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Sex Symbol  作者: 東都エリ
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S#6 二枚目

「そうですか。ありがとうございます」


 そう言って背を向ける古嶋の姿に、能間真理の母、能間杏はもどかしさを感じていた。彼女の去り際に見せた外界を締め切ったような寂しく、全てを諦めた表情に腕を引きたくなった。


 されど他所の事情に関与できるほど、自分はできた人間ではない。胸元まであげた腕が力を無くす。


 結局、何もできずに彼女を見送って、杏は見学席に大人しく戻っていった。


 撮影は休憩に入ったらしく、ピリピリと張り詰めていた空気が今は全くない。手持ち無沙汰の杏は真理の姿を探したが、古嶋と共に撮影中ずっと一緒にいたパラキナに手を引かれて部屋から出ていく姿が見えた。


 両手に花。そんな言葉が頭に浮かび、真理をからかった時の想定をする。今日の真理なら特段面白い反応を見せることもなく、そうだねの一言で終わらしてしまいそうだ。容易に想像できる真理の姿に杏はくすりと笑う。


 そもそもあの子に恋心はあるのだろうか。少し前までの真理の姿を思い出す。


 女装。


 通っていた養成所を辞めてから、真理は女の子の格好をするようになった。スカートを履き、髪を伸ばし、化粧をする。まるで大人びろうと背伸びする少女のように。


 その姿を見た時、杏の頭にはある病名が過ぎった。


 性同一障害。まさか自分の子どもが?


 理解がないわけではない。それを個性だと言い張るのなら尊重しよう(どうでもいい)。でもそれは赤の他人ならの話だ。


 息子がそうなってしまったのなら、どう接したらいいのかわからない。理解できない。無関心ではいられない。


 真理には、他の子どもに比べて成長期が早く来ていた。背は伸びて、声は変わり始め、体つきも大きくなった気がする。鏡を見れば男であることを嫌でも理解できるだろう。だから女になりたいと思うのだろうか。


 原因なんてどうでもいい。それよりも、もし、本当に障害だったなら、どうしたらいいのだろうか。


 表に出せない不安。何もできない日々が過ぎ去る。


 杏が見守ることしかできない中、真理の装いはまるで初めから女の子だったかのように上達していった。


 不思議だった。体の男らしさは確かな違和なのに、それが魅力に思えるほど様になる。


 不思議だった。女としての表現力が上がるほどに杏は息子に抱えてしまった不快感や気持ち悪さが嘘のように消えていくのを感じていた。


 そうだ。これは演技なのだ。演技の幅を広げているのだ。


 実際、真理の女装は毎日その印象を変えていた。ある時は明るい2000年代のギャルだった。またある時は古いドラマで見た女優そっくりの未亡人だった。

 思い返せば、男装の時から同じ印象でいることは少なかった。


 着ている服から仕草や言葉遣い。真理はあらゆる要素を手探りに変化させて最良の形を見つけることを、まるで遊びのように毎日繰り返していた。女装も男装も遊びなのだろう。杏はそう結論づけた。不思議なことに不安はもうない。


 それに数ヶ月前のオーディション後からは、女装の頻度も減っていた。


 おそらくはその時に何か言われたのだろう。杏はムスッと顔を顰めて、カメラマンに熱心に何かを教え込んでいる男を睨む。


 一色捨人監督。クインテットの俳優が自殺した背景には彼が絡んでいるとはネットの噂だ。暴力暴言は日常茶飯事。昭和の遺物。パワハラ監督だなんだと揶揄されていた。


 そんな彼がオーディションで審査をしていたなら、酷い暴言を浴びせられていてもおかしくはない。


 別に男が女の役をしたっていいじゃないか。

 男も女も演じられる、性別を超越した俳優なんて凄いじゃない。


 もはや杏は、真理が女装することに何の抵抗もなかった。息子は病気ではないからだ。息子は女になりたいわけでも、男の役を演じたいわけでもないからだ。


 能間真理が女装をするようになった理由なんて聞けなかったからだ。


 いよいよ手持ち無沙汰は孤独感を連れてきた。周りはスタッフ同士で団欒したり、作業の確認をする中、見学席で座っているだけの杏は人恋しくなる。


 何もすることがない。見学者であるため当然のことなのだが、周りが動く中、何もできずにいる自分に形のない不安が襲ってくる。


 せめて話し相手でもと、チラリと左を見る。一つ飛ばした座席にはスーツ姿の白人女性が座っている。レウコス・ラリス。杏は貰った名刺を確認し、いざと話しかけた。


「ラリスさ……」

「レウコス」


 言い切る前にレウコスは腕をばっと上げ、杏の言葉を止めた。


「どうして人には個人の名があるのに、ファミリーネームで呼びたがるのでしょう」

「えっと、て、丁寧に関わりたいからじゃないかしら」


 レウコスは杏の言葉を聞いて深く反省するように目を瞑った。


「ごめんなさい。困らせるつもりはなかったのです。ただ私のことはレウコスとお呼びください」


 外国人なのに、それこそ丁寧な人だ。杏はどこか申し訳なく感じた。撮影中は当然のことながら、撮影前は古嶋採利夢の母がいたこともあり挨拶以上にレウコスと関わっていなかった。


 しかしこうして会話してみると、その日本語の巧さや、一つ一つの所作の丁寧さに度肝を抜かれる。彼女はパラキナのマネージャーではあるが、本業はどこかの執事なのではと感じるほどに、会話に癖のない心地よさがある。

 それとも古嶋母の自慢話ばかり聞かされたからであろうか。


「そういえばレウコスさんの会社は芸能事務所ってわけではないみたいですね」


 杏は名刺に書かれた文言に目を向けながらそんな話を切り出す。特に意味もない雑談。休憩時間の孤立を紛らわせるための話題だ。


「はい。私たちはパラキナ・マナティシュコのご両親の契約の元、彼女をスターにすべく働いていますので」

「専属ってこと? 古嶋さんと同じなんですね」


 杏は古嶋母の話を思い出す。

 オーディションの情報を目にするや否やすぐに会社を設立したのだと鼻高々に話す女性を。


「ユメという役名を目にした瞬間……『運命』……だと思ったわ。オーディションに受かるなら事務所は大切でしょ? 無所属だなんて舐められるわ。あら、能間さんは無所属でしたの? ごめんあそばせ」


 思い出せば腹が立ってしまう。杏はいけないいけないと頭を振り会話に戻る。


「そうですね。俳優業だと今は彼女だけになります」

「俳優業? ってことは他にも色々やっているの?」


 その言葉にレウコスはにやりと笑う。


「その通りです。隠蔽から名実まで。受けた依頼は必ずこなす。私たちはアルフレッドサービス」


 まるで決まり文句であるかのように、もう一枚の名刺が渡される。今度の名刺の役職にはマネージャーとは書かれていない。


「教育エージェント レウコス・ラリス……」

「ご入用でしたらお電話ください」


 下記の電話番号も一枚目とは違う。どうやらこちらは仕事の依頼用らしく、本社の電話番号まで載っている。


 要は何でも屋みたいなものだろう。違法性は無いと信じたい。杏は表情を固めたままその名刺をしまって、必死になって話題を変えた。




 ——午後3時。

 どうやらスタジオの貸し時間がここまでのようで本日の撮影は終了した。杏は見学席仲間に挨拶をして車に乗り込む。遅れて真理も白い封筒を抱えながら助手席に乗り込んだ。


「それは?」

「課題だって」

「ふーん」


 杏は気のない返事をし、車を走らせる。会話は少ない。今日の真理はこちらから話しかけないとまともに話さないらしい。とはいえ真理の出るシーンを撮影をしていたわけではないので、話題も少ない。


「採利夢ちゃんの演技良かったね」

「そうだね」

「演技初めてなんだって」

「…………そうなんだ」


 1回目の休憩の後から古嶋の演技は何かが変わった。それを杏には上手く言い表せられない。何となくだが、あれはそう、杏が話しかけた後、去り際に見せたものと同じ悲壮感。


 母が死んでから、父親のために朝食を作るシーン。未だ気持ちの整理はつかない娘。


 話したくはない、でも話さなければならない。悲しみも怒りもある。でもそれ以上に、今日を生きなければならない。


 休憩前は素人目にも下手と言うしかない嘘くさい芝居。それが休憩後には人が変わったように…………ああ、そうか。杏は理解した。


 カメラの前にいたのは古嶋採利夢ではなかった。あれが、前田ユメなんだ。


 杏は唾を飲み込む。あの演技を見て、我が息子は何を思ったのだろうか。


「どう思った? 採利夢ちゃんの演技」

「…………」

「真理?」


 真理は肘をつきながら窓の外を眺めている。少なくとも何か思うことはあったのだろう。安い言葉で褒めるという行いは、無関心でいるのと変わらない。黙っていながらでも、息子の考えは手に取るようにわかる。杏は静かに笑った。


「監督のカットもそれほどかからなくなってたね。カメラマンの人はずっとグチグチ言われてたけど」


 それでも舐めた口調で歯向かえ続けられる最近の若者に杏は素直に感心する。しかし、真理がそのような大人になるのは好ましくない。教育で回避できるのならと、杏はとある教育エージェントの姿を思い浮かべてしまった自分を嘲笑する。


「採利夢ちゃんの演技が良くなったのって、真理たちが何かしたの?」

「何かって?」

「んー、演技指導とか」

「……してないよ。そういうのは監督がしてるし」


 演技指導は撮影前に監督が行なっていた。ただその後は具体的なことは言わず抽象的な指示ばかりで、「ちゃんと指示を出したらどうっすか」とカメラマンにまで指摘される始末。


 それに対して一色は、「監督の正解が必ずしも映画の正解じゃねぇんだよ。素人が口を出すな」と言い、「パワハラっすよ」と言い返され苦い顔だ。一色のその顔に少なくとも反省はしているのだろうと杏はほんの少しだけ心の細波を沈めていたりもする。


「ふーん。じゃあ休憩中、何してたの?」

「課題だよ」

「その課題って何よ」


 ちょうど赤信号に止められ、杏は真理の持つ封筒を受け取った。A5用紙がピッタリと入るサイズ。封光に透かしても二つ折りにしているのか見えはしない。杏は封筒の口を広げ、中から()()の紙を取り出した。

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