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幽霊鯨へようこそ  作者: 雪国氷花
第四章 愛しき毒
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第一節

 体に感覚が戻ってくる。病室の薬臭い匂いに、シーツの感覚。

 目を開けると、クララとコルルが心配そうに顔を覗き込んでいた。


「調子はどうですか、ジーノさん」


 ジーノはゆっくり体を起こすと、同時に頭を抱えた。

 そのまま、動けなかった。

 クララもコルルも声をかけて来なかった。



 しばらく黙っていると、一匹の一呼吸が聞こえた。

ジーノは声をかけられる前に口を開いた。


「悪い、嫌な夢を見た」

「嫌なって、それだけには見えないけど」

「俺が嫌な夢って言ったら、それはただの嫌な夢だ。それより、ドクトルの居場所わかった」

「どこですか」

「リタの脳だ」


 ジーノは夢の続きを話す。


「俺は浅海から深海に落ちたとき、リタの海鯨歌で助かった。負傷はしたものの大事には至らなかった。治療を受けつつ、リタと話をしたが、話が嚙み合わなかった」

「それはどういうことですか?」

「リタと俺は幼なじみなんだ。ドクトルのことも知っている。けれども、リタは俺のこともドクトルのことも覚えてなかった」


 クララもコルルも初知りの情報に驚いていたが、ジーノは構わず続けた。


「俺はおかしいと思った。だから、動けるようになったら、すぐにドクトルに会いにいった。脳に行くと、案の定、あいつはいた」


 ジーノは面白くない皮肉でも言うかのように、やるせない声で言った。


「俺はドクトルを問いただした。どうしてリタは全てを忘れているのか。どうして深海にいるのか。そして、あの日何があったかを。けれども、ドクトルは何も答えなかった。代わりにこう言った。リタの壊れる姿をもう見たくない。ドクトルは俺を襲い、俺は記憶を失った。これがことの結末だ」

「なるほど。……なんと言いますか、ドクトルらしいと言いますか。困りました。ジーノさん、ドクトルの目的について心当たりありますか」

「ありすぎるな。細かいことはわからねえが、リタを守りたいんだろ。『リタ』ではリタの洗脳が行われていた。『リタ』が浅海にいたときにはすでにゾンビが存在していた。人が『リタ』に何かをやっていたのは確かだ。浅海に行かせたくないのだろう」

「人と鯨って仲良いじゃないの」

「俺もそうだと思いたかったが、『リタ』を利用したい人間は何人もいたんだ」


 ジーノは病室のドアの先にいる施設の先生に向けて言った。


「何にせよ、困りました。ドクトルが話を聞いてくれればいいのですが」


 クララが思考を巡らせていると、ジーノが立ち上がった。


「ああ、思い出したら、むかついてきた」


 そのまま病室を出ようするので、コルルがジーノを止める。


「ちょっと、待ちなさい。あんた、一回ドクトルに負けてるのよ。もっと慎重になった方がいいわ」

「うるせえ。一発殴ってこないと気が済まねえ」


 ジーノはコルルの触手を振り払った。


「あ、ちょっと!」


 コルルの制止を無視し、ジーノは病室を出ていった。


***


 ジーノは支度を整え、脳へと向かった。

 脳へと続く道は狭く、前回同様、途中で潜水艦を降りた。

 徒歩で進んでいくと、一週間前に記憶を失った脳の扉の前に来ていた。

 フィロゾーマの死体は無くなっている。

 ジーノは傷だらけの扉を手で押すと、軋みながらゆっくり開いた。

 中に入ると床と壁は扉同様、傷だらけで、傷口から、むき出しの血管が伸びていた。

 所々、肉塊のようなものが、まばらに落ちていて、かつてここで何かあったことを物語っている。


「今度は、早かったね。ジーノ」


 懐かしい友達の声が落ちてきて、ジーノは上を見上げた。

 そこには天井はなく、無数の神経細胞が視界を覆いつくしていた。

 時折、神経細胞から流れる光は星のようで、この細胞が生きていることを証明する。


「ドクトル」


 その光の終着点にいる一匹のクラゲの名をジーノは呼んだ。

 クラゲは神経細胞を傘で飲み込み、触手は全神経細胞へ伸びている。


「君はまた来ると思っていたけど、こんなに早いとは思っていなかった。さすがと言うべきだろうか」


 ドクトルは素直に友達の帰還を喜んでるようで、どこか嬉しそうに微笑む。

 鯨の神経細胞とクラゲが融合した異形の生命体。

 それがドクトルだった。


「ドクトル、なぜ、リタを深海に閉じ込めた。リタが浅海に上れないのは、ドクトルが体を動かさないからだろ」

「そうだね」

「リタは浅海に行きたがっている。いつか人と暮らすために」

「人と鯨。それが君たちの関係。……でも、人間が鯨に害を成す存在となったとき、鯨はどうするの」

「さあ、わからない。俺も初めてのことだ。でも、リタの答えは決まってる。人を許す。そして、浅海を目指す」


 ドクトルは一度、口を閉ざした。


「……そう。そうだね。リタなら必ずそう言う。だから、僕はリタを閉じ込めた。……ねえ、ジーノ。例えリタが壊れるとわかっていても君はリタを浅海に連れ出すの?」

「壊れるかどうかは決まってないだろ」

「決まってるよ。君は人間だけど、人間の本当の恐ろしさを知らない。リタは壊れたんだ。そして、深海に落ちた。僕がリタの一部にならないと助からないくらいに」

「……そうか」


 ジーノはリタの脳と化したドクトルを再び見上げる。


「それでも、ジーノは浅海を目指すというの」

「もちろん」


 記憶の中にある真っ白なサンゴの巨木が目に映った。

 ドクトルは深く息を吐く。


「ジーノなら、そう言うと思った。ジーノはいつだってリタの夢を叶えてきた。いつも僕ができないことを平気でやってのけてきた。……でも、でもさ、これはリタの命がかかっているんだ。だから、これは、これだけは、譲れない」


 ドクトルは傘を広げた。その瞬間、鼓動するかのように、繋がった全神経細胞が膨らむ。

 まるで、大いなるものの逆鱗に触れたかのような威圧感。

 これは臆病者のクラゲには考えられない行動、威嚇だった。


「たとえ、ジーノだろうが、僕は絶対に通さない。何百回、何千回、ジーノが思い出せたとしても、僕が止めてみせる。それが間違っていようと構わない。リタは永遠に深海から出させない!!!」


 宣言にも似た叫びとともに、壁や床の傷口から球体が出てきた。


「行け」


 短い号令と共に、ドクトルが触手を伸ばす。

 球体はジーノ目掛けて飛んできた。

 ジーノはすぐさま、背中の銃を構え、球体を撃つ。


「なんだ」


 球体は弾を受けても、ものともせず、もごもごしながら弾を飲み込んだ。

 銃が効かない。そう思ったとき、球体はゆっくりと地面に落ち、液体となって消えた。弾は残らない。


「白血球か」

「そう。今の僕はリタの体の一部なんだ。免疫系くらい使うよ」

「なるほど、俺はバイ菌ってことか」

「僕にとってはそう」

「はっ、そうかよ」


 ジーノは皮肉げに笑うと、次々に白血球を射撃した。

 弾は通らないが、当たると白血球は弾を吸収し無力化できる。

 視界に捕らえた白血球は全て撃っていったが、壁という壁から、白血球は無限に沸いてくる。

 切りがないと思い、ジーノは司令塔であるドクトルに銃口を向けた。

 けれども、引き金を引くことはできない。

 悠々とドクトルがジーノを見下ろしていた。


「クソが」


 ジーノは舌打ちをすると、迫っていた白血球を撃った。

 ドクトルを撃つことはリタの命を止めることと同じだった。

 撃つことはできない。

 まずいと思いつつも、目の前の白血球を撃つことに気を取られていると、いつの間にか弾が切れていた。

 そのタイミングを待っていたかのように、頭上から、クラーケンのように大きな触手が飛んでくる。

 ジーノは反射的に横に飛んだが、ドクトルの狙いは端からジーノではなかった。

 触手は腰のマガジンポーチをむしりとると、そのまま神経細胞の中へと消える。


「これがなければ、ジーノは抵抗できないでしょ」

「やってくれるな」


 口では威勢を吐きつつも、内心冷や汗をかいていた。

 ドクトルの言う通り、銃がなければ、成す術もなくやられるだろう。

 銃を撃つ度、命が減る感覚を覚えたが、倒れるつもりはない。

 むしろ、勝つためにここに来た。


 ジーノはフェイクで、残弾がある状態でマガジンを外した。

 案の定、ドクトルが狙ってくる。

 ジーノは膝で器用にマガジンを押し込みながら、近づいてきた触手を空いた片手で掴んだ。


「っ!、離せ!」

「嫌だ」


 慌てたドクトルは触手を激しく振り、ジーノを振り落とそうとするが、ジーノも負けじと触手を掴み続ける。

 そして、触手が一番上まで来たとき、ジーノは手を離した。逆さになりながらも、振り払われた勢いで上へ飛ぶ。

 回転する視界の中、軌道上にいる白血球を撃った。

 白血球は銃弾を飲み込み、食作用の機能をまっとうする。

 食べてる最中の白血球を足場に、ジーノは上へ上へ飛んだ。

 ドクトルは急いで、白血球を引かせようとしたようだが、もう遅い。

 頭上にあった神経細胞は目の前まで来ていた。


「させない」


 ジーノが泳ぎきるよりも先に、神経細胞の塊から触手が伸びてきた。

 神経細胞付近ということもあり、銃が使いづらいが、近づいてくるなら、関係ない。

 ジーノは銃口を触手に押し当てると、ゼロ距離で引き金を引いた。

 乾いた音と共に、触手は千切れる。

 たまらず、触手は神経細胞の中に戻っていく。

 その隙に、ジーノは神経細胞へたどり着くと、神経細胞と繋がっている触手の上を走った。

 触手は神経細胞一つ一つと繋がっており、まるで迷路のようだった。

 ジーノは無数の道を越え、中心部にいるドクトルを目指した。

明日、二本投稿いたします。

予定は以下です。


2024年9月9日 17時00分

2024年9月9日 17時10分


よろしくお願いいたします。

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