S#5 素
『上手い演技』とはどういう意味だろう。
見ている人がすんなりと物語に入り込める演技。嘘臭くなく、芝居臭くない演技。魅入ってしまうほどの演技。
つまりはそう。役者と役が心身共に完全に同一となれば、上手い『演技』と評価できるのだろう。
演技。演技なのだ。結局は、どこまで行っても、役者は演じなくてはならない。
それなのに。
古嶋採利夢は、演じていなかった。演じる必要がなかった。
経験。体験。悟り。今の彼女の精神状態は前田ユメと完璧に近いものだった。
本心だから。感情が一致しているから。
誰もが彼女に入れ込める。
スタジオの誰もが彼女をミている。
ああ、 。
休憩が終わり、役者たちが位置につく。
古嶋は食卓に座り、田沼は画面外に待機。
一色の掛け声とともに芝居は始まった。
「なんだユメ。朝から早いなぁ。……おっ、おおっ! これユメが作ったのか?」
食卓に並ぶ朝食に前田颯太は顔を綻ばせる。娘が作ってくれた初めての朝食だ。
ユメは何も言わずに黙々とご飯を食べている。
「どぉれ。おっ、うまいじゃないか」
母親が亡くなって数日。公園で泣く娘に慰めの言葉も掛けられず、未だ微妙な距離。前田颯太は、父としてシングルファザーとして、娘との仲を良くしたいと考えている。
「料理なんか出来たんだな」
それでも彼はミスを犯す。
「でもまあ、毎日作ってくれなくても良いぞ。面倒だろ」
味噌汁を啜る。無神経な優しさ。
「まだ子どもなんだから」
見下した子ども扱い。
ピクリとユメの箸を持つ手が動いたが、それでも何も言い返さない。反応のない娘への戸惑いか、それとも苛立ちか。言う必要のない言葉さえ口をつく。
「正直さ、味噌汁も薄いし」
「…………」
ユメの手から箸が落ちる。カツン。赤い六角形の箸が転がる音もマイクは拾う。それだけの静寂。
「あ、いや、違う。今のは……父さん間違えちゃったな」
軽く笑う。謝ることはしない。颯太はまだユメを子どもとして見ている。
「ユメはまだこんな事しなくていいんだ。家のことは父さんがやるから。ほら、父さんタクシードライバーだろ? 休みは多いしさ……」
無神経な優しさだ。娘の感情を無視したどうしようもない父親。
「母さんがいなくなったからって、ユメが母さんの代わりをする必要はないんだ」
この発言が感情のトリガーとなる。
一色は田沼の口元を撮影し、その次に古嶋の止まる手元を映す絵を頭で作っていた。観客に魅せる演出としてわかりやすい描写だ。休憩前にその撮影は済んでいる。
いや、そもそもこのシーン自体の撮影はすでに終わっていたのだ。
しかし。一色は休憩後、別室から他の子役と共に出てきた古嶋を見て直感した。イメージしていたわけではない。想像通りのものでもない。しかし、あの表情、感情。あれこそが正にユメだった。
だからそう、撮るべき絵は目だ。止まった手ではない。一色は古嶋採利夢を見てそう改めた。
真っ直ぐと田沼を射抜く目。あらゆる感情の混ざりあったあの濁り。
「じゃあ」
小さく震えた声が響いた。
「私がやらなかったら……誰がやるの」
「だからそれは、父さんが——」
呆れた颯太の声。やっと声を出してくれたユメに安堵したような声でもある。
腐っても大ベテラン。田沼龍史の実力は本物だ。
だが、そんな彼と並んでも遜色ない演技。
「お母さん、朝起きられないじゃん。夜なんてずっと遅いし。ご飯なんて……洗濯だって、掃除だって、全部全部!」
訴えるかのような叫び。うだつの上がらない父親を非難する娘。怒り、寂しさ、悲しみ、そして自立。あらゆる感情が正しく混ざり合った反応。それが目から流れ落ちる。
「今まで誰が……やってきたと思ってるの……」
静かに力が抜けていく。項垂れ、颯太の顔も見れない。滲み出す感情が彼女の内面を語る。
スタジオの誰もが息を呑んだ。今目の前にある光景が、前田颯太と前田ユメが、実在しているかのような錯覚。それと同時に湧く、ユメへの同情心。
それを覚ます一声。
「カット」
全員の緊張の糸が切れたようで、すぐ近くのカメラマンが不服そうに見てくるのと同時に一色は言った。
「パパがお母さんになってるぞ。気づいてたか?」
「……あっ。ごめんなさい」
古嶋は恥ずかしそうに謝って、すぐにリテイクが始まろうとする。
「上手い演技だ。私たちのアドバイスが効いたのかしら」
壁際、カメラより遥か後方。隣に座るパラキナがそう呟いた。彼女と指摘したのはある一つの感情の強さ。それが今は全てのバランスが吊り合ったように混在し、滲み出ている。心が体の動きを正当化しているのだ。
まだ同じくらいの歳の子がだ。
王取鏡子でもない子役が。
能間真理は、何も答えなかった。




