第二節
ホログラムが再び起動し、研究室の景色が変わる。
机と椅子が映し出され、ジーノとリタはそこに座らされた。
対面にはトゥレイスが座っている。
白い椅子に白い机。机の端にはチェス盤がおいてあり、後ろの棚から、コーヒーの匂いが香る。
まるで、フランシスのカウンセリングの部屋のようだった。
「リタ君は、君はミルクでいいかい」
「うん」
「ジーノ君は、君はずいぶん大きくなったね。今はカフェオレじゃなく、ブラックの方がいいかい」
「ああ。それで……お願いします」
「好きにしてくれていいよ」
ジーノの定まらない口調に、トゥレイスは笑う。
トゥレイスがコーヒーを入れるため、席を立ちお湯を沸かす。
現実世界の蛇口があった場所とは違うところから、水を入れていた。
本当にどうなっているのかわからない。
トゥレイスが後ろを向いている隙に、ジーノはリタに小声で問いかけた。
「なあ、ドクトル。あいつ、本体か。生きてるように見えるんだけど」
「僕もそう思うって」
「プリンスィピアム様じゃなくて、あいつが本体なのか」
「おそらく」
「どうなってるんだ」
「わからないって」
「ドクトル君。君も普通に話していいよ。君と会ったことはないが、存在は知ってるんだ」
トゥレイスが答えるとリタが慌て立ち上がる。
「あの、ごめんなさい。トゥレイスさん、ドクトルすごい怒ってるみたいで」
「それは当然だろう。私は君達にひどいことをした。すまない」
リタはしばらく立ったまま口を閉じていたが、ドクトルの対話が終わったのか再び席についた。
「トゥレイスさんはドクトルのクローンなの」
「いいや、違う。ただの毒だ」
「毒?」
「そう。毒だ。創造主がドクトル君の毒をもとに作り上げた毒だ。生き物ではない。ただの成分だ」
「じゃあなんで、先生のように話すんだ。俺達を騙そうとしている……わけじゃなさそうだし」
「私が創造主のように話すのは、私が創造主の記憶を最初に見たからだ。その記憶が定着し、そのまま人格のように現れている」
「毒に心はない……ってわ、わ、ドクトル失礼だよ」
「その通りだな」
トゥレイスは沸かしたお湯を入れる。
「ドクトル君。君はどうしているかわからないが、人と繋がると、その人の記憶を見ることができるだろう」
「そんなめんどくさいこと、わざわざしないって」
リタは申し訳なさそうに縮こまる。
「リタ君、君が責任を感じる必要はない」
「そうだけど、ごめんなさい」
「まあ、鯨だから仕方ないか。素直に受け取っておこう。さて、論点を戻すと、人に私(毒)を入れれば、私はその人の記憶を見ることができる。私はより、人を支配するために、人の全てを知ろうとした。私に繋がっている人の記憶は全て知っているよ」
トゥレイスはコーヒー二杯とミルク一杯を持って、席につき、ジーノとリタにそれぞれ渡す。
「そして私は、いつしか人が心と言うものをわかるようになっていた」
トゥレイスは静かに笑みを作った。
それはどこか憂いているようで、死んだ人にはない、感情の揺らめきのようなものを感じた。
「それで、懺悔……反省しに来たのって」
リタはドクトルの言葉を言い換えながら問いかける。
「そうとも言えるし、そうではないといえる。私は創造主(本人)ではないんだ。懺悔はできない。ただ、創造主の本当の願いを叶えるためには、君の言う懺悔が必要になると考えたのかもしれない」
「?、どういうこと」
「創造主が私に与えた命令は、鯨に蔓延る人間を全て殲滅することだ」
「な」
あまりの過激な思考に、ジーノもリタも大きく目を開いた。
「なんで、そうなるんだ。先生がそんなことするとは思えない」
「プリンスィピアム様がすでに亡くなったんだ。洗脳され、君達の言うゾンビになっていた」
「なんで」
「永遠の領土。彼らはそう言った」
トゥレイスはコーヒーをすすると、水面に映る自分の姿を見ながら言った。
「もともと『プリンスィピアム』で行われていた研究は領土問題が始まりだ。鯨同士が絡む外交による出産は、時間がかかり、新たな領土が生まれない。日に日に鯨に乗り切れなくなった人が増えた。創造主とプリンスィピアム様はそれを憂い、ある計画を立てた」
「それが鯨と人のハーフを作り出す研究だというのか」
「そう。ジーノ君。君が生まれるきっかけとなった研究だ。君は人と鯨の間に生まれた初めての生命だ」
「ふざけんな」
「まだ、怒ってるのかい」
「当然だろ」
「私はそんなに怒る必要はないと思っている。生まれるということはとても喜ばしいことだ」
「違う。俺が言いたいのは……」
喉まで出かかっていた言葉が、トゥレイスの顔を見た瞬間、出て来なかった。
「いい。なんでもない」
「聞いておくことを勧める。私が答えられるなら、代わりに答えよう」
「お前は先生の記憶を持ってるが先生ではない。だからいい」
トゥレイスは申し訳なさそうに頭を下げた。
「そうか。ならば、すまなかったとだけ言っておこう。創造主なら、きっとこう言うだろう」
「何も言うな。さっさと続きを話せ」
「わかった。ただ、一つだけ言わせてほしい。これは私の意思として言おう」
トゥレイスはジーノに向き直った。
「君の誕生を創造主もプリンスィピアム様も素直に喜んでいた」
ジーノの持つマグカップの水面が一瞬震えた。
「……お気楽なことだな」
ジーノはコーヒーをすすると、トゥレイスは何事もなかったかのように続きを話し始めた。
「鯨と人の間にジーノ君は誕生した。けれども、ジーノ君は生物学的に完璧に人間だっだ。当初目的であった鯨の体は持っていない。悩んだ創造主とプリンスィピアム様は事情を知る海鯨隊にジーノ君を預けた。創造主とプリンスィピアム様の関係を隠すために」
ジーノは何も言わず、静かにトゥレイスの話を聞いていた。
トゥレイスは続ける。
「次に生まれたのは言うまでもないね」
「私ってこと」
「そう、リタ君、君だ。君も鯨の人間のハーフだ」
「そう、だったんだ。……私が全身麻痺で生まれたなのも、これのせい」
「おそらくそうだろう。詳しいことは未だにわからず仕舞いだった。すまない」
「そっか。……私のお父さんもフランシス先生なの」
「それは、少し難しい。ジーノくんの誕生を経て、創造主はDNAにかなり改良を加えた。鯨の体が産まれてくるように。もととなった精子と卵子は確かに二人のものだが、全く違うと言ってもいいだろう。いうならば、遠い親戚というところかもしれない」
「そうなんだね。なんだか、ちょっと、寂しいかも」
「心配する必要はない。創造主もプリンスィピアム様もリタ君のことも愛していた」
「うん。わかってる」
リタはミルクが入ってるマグカップを両手で大切そうに持った。
「このハーフ計画はリタ君が最初に深海に落ちたところで、凍結した。リタ君の全身麻痺の原因を解決するまでは、するもんじゃないってね」
「解決しなくても、するな」
「それは創造主とプリンスィピアム様に言ってくれ。私は記憶を語っているに過ぎない」
ジーノはため息を漏らす。
「それで、ドクトルが見つかって、一気に変わったって言うのか」
「察しがいいね。自分で調べたのかい」
「ま、そういうことにしといてくれ」
ジーノは昔は飲めなかったブラックコーヒーを飲んだ。苦味が舌全体に広がる。
「ドクトル君が見つかって全てが変わった。何せ、全て思いのままに操れる毒が発見されたのだから」
「クラゲの毒はそんなに万能ではないって」
「万能ではなくても、使いようはいくらでもあるよ。そのために研究をするのだから。……最初はリタ君のような鯨を動かすための研究だった。しかし、研究はどんどん違うものに変わっていった。限界に達したリタ君は再び深海に落ちた」
トゥレイスもブラックコーヒーをすすった。
「同日、創造主は昔使っていたルートを使い、プリンスィピアム様に直訴しに行った。しかし、プリンスィピアム様は既に亡くなっていたんだ」
ジーノは苦い顔をする。
リタはあまりのショックな出来事に口を覆った。
「この時点で、すでにプリンスィピアム様はゾンビだったのか」
「そうだ。プリンスィピアム様は人の意のままに動くゾンビになっていた。鯨の体制は、鯨を通せばだいたいのものが通る。これを利用し、リタ君に非人道的な実験を通していたんだ」
ジーノはさらに顔をしかめた。
「創造主は激怒した。しかし、プリンスィピアム様を味方にした時点で、彼らの勝ちない。だから、創造主は自らに私を刺した。人から鯨を守るために」
「そうして、『プリンスィピアム』全員がゾンビ化した。これが、事の顛末か」
「そうだ」
「本当に笑えないな」
「私もそう思うよ」
ジーノはあまりのやるせなさに、怒る気にもなれなかった。
どうして、こうなってしまったんだろ。それだけが胸の中を締め括っていた。
鯨を守りたい。やり方は違えど、本質はドクトルと変わらない。
「こんなことを話すために、お前はわざわざ俺達を呼んだのか」
「そうだ。知る権利はあると思うし、君達に知ってもらうことが創造主とプリンスィピアム様の願いだと私は考えた」
「こんなこと知ったところで何一ついいことないぞ」
「そうだな。なら、これは私のエゴだ。君達に知って欲しかった」
「良い迷惑だ」
「すまない」
トゥレイスは笑いながら、残り少ないコーヒーをすすった。
「さて、私が話したかったことは以上だ。君達から聞きいておきたいことはあるかね。なんでも答えよう」
「ねえよ」
ジーノが投げやりに答えると、トゥレイスは残ったコーヒーを飲みきった。
「そうか。わかった」
トゥレイスが片手を挙げる。
すると、机の隣にワゴンが運ばれてきた。
身長が低く見えなかったが、プリンスィピアムが運んで来たようだった。
ワゴンの上にはシルバーのハンドガン一丁と弾が一発、置いてある。
「これは」
「私を殺す毒だ。創造主の知識を持って私が作った」
「へー」
ジーノは興味深そうにハンドガンを見ていると、だんだん嫌な気分になってくる。
思わず、ハンドガンから目を反らすと、トゥレイスと目があった。
その瞬間、ジーノは全てを悟った。
震えるジーノの目を前にトゥレイスはハンドガンをとった。
「ジーノ君。君が来てくれて本当によかった。君が来なかったら、幽霊鯨の被害はもっと増えていただろう」
ジーノの不安とは他所にトゥレイスはどこか穏やかだった。
「それ以上しゃべるな」
「すまない。それはできない。私はこの時をずっと待っていた。創造主の本当の願いを叶えるために。ひととくじら。それが君達の関係だろ。その世界に私は不要だ」
トゥレイスはこの世界にいることを惜しむように最後の景色を眺めた。
「それがわかる程度には人の記憶を見てきた。幽霊鯨は創造主が生んだ一時の感情に過ぎない。創造主を楽にしなければ」
再び、ジーノに目が向けられる。
その手には銃口をトゥレイスに向けたハンドガンが握られていた。
「ジーノ君、これで、私を撃ってくれ」
「…………え」
反応したのは、リタだった。
ジーノは固まったまま動かない。
トゥレイスは語る。
「君は人と鯨の間に生まれた。人であり、鯨でもあるんだ。故に私(幽霊鯨)を無抵抗で撃てる」
ジーノはハンドガンを受け取ろうとするとリタがジーノの前に立ちはだかった。
両手を広げ、ジーノを止めようとする。
「だめだよ、ジーノ。トゥレイスさんはジーノのお父さんなんだよ」
「あれは俺の父親ではない」
「そうかもしれないけど。先生であることには変わりないと思うから」
「ここで殺さないと、幽霊鯨の被害は増える」
「でも、話せるなら、何か方法があると思うよ」
「あったとしても、無理だ。幽霊鯨は何人、何頭の鯨を沈めてきたと思っている」
「ジーノのバカ!!」
リタはハンドガンを奪って、部屋の端まで走った。
ジーノはハンドガンを取り戻そうと、立ち上がる。
「リタ」
リタは激しく体を振った。
「私は、ジーノに撃たせたくないの。だって、お父さんでしょ。おかしいよ」
「そんなこと。考えてたのか」
大粒の涙が、リタの頬を伝っていた。
「いいよ。貸せよ、俺は平気だから」
「嫌」
リタはハンドガンを抱えしゃがみこんだ。
絶対に渡さない。そんな意志を感じられる。
ジーノはリタから、ハンドガンを取ろうと手を伸ばすが、リタが背を向け拒否し続ける。
力ずくで奪い取ることは簡単にできるだろう。
けれども、ジーノはしなかった。
代わりにジーノは初めて、リタに低い声で話しかけた。
「なら、リタ。お前がやるか」
「っ!!それは……」
リタの体が震える。リタはジーノの顔が見れなかった。
「酷いことを聞いたのは謝る。ただ、これが現実だ。リタは鯨の慈愛が邪魔をする。だから、これは俺の仕事だ」
ジーノはリタの抱えていたハンドガンを引っ張った。先ほどとは違い、簡単に奪うことができる。
リタに背を向け、銃弾が残るワゴンに向かって歩いていく。
「待たせたな」
「私も無理を言ってすまない」
「いい。わかってる」
ジーノはワゴンの弾を手に取ると、ハンドガンに弾を込めた。
「待って、違う、私だってできるもん。ドクトル、私の体を奪って、ジーノの代わりに先生を撃って!」
リタの体は動かない。
「ねえ、ドクトル、お願い。ジーノに撃たせたくないの。だから、お願い」
リタはドクトルに語りかけるが、体が一向に動く様子はない。
むしろ、リタはジーノに手を伸ばしているが、足が全く動いていなかった。
「ねえ、ドクトル、なんで止めるの。ジーノを止めないと。お父さんを撃つなんておかしいよ」
「リタ、こいつは俺の父親ではない。ただの毒だ」
ジーノは、トゥレイスに銃口を突きつけた。
トゥレイスは仄かに笑っていた。
「待って、こんなのおかしい。ジーノがやる必要ない。ドクトルが止めるっていうなら、私がやる。私だって頑張れば動けるんだから」
リタは泣きわめくが、全身麻痺の体がドクトルの命令なしで動くはずない。
「やめて、ジーノっ!!!」
「さようなら、先生」
パーンと乾いた音がなった。
トゥレイスは脳天を撃たれ、ゆっくりと倒れていく。
その顔は、どこか清々しく、優しくジーノを見つめていた。
倒れ行く中で、瞳から光が消えていく。
光を完全に失ったとき、トゥレイスが死んだのを悟った。
「あああああああああっ!!!!」
リタの絶叫が響く。動かなかった足が動き出し、ジーノのお腹を両手で叩き始めた。
「なんで、なんで、なんで、殺したの」
「あれが幽霊鯨だからだ」
「そうだとしても、殺す必要なんて」
ジーノはリタの手を取ると、急いでエレベーターに駆け乗る。
近くで主を無くし、泡となり消えかけているプリンスィピアムがジーノの銃を持って倒れていた。
用意周到過ぎて反吐が出る。
ジーノはプリンスィピアムの手をエレベーターに押し当て、生体認証を通す。
「急ぐぞ、幽霊鯨は時期に深海へ沈む。その前にさっさと出るぞ」
「嫌、嫌だよ。せめて、遺品だけでも持っていこうよ」
「無理だ。諦めろ。これは誰も知らなくていい」
「そんなことないっ」
リタはジーノの手を振り払おうとしたが、ジーノの目を見て、リタは止まってしまった。
ジーノの目は、エレベーターが閉まるまで、トゥレイスに向いていた。
扉が閉まる瞬間、ジーノは一時の夢を見る。
「先生はどうしていつも、そんなに楽しそうなんですか」
「そりゃあ、もちろん。ジーノ君。私は君と話すことが私にとって黄金だからだよ」
「黄金? なんですかそれ」
「価値があるもの、とでも言っておこうか」
「へー」
「なんだい。ずいぶん関心がなさそうだね」
「わかりませんし」
「じゃあ、ジーノ君。君にも黄金を見せてあげよう。ジーノ君。振り返ったときに、君の後ろに何が見えるかい」
「壁です。先生」
「あはは、そうだね。でも、ここで私が言いたいのは、君の過去だ」
「過去ですか。海鯨隊のみんなじゃないですか。……というか、俺はそれ以外、知りません」
フランシスは、ほっとした顔で笑みを浮かべた。
「なら、それが君の黄金だ」
「え」
「ジーノ君、君が歩いてきた道は、確かに人とは違ったかもしれない。けれども、君が築いてきたものは確かにそこにある。君はとっくに『プリンスィピアム』や『リタ』の民だよ。なにせ、私もそう思ってるからね」
先生はウインクをした。
「何ですか、先生。都合よすぎじゃないですか」
「ああ、そうだね。でも、意外と世界はそんなものだ」
「先生って本当にカウンセラーの資格あるんですか。本当に適当ですね。適当で、本当に適当すぎて、……しょうもないですね」
エレベーターの扉は閉まる。
「さようなら、先生。あなたと歩いた道は確かに黄金でした」
プリンスィピアムの交流器官が泡となり、完全に消える。
ジーノは残った銃を拾い上げると、背にかけた。
エレベーターは上がっていく。
ジーノとリタ、二人を乗せて。




