表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Sex Symbol  作者: 東都エリ
3/4

S#2 会議室2

 会議室は不自然な沈黙で満たされていた。


 背後にあるブラインドの降ろされた窓の外からは、日中の交差点の喧騒がうっすらと聞こえてくるが、壁一枚も隔たりのないこの空間では衣擦れの音さえ聞こえてこない。


 豊洲川朝日は、その静寂を作り出した張本人である男を見るため首を動かした。


 1メートルほどの距離。右隣に座る一色捨人は、何度も胸ポケットを弄っては、卓上の資料に目を落とし、前を見ては無音の唸りを続けている。


 唸りたいのはこちらだと豊洲川は眉を顰めたが、首を元の位置に戻せば少年と目が合ってしまい、急いで笑顔を取り繕う。


 見れば見るほど男子児童には思えない。


 少年はパイプ椅子に足を斜めに倒して座り、僅かに口元を上げて包み込むような視線を送ってくる。腿の上に置かれた手をキュッと握り、小さな呼吸で揺れ動く胸部。


 まるで絵画そのもののような静けさだった。人間味というべきなのだろうか。それとも子どもらしさか。


 緊張や不安。オーディションという大きな場では誰しもが感じ見せて然るべきものなのに、少年からはそれらが一切感じられない。


 下積みの長い演者でもない、大御所俳優というわけでもない。まだ11歳の小学生がだ。


 豊洲川の頭の中には同じく、つい先ほどまで実家で団欒するかの如くリラックスしていた小悪魔のような子役が浮かんでいた。


 まさか能間真理も王取鏡花ほどの子役だというのだろうか。


 そんなわけないか。


「えーっと」


 いつまでも沈黙を貫いているわけにはいかない。豊洲川は面接らしく質問を始める。とは言っても経験の浅い彼はただ気になったことを聞くだけだ。


「おとこ……いえ、無所属と書いてありますが、演技経験などは初めてということで宜しいですか?」


 それでもデリカシーというものは持ち合わせている。寸前で思い止まり、代わりに彼の演技歴について尋ねた。どこかで習っているのであれば、彼の見た目やその演技力にも納得がいく。


 仮に経験がなくとも、初めてなのにと褒めることができる。まったく完璧な布陣だとプロデューサーの腕を自賛した。


「……いいえ。前まで養成所に通っていました。エキストラなら、何度か」


 ゆったりとした話し方。間を意図的に取っているのか、続く言葉に妙な期待を持ってしまう。そして聖母のような柔らかい微笑み。


 どうも心臓が高鳴っているような気がする。胸の辺りだけがポッカリと浮いているような。豊洲川はうまく言葉を返すことができず、そうですかと素っ気なく返し、能間の目から逃げるように手元の資料に目を落とした。


 何してるんだ、俺は。


 オーディションの場だ。面接だ。プロデューサーとして相手を見極めなくてはならない。そのはずなのに。


 豊洲川は一度目を閉じると深呼吸をし、再度顔をあげる。


 それでももう一度目を合わせることができなかった。名状できない感覚が胸中を支配している。目線は首元辺りへ向かって、その僅かに突出した喉仏にどこか安堵した。


 思えば声は低かった。それでも低すぎるわけではない。野太い男の声ではなく、活発な少年の声でもない。その中間。よりはまだ高い方だろうか。


 それなのに。


 成長途中だからなのか、それとも意図的に出しているのか。その声は今の彼の容姿に違和感なく嵌っていて、能間真理を女性たらしめている。


 喉に声。肩に骨。髪は伸ばしているのだろう。ひとつひとつのパーツは男だと安心を運ぶのに、全体を通して見れば、どうしてその異端さえも誘蛾灯の光になるのか。


 豊洲川は振り払うように質問を続けようとした。


「養成所では——」

「お前は、女になりたいのか? 女の役がしたいのか?」


 しかし質問は遮られ、隣から熱のない太い声が飛ぶ。瞬きを挟み顔を動かせば、光のない小さな黒い眼が能間を睨んでいた。

 その冷たい目つきは、能間真理の柔らかさとは全くの別物のはずなのに、目が離せない。


「えっ……と」

「お前は女になりたいのか? 女の役がしたいのか?」


 能間が一色の質問に答えるために、頭の中で整理しようとするが、再度同じ質問がそれを止める。

 まるで鬼だ。その場しのぎの答えではなく、本心で答えろと眼光からして伝わってくる。


「そうではなく——」

「なら何がしたいんだ?」

「………………」


 容赦がない威圧感。なぜ圧迫面接のようなことをしているのか豊洲川は戸惑った。相手はどれほど妖艶に見えてもまだ子どもなのだ。

 一色の代わりに優しい口調で翻訳しようかと思った時、能間が決意を固めたように瞼を上げた。


「喉から手を出させたいからです」


 豊洲川は戸惑うようにポカーンと口を半開きにさせた。困惑したのは一色も同じらしく密かに眉が動いたのが横目で見えた。


「わからない。どういう意味で言ってるんだ?」

「…………私は、女になりたいわけではありません。女役が演じたいわけでもありません」


 能間の顔から微笑はなくなり、伏した目を横に流す。それだけで彼がここにいる背景に何らかの理由があると勘繰ってしまう。


「ただ」


 間が開く。呼吸を整え、顔を上げた能間は、伏した目をゆっくりと動かして、一色を捉える。まるで王様に涙を訴える悲劇的な女のようにして言葉を紡ぐ。


「見た人が……の、喉から手を出したく、なるような……」


 違和感。能間は何かに怯えるように目線を下げていく。今までの女らしさとは裏腹に、拙い話し方をしている。


 豊洲川が困惑を深める横で、一色は体勢を動かした。卓上に腕を出し前のめりに座っていたのを、背もたれへと大きく倒した。その様子が気になりからを見れば、黒の双眸が重圧を放っていた。


 呆れ、失望、怒り。眠そうな瞼の開きがその表れのようにさえ見える。まるで気高い狼が下卑た狐を咎めるような目だ。


「そんな役者に……なりたいと思って……」


 緊張。恐怖。見えなかったものが今は見えてくる。場を支配する力とはこういうことなのだろうか。圧倒的強者を前に平伏す他なくなるような強制力。人を見境なく自分の世界の中へ引き込んでしまう力。


 ああ、でもそれは。


 正しく映画と同じじゃないか。


 豊洲川がやはり『えふわん家族』の主演はこの人しかいないと考えている横で、一色は大きくため息を吐いた。


「お前……気持ち悪いな」

「いっ……!」


 反射的に叫ぼうと声が出て、しかしあまりにも唐突で考えられない発言に、空いた口が塞がらなかった。豊洲川の険しい顔もお構いなしに、一色は苦々しい顔で吐き捨てる。


「さっきから、ずっと演じてるだろ。女。上品で儚げで無色透明な女。未亡人のアーキタイプな女だ」

「一色さん」


 ここで止めねばならない。たった数時間の間ではあるが彼と共にしてわかったことがある。一色捨人は頭がおかしいということだ。


「ああわかっている」


 本当にわかっているのか。一色ははいはいと呆れながらもその口を閉ざそうとはしない。


「正直言って、素晴らしいアトモスフィアだ。11歳で魅せられるものじゃない。養成所に通っていただけでは説明できない雰囲気の纏いだ。才能だなこれは」


 わざとらしく褒めた後、まるでそれを免罪符にするかのように言葉を連ね出す。


「で? お前が娘役をやる意味はあるのか?」


 その言葉に空気が冷え込んだのを豊洲川は感じ取った。能間は図星を突かれたように全身の動きを固めてしまい、一方の一色は純真に聞いているのだと言わんばかりにじっと口が開くのを待っている。


 さすがに小学生には荷が重い質問だと助け舟を出す。


「……でも、歌舞伎では男性が女方を演じますし……」

「ああ、そうだな。歌舞伎界では男が女役をする。で、ここは映画界だ。万人が二時間三時間と座り続け、毛穴の先まで見られるビスタサイズの大スクリーンで夢に入り込む世界だ。リアルとリアリティが入り混ざる、古いしきたりも伝統もない世界だ。そんな世界でなぜ女の役を男がやるんだ?」

「例えば……トランスジェンダーだったり……」


 苦し紛れの泥舟に一色は目をパチパチと見開いて大袈裟に驚いてみせた。


「わお。すごいな。ユメは養子の異邦人でしかもトランスジェンダーか。後は何を追加する? ヴィーガンでフェミニストで自閉症か?」

「…………」

「環境活動家で地球平面説を信じていて、頭にアルミホイルを巻くか?」


 立場を忘れているのだろうか。彼を殴ってもいいのではなかろうか。

 豊洲川の冷ややかな目も一色は気にすることはなく、苦言を積もらせ続ける。そうしてひとしきり発散したところで一色は真理に顔を向けた。


「いいか? 能間真理。聞けよ。正直なところ、お前が女になりたいなんて欲張りな人間じゃなくてホッとしている」

「欲張り?」


 不意に出てきた言葉につい反応してしまう。トランスジェンダー、性的マイノリティ。一種の病に似たものをどうして欲張りと言うのか単純に疑問を持ったのだ。一色は話の腰を折るなと呆れた目を見せた。


「……今、そんなところに引っ掛かるなよ。異性になりたいなんて俺は思わない。俺よりも一つ欲があるなんて欲張り以外の何物でもないだろ」


 豊洲川が煮え切らない納得を示すのも無視して一色は「で」と強引に話を戻す。


「観客が喉から手を出すほどの俳優になりたい? 結構じゃねぇか。気に入った。手どころか全身を出させて、抱きつかせるほどの魅力ある俳優になればいい」

「……あ、ありがとうございます」


 そう豪快に笑った一色に、能間は気恥ずかしそうに笑った。


「それに演技力はそこそこだが、ムードがいい。魅せ方。纏う雰囲気。その格好も男のくせにかなりの美人だ」


 一色の言葉に豊洲川も頷く。あれだけ無礼千万を働いていた男が嘘のように人を褒めている。


 一色捨人。たとえ腐っても彼は日本映画界を代表する巨匠なのだ。そんな彼に褒められて喜ばない役者は少ないだろう。


 豊洲川はどこか微笑ましい光景に安堵しつつも、どこかで一抹の不安を抱えていた。


「演技力はそこそこだが、ムードがいい。アトモスフィア。魅せ方。纏う雰囲気。その格好も男のくせにかなりの美人だ」


 一色の言葉に豊洲川も頷く。あれだけ無礼千万を働いていた男が嘘のように人を褒めている。


「まだ子どもだからな。男女差による大きな違いはない。女と言われて見抜ける観客は少ないだろう」


 まるで大地震前の束の間の休息のような平和。ここで終わってくれればいいものを。


「不合格だ」

「……え?」

「不合格。聞いていなかったのか?」


 一色は手元の資料の角を整えるために机にトントンと打ちつける。まるでもはや能間には興味を失ったかのように淡々とした様子には、背筋が凍るような嫌な感覚を覚える。


「……え、っと、待ってください。……あの、なんで」


 その言葉に手を止める。


「なんで。なんで? なんで?」


 光のない黒の瞳が動く。そしてこれまた大きくため息がついて出る。所詮は小学生なのだと言っているような。


「もう一度言えばわかるのか? 女の役は女がする。お前を使う意味はない」


 それを聞き能間は全てを察したように口を噤んだ。豊洲川もなんとかフォローができないかとオロオロと顔を動かし彼らを交互に見るが何もできないことを悟る。


 せめて、彼の演技だけでも見てあげれば、そう言いたくなったが、そんなお情けのような機会は返って人を傷つけるだけと知っている。

 後は能間を見送ること以外には何もできない。せめて笑顔でと精一杯の笑みを作った。激励の笑みだ。


「以上。通知は後日」

「…………はい。失礼しました」


 それでも能間は俯いたままでより一層、その見た目に合う儚げさを纏い会議室を後にした。


「一色さん。もう少し思いやりを持ってください」


 扉が完全に閉まり、外の気配がなくなった頃に豊洲川はため息を吐いた。


「言ってることは正しいのに。伝え方がアレだと。そんなんだから……」


 そこまで言ってハッとした表情を浮かべるとすいませんと謝った。そんなんだから、人を死に追いやるのだ。言ってはいけないと理解していても、一色捨人の言動には問題が多すぎる。豊洲川はその不満を払うために一度深呼吸をした。

 一色はといえば特に反応を見せることはなく、午後の予定を確認している。


「午後も別役のオーディションだったな」

「はい。人数はほぼ同じですけど」


 大手のプロダクションでもないウチは大々的に公募したところで怪しいといって無視される。実績もなく上映館数も少なく、出演者の次に繋がるかもわからない。


 それ故にオーディションに来てくれた役者たちには良い気分で帰って欲しいのに。


 一色はそんな思いもつゆ知らず、重ねた資料の一番上を無表情にじっと見るばかりだった。


「能間真理」


 彼はその名を反芻すると、同じく片付けを始めた豊洲川に向き直る。


「豊洲川」

「何です?」

「一つ、頼みがあるんだが」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ