で少年を見た。


 少年。少年のはずだ。同じ映画に出演する三人の子役仲間の一人。能間真理。


 どこか上の空で和やかに微笑む彼は、どう見ても女性にしか見えなかった。


「ええっと、能間……くん? さん? は、どう思う……いますか」


 先日の彼は平凡そのもの。素朴で街を歩けば二、三人は似たような人が見つかりそうなほどに特徴はなく、それでいてどこか落ち着ける安心感があった。


 それが今は、まともに話すことさえ気が引けてしまう。同い年であるはずなのに萎縮してしまう。決してパラキナのような敵対心の見える顔つきをしているわけではない。


 むしろその反対だ。誰でも受け入れてしまいそうなほど眩しい笑み。眩しいという言葉が比喩表現ではなく、本当に心の陰りを無遠慮に浄化している。思わず目を逸らしたくなるほどに曇りもない。


「好きに呼んで。うん、私もやっぱり他の役も書くと思ってたよ」

「hmm……それなら、そう言って欲しかったですが」

「えぇ散々言ったんだけど」

「私の耳には届いていませんでした。……が、聞いていなかった私も悪かったです。ごめんなさい」

「いいよいいよ。おかげで皆んなの役の解釈もわかったし」


 かと言ってそれに合わせて紙を埋めたのでは課題にはならないけれど。真理はそう付け加えた。


 まるで別人だ。古嶋も真理と会話するのはこれが二度目であり、彼のことを詳しく把握しているわけではない。それでも、先日の彼の面影だけを残す目の前の少年に喪失感が湧く。


 どうしてそんな格好をしているのか。古嶋はそれを聞きたくなったが、パラキナすらも彼を受け入れている中、一人疑問を持って聞くのは憚られた。


「それではさっさと終わらせてしまいましょ」


 別人といえばパラキナもそうだ。言葉遣いもそうだが、どうも真理と話す時だけ言葉が柔らかいような気がする。先日からだったろうか。それとも。古嶋はまるで探偵のように口元に手を置き彼女を見る。


 自然と寄る細い眉。透き通った瞳。幼さのあるふっくらとした頬。キツく結ばれた唇。一つ歳下でも、美人と思える顔立ち。外国人。日本人とはまるで違う見慣れない造形。


「机は……これで」

「それ棺桶だよ!」

「わかってますよサリム。ジョークに決まってるでしょ。フィクションとはいえ故人は敬わねば」

「いや、フィクションというか……」


 そもそもこの棺桶は撮影道具だ。それに斎場が貸し出している物かもしれない。もし傷を付けようものならどれほど迷惑をかけることになるか。やれやれと首を振るパラキナに古嶋は口ごもる。


 斎場に机はない。三人は紙には後で書くとして、それぞれが抱くイメージを話し合うことにした。


「それにしてもサリムさんの役はともかく、私やシンリさんの役は解釈を揃えるのが難しい」

「脇役だしね。二人の関係も解釈次第でよくわからないや」

「よくわからないのはこの脚本そのものですが。oops……失言でした」


 脚本や資料に役の設定がなければ、役者が個人でキャラの深みを生み出さねばならない。動作、声、感情などのあらゆる表現。二人にとってそれらの手がかりが台本しかない現状、読む人の受け取り方によって役のイメージが変わるのは仕方がない。


 わざとらしく口元を手で抑えるパラキナを他所に、古嶋は二人が自身の役をどう捉えたのかを確認するため返却された課題に目を落とす。


「ええっと、パラキナさんの真弓ガーネットはハーフの女の子。学校では外国人だから……虐められている」

「だからユメと初めて会った時に強く当たるのです」

「でも、鳥羽とは親しげなイメージが読み取れるんじゃない?」

「もちろん。貴方とはライバルですので」


 見れば達筆な文字で『鳥羽玲とは一二を争う仲』と書かれている。たしかに実力を認めていれば親しくもなるだろう。しかしと古嶋は眉を顰めた。


「でも、ライバルだったら余計に口が悪くなりそうだけど……」


 そう口をついて出た疑問にパラキナはため息混じりに首を振る。


「やれやれ、これだから子供は困るのです」

「……パラキナさんも子供じゃない」

「いいですか? 古来よりライバルとは血で血を洗う争いを繰り広げてきたのです。宮本武蔵と佐々木小次郎。武田信玄と上杉謙信」

「例えが古いなぁ」

「そして最後には大の字で倒れてお互いを讃えあい仲を深めるのです」

「不良系歴史if漫画……?」


 仮にそうだとしても、口調まで柔らかくなるだろうか。険悪な仲ではなく親友だとしても争いは起こるものだ。むしろ、仲が良くなるほどに遠慮はなくなっていくかもしれない。軽口が常になっていてもおかしくはない。

 それなのに、真弓ガーネットから鳥羽玲への言葉はむしろ嫌われたくない現れだと古嶋は感じた。


 納得できていない顔を浮かべる彼女にパラキナは呆れた様子で腕を組み、大きく息を吐いて別解を求める。


「まったく。文句があるならサリムはどう考えたんですか?」

「えっ、私は……」


 いきなりの質問に戸惑い目を泳がせる。二人の顔で行ったり来たりを繰り返す。だが、次第に真理の吸い込まれるような瞳に捉えられしばらく交差した後、逃げ場所を求めて視線は下へ下へと逃げて行った。とてもその顔を見られない。その間、口からは小刻みな声が漏れる。


「そ、その、こ、恋……とか?」

「……おおなるほど」

「ぷぷぅっははは。サリムってばロマンチスト。恋だなんて……」


 まるでその先に続く言葉があったかのようにパラキナの笑顔は熱を失い不自然に口を閉ざした。しかし彼女の笑いに恥ずかしくなった古嶋は口元を引き攣らせながら弁明する。


「だっ、だって、男の子一人だけに優しくするなんて恋でしかないじゃん」

「しかってことはないと思うけど」

「それに、台本にないだけで他の子にも優しいかも知れない……でしょ? 役作りは見えないところまで想像してこそですから」


 そうパラキナが得意げに豪語したところでその男はやって来た。


「その通りっすよパラキナちゃん」


 無地の黒シャツに世の中を舐め腐ったようなニンマリ顔。ボサボサ頭を乱雑に掻きむしる男の名は——。


「カメラマンの人……」

「カメラマンさん」

「cameraman」

「へっへーん。エンドロールを確認するがいいっすよ」


 そんなことよりも大事な用があるのだとカメラマンは子どもたちの輪に混ざろうとする。小学生と遊ぶ気のいいお兄ちゃん。というよりは、どこか空気の読めていない寂しがり屋だろうか。三人は各々迷惑そうな苦笑いを浮かべる。


 彼がダメな大人の見本であることは、純真無垢な子どもであろうともわかってしまう。怒られてもおちゃらけた態度は崩さず、能天気でその場のノリで生きているような人間。撮影中に一色の機嫌が悪くなる大体の原因。不信と不審。三人の目が物語る。


「なんすかね。せっかく監督から伝言を預かって来てるというのに」

「監督から?」

「あーあ言うのやめちゃおっか……なっ!?」


 大人げなく後ろ手に組んだ後頭部に何かがぶつかった。いや、ぶつけられたのだ。カメラマンは何が当たったのかと床に落ちた物を拾う。


「うげっ、パックゼリーのゴミ……」


 ハイカロリーであることをデカデカと誇示する銀色のパック。中身は全て吸い取られたのか、握力任せのくびれを作っている。こんなものを食べる人間は一人しかいない。

 カメラマンは背後からひしひしと感じる威圧を振り払うように口角を上げる。


「ってのはジョークに決まってるじゃないっすか。そりゃもう教えちゃうっすよ」


 一人芝居で慌てる彼を前に三人はお互いの顔を見合わせる。彼への信頼はないが、監督の言葉なら聞いて損はない。


「コホン、監督から伝言っす。役作りに重要なのは過去っす」

「過去?」

「そう過去っす…………………痛っ」


 またも飛んでくる空パック。それでも痛みや怒りよりも、この一瞬でもう一つ食べ切ったことへの驚きが強い。


「もうなんすか。言いたいことがあるなら一色さんが言ってくださいよ」


 しかし遠くで睨みをきかすだけの一色。カメラマンは呆れた顔で子役たちに向き直り何を言うのだったかを思い出そうとする。何せ撮影前に言付かったのだ。いちいち覚えてなどいない。


 過去がどうのとは聞いた。架空の校章のついた制服を着て、心配げに眉を顰める少女。古嶋採利夢。彼女含めて子役は役が掴めていないと。まだ古嶋の演技しか見ていないカメラマンだったが、一色のその言葉には納得があった。


 休憩前の撮影。先日あれほどの素晴らしい演技を見せてくれた古嶋だったが、今日はお世辞以外に褒める言葉がない。芝居臭い。その理由を説明する言葉をカメラマンには持ち合わせていなかったが、少し肩透かしを喰らったような気分にさせられた。

 撮影は一色の指示のもと細かいショットを撮らされたが、古嶋がその力を発揮できたのなら撮影時間の短縮にもなっただろう。


「あー、感情移入っていうんすかね。それには役の過去が必要なんすよ」

「その、過去っていうのは……」

「経験のことでしょ?」

「……! そうっすそうっす」


 古嶋の疑問にパラキナが答える。

 パラキナ・マナティシュコ。どこの国出身なのかも検討もつかない変な名前。二週間とはいえ、出番のない撮影日にも来いと言われた悲しき子役。夏休みだからといって子どもの時間を奪うなんて鬼だとカメラマンは勝手に感謝と哀れみの視線を送った。


 それをパラキナはより一層顔を顰めて不機嫌を露わにさせる。まるで猫が飼い主を疎ましく思う目つきをする彼女だったが、背後から感じる不穏にすぐさま表情を改める。


「演じる役にも人生があるということ。台本に描かれていない世界でもそのキャラクターは生きていて、その経験が表現に繋がるということですよね?」

「いやぁ、まったくその通りっす」


 うんうんと頷くカメラマン。果たして本当にそう思っているのかは定かではない。


「キャラの魅力を引き出して……そう、喉から手の出る演技をするために、人格形成に影響を与える過去を考えるんす!」

「は? 喉から手が出る?」


 聞き慣れない言葉に首を傾げるパラキナに一色の受け売りだと口を開こうとしたその時だった。


 空気の変化。室温が1℃上がったような、風向きが変わったような、虫が飛来したような、些細な変化だった。ただ、全身の毛が逆立ち身震いする何かがそばにいる錯覚。それを誰もが味わった。


「なるほど」


 ふと、言葉が響く。


 まるでその人物の口元だけが映されるような場面転換。


 斎場の喧騒も気にならなくなるほどの存在感のある声。


「だとするのなら、さっき採利夢の言っていた恋というのも真弓の過去としてはしっくりきそうだね」


 否が応でも目がいってしまう。

 自信に満ち足りた笑みを浮かべ、頷く少女の姿。


「どんな人間に恋をするんだろう。どんな人間なら心を許せるんだろう。気になるなぁ」


 活発。快活。あらゆる物事の中心にいたであろう天真爛漫な少女。あまりにも眩しくて、だからこそ、触れたくなる。


 カメラマンは無意識に真理を見つめ、それに気づかれ目が合いそうになると、咄嗟に顔を逸らした。顔に熱が帯びていく。記憶の奥底へと封じ込めたはずの思春期の初恋が何故だか思い起こされる。


 彼は誤魔化すようにいつもの調子を取り戻そうと笑う。


「ああ、さっきまで話していたやつだね」


 表情が凍る。背中を嫌な汗が伝う。何かがおかしい。それが何かわからないまま、平常心が失われていく。カメラマンはその焦りを固まった笑みの裏に隠した。


 ——スコン!


 三度後頭部へ空パックが飛ぶ。カメラマンは首筋を摩りながらやや不機嫌そうな顔で振り返る。それでも怒りは見せない。


「もう、今度はなんなんすか? 一色さん」


 これだ。へらへらとした笑いは敵意のなさを。軽い口調は余裕を。馬鹿っぽく見えたって構わない。感情任せに自己を押し通すのは場が白けるからだ。そんなこと考えたこともなかったのに。


 カメラマンは弁明し、納得する。誰にも聞こえない心の中で、自分の口調に理由を見つける。


 すべては彼女に嫌われないために。


「おい用は済んだろ。早く戻って来い」

「まったく、人使いが荒いんすよね。休める時は休まないと。そうっすよねぇ?」


 誰にだってあるサボりたい気持ちを分かち合うように振り返る。共感が欲しいわけではなかった。ただ、自分と共通したところがこの人にもあるのだとわかって欲しかった。

 だが、目の前の光景にカメラマンの口角は下がっていく。作っていた表情もだらりと力が抜けて、やがて最後には自嘲だけが残った。


「…………っすね」


 異変を感じ取った三人は話し合いをやめて、チラリとカメラマンを覗く。それにいち早く気づいた彼はまたいつものへらへらとした笑みを浮かべた。


「んじゃ伝言は終わったんで戻るっす。……そう、もし経験がイメージできない時は体験してみるのが一番っすよ」

「……えっと、体験ですか?」

「そうっす。恋の体験はデートっしょ?」

「デっ……!」

「それじゃあ撮影で。頑張ってくださいっす」

「はぁい、ありがとうございました」


 そう言って立ち去るカメラマン。赤面、不機嫌、天真爛漫。三人の子役は三者三様の反応で見送った。


「過去の経験は体験から。意外といい事を言うね」

「まさか……デートするつもり?」

「……!」


 パラキナの言葉に真理は笑った。まるで友達とふざけ笑い合う屈託のない笑顔。それでいて品のある仕草。


「いいと思うよ。ライバルとしての関係も、恋心としての関係も、試してみないとわからないしさ」

「…………それも、そうか」


 古嶋は開いた口が塞がらないといった様子で固まった。二人の体験を止める言葉が見つからなかった。止める理由だってそうだ。二人がデートしたって構わないはずだ。それは全て演技の為なのだから。

 それなのになぜ自分がこんなにも驚いているのか明確にできない。


「役作りって……そこまでするの」

「は? こんなの優しい方でしょ? ……ごめんなさい。言葉が強かったです」

「役作りというか役の理解だよね。カメラマンの人も言ってたけど、感情移入。共感できない役って演じるのが難しいでしょ?」

「役に共感する……」


 だとするなら、私には無理だ。

 古嶋は先ほど撮影したシーンを思い出す。

 前田ユメの母親の葬儀。


 古嶋にとって感情の出力は簡単だった。役の経験ではなく、演じる人間にも経験があるからだ。悲しむ演技は、悲しい時を思い出せばいい。

 だが、その悲しみは上辺のものだ。人が死んだ悲しみと、傷つけられた時の悲しみは違うように。


 もし、役の感情を中身まで正しく出力するならやはり役の経験を体験する必要があるのだろう。親の不甲斐なさには、親の不甲斐なさを。親の死には、親の死を。


 だが、仮に古嶋の母親が死んだところで、先日のように前田ユメそのものになることはできない。


 想像できない。喪服を着て俯く自分は涙を流せるだろうか。感情が湧かない。いつか訪れる未来に来るなと心の底から叫べるだろうか。


 無理だ。古嶋は、母親の死を悲しむ前田ユメに共感することができない。








 なら、どうするか。




 休憩時間が終わる。古嶋は一色にシーンの撮り直しを願い出た。現場は静まり返り、ただ一色の冷めた眼光が古嶋の決意を値踏みする。

 一色は腕時計を確認すると一回だけだと言った。


 撮影が始まる。


 焼香台の前。隣には父親。ユメのたどたどしくゆっくりとした動きに反して、前田颯太は大雑把に終わらさせる。


 無心で動く。上っ面の悲しみを捨てた目から涙はでない。


 背後からは声が聞こえる。対岸の火事を同情する小声の会話。マイクはその音を拾えども、古嶋の耳にはボソボソと話している程度にしか聞こえてこない。


 次は彼らのカットが入る。同情ついでに観客に情報を与えるためだ。

 だから今のカットでは自然に焼香を終え、自席に戻らなくてはならない。


 だが、古嶋、ユメは振り返った。聞こえてくるボソボソとした声がまるで母を父を家族を馬鹿にされた気がして。当然と言えば当然だ。愛する親の葬儀で声が聞こえれば睨みたくもなるのだから。


 しかし隣の父親は、立ち去った。予定調和。台本通りの動き。そして打ち合わせしたアドリブへの解答。前回よりも、その足取りはわずかに早い。


 まるで逃げるように去っていく父親の背中をユメは凝視する。


 失望。悲しみ。


 ここで、初めてユメから感情が発せられた——。


「カット。…………。いいな今の」


 一色の言葉に古嶋は満面の笑みを浮かべる。


 共感できないのなら、共感できる部分だけを共感する。思いつきだったが上手くいった。確かな手応えと喜びが胸中に湧く。


「……」


 古嶋採利夢がまた一つ成長した。

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