第一節
体に感覚が戻ってくる。病室の薬臭い匂いに、シーツの感覚。
目を開けると、クララとコルルが心配そうに顔を覗き込んでいた。
「調子はどうですか、ジーノさん」
ジーノはゆっくり体を起こすと、同時に頭を抱えた。
そのまま、動けなかった。
クララもコルルも声をかけて来なかった。
しばらく黙っていると、一匹の一呼吸が聞こえた。
ジーノは声をかけられる前に口を開いた。
「悪い、嫌な夢を見た」
「嫌なって、それだけには見えないけど」
「俺が嫌な夢って言ったら、それはただの嫌な夢だ。それより、ドクトルの居場所わかった」
「どこですか」
「リタの脳だ」
ジーノは夢の続きを話す。
「俺は浅海から深海に落ちたとき、リタの海鯨歌で助かった。負傷はしたものの大事には至らなかった。治療を受けつつ、リタと話をしたが、話が嚙み合わなかった」
「それはどういうことですか?」
「リタと俺は幼なじみなんだ。ドクトルのことも知っている。けれども、リタは俺のこともドクトルのことも覚えてなかった」
クララもコルルも初知りの情報に驚いていたが、ジーノは構わず続けた。
「俺はおかしいと思った。だから、動けるようになったら、すぐにドクトルに会いにいった。脳に行くと、案の定、あいつはいた」
ジーノは面白くない皮肉でも言うかのように、やるせない声で言った。
「俺はドクトルを問いただした。どうしてリタは全てを忘れているのか。どうして深海にいるのか。そして、あの日何があったかを。けれども、ドクトルは何も答えなかった。代わりにこう言った。リタの壊れる姿をもう見たくない。ドクトルは俺を襲い、俺は記憶を失った。これがことの結末だ」
「なるほど。……なんと言いますか、ドクトルらしいと言いますか。困りました。ジーノさん、ドクトルの目的について心当たりありますか」
「ありすぎるな。細かいことはわからねえが、リタを守りたいんだろ。『リタ』ではリタの洗脳が行われていた。『リタ』が浅海にいたときにはすでにゾンビが存在していた。人が『リタ』に何かをやっていたのは確かだ。浅海に行かせたくないのだろう」
「人と鯨って仲良いじゃないの」
「俺もそうだと思いたかったが、『リタ』を利用したい人間は何人もいたんだ」
ジーノは病室のドアの先にいる施設の先生に向けて言った。
「何にせよ、困りました。ドクトルが話を聞いてくれればいいのですが」
クララが思考を巡らせていると、ジーノが立ち上がった。
「ああ、思い出したら、むかついてきた」
そのまま病室を出ようするので、コルルがジーノを止める。
「ちょっと、待ちなさい。あんた、一回ドクトルに負けてるのよ。もっと慎重になった方がいいわ」
「うるせえ。一発殴ってこないと気が済まねえ」
ジーノはコルルの触手を振り払った。
「あ、ちょっと!」
コルルの制止を無視し、ジーノは病室を出ていった。
***
ジーノは支度を整え、脳へと向かった。
脳へと続く道は狭く、前回同様、途中で潜水艦を降りた。
徒歩で進んでいくと、一週間前に記憶を失った脳の扉の前に来ていた。
フィロゾーマの死体は無くなっている。
ジーノは傷だらけの扉を手で押すと、軋みながらゆっくり開いた。
中に入ると床と壁は扉同様、傷だらけで、傷口から、むき出しの血管が伸びていた。
所々、肉塊のようなものが、まばらに落ちていて、かつてここで何かあったことを物語っている。
「今度は、早かったね。ジーノ」
懐かしい友達の声が落ちてきて、ジーノは上を見上げた。
そこには天井はなく、無数の神経細胞が視界を覆いつくしていた。
時折、神経細胞から流れる光は星のようで、この細胞が生きていることを証明する。
「ドクトル」
その光の終着点にいる一匹のクラゲの名をジーノは呼んだ。
クラゲは神経細胞を傘で飲み込み、触手は全神経細胞へ伸びている。
「君はまた来ると思っていたけど、こんなに早いとは思っていなかった。さすがと言うべきだろうか」
ドクトルは素直に友達の帰還を喜んでるようで、どこか嬉しそうに微笑む。
鯨の神経細胞とクラゲが融合した異形の生命体。
それがドクトルだった。
「ドクトル、なぜ、リタを深海に閉じ込めた。リタが浅海に上れないのは、ドクトルが体を動かさないからだろ」
「そうだね」
「リタは浅海に行きたがっている。いつか人と暮らすために」
「人と鯨。それが君たちの関係。……でも、人間が鯨に害を成す存在となったとき、鯨はどうするの」
「さあ、わからない。俺も初めてのことだ。でも、リタの答えは決まってる。人を許す。そして、浅海を目指す」
ドクトルは一度、口を閉ざした。
「……そう。そうだね。リタなら必ずそう言う。だから、僕はリタを閉じ込めた。……ねえ、ジーノ。例えリタが壊れるとわかっていても君はリタを浅海に連れ出すの?」
「壊れるかどうかは決まってないだろ」
「決まってるよ。君は人間だけど、人間の本当の恐ろしさを知らない。リタは壊れたんだ。そして、深海に落ちた。僕がリタの一部にならないと助からないくらいに」
「……そうか」
ジーノはリタの脳と化したドクトルを再び見上げる。
「それでも、ジーノは浅海を目指すというの」
「もちろん」
記憶の中にある真っ白なサンゴの巨木が目に映った。
ドクトルは深く息を吐く。
「ジーノなら、そう言うと思った。ジーノはいつだってリタの夢を叶えてきた。いつも僕ができないことを平気でやってのけてきた。……でも、でもさ、これはリタの命がかかっているんだ。だから、これは、これだけは、譲れない」
ドクトルは傘を広げた。その瞬間、鼓動するかのように、繋がった全神経細胞が膨らむ。
まるで、大いなるものの逆鱗に触れたかのような威圧感。
これは臆病者のクラゲには考えられない行動、威嚇だった。
「たとえ、ジーノだろうが、僕は絶対に通さない。何百回、何千回、ジーノが思い出せたとしても、僕が止めてみせる。それが間違っていようと構わない。リタは永遠に深海から出させない!!!」
宣言にも似た叫びとともに、壁や床の傷口から球体が出てきた。
「行け」
短い号令と共に、ドクトルが触手を伸ばす。
球体はジーノ目掛けて飛んできた。
ジーノはすぐさま、背中の銃を構え、球体を撃つ。
「なんだ」
球体は弾を受けても、ものともせず、もごもごしながら弾を飲み込んだ。
銃が効かない。そう思ったとき、球体はゆっくりと地面に落ち、液体となって消えた。弾は残らない。
「白血球か」
「そう。今の僕はリタの体の一部なんだ。免疫系くらい使うよ」
「なるほど、俺はバイ菌ってことか」
「僕にとってはそう」
「はっ、そうかよ」
ジーノは皮肉げに笑うと、次々に白血球を射撃した。
弾は通らないが、当たると白血球は弾を吸収し無力化できる。
視界に捕らえた白血球は全て撃っていったが、壁という壁から、白血球は無限に沸いてくる。
切りがないと思い、ジーノは司令塔であるドクトルに銃口を向けた。
けれども、引き金を引くことはできない。
悠々とドクトルがジーノを見下ろしていた。
「クソが」
ジーノは舌打ちをすると、迫っていた白血球を撃った。
ドクトルを撃つことはリタの命を止めることと同じだった。
撃つことはできない。
まずいと思いつつも、目の前の白血球を撃つことに気を取られていると、いつの間にか弾が切れていた。
そのタイミングを待っていたかのように、頭上から、クラーケンのように大きな触手が飛んでくる。
ジーノは反射的に横に飛んだが、ドクトルの狙いは端からジーノではなかった。
触手は腰のマガジンポーチをむしりとると、そのまま神経細胞の中へと消える。
「これがなければ、ジーノは抵抗できないでしょ」
「やってくれるな」
口では威勢を吐きつつも、内心冷や汗をかいていた。
ドクトルの言う通り、銃がなければ、成す術もなくやられるだろう。
銃を撃つ度、命が減る感覚を覚えたが、倒れるつもりはない。
むしろ、勝つためにここに来た。
ジーノはフェイクで、残弾がある状態でマガジンを外した。
案の定、ドクトルが狙ってくる。
ジーノは膝で器用にマガジンを押し込みながら、近づいてきた触手を空いた片手で掴んだ。
「っ!、離せ!」
「嫌だ」
慌てたドクトルは触手を激しく振り、ジーノを振り落とそうとするが、ジーノも負けじと触手を掴み続ける。
そして、触手が一番上まで来たとき、ジーノは手を離した。逆さになりながらも、振り払われた勢いで上へ飛ぶ。
回転する視界の中、軌道上にいる白血球を撃った。
白血球は銃弾を飲み込み、食作用の機能をまっとうする。
食べてる最中の白血球を足場に、ジーノは上へ上へ飛んだ。
ドクトルは急いで、白血球を引かせようとしたようだが、もう遅い。
頭上にあった神経細胞は目の前まで来ていた。
「させない」
ジーノが泳ぎきるよりも先に、神経細胞の塊から触手が伸びてきた。
神経細胞付近ということもあり、銃が使いづらいが、近づいてくるなら、関係ない。
ジーノは銃口を触手に押し当てると、ゼロ距離で引き金を引いた。
乾いた音と共に、触手は千切れる。
たまらず、触手は神経細胞の中に戻っていく。
その隙に、ジーノは神経細胞へたどり着くと、神経細胞と繋がっている触手の上を走った。
触手は神経細胞一つ一つと繋がっており、まるで迷路のようだった。
ジーノは無数の道を越え、中心部にいるドクトルを目指した。
明日、二本投稿いたします。
予定は以下です。
2024年9月9日 17時00分
2024年9月9日 17時10分
よろしくお願いいたします。




