S#4 前田宅2
「カット! だから何度言わせる気だ!」
撮影が始まり数十分。
一色は持ち前の太い声を張り上げて、感情的に叫んでいた。
その声が耳から体へと浸透するたびに、古嶋採利夢の心臓はバクバクと音を立てる。今にも泣き出しそうになる。しかし泣けば、余計に迷惑がかかるとわかっていて体が震えるのを必死に堪えるしかなかった。
「大丈夫?」
「……あ、はい。大丈夫……です」
共演する俳優の男が心配してか背中を摩ってくれる。古嶋にとってはそれが恥ずかしい慰めだった。初めての演技。素人でも選ばれたのだから全霊を持って。なのに、こうして共演者に迷惑をかけていることが恥ずかしい。
そもそも自分が怒られているわけでもないのに、こんなに震えるなんて。
「だからズームはこっちが指定するつってんだろ! お前は画角だけ考えろって言ってんだよ!」
一色は声を荒げ、拳を握りしめている。今にも振り下ろさんとするのを直前で堪えているようだった。一方で、彼に怒鳴られていたのはカメラマンの男。ボサボサの髪を掻きむしる男は不満があるのか「だって」と不遜な態度を示す。
「ここは二人の顔をぐぐーっていくのがベストっしょ。採利夢ちゃんにまず寄せて、その表情を見た龍史さんの顔をズドーン! ね?」
龍史というのは主演の男だ。田沼龍史。娘役を演じる採利夢にとってはこの撮影で最も絡む機会の多い相手。昔は映画にドラマと大活躍した名俳優だったらしい。
「だぁかぁらぁ! そのアングルが必要なら後で撮るつってんだよ!」
「いや、んなことしたら同じシーン何回も撮るってことじゃないっすか。もっと効率よくいきましょ?」
くすくすと笑うカメラマン。現場にカメラは一台しかなく、複数の場面を繋ぎ合わせるためには当然そのシーンを繰り返し撮影する必要がある。シングルカメラでの撮影はそれが基本なのだが、この男はマルチカメラよろしく全て一度に撮ろうとしているらしい。
「あれ無いんすか。トロッコのレールみたいな。ハリウッドの撮影現場見たんすけどアレいいっすよね」
「おい誰だこんなアホを連れてきたやつ! 豊洲川! 豊洲川はどこだ!」
スタッフの采配を監督するのはプロデューサーの役目だ。一色は携帯を取り出すとその怒りをぶつけようとしているのか呼び出しコールが鳴っている時からぶつぶつと苦言を漏らしていた。
「はい。豊洲川」
「おい、何だここのスタッフは! ほとんどが機材も触ったことのないど素人じゃねぇか!」
ど素人。その言葉が古嶋の胸に刺さる。
「あー、仕方がないですよ。社長も人材集めに苦心してて、僕も各方に電話したのですけど、皆さん一色さんの名前聞いただけで断りを入れてきたんで」
「だからって素人を集めなくてもいいだろ! 学生バイトにカメラを任せろってのか! 学生ならせめて自主映画制作でもしてるような意欲あるやつをだな」
「なんすか、自分めっちゃ意欲的っすよ?」
「うるせぇ! お前のせいで押してんだよ! 自覚しろ!」
ガミガミと電話越しに不満をぶつけ続ける一色。とても撮影できる雰囲気ではない現場は緊迫感漂う中、休憩ムードに入っていた。
「鬼の一色は健在だな」
「鬼……?」
田沼がボソリと呟いた言葉に古嶋が反応する。田沼は微笑みながら目線を合わせるべく片膝をつき、こっそりと教えてくれた。
「一色監督の渾名だよ。納得いかずにイライラしだすとああやって素行が悪くなるんだ」
それでも昔よりは、とより小さな囁き声。田沼は懐かしむように一色を見つめ、不思議そうな顔を向ける古嶋にごめんごめんと謝った。
「とにかく言葉遣いは悪くなるんだけどね、自分からカメラを持つことはないし、役者に正解を与えたりはしない」
田沼は怖がらせないためかニッコリと笑みを浮かべ続ける。まるで大丈夫だと応援してくれているかのようだった。近所の優しいおじいさん。そんな印象の顔。人見知りな古嶋も不思議と彼には信頼に似た感情を抱いていた。
だからその分、彼を失望させたくはない。
「僕たちは彼が期待する姿へと自ら成長しなくてはならない」
古嶋は固く決意したように頷いた。緊張は解けない。一色の声を聞くたびに不安になる。それでもユメ役として選ばれたのだから。あの王取鏡花よりも期待されたのだから。
ありがとうございます。古嶋が感謝の言葉を述べようとした時だった。
——パチンっ!
目の前の田沼の顔が赤く腫れる。
「貴方、ウチの子まで誑かそうとしてんじゃないわよ!」
次いで聞こえてきたのはよく知っている声。毎日聞いているあの人の声。
「お母……さん……?」
古嶋が恐る恐る顔を上げた先には、敵意を剥き出しにした母が腕を振り抜き田沼を睨む姿。その顔が娘の声を聞き、一瞬にして背筋を伝う笑みに変わる。
「採利夢ぅ。私の大事な夢。大丈夫よぉ、こんなやつの毒牙に絶対に掛けさせたりしないからね」
毒牙? どういう意味かはわからないが、悪い言葉なのだろう。古嶋は母が体へと抱きついてくるのを拒み、語弊を解こうとする。
「そんな……違うよ。田沼さんは」
「あああああああ! 聞こえない! き・こ・え・な・い!」
静まり返るリビング。壁際に立つ子役仲間も、喧嘩をしていた一色たちも何事かと古嶋たちを見る。
見られている。心臓が嫌な音を立てている。こんなにも近くにいるのに母には聞こえないのだろうか。ああ、見られている。
恥ずかしい。
「ごめんなさい。お母さん」
「…………」
「お母さんの優しさを無視してごめんなさい」
また母の顔を見る。母は満面の笑みを浮かべて古嶋の体をギュッと抱きしめた。
「ううん。ママも悪かったわ。でも採利夢ももっと悪いの。いい? 私はサリちゃんのことを心配して言ってるのよ」
「うん」
「田沼龍史はね、ママが若い時にママと同じくらい美人な人と結婚したの。でもね、たった一週間の内に五人の未成年の女の子と関係を持った悪い人なのよ」
関係を持つ。それが悪いことなのか古嶋にはわからない。それでも今は母を落ち着かせ、この嫌な視線から逃れるために肯定しつづけなければならない。
「だからね、サリちゃん。俳優と結婚しちゃダメよ。格好良い人はすぐに浮気するから。パパよりもブサイクな人と結婚するの」
「うん」
「いい子ね。サリちゃん。私のかわいい夢」
母は「撮影頑張って」と言い残し、容易された見学席に座る二人の女性の間へ戻っていった。
「田沼さん。ごめんなさい」
「あ……うん……」
それ以上の会話はなく、カメラマンは一色の意向に従い、撮影は再開された。
テイク数は二桁を越えて、やっと本当の休憩が取られることとなった。古嶋は母の姿を探したがどこにもいないことに安堵した。
「あ、えっとユメ……は役名で、確かサリちゃんだっけ」
そう声をかけて来たのはベージュ色のスーツの女性。たしか、パラキナとは違うもう一人の子役の同伴者だったはずだ。古嶋はぺこりと頭を下げた。
「古嶋採利夢です」
「能間杏です。お母さんなら途中で出かけて行ったけど、お昼には戻ってくるって」
時計を確認すれば12時までまだ二時間はある。能間杏は何かを言いたげに葛藤する表情を浮かべていたが、古嶋は何も聞くことはなく、ただ礼を述べてそそくさと別の場所に向かった。
母の話などされたくなかった。出かけたなんて言っていたが、きっと撮影に飽きてしまったのだろう。何度も同じシーンを撮って、自分の娘は特別な変化も見せない。面白くない。きっと近くのドラッグストアに化粧品をテストしに行っているのだろう。昼に帰ってくるというのも怪しい。
それでも信じるほかない。遅れて来たことに過剰に謝る母を想像して、古嶋の心は沈んでいく。
「お疲れ様です。古嶋採利夢さん、だよね?」
「…………はい」
声をかけて来たのは二人の子役。パラキナはオーディションの待合室で隣同士だったこともあり、見知った顔であったが、もう一人の少年のことは何も知らない。せいぜい知っていることは先ほどの女性が彼の母親であるならば、姓が能間ということだけ。
「あの、貴方は……」
「わああ、ごめん。僕、鳥羽玲役の能間真理です」
能間は失敗を隠すようにたははと笑った。やはりあの人は彼の母親らしく、古嶋はどこか親近感が湧いた。もしかしたらこの人も……そんな淡い期待まで湧き上がる。
「それで、こっちは……」
「真弓ガーネット役のパラキナ・マナティシュコです。現場で合わせるのが楽しみです」
パラキナは額をくにくにと伸ばしながら、嘘くさい満面の笑みを浮かべ、古嶋の手を取ると強引に握手を交わした。待合室で会った時とは比べ物にならない性格の変わりようだ。古嶋は終始戸惑いながらも、挨拶を返す。
「えっと、前田ユメ役の古嶋採利夢です……」
「はい。三人が集まったところでミーティングしましょう」
パラキナがそう言って二人の腕を掴み、隣の部屋へと連れ出して行く。前田宅リビングから廊下を挟んだ先は和室だった。
「It's Japan……」
パラキナは入るなりそう感嘆の声を漏らし、いそいそと重なった座布団から三枚を取り出し、机の横に置いていく。
「座って。課題について話しましょ」
古嶋は何となくパラキナの真似をして正座をしてみるが、座布団が思いの外固く、脛が圧迫されすぐに足を崩してしまった。パラキナは背筋までしっかりと伸ばし、能間は何故か体育座りをしていた。
「課題ってこれのこと?」
古嶋は撮影が始まる前に一色に渡された封筒を取り出した。課題と言われて喜ぶ子どもはいないはずだ。夏休みの宿題もまだ手をつけていない古嶋は課題という言葉に嫌悪感すらあった。だから未だ中身は見ておらず、なぜこの三人だけで集まったのかもわかっていなかった。
中に入っていた一枚の紙を取り出す。
「えっと、『前田ユメ、鳥羽玲、真弓ガーネットはそれぞれどんな人間か』……どういうこと?」
「そんなのもわからないの?」
パラキナは刺々しく言った。眉を寄せた不機嫌な顰めっ面を見せて、呆れたようなため息まで吐いている。
「役作りの課題だよ。僕たち三人の役をお互いに擦り合わせようとしているのかもしれない」
「……えっと、つまり」
またパラキナに毒を吐かれるのが嫌だった古嶋はぐるぐると頭を働かせる。一色とは違い彼らは正解を教えてくれるだろうが、できない自分を見せたくはない。
役作りは自分の役だけすればいいと考えていたが、この課題はそれ以上の思惑があるのだろう。
三人の役をお互いに擦り合わせる。それはつまり、お互いがどんな人柄を演じるかを把握して演技のリアリティを高めようとしているのだろう。
「So 私とシンリは撮影中にお互いの役を書いたから、後はサリムが書いて終わり」
パラキナはさらに一枚の紙を取り出した。そこには二人の役名と、その性格から口調、シーン内での特徴的な感情の変化まで長々と書かれている。
「わっ、パラキナさん、字上手!」
「ありがとう…………マネージャーが書いたの」
それよりもと、鉛筆を渡してくる二人に古嶋は目を泳がせる。
「あの……ごめんなさい。もう少し待ってください……」
「大丈夫。急いでないからね」
「ユメは出番が多い。書くのも大変でしょ?」
「うん、そう……」
嘘をついた自分が嫌になる。確かに二人と比べて出番の多いユメは役作りにおいて書き出す部分も多くなるだろう。だがそれよりも、二人のように明確な役作りをしていないから、ユメがどんな人間か、設定以上に見えていなかった。
母親が死んで、父親を憎んで、それでも前を向いて、父親と共にある時サーキット場の足を踏み入れる。そして最後は、父親への声援。
大まかなユメのストーリーはこんな所だ。見ればどんな感情を抱くかはすぐにわかる。母親が死ねば悲しいはず。父親が情けなければ怒るだろう。台本には細かい指定はない。それでもセリフからは伝わってくるのだ。
それを演じればいいと思っていた。
なら、なんで前田ユメはサーキットレースに?
物語の中盤、ユメはジュニアサーキットレースのクラブに参加する。二人とはここで出会うのだ。
母親が死んだくせに?
古嶋の頭の中に明確になっていなかった疑問が芽生える。ただ台本を読むだけでは見えてこない展開上違和感のない感情。
二人の課題への回答を見てそれが形となった。
演じるということ。俳優という仕事。その本当の意味を理解してしまった時、見えてしまう未来と終えてしまった過去が、ゾッとするほど恐ろしかった。
「さ、さっきの私の演技……どうだった?」
絶対に聞くべきではなかった。古嶋は机の中心をただただ見つめながら、震える手を握る。二人の顔を見ることなんてとてもできなかった。
「「最悪だった」」
二人の声が重なった。
古嶋が認識するパラキナの性格上、批判されるのはわかっていた。それでも、目の前に座る彼が、弱々しく笑う彼がフォローしてくれると思っていたのだ。
「怒りの感情が強すぎる。このシーンは情けない父のために朝食を作るシーンだ。母親が死んで公園のシーンからは時間がかなり経過しているはずだよ」
「声がダメ。怒っているわりに小さくて震えてる。rather 震えすぎ。箸を持ってる時もチワワみたいでした」
「あと、それから——」
「これも——」
二人のダメ出しが止まったのは、目の前の少女がポツポツと泣き出してからだった。パラキナはしまったと口を開け、能間も慌ててフォローに入る。
「いや、でも……怒って当然だと思うよ。台本を読む限りでは父親は家庭のことに無関心ぽかったし」
「あの、親。そうサリムのお母さんへの演技がとても良かった。全然嘘くさくなかった。ほんとほんと。それより見ました? 一色監督、ゼリー食べ過ぎてゴミが富士山みたいに——」
慌てる二人を前にくすくすと笑い声が聞こえる。
「なんちゃって。子役なんだから泣く演技くらいできないと」
「……騙された」
「そろそろ私行かないと。課題も早めにやるよ」
そう言って足早に退出する。残された二人はホッと胸を撫で下ろす。
「私の一色監督disが功を奏したか」
もちろんそんなことはない。
古嶋はただ、母親の話をされるのが嫌だった。




