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Sex Symbol  作者: 東都エリ
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S#3 前田宅

 オーディションからどのくらい月日が経ったのかわからない。少し前まで小学校の校庭には桜がわんさか咲いていたのに、今は真緑の葉っぱが幹を隠すように茂っている。カレンダーは便利なものだが、月に日にちに曜日と覚えるものが多すぎる。さらには六曜なんてものがあって、四年に一度は一日が増えるらしい。


 兎にも角にも、寝て起きて学校からレッスンに行って、そのサイクルを何度も繰り返していたら今日が来た。


 『えふわん家族』そのクランクイン。


 パラキナは生まれつきの顰めっ面を携えながら、ロケ地である都内の貸し物件へと降り立った。手には白い紙袋が握られている。


 侘び寂びのない合理的な住宅。広いアスファルトの前に五人は並んで歩けそうな歩道。そこに面するように主人公前田颯太と娘ユメの住居が鎮座していた。


 通りがかる誰もを受け入れるかのように塀はなく、庭は広い。シンプルでスタイリッシュな玄関の側には数本の細い木が植えられており、それ以上の緑はない。


 建物は二階建て。外壁は淡いベージュ色でサディングボードというパネルを嵌め込んでいる。平成後期に建てられたであろうその建物は新築と言われても疑いようはなく定期的に手入れされていることが窺い知れる。


 屋根は黒に近い紺。隣の建物に寄り添うように片方だけが傾いている。その上には向日葵のように天へと顔を向けるソーラーパネルが設置されている。パラキナはそれを見ながら小さくため息をついた。


 テレビで見た日本はもっと原始的で美しい街並みが広がっていると思っていたのに、目にするのはこの量産された面白みのない景色。東京都には金閣寺や伏見稲荷と寺社仏閣が目白押しだと聞いたのに、詐欺にあった気分だ。


 ロケ地にはすでに撮影スタッフはついているらしく数台のバンが止められている。今日のシーンは室内で執り行われるためか、外にいるのは美術スタッフらしき女が二人だけ。彼女たちは数枚の表札を見比べているところだった。


「おはようございます」

「はよーっす」

「あら、おはよう」


 業界において挨拶は重要だと教わった。パラキナは眉をくにくにと指で広げて、口を大きく開くとぺこりと頭を下げた。


「真弓ガーネット役のパラキナ・マナティシュコです」


 そして自分の後ろを歩くスーツの女をチラリと確認する。彼女は懐から名刺を取り出して二人に丁寧な挨拶を行なっている。


 レウコスは嫌にきっちりとしたマネージャーだった。日本人でもないのに時間や規律に厳しく、一秒でも予定にズレが生じることを嫌う神経質な人間だった。そんな彼女の中の予定では、パラキナ・マナティシュコという人間の将来は、大女優になっているらしい。


 なんともフワフワとした将来だったが、レウコスは本気らしくそのために業界内での立ち回りを厳しく教えられていた。


 とにかく関わる人全てに好印象を持たせること。その一つが笑顔での挨拶である。パラキナは教えられた通りにニコニコと笑い。彼女らの会話が終わるのを待った。何を話しているのかまではわからない。子どもは元気が取り柄であり、その先のビジネスは全て私がやるとレウコスは言った。


「待たせたな。先に行こう」

「はい」


 パラキナは再度二人のスタッフに頭を下げて、開けっぱなしの玄関を進む。

 機材の置かれた廊下を抜け、リビングへ。ダイニングキッチンと一緒になったリビングは広く、スタッフたちが慌ただしく動いていた。まだ撮影は始まっていないらしく、液晶テレビの前では主人公役の俳優と娘役の子役が台本を持ちながら、あの男と何かを細かく話し合っていた。


「おはようございます」


 そう挨拶をすればまばらに返ってくる。作業の手を止め顔を見て元気よく。それでもすぐに時計の針が動き出し、喧騒が手持ち無沙汰な自分を孤立させる。


「パラキナ、わかっているな? 私はこれから挨拶周りをしてくる」

「わかってます」


 パラキナはレウコスにため息混じりに返事をし、意を決したようにある男の元へと近寄った。


「おはようございます。一色監督」

「おはよう。——で、配膳前に——」


 現場を指揮する総監督。その男は横目でパラキナを確認した後、何も無かったように主演と娘役の二人に指導を続けた。


「一色監督……その」

「悪いが、後にしてくれ」

「はい……」


 後とはいつになるだろうか。彼らへの指導が終わればすぐにでも撮影に入るだろう。時刻は午前7時を過ぎたところ。カーテンの開けられた窓からは早朝特有の霞みがかった朝日が入り込んでいる。


 謝罪は早ければ早いほど良い。オーディション当日、その日あったことをレウコスに事細かに聞かれたパラキナは去り際に放った一言について大目玉を喰らっていた。


 関わる人全てに好印象を持たせなくてはならない。それがたとえ業界から追放されたはずの映画監督であってもだ。


 パラキナは紙袋の持ち手を強く握った。中身は一色監督が好物だと明言しているハイカロリーのゼリーだった。一つや二つという量ではない。子どもが持つには酷な重さがある。指の関節は締め付けられプルプルと腕が震えていた。


「か、監督……あの」

「何だ?」


 主演の男は見かねたように一色に目配せをする。一色はやや不機嫌になりながらも、まだ側にいるパラキナへと目を移し、その後手に握られている紙袋を見て勘づいたように口を開ける。


「あれか? 謝罪しに来たのか?」

「はい……。オーディションの最後に——」

「それとも」


 一色はわざとパラキナの言葉を大声で遮る。


「学びに来たのか?」


 その言葉に口を噤んだ。そうだ。そうだった。クランクインの今日は前田颯太とユメの撮影がメインで、真弓ガーネットの出番はない。


 それなのに、わざわざ朝早くから現場に来ているのは、一色監督に言われたからだ。


 大女優になりたいのなら、学べ。そうでないなら降りていい。


 真弓ガーネットは、ユメの友人役。学校のではなく、サーキット場でのライバルと呼べる存在。それでもユメを引き立たせる脇役。


 脇役だからなんだ? たとえ意味を持たない端役でも全力演じきれてこその大女優だ。演じるために、役作りのために、経験の長い先輩の技を吸収するために、ここにいるのだ。


「言っただろ。俺はお前を気に入っている。嫌われているから嫌いになるような人間に見えるか?」


 それは厳しいレッスンや不条理な差別に晒されたパラキナにとって、感じたことのない大人の温もりだった。


「……はい。ありがとうございます」

「見えるのか……?」


 一色の反応にパラキナは顰めた眉のまま笑った。自然に、子どものように無邪気な笑顔。もう一度感謝を言葉を述べて、彼らから離れようとする。演技指導の邪魔をするわけにはいかない。

 手に持つ紙袋は、同じく差し入れの積まれたテーブルに置けばいいだろう。

 

「あ、おい。消え物は俺が預かるから、ここに置いてけ」


 どちらが子どもなのか。パラキナは指にジンジンと残る痛みを名残惜しく摩り、挨拶周りを終えたらしいレウコスの元へ向かった。


「お、おはようございます……」


 ちょうどその時、もう一人のユメの友人役の少年がリビングへと入った。


 彼の声は現場の喧騒の中では聞こえが悪く、扉の側にいた数人が顔を一瞥する程度だった。業界内での印象の良さを大事にするパラキナにとっては、その少年の覇気のなさが衝撃的だった。


 長い髪を後ろに一本で結んでいる。もさついた前髪は自信のなさげな目を隠し、口を半開きのままオロオロと佇んでいる。服装は半袖の英字がプリントされたパーカーにワイドパンツ。せめてベルトをつければ様になっただろうに。


 彼の後ろからヒョッコリ顔を出したのは整った身なりをした女性。ベージュのセットアップスーツ。レウコスのものとは違いカジュアルな装いだ。とてもマネージャーには見えない。子役の中には親が現場を見学しにくるケースが多々あるが、要はそれだろう。


 ただ、自分よりも背が高い男の子が親同伴で現場入りすることにパラキナはいい知れぬ不快感を覚えた。


「あ、あの、おはようございます。鳥羽玲役の能間真理です。真弓役のパラキナさん……ですよね?」

「そうだけど……なに?」


 近づいて話しかけて来た能間は自信のなさの表れか、どこか申し訳なさそうに口元がヘラヘラと緩んでいる。

 パラキナは素っ気ない態度で返したが、背後のレウコスの視線がひしひしと伝わり居住まいを正す。


「おはようございます。はい、真弓ガーネット役のパラキナ・マナティシュコです」

「ああ、やっぱり。オーディションの待合室で見たから覚えてましたよ」


 パラキナは首を傾げる。

 ここ最近でオーディションといえば、この『えふわん家族』の娘役しかない。それに待合室なんてワードが出るのは十中八九それしかない。


 だが、こんなナヨナヨした男がいただろうか。あの時、待合室にいたのはパラキナを除けば三人。一人は娘役に受かったらしい緊張しまくりの少女。一人は王取鏡花。そして最後の一人は——。


 パラキナはその少女の容姿を鮮明に思い出す。たった一目見ただけで、喉を鳴らしてしまうほどに美しい少女。近づき、話しかけたくても躊躇ってしまったほどの少女。だって私は外国人なのだから。


 そんな彼女はこの場にいないようだが、目の前の少年を見かけた記憶はまるでない。


 一体誰だと訝しんでいる内に、どうやら演技指導も撮影準備も終わったらしく一色はズカズカと二人の子役を捉え、近づいてくる。


「おはようございます」

「おはようございます……」

「……お前、能間真理か? 素だと一気にオーラが消えるな」


 そう能間を見て眉を顰めた一色は、まあいいと懐から二枚の封筒を取り出した。


「これは何ですか?」

「課題だ」

「課題……?」


 中を見れば一枚の紙が入っていた。広げてみると確かに課題が書かれている。


『前田ユメ、鳥羽玲、真弓ガーネットはそれぞれどんな人間か』


「サーキット場の都合でお前たちの撮影はあと二週間近くある。その間に俺が満足するまで役作りをしろ」

「どういう意味ですか?」

「課題をやれ。これから現場に来れる日は必ず来い。三人が全員一致したら、終わりだ」


 役作りにおいて、自分の役がどんな人間なのかを考えるのは当たり前と言ってもいい。しかし、どうして他の役の人間性まで考える必要があるのだろうか。パラキナはチラリと能間の顔を見れば、彼もまたそう思っているらしく、一色に質問をするところだった。


「質問は受け付けない。課題をやれ。……三人で話し合えばすぐ終わる課題ではあるからな」


 そう言い残し、撮影カメラのそばに置かれた椅子に腰を下ろした一色は、いそいそとモニターの写りを確認し始める。


「確かに。私たちでそれぞれどう演じるか伝え合えばこの課題はすぐに終わる」

「本当に……それだけなのか?」

「は?」


 ボソリと呟く能間の言葉が妙に耳に残ったまま、えふわん家族の撮影が始まった。

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