終章
短いアマモが生い茂る草原で、ジーノとマリンは歩いていた。
空は青く澄んでおり、水流は深海ほどではないが冷たい。
マリンの後ろを歩いていると、背を向けたまま話しかけられる。
「こうやって外を歩くのは一ヶ月後ぶり?」
「そうですが、あまりそんな気はしません」
「ちょくちょく外には出てたもんね」
「はい」
『プリンスィピアム』が深海に落ちてから、一ヶ月が経った。
ジーノとリタは『プリンスィピアム』から脱出を果たすと、ドクトルの手を借り『リタ』へと戻った。
その後、助けに来た『マリン』と再会を果たしたが、度重なる命令違反でジーノは即捕まり、『マリン』へと連行された。
牢屋にぶちこまれると、マリンの長い説教と共に禁固三ヶ月を言い渡される。
退屈な牢獄生活、というわけではなく、幽霊鯨が落ちたことや『リタ』について、事情聴取や橋渡し役など、なにかと呼ばれることが多く、外には出ていた。
「いろいろあったけど、リタちゃんの待遇には満足?」
「それは……、ありがとうございます」
ジーノは深々と頭を下げた。
世間の目から『リタ』は、幽霊鯨に襲われていた迷子の鯨となっており、『マリン』がそれを助けたということになっている。
幽霊鯨を撃沈させたのも、『リタ』ではなく『マリン』だ。
これは『リタ』を幽霊鯨から引き離すためで、現在もゾンビを乗せている『リタ』にとって、第二の幽霊鯨と誤解され兼ねないからだ。
事情を知る『マリン』は自分が救出した鯨として最後まで面倒を見ることを決めており、『リタ』を自分の保護下に置いていた。
これにより、領土を欲するさまざまな勢力から『リタ』を守っている。
「今さら、お礼なんて要らない。ジーノを『私』に乗せた時から、覚悟は決めていた。最後まで付き合うよ」
「ありがとうございます」
再度、ジーノは頭を下げた。
「それにしても、リタちゃんには驚かされたね。海賊を乗せたいって言うなんて。幽霊鯨であった出来事が原因とはいえ、思うところはあるよ」
「そう、ですね」
ジーノは目を反らした。
今回起こった一連の出来事は、マリンにのみ全て話している。
ここまで付き合わせておいて、説明なしとはいかなかった。
それにマリンが鯨である以上、鯨の慈愛がある。幽霊鯨の正体を知ってもなお、悲劇を繰り返すことはないだろうと。
海賊を乗せることに関しては、リタの強い希望で決まった。
『リタ』と『マリン』では、なんども協議が行われており、リタの意見は最初から最後まで変わることがなかった。
そして、反対を押し切って決定した。
ただ、ならず者の海賊を誰これ構わず乗せるわけにはいかず、マリンは海賊を乗せる上で、手続きや面接を厳正に行うことを条件にリタに同意させた。
「ジーノは不満?」
「そういうわけじゃないですが、ただ、引っ張られてるなと思いまして」
「そうね。でも、しかたないのかもしれない。私達は鯨だから」
マリンは遠くを見つめる。
「一般的には危ないことだとわかっていても、人の願いというのは聞き入れてあげたいの。その気持ちはわかる。私達の宿命なのかもしれないね。……だから、ある程度のことは『私』が引き受ける。そこからはリタちゃん次第かな」
「……はい」
面接の手続きや窓口も、『マリン』が準備することになっている。
本当に『リタ』は『マリン』に頭が上がらない。
マリンは手を叩いた。
「さて、真面目な話はここでおしまい。今から式典なんだから。リタちゃんに笑顔でお別れを言わないとね」
ジーノは身に纏っている『マリン』の軍服を掴んだ。
今日は『リタ』が深海に戻る日で、ジーノはリタを見送るために仮釈放されている。
正装がえらくきつく感じた。
「本当に戻るんですね」
「だって、その方がいろいろと都合がいいの」
マリンの瑠璃色のツインテールが歩くのに合わせて左右に揺れる。
『リタ』はクラゲ達を深海に帰すためと、『リタ』自身の安全のために深海に戻ることが決まっている。
『リタ』を狙う海賊や鯨は、そう簡単に境界を渡れない。
人を乗せてない『リタ』は、自分の都合で深海と浅海を行き来でき、深海は『リタ』にとって一番安全な隠れ家だった。
「リタちゃんもいっぱい考える時間が必要だと思うんだよね。今日までずっと慌ただしかったし、ドクトルくんとも、ゆっくり話をしてほしい。これからについてをね」
「そうですね」
ジーノは視線を落とした。
二人は式典会場に向かって歩いていく。
幾ばくかの時間、無言で歩いていると、急にジーノが足を止めた。
「マリン様」
「何」
「話があります」
マリンはくるりとセーラー服のリボンを揺らして振り返る。
その顔は、待ちくたびれたと書いてあるようだった。
「言うのが遅い」
「すいません」
「いいよ。そのために連れてきたんだし」
マリンは小さくとも大きな胸に手を当てた。
「私、マリンが、話を聞こう」
***
式典は並んで泳ぐ『マリン』と『リタ』のヒレの端で行われていた。
式典とは言っても、『リタ』には幽霊鯨を作り出す要因となったクラゲが乗っている以上、大々的に行うことはできず、最低限の関係者だけを招いた小さなものだった。
『マリン』からは、政府関係者や海鯨隊数名いるが、『リタ』からはリタとクララだけだった。
ジーノが『マリン』側で式典を見守っていると、自分の名前が呼ばれ、前に出た。
寂しそうな顔でローブ姿のリタが見つめてくる。
「ジーノ、今まで、ありがとう」
「こちらこそ、ありがとうございます」
「その敬語やめて、気持ち悪い」
ジーノは心にダメージを負いつつ、小声で言う。
「公的な場だから、俺も立場があるんだ」
「いいよ、ジーノ。見世物じゃないし、リタちゃんも望んでるみたい。私が許す。これでいい」
「ありがとうございます」
ジーノはマリンに頭を下げると、軽く咳払いしてリタに向き直る。
「これでいいか」
「うん」
リタは嬉しそうにジーノの手を取った。
「やっぱり、ジーノはこうじゃなきゃ」
「俺にどんなイメージを持ってるんだ」
「いつも通りだよ。ジーノはジーノ」
リタはジーノに笑いかける。
「最近、ジーノとちゃんと話せてなかったから、寂しかったんだ」
「何回か面会に来てただろう。それに協議でたまに顔を合わせていた」
「あんなの全然足りない。今日もゆっくり話したかった。でも、いろいろあって、難しいみたい。だから、ちゃんとさよならだけは言わせてね。……じゃあね、ジーノ、元気でね」
リタがしっかりジーノに顔を合わせて、笑顔で別れを告げると、ジーノはおもむろに眉を潜めた。
「さよならって、何言っているだ」
リタは笑う。
「だって、ジーノはマリンちゃんの海鯨隊でしょ。マリンちゃんに帰らなきゃ」
「海鯨隊なら、さっきクビになったぞ」
「え!?、なんで」
リタはあまりの急展開に目を丸くする。
「度重なる命令違反で、マリン様が遂にキレた。ま、日頃の悪行が祟ったな」
「そ、そうなんだ。でもでも、ジーノはまだ刑期が残ってなかった?」
「海鯨隊じゃなくなったから、刑期もなくなった。ラッキーだな」
「そ、そうなの」
リタは愕然とジーノを見上げる。
ジーノはリタの手を離すと『マリン』から『リタ』に渡る。
「ただ、反省しろって言われて、新しい仕事を頼まれたんだ。本当に人使いが荒い」
ジーノはリタに向かって敬礼した。
「本日付けで『リタ』の特命全権大使に任命されたジーノ・トゥレイスだ。『マリン』代表として、リタに常駐する。……また、よろしくな。リタ様」
ジーノが笑うと、リタは固まってしまった。
驚かせすぎたかとジーノが考えていると、急にぽろぽろと涙がリタの頬を伝った。
「っ!?泣くなよ」
まさか泣かれるとは思っていなかったジーノは慌てるが、時既に遅く、リタは大声で泣き出してしまう。
なんとか慰めようとしたが、ジーノが動くよりも先に、リタがジーノに抱きついた。
今まで我慢していた感情を吐き出すようにぎゅっと抱き締める。
「おい、リタ、」
ジーノは式典中ということもあって、リタを止めようとしたが、リタの言葉を聞いているうちにだんだんできなくなっていく。
「やっと、会えたのに、また会えなくなるって思って。でも、ジーノにはジーノの居場所があって。……私、今日は笑顔でジーノにさよならしようと思ってたのに、どうしてジーノはさせてくれないの」
「さよならって、永久の別れじゃないんだ。もっと気楽にいろよ」
「私は寂しかったもん」
リタは目元を真っ赤にしながら、答えた。
ジーノはリタの頭を撫でる。
「わかったわかった。俺がついていくから、もう泣くなって」
「嫌」
リタは顔をジーノのお腹に押し付けた。
「ったく」
ジーノはリタをひょいと抱き上げる。
「すまないが、式典はこれ以上、無理そうだ」
「だめにしたのジーノでしょ。なんとかしなさい」
「俺のせいじゃないと思いますが。マリン様」
後ろに控えていたクララが寄ってくる。
「いいえ、ジーノさんのせいです。リタ様はジーノさんとわかれるのをずっと寂しがっていました。交渉だってしたことないのに今日までよく頑張りました」
「それは……、悪かったな」
ジーノはリタの背中を撫でると、リタは首を振る。
「だいたい、ジーノがもっと早く言っておけば、リタちゃんが泣くことはなかったのに」
「俺は捕まってましたし、言う機会がなかったと思いますが」
「私と会う機会は何度もあった。なんでその時に言わないの」
「その時はまだ」
ジーノが言い訳を考えていると急にリタのヒレが上へ動きだした。
「わ、ちょっ、リタ!」
ジーノがバランスを崩し尻餅をつくと、そのまま、傾斜で『リタ』へと落ちていく。
「まだ、式典は終わってない。止まれって」
「いやあ」
リタは泣きながらも嬉しそうに、ジーノに抱きついた。
下から声が聞こえてくる。
「リタちゃん。ジーノをお願いね。馬車馬のようにこき使っていいからね」
「うん。ありがとう」
「なんだよそれ」
ジーノを無視し、リタはマリンに手を振ると、大きく息を吸い込んだ。
そして、今の気持ちを表すように海鯨歌を歌い始めた。
それはとても嬉しそうな歌声で、聞いている人も思わず笑顔になってしまうような歌だった。
けれども、ジーノはそれどころじゃなかった。
「待て待て待て待て。こんなところで境界に入ったら俺達、振り落とされないか」
青ざめていくジーノとは反対に、リタは幸せそうに海鯨歌を歌っている。
ジーノが焦っているといつの間にか一隻の潜水艦がやって来て、ジーノとリタを乗せた。
中には、クララと先生が乗っており、先生に睨まれたのは言うまでもない。
再びジーノを乗せた『リタ』は、踊るように体を一回転させ、そのままバブルリングを吐くと、境界の中に入っていった。
『リタ』が境界の中に消えると、浅海は何事もなかったかのように静かになる。
まるでリタがジーノをさらったかのようだった。
マリンは嵐のように慌ただしい二人を見送ると、集まった民達に語りかけた。
「さて、私達は面接募集の準備を始めようか。これからの、新しい時代のために」
『幽霊鯨へようこそ』はこれにて完結になります。
長い間お疲れ様でした。
本物語を読んでいただき、ありがとうございます。
明日、別枠を17時に設けまして、あとがきの投稿しようと考えております。
あとがきの投稿を持ちまして完結処理させていただきます。
改めまして
本物語を読んでいただきありがとうございました。




