S#7 感情移入
撮影二日目。場所は都内の斎場。普段足を踏み入れない白壁の窓のない室内は、厳粛で息が詰まりそうになる。
本来は故人の親族や関係者が集まるため十分な広さのある斎場も、機材を搬入するとやや窮屈に感じる。加えて、葬式という場面を撮影するとなるとエキストラが必要になり、先日の撮影よりも人員が増えているという理由もあった。
真っ黒なスーツを着た男女が集まり黒シャツ姿のスタッフの説明を受けている様子は、怪しい宗教団体の集会のようではっきり言うと異様だ。
一色はその光景に眉間をつまんで掠れた声で呟く。
「なんで若いやつらばっかなんだよ……」
S#1。映画の冒頭であり、観客を夢に引き入れるための重要な場面。
前田家の母親の葬式であり、前田颯太、前田ユメの感情をまざまざと魅せるための場面。
入りで一度でも違和感を持てば、観客は映画に対して否定的になる。
だというのに。
「お前らは、それぞれ前田母とどういう関係か説明できるのか……?」
漏れる怨嗟。それでも演者自身にはぶつけない。ミスを犯したのは製作側だ。名指しするなら豊洲川だ。そもそもこうならないために豊洲川には注文をつけていたはずだ。それがどうして二十代のエキストラばかりが集まるのか。前田母は見た目にそぐわぬイケイケパリピな人間だったとでも言うのか。
一色は心を落ち着かせるように息を整える。それでも幸いなのは年寄りもいることだろう。前田母役の女優と歳の近そうな見学人もいる。セリフのある端役もいる。違和感はない。夢見を妨げるほどのものではない。
「あの……」
一色がジッと斎場を睨んでいると背後からか細い声が聞こえた。振り返れば古嶋採利夢がA5用紙を持ちながら申し訳なさそうに立っている。
「課題か?」
「はい……」
何を萎縮しているのか。仮にも準主役を演じるのだから堂々と振る舞っていればいいものを。一色は多少不機嫌な顔のまま彼女の持つ用紙を受け取った。
だからと言って自信を持てと無責任なことは言えない。むしろ自信がない方が俳優として期待できる。
自信満々で演技に臨む俳優は、監督側の要望と相違があると沼に嵌ったり、自己を押し通そうとしたり、見飽きたアドリブを入れてくる。それで魅せられるなら一色自身もOKを出すが、大抵はどこかで見たものばかりになる。それを良いと持て囃す新人俳優やプロデューサーに監督そして観客がいることが困りものだ。
俳優としてお決まりの演技を求められたら終わりと思え。とは一色の自論。
自信満々で過去を再演するくらいなら、自信のないままに手探りで演じてくれた方が何倍もマシだ。
「おっ、なんすか。その紙」
「しっしっ。お前には関係ない。機材でも弄ってろ」
「ひどいっすね」
どこから現れたのか。カメラマンの男は一色の態度にヘラヘラと笑い、横からずいっと顔を乗り出し共に紙を眺めた。
紙には三人それぞれの役名と、役への解釈を書いている。
「ほへえ。役作りってこうやるんすね」
紙に自分の役のキャラクターを書く。頭の中で整理するよりも、アウトプットを行えばより深みを生み出すことができる。ベテランならともかく、経験の浅い子役には効果があるだろう。一色は冷めた目を動かす。この課題の狙いはそれだけではない。
「これが正解ってわけじゃない。俳優にとってやりやすい方法もある。紙に書かずとも実際に演じて手探りするのもいい」
と言って、役の境遇に身を置き感情を探るなんて真似を子どもにさせる訳にもいかない。
「で」
一色はどこか安心した様子の古嶋に向き直る。課題が終わってホッとしていたのだろうか。たった一文字の言葉が彼女の体を強張らせた。
「俺が出した課題を読んでいないのか?」
『前田ユメ、鳥羽玲、真弓ガーネットはそれぞれどんな人間か』
「俺の記憶じゃあ、そう書いていたはずだが?」
どうして三人に同じ課題を出しているのか。自分の役だけを考えるなら課題は『前田ユメはどんな人間か』とすればいい。そうすれば、一枚の紙に明らかに子供ではない達筆と相応の字と触発されたような整った文字が共存していても問題はなかった。
古嶋は何も答えずに俯いている。その顔に多少の不服の色があるのは一色の見間違いではない。用紙へ始めに書いたのはパラキナだ。一枚に纏めたのも彼女なのだろう。わざわざ三枚も同じことを書くのは無駄だと思ったのだろう。
一色は唸った。聞くところによればパラキナ・マナティシュコは日本に来てまだ一年も経っていないらしい。それに子どもだ。日本語を話せても、言葉の意図まで読めというのは酷なことなのだろう。
三人が一致すれば終わり。協力すればすぐ終わる。
「古嶋は、他の二人の解釈を読んだか?」
「えっと、……はい」
「なら二人はお前のイメージ通りだったか?」
「……えっと」
古嶋は目を泳がせて、考える素振りを見せる。即答して「はい」と言えない。それが答えだ。
主人公のキーパーソンともなる前田ユメは出番も多いだけに役を作りやすい。だが、真弓ガーネットと鳥羽玲は脇役だ。セリフ量も極めて少なく、脚本家からの指示もない。セリフと展開から役を掴もうとすれば読む人によってイメージも変わる。
「お前が思う二人を書いてこい。アイツらにも言っとけ」
「…………はい」
「あ、ちょっと待て」
古嶋が肩を落として去ろうとするのを一色は思い出したかのように引き留める。
「今日の撮影だが、母親が死んだのはついさっきだからな」
「……? はい……」
伝わったのか伝わっていないのか。古嶋の背中を見送りながら今日も長丁場になりそうな予感を一色は感じとる。
「何の指示なんすか今の」
まだ近くにいたのかと一色は呆れ顔を浮かべた。時々このカメラマンの能天気さが羨ましくなる。
初日は俳優のNGよりも彼のミスの方が多く、その度に怒鳴り散らかしたが、堪えた様子は全くみられなかった。
かつては鬼の一色だの捻りのない渾名をつけられた一色も、このカメラマンには怒る気力が失われつつあるほどに、そのヘラヘラとした態度を崩せない。
およそ人生で悩んだことなどないのだろ。ましてや俳優への指示なんてアレコレ思考を巡らそうともしないはずだ。
だが、その分教えがいがある。若いだけに吸収力も早い。誰が見るかもわからない映画とはいえそのカメラを握るんだ。一色は愛弟子を持った気分で未来の映画監督に応える。
「身内が死んだ時、どう感じる?」
「え。驚きとか悲しみとかすかね?」
「そうだな」
驚き、悲しみ。喪失感や後悔も抱くかもしれない。あるいは怒りや恐怖、死んだことそのものを否定したいと思うかもしれない。
「とにかく無数の感情が湧くはずだ。じゃあいつそれを消化できる?」
「消化? まあ、結構時間が経ってからすかね?」
「そうだ。それがS#7での感情爆発だ」
葬儀の後、前田ユメは公園に一人立ちつくし、前田颯太が迎えに来る。これはオーディション時の台本の展開と同じもの。王鳥鏡子はそれを完璧に演じてくれた。
「あー、じゃあこのS#では泣くなってことっすか?」
「……近くて惜しいな。俺が古嶋に出した指示はつまりだ、後で感情的になるからここでは抑えようだとか、母親の葬儀という一面しか見ない演技をするなってことだ」
もし、そんな考えで古嶋が演じたのなら一色は暴行罪で捕まる覚悟を決めなければならない。母親が死んだのはついさっきとは、そうならないための指示だった。
「はあ、一色さんって回りくどい指示だすんすね。それ、直接言った方がよくないすか?」
「何度も言うがな、具体的な俺の指示が正解ってことはねぇんだ。全ての演技を俺が指示して俺の意図通りの映画を作ったところで、そいつは俺の自己満足にしかならない」
一色が脚本を読み、一色だけに見えた世界で映画を作っても独りよがりなものにしかならない。そしてそれは、俳優たちも同じ。自分だけの価値観で役を作っても小さな違和感が観客の夢見を阻害する。経験の浅い子役への、だからこその課題。
「万人を引き寄せ………そうだな、誰もが喉から手を伸ばしたくなるほどの映画を作るには、多様性が必要ってことだな」
「なんすかその表現」
「だから近くて惜しい。俳優が泣いて魅力があるのならそれでOKを出す」
そもそも一重に泣くといってもその行為には様々なものがある。静かに涙をこぼすのか、ワンワンと感情任せに泣くのか。悔しさに顔を歪ませるのか、あくびの拍子に出たものか。
次に感情を露わにするからといって、葬儀場で子どものように泣いたって構わない。そこに魅力があるかどうかは一色が判断する。ただ計算された演技と見抜けたものは観客にも見抜けてしまう。
「ま、リアリティを求めるなら葬儀の時に母親が死んだと実感し、泣くような子どももいなければ、安易な涙に感情移入してくれる観客もいないがな」
一色の教えにカメラマンの男はふむふむと頷いた。
「でも大丈夫っすよ、採利夢ちゃんの演技力なら。前の撮影も子役とは思えなかったし」
「…………」
本当にこの能天気さが羨ましくなる。
休憩が明けた瞬間に役を掴んだ古嶋。普通ならありえないことだ。仮に、休憩中に話していた他の子役たちにアドバイスされたとしても、あそこまで役に入り込むことはできない。おそらくは何らかの感情の変化があったはずだ。古嶋と前田ユメの感情がリンクするような出来事が。
親への不満。前田ユメの父親と古嶋採利夢の母親への不満。撮影時のあの母親のことを一色は思い返す。それを、同じ年代の子役仲間に見られ、茶化されでもしたのなら。
もしも考えていることが正解だというのなら、今日の撮影で古嶋に前のような演技力を求めることはできない。一色はふぅと息を吐いた。
「それは……無理だな」
「ええ? どうしてですか?」
「……さぁな。それより後で試したいことが——」
その時、一色の体が刹那の間硬直した。嫌な予感、虫の知らせ。そんなものを感じ取ったように脳が思考を中断させる。音か、空気の変化か。わからない。
とにかく振り返り斎場の扉を見る。ガラ空きの扉。その向こうの景色まで見渡せる。怪しい人はいない。それなのに、何かがやって来る気がした。
ゆっくりと。スローモーションを見ているようにゆっくりと。扉の角から脚が見えた。
黒のロングスカートから細い脚が見える。くるぶしを露わにしたサンダル。腰から上は白のボタンシャツ。その着こなしは確かにどこかで目にしたことがあった。黒いストレートの長い髪。背丈は160近くの少女。決して未亡人などではない。
悲壮感も幸薄さも感じられない。あるのは堂々とした佇まい。背を張り肩を張り体が大きくなり、それが自信を魅せる。
「おはようございます」
少女はニコリと微笑んだ。よく澄んだ声だ。僅かに低くとも違和感がない。
誰もが作業の手を止めて、少女に挨拶を返す。誰? エキストラ? 子役? あんな子いたっけ?
聞こえてくるざわめきに、一色は苦々しい顔で胸ポケットを弄っていた。
「……うひゃぁ。誰っすか。一色さんの隠し子?」
そんなわけあるか。一色は否定する気も起きない。何がどうなれば、あんな姿を晒せるのだろうか。呆れてものが言えなかった。むしろ沸々と苛立ちさえ湧いて来る。
「ああいうのをオーラがあるって言うんすね」
オーラ。そうだとも、彼女の纏う雰囲気。それが目の錯覚を引き起こしている。先日の男装よりも遥かにそして圧倒的に目を惹く。それこそ喉から手が出るほどに。
「…………能間、真理」
「え?」
「能間真理だ。鳥羽玲役の」
確かに彼女の後ろから誇らしげに入ってきた女は、能間真理の母親だった。それだけで、彼が彼女という理由にはならないが、一色はそんな説明よりも、どうしてか感じてしまう不愉快さを解消しようとしていた。
男が女装する。古い時代の人間だからなどと時代を価値基準の言い訳にはしたくはないが、早々受け入れられるものではない。
そもそもだ。筋骨隆々の青髭男が女装をすれば、それをオカマと呼び迫害してきたというのに、若く女々しい男が女装をして男の娘と呼び受け入れろだなんてルッキズムに対して馬鹿なのかと言いたくもなる。
それでも一色は世の中には変わった人もいるもんだと受け入れてきた。価値のアップデートは観客に夢を見せる映画監督として必要なものだ。だからこそ、真剣に悩んでいる性同一障害の患者だろうがLGBTとかいう性癖暴露大会の変態参加者だろうが一色捨人個人では受け入れてやれる。
しかし、映画となれば別だ。何十人何万人といる観客全員がそれを受け入れられるとは考え難い。
役がそういう役だというのならいいが、わざわざ女の役を男が演じる必要も、男の役を女が演じる必要もないのだ。映画は歌舞伎でも宝塚でも性癖暴露大会の開催地でもない。
映画は夢なのだ。お金を払い、時計を捨て、現実から離れる夢の時間。観る人を選ぶ映画よりも、観た人が満足できる映画の方が何千倍といいのは当然。
だからこそ、俳優には私欲よりも役としての魅力を磨いて欲しい。男役を演じると決まった以上、役作りの課題もまだまだできていない以上、無関係な女役を日常で演じるくらいなら、普段から脚本の役を憑依させるくらいの気概を見せて欲しいのだ。
「……そうか、なるほど」
「何がっすか?」
一色は天を見上げて呼吸を繰り返す。
「アンガーマネジメントだ。自分の怒りを客観視するのがいいらしい」
「はあ。全然出来てなくないっすか?」
拳。慌てて手首を抑える。危ないところだったと一色は再度呼吸を整えた。
感情に折り合いをつけるのだ。なぜ怒るのかを見直す。能間の姿に怒りが湧くのは自分が監督だからだ。たとえ脇役でも俳優ならその役に真摯に向き合って欲しかったのだ。
なら、監督してできることは何だ?
「…………観客が夢に入るために必要なものの一つは、感情移入だ」
「何言ってんすか急に」
「感情移入への要素はいくつもあるが、難度の低いものであれば過去と現在の繋がりがわかりやすい」
高圧的な親がいたから大人しくなった。人を殺してしまったから怒りを抑えるようになった。現在のキャラクターの指針に対して、影響を与えた過去を知り、そこに違和感などなければ観客がキャラクターへ感情移入してくれる。
「感情移入ってのは、役作りの基本でもある。台本を読み、役の過去と未来を知り、役に入り込む」
「……はあ」
「……さっき、古嶋なら演じられるって言っていただろ?」
何の話か全くわからず間の抜けた返事をするカメラマン。一色は顔を下ろして彼に向き直り説明をする。
「今の古嶋、いや子役全員は、役を掴めていない」
「はあ、だからさっきの課題だったんじゃ」
「そうだ。だがな、あれだけじゃ足りないんだ」
そもそもが子役だ。しかも新設されたばかりの知識皆無の事務所と、よくわからない海外の事務所、そして養成所を辞めた無所属。まともな役作りのやり方を聞ける相手がほぼいない。居たとしても自ら相談できる子どもは少ないだろう。
紙に書かれた役とその人となり。子どもにしてはよく書けているが、完璧とは言い難い。
「過去だ。その役がどうしてそんな人間なのか。それを考えろってのをあの三人にそれとなく伝えてくれ」
「……えっ、俺がっすか?」
「ああ、任せた」
「うぇえ……」
一色はカメラマンの困り顔を無視して、女装する少年に目を向ける。他の子役の戸惑いを隠せていない様子に僅かに口角が上がる。
彼に出したもう一枚の課題。
『鳥羽玲として喉から手を伸ばしたくなる演技を見せてみろ』
それが蔑ろにされた気分も、すでに落ち着きを見せている。
能間真理。彼がなぜ女装して来ているのかなんて、他人の過去を知る由もなく、感情移入もできないがそんなものを知る必要もない。
監督として嫌悪感はまだあるが、だったらフィルムの中で黙らしてくれればいい。必要であればその手伝いもしよう。
監督の役割は、映画のために俳優の魅力を引き出すことなのだから。
本屋で演技法の本を探してたらおじさんに女優さん?と聞かれた。咄嗟の言葉が出てこず、ニコッて笑ったらサインを求められたので橋本環奈と書いたらガチギレされた。その様子を見ていたイケメンがおもしれー女つってたりつってなかったり。
あーあ私って罪な女




