第一節
ホログラムに映るおかえりなさいという文字にジーノもリタも愕然としていた。
「どういうことだ」
ジーノの問いかけに、プリンスィピアムは答えない。
死んだ肉体は動くことはなかった。
プリンスィピアムは踵を返すと、歩いていく。
周囲のゾンビ達が、廊下の端により、ジーノとリタの通る道を作った。
プリンスィピアムは背を向けたまま、歩いていく。
まるで、舞踏会にでも招待されているかのようだった。
ジーノが動けずにいると、リタが袖を引っ張った。
「行ってみよう」
理性がおかしいと、語りかける。
けれども、遠くなっていく足音を追わずにはいられなかった。
途中で何人かのゾンビとすれ違ったが、誰一人として、二人を襲わなかった。
外では激しい爆発音が響いているのにも関わらず。
プリンスィピアムを追って着いた場所は図書室だった。
プリンスィピアムは、図書室の端の本棚の前で止まるといくつかの本を動かす。
すると、プリンスィピアムが落ちた。
「「え」」
ジーノとリタが慌ててプリンスィピアムが落ちた床を見る。
一見、ただの床に見えたが、触ってみるとホログラムであることに気づいた。
顔を除かせ、下の様子を見てみると、空間があり、プリンスィピアムが泳いで降りていた。
ジーノとリタは、不思議に思いつつも、床へ飛び込んだ。
まっすぐと続く、細くじっとりとした通路。
どこか不安に思いながらも、底までたどりつくと、真っ白な扉の前で、プリンスィピアムが待っていた。
二人が到着すると、プリンスィピアムが扉を開く。
中を見て、ジーノもリタも目を疑った。
真っ白な壁に、真っ白な天井。真っ白な机や椅子がおいてあり、配置は病院の待合室のようだった。
「なんだここ」
「施設みたい」
いろいろ物色するリタとは反対に、ジーノは立ち尽くしていた。
プリンスィピアムにも施設のような場所がある。
その時点で、『プリンスィピアム』でも良からぬことがされていたことはすぐに予想できた。
「呼んでるよ」
「え」
リタの声で、思考が現実へと呼び戻される。
リタの指が指さした場所には、いつの間にかエレベーターに乗ったプリンスィピアムが立っていた。
開いたままで動かず、こちらをずっと見ている。
ジーノとリタが来るのを待ってるようだった。
急に足が固まる。
この先に待っているのはジーノがずっと知りたかった真実なのだろう。
きっとろくでもないことだ。引き返した方がいい。
頭ではわかっている。
けれども、ジーノは迷いを振り払うように重い足を動かした。
「行こう」
自分を鼓舞するように、強く言った。
ジーノは知りたかった。
知る必要があった。
それが『プリンスィピアム』の、自分を拾った民達への、最後の恩返しだと思った。
エレベーターが閉まり、プリンスィピアムが生態認証を通すと、行き先が変わる。
エレベーターは落ちていく。
時間は長い。
エレベーターの到着を待っていると、プリンスィピアムはジーノに手を向けた。
ホログラムが光り、文字が浮かび上がる。
これから、見せるものは、ジーノ君にとって、衝撃的なものになると思う
ジーノは違和感を覚え、眉を潜める。
プリンスィピアムは顔色一つ変えず、手を広げ続けた。
それでも私は見せなければならない
それが、創造主とプリンスィピアム様の願いだと私は思うから
あまりにも急な文脈に、問おうとしたが、エレベーターが到着音と共に止まった。
エレベーターのドアが開き、ぱーんと音が響いた。
それはクラッカーの音だった。
「お誕生日おめでとうジーノ」
笑顔でお祝いの言葉を述べるのは、今と全く姿が変わらないプリンスィピアムだった。
プリンスィピアムはジーノに向かって走ってきたが、すり抜ける。
その瞬間、これは現実ではなく、ホログラムだと知る。
振り返ると、そこにはエレベーターの壁はなく、培養槽やフラスコが並ぶ研究室らしき部屋だった。
白衣を着た若い男、フランシスが小さな赤子を抱いている。
「プリンスィピアム様、毎日、誕生日だと言ってジーノ君に会いに行くのはやめてください。最近、プリンスィピアム様が図書室で消えるって噂になってるんですよ」
「でも、母親が息子の誕生日に会いに行かないのはおかしいと思わない?」
「一日ごとに誕生日と言い張るのはやめてください」
「だって、誕生日って一年に一回だけで寂しいと思わない?一日だって、二日だって、一日記念日、二日記念日で誕生日だよ」
「それが百日続きました」
「あはは、いいじゃない。素敵でしょ」
「本当にやめてください。ばれたらどうするんですか」
そう言いつつ、フランシスは赤子をプリンスィピアムに渡すと、プリンスィピアムは小さな体で赤子を抱き上げた。
「わかってるよ。だから、今日が最後」
プリンスィピアムは、現実のジーノへと振り返る。
「ジーノ、誕生日おめでとう。ん?今日は誕生日じゃない? いいじゃないそんな細かいことは。私はずっとジーノの誕生日をお祝いできないんだろうから。今日まとめて、お祝いしたということにしてほしい。ジーノはいくつになってるかな。もしかして、もうおじいちゃんだったりする? そんなことないか、あはは」
赤子が泣き出した。
「あー、ごめん、ごめん。そんなに悲しかった? まあ、そうだよね。お母さんから祝ってもらえない男の子なんて泣いちゃうよね。でも、安心して。私というお母さんはちゃんといるから。ずっと言えなくてごめんさない。そして、これからも、言えなくてごめんなさい。でも、愛してるよ」
その言葉を最後にホログラムが消え、部屋が明るくなる。
ホログラム上で見えていた景色がそのまま現実になる。
割れた培養槽に、空の薬棚。年期だけ入った部屋がそこにはあった。
夢から覚めたような気分だった。
何も考えられない。
真っ白な頭でいると、こつこつと階段を降りる音が聞こえてきて、上を見上げた。
そこにいたのは、フランシスだった。
「どうして、先生がここに」
「私は創造主ではないよ。ジーノ君」
フランシスと同じ声、同じ口調だった。
「先生でないなら、あなたは誰ですか」
何者かは視線を下げる。
「そうだな。私に名前はない。ただ、それでは呼ぶのに不便だろう。ジーノ君。君には、私と創造主を区別する必要はあると思うから」
何者かは視線をジーノに向けた。瞳孔は開いていない。
「私はトゥレイスと名乗ろうか。創造主のもう一つの名だ」
「トゥレイスだと」
「ジーノのファミリーネーム……」
ジーノもリタも驚きを隠せなかった。
「創造主の名は、フランシス・トゥレイス。正真正銘、君の父親だ。ジーノ君」
うっすらとフランシスは笑みを浮かべた。
「そんなわけないだろ、だって俺は」
「潜水艦から、流れ着いた赤子。そんなこと現実であると思うかい。あったとしても、生きてるわけがない」
「じゃあなぜ、俺に嘘をついた」
ジーノは震えながら、トゥレイスに問いかける。
「明るみにできなかったんだよ。鯨と人のハーフを作り出す研究。それが『プリンスィピアム』で行われていた最初の研究だ。鯨は人にとって信仰深い生き物だからね。反感を買ってしまうだろ」
トゥレイスは仕方なさそうに話す。
「ふざけんなよ、じゃあ、なぜ、俺に会った。研究者としてじゃなく、カウンセラーとして」
「ジーノ、落ち着いて」
リタに腕を捕まれて、一歩前に出ていた足が止まる。
「もちろん、君を観察するためだ。君は人と鯨の間に生まれた初めての生命体だ。様子を見ないわけがないだろ」
「クソ野郎が!!」
ジーノは銃を構えようとしたが、後ろにいたプリンスィピアムに少女とは思えぬものすごい力で両手を押さえられる。
そのまま床に押し倒すと銃は奪われ、遠くに投げられた。
「ジーノ!!」
リタが近づくが、押さえつけているのが、プリンスィピアムということがあり、どうしたらいいかわからないず、お互いを交互に見るだけだった。
「ジーノ君、一度落ち着いてほしい。私はジーノ君とリタ君に危害を加えるつもりはない」
「そんなわけないだろ。お前は幽霊鯨だ」
「幽霊鯨だからだよ。ジーノ君。幽霊鯨は鯨に危害を加えない。それが創造主が私に与えた命令だ」
「は?」
ジーノが顔を上げると、トゥレイスは微笑んだ。
「やっと私の話に耳を傾ける気になったかい」
それはかつてのフランシスと同じ笑顔だった。
プリンスィピアムが退き、ジーノの拘束が解かれる。
プリンスィピアムは投げた銃を拾い上げると、抱きかかえた。
「これはいったん預かっておくよ。武器は人を獰猛にするからね。安心してくれていい。帰るときに返すよ」
その柔らかな目は、本当に争う気などなかった。
「お茶でもしないかい。最後に君達とゆっくり話がしたいんだ」
ジーノもリタも何が起きているかわからず何も答えられなかった。




