木乃伊取りが木乃伊 ~監視対象にまんまと魅了された婚約者に、婚約破棄だと言われたので速攻了承したのに・・・保留ってどういうことですか!?~
「アラベラ・ハンブリング!貴様、俺がチェルシーばかりを寵愛するのが悔しくて、彼女へのいじめを繰り返しているそうだな。下劣な奴め」
王立貴族学園の食堂で、婚約者であるサイラス・フェルトンにそう叫ばれた時、アラベラは白々とした思いでため息を吐き、視線だけで周りを見た。
そこには、好奇に満ちた生徒達の視線に混じって、予定通りアラベラの探す者達もいる。
それは、王家から派遣されている影。
証拠撮影は、問題無いようね。
それにしても、お昼時の食堂でなんて。
これでは、お昼ご飯が食べられないではないの。
「聞いているのか!?アラベラ・ハンブリング!俺がこのような事を言うのは、どうせ、チェルシーの魅了のせいだと思っているのだろうが、違う!俺は、チェルシーの魅力を知ったのだ!貴様など、足元にも及ばない慈悲と深い愛情をな!」
はあ。
ああ、そうですか。
分かりましたから、もうお昼ご飯にしていいですか。
すっかりおさぼり君と化した貴方や、そもそも学園に何しに来ているの、状態で授業に出ない、今貴方が腰に張りつけているご令嬢とは違って、私、とても忙しいのですけれど。
うんざりと心の中で思うも、アラベラはそれを声にすることはしない。
もし声にしてしまえば、それも記録に残ってしまうのだから。
このような愚痴を王城の広間や研究室、その他色々な場所で幾度も再生されるなど、恥ずかし過ぎてこの先生きていける気がしない。
まあ、尤も。
サイラスは、自業自得とはいえ、既にして幾度もそのような記録を残されているのだが、自分が言ったところで聞きはしない、それに、研究対象となっているらしいから、とアラベラは既に放置している。
因みに『そうか。サイラスは、アラベラ嬢に見限られたか』とは、その事実を知ったサイラスの父、フェルトン公爵の言葉である。
「アラベラ・・・」
サイラスと対峙するアラベラの隣では、親友のエイミー・コール伯爵令嬢が、不安そうな顔でアラベラの手をぎゅっと握ってくれている。
「エイミー、ありがとう」
チェルシーと関わり、サイラスの様子がおかしくなってから、心配しつつ傍に居てくれるエイミーの手を心強く握り返すアラベラの前で、サイラスが不敵な笑みを浮かべた。
「魅了に掛かったのではない。俺は、俺自身が望んでチェルシーと真実の愛を育むと決めたのだ。よって、このような護符など不要だ!」
そう言うと、サイラスは、それ。
魅了に対して、防止、耐性を持たせる効力のある護符を、アラベラの足元に叩きつけた。
途端、見事に粉砕されたそれを見て、サイラスの隣でアラベラを見下すようにして嗤っていたチェルシーが、嬉しそうにサイラスに抱き付く。
「ありがとう!サイラス!あたしもサイラスが大好き!」
「俺もだよ、チェルシー。ずっと一緒にいよう」
「でもぉ、サイラス。婚約者がいるって」
うるうると瞳を潤ませたチェルシーがサイラスを見あげ、次いで恨みがましい目でアラベラを見た。
「心配ない。こんな奴とは、直ぐに婚約破棄をするから」
「ほんとう!?」
「ああ、本当だ」
チェルシーを安心させるよう、その頬を撫で、サイラスはアラベラに向き直った。
「アラベラ・ハンブリング。貴様との婚約は、ここに破棄する」
「分かったわ」
「え?」
胸を張り、揚々と言い切ったサイラスはしかし、アラベラがあっさりとそれを認めた瞬間、その瞳を揺らす。
「分かった、ってアラベラ・・・そんな簡単に・・・」
「簡単ではなかったわね。でも、考える時間はたっぷりあったから」
言いつつ、アラベラはこの一年を思い返す。
長いような、短いような一年だったわね。
『アラベラ。陛下と、宰相である父より、特別任務を仰せつかった』
アラベラが、婚約者であるサイラスにそう告げられたのは、今から一年ほど前、学園最高学年進級を目前に控えた頃だった。
『特別任務、って?サイラス、貴方未だ学生なのに?』
『ああ。任務は監視なのだが、その対象が学園の生徒なのだ』
『え?』
『しかも相手は女生徒で、これから』
『ちょっと待って!そんな機密、私に話ししていいの?』
慌てて制したアラベラに、サイラスはもちろんと頷きを返す。
『この任務を引き受ける条件として、アラベラにすべてを話す許可を貰っている』
『サイラス・・・』
『監視対象は、魅了を操る女生徒。男爵令嬢だが、平民、下位貴族の間で被害が拡大しているにも関わらず、捕縛するには決定的な証拠を掴めないでいるらしい』
『だからってそんな。サイラスが、囮のような真似をさせられるなんて』
心配が高じてサイラスの胸元を掴んだアラベラの髪を、サイラスは優しく撫でた。
『安心しろ。魅了封じの護符も貰った。それに、何より。俺にはアラベラだけだ』
・・・・・なあんて、言っていた時もあったのよね。
確かに、それからチェルシーさんと一緒にいるようになったけど、最初の半年は手紙を良くくれて。
・・・・・懐かしいな。
サイラスの生家であるフェルトン公爵家の使用人が、含み笑いと共に運んでくれた手紙の数々。
それらは、婚約破棄の意志を固めた今も、大切に保存してある。
何というか、捨てられないのよね。
あの、優しかった日々まで捨てることないか、とも思うし。
捨てるのは、今じゃない気もするし。
サイラスの、アラベラを想う文字の連なりを思い返せば、確かに心を通わせた時もあった、とアラベラの心が曇りそうになる。
それでも、その日々は既にして過去だと、アラベルは気丈にサイラスと向き合った。
「そんな・・・アラベラ・・そんな・・・婚約破棄だぞ?・・・本当に?」
「本当にも何も、望んだのはそちらではないの。フェルトン公爵子息」
凛としたアラベラの声に、サイラスの瞳が益々揺れる。
「フェルトン公爵子息?どうして、そんな呼び方・・・そんな・・・だって・・俺達はずっと一緒で・・・俺は、アラベラの黒髪や瞳が好きで・・・なのに・・どうして・・・」
「サイラスさま!?どうしたの!?ちょっとあんた!サイラスさまに何したのよ!」
様子のおかしくなったサイラスの隣で、チェルシーがアラベラを指さし叫ぶ。
『アラベラの黒髪と瞳が好き』か。
よく言ってくれた言葉ね。
過去を懐かしむように回想するアラベラのなかで、かつてのふたりの会話が蘇る。
『アラベラ、俺は君のこの黒髪と瞳が好きだ』
『ふうん?』
『あああ、いや、もちろんそれだけじゃない!きれいに揃えられている桃色の爪も、すんなりと白く細い指も、それからもちろん、その心も』
『ふふふ。そんな焦らなくても分かっているわよ。私もサイラスの見た目も中身も好きだもの』
『アラベラ!大好きだよ!』
元は、家同士が決めた婚約だったが、ふたりはとても息が合い、趣味が合い、共に居る時間を心地よいと感じた。
私、本当に貴方を想っていたわ、サイラス。
そして、互いに最高の伴侶となれると信じてもいた。
今となっては、すべてが過去形だけれど。
アラベラにとって、悩みに悩んだ半年だった。
あれほどこまめに届いていた手紙が激減し、やがて届かなくなると同時に、学園の廊下ですれ違うだけでも、チェルシーを腕に囲い、悪意の籠った鋭い視線をアラベラに向けるようになったサイラス。
そして遂には、自分でチェルシーを選んだのだと正々堂々衆目の前で告白し、大切にしていた筈の魅了封じの護符までも破壊した。
まあ。
こんな行動を取るということ自体、正気ではないのでしょうけれど。
でも、もう限界だわ。
もしも本当にサイラスがチェルシーを選び、真実の愛を育むと決めたのなら、このような場で宣言などしないだろうとアラベラは思う。
本当に本気であったなら、まず婚約者であるアラベラの生家、ハンブリング侯爵家へ婚約破棄を申し入れ、次いで生家フェルトン公爵家に、チェルシーとの仲を認めてもらうべく奔走する。
つまりはすべてを、穏便且つ確実に済ませようとする筈だ。
それが、サイラス・フェルトンという男だと分かっていながら、アラベラはきりりと顔をあげる。
分かっていて尚、この半年で、自分のサイラスへの想いはすべて滅したのだと。
「サイラス・フェルトン公爵子息。わたくし、アラベラ・ハンブリングは、貴公より宣言の婚約破棄、確かに了承いたしました」
「っ!・・・アラベラ・・・っ」
そして、見事な礼を取ったアラベラに、周囲から感嘆の声が漏れ、サイラスは驚愕に目を見開いた。
ちょっと。
悩んだのは、私の方なのに、どうしてサイラス・・じゃなかったフェルトン公爵子息の方が苦しそうなのよ。
この一年・・・じゃないにしても、半年は確実に、お花畑のあははおほほで、そこなチェルシーさんと春満開だったくせに。
幾度も私を貶め、冤罪を着せたじゃないの。
『アラベラ!嫉妬に狂ってチェルシーの鞄に刃を仕込むなど!見損なったぞ!』
最初にサイラスにそう言われた時の衝撃を、アラベラは忘れられない。
その日まで、例え手紙の数が激減していようとも、アラベラはサイラスを信じていた。
そして、その時でさえ、サイラスが何か計画があってしているのではないか、後で謝罪と、その理由を綴った手紙が届くのではないか、と思っていた。
けれど、アラベルのその思いは見事に裏切られ、以降、サイラスは何かにつけてチェルシーを貶める存在、悪の極みとしてアラベラを扱うようになった。
『貴様の顔を見ると反吐が出る。しかし、残念だったなアラベラ。チェルシーの事は、誰が相手だろうと俺が護り抜いてみせる。貴様のような外道に傷つけさせはしない』
『アラベラ。それほどに憎いか?可憐なチェルシーが。何と醜い心根か』
『嫉妬に狂った女ほど、醜いものはないな』
そんな心無い言葉を、嘲笑と共に幾つ聞かされ、幾度泣いて夜を過ごしただろう。
思い返せば、今も胸が痛い。
しかし、アラベラがサイラスとの決別を決意した今、漸くにしてチェルシーの魅了に掛かっている状態確認の方法、及びその解除法が確立した。
その件に於いては、最初の半年でサイラスが提示した監視記録が大いに役立っており、サイラスは見事役目を果たしたと言っていいだろう。
それこそ、アラベラとの婚約を破棄し、チェルシーと婚約を結び直したい、という願いが国王に叶えられるほどの快挙である。
尤も、その内容が本末転倒なのではあるが。
フェルトン公爵子息自身が望んで、チェルシーさんとの真実の愛を育む、か。
でも、チェルシーさんは、たくさんの人を騙した詐欺師、犯罪者でもあるから。
彼女に真実の愛を見出したフェルトン公爵子息は、辛い思いをするかもしれないわね。
今だって、真っ青だわ。
あら?
でも、未だチェルシーさんの罪は詳らかになっていないのに、早いわね?
なら他の理由?
どうしてかしら。
「フェルトン公爵子息。体調を崩されたのでは?救護室へ行かれた方が、よろしいのではありませんか?」
「何よ!しゃしゃり出て!あんたになんか、指図されたくないわよ!・・・サイラスさま、動ける?」
黙り込んでしまったサイラスの瞳は虚ろだったけれど、チェルシーに手を握られれば、少し正気返った様子で、アラベラは安心した。
「大丈夫?アラベラ」
そして優しくアラベラにかかる、エイミーの声。
「ありがとう。私は大丈夫よ、エイミー」
「にしても。フェルトン公爵子息、最後の方、様子がおかしかったわね」
「そうね。でも、ニーン男爵令嬢が手を握ったら、少し正気に返ったみたいだから、心配ないんじゃない?」
食堂を出て行くサイラスとチェルシーを見送るでもなく見ていたアラベラは、殊更明るくそう言うと、席を取るために歩き出した。
そんなアラベラの言葉に、しかしエイミーは首を傾げる。
「そうかしら?私には、アラベラと目が合ったからのように見えたけど。それに、アラベラが婚約破棄をあっさり了承したのが衝撃で、何かが狂ったように思うわ」
エイミーの言葉に、アラベラは何かを考えようとして止めた。
もう、サイラスとは関わらないと決めたのだから。
「いずれにしても、もう私には関係のないことだわ。そんなことより、エイミー。何を食べる?かなり時間を取られてしまったから、急がないと」
「ふふ。そうね。何にしようかしら」
エイミーは、仲が良かった頃のアラベラとサイラスの事も良く知っている。
それだけに、色々と思うところもあるだろうに、アラベラの心情を一番に考え、寄り添ってくれる。
「ありがとう、エイミー」
そんな親友に、アラベラは心からの感謝を述べた。
「なあ。この学園にいたチェルシー・ニーン元男爵令嬢って、詐欺の常習犯だったんだってな」
「聞いたわ。たくさんの平民や下級貴族の男性に魅了をかけて、色々貢がせていたって」
「え?じゃあ、フェルトン公爵子息も?」
「最初は、任務として接近したらしい。それが」
「木乃伊取りが木乃伊ってやつか」
「怖いな」
「でも、じゃあ」
「「「ハンブリング侯爵令嬢との婚約は、どうなるんだ?」」」
今、学園といわず王都といわず、最早全国区でチェルシー・ニーンが起こした魅了事件は、衝撃と共に人々の間を駆け巡っている。
そして、チェルシー・ニーン男爵令嬢とその鴨のひとりであったサイラス・フェルトン公爵子息を間近に見ていた学園生徒達は、こくりと息をのんでアラベラの動向を見守る。
「元々、仲が良かったものな」
「魅了が解けたら、フェルトン公爵子息はどうするのかしら」
「そりゃ、復縁を求めるだろうさ」
「でも、ハンブリング侯爵令嬢にしてみれば、今更なのではなくて?」
そして今、その渦中にあるアラベラは、遠くに自分達の噂を聞きながら、自分の願いを却下する父からの手紙を思い返し、脱力していた。
はあ。
婚約破棄の保留、って何よ。
言い出したのは、向こうなのに。
先方が言い渡した婚約破棄。
それを、自分は間違いなく了承した筈なのに、サイラスの父である宰相のフェルトン公爵はじめ、国王や王妃、果てはアラベラの両親まで婚約破棄は保留と笑顔で言い放った。
『俺が悪かった!慢心していたんだ。アラベラ、本当に申し訳ないことをした』
そして魅了の解けたサイラスは、迷うことなくアラベラの前で両手両膝を突き、謝罪の言葉を口にした。
『ちょっと、やめてよ!そんな、情けない姿を見せないで!』
『アラベラが、婚約破棄をしないと言うまで、俺は』
『それは、国王王妃両陛下と双方の家に依って保留にされているでしょ!幾度願っても、婚約破棄は保留、って返事しか来ないわよ!』
『保留じゃ駄目だ。婚約破棄は望まない、とアラベラがはっきり言ってくれないと安心できない』
そう言うサイラスに、アラベラは侮蔑の目を向けた。
『何を言っているのよ。婚約破棄を望んだのは、フェルトン公爵子息でしょうが』
『ぐっ・・・しかし、あれは俺であって俺じゃない!俺が愛しているのは、アラベラだけだ!』
『そんな大きな声で叫ばないで!』
『アラベラ!俺に機会をくれ!』
『しつこい!』
はあ。
なんで私が四面楚歌?
今日も今日とてサイラスに迫られ、国王や王妃、フェルトン公爵夫妻から、様々な催しにサイラスと共に招待される。
そして、頼りの両親は見守るばかり。
「アラベラ。アラベラが諦めるか、フェルトン公爵子息が諦めるか。どちらを選ぶにしても頑張って」
親友エイミーの励ましに、アラベラは今日も大きくため息を吐いた。
ありがとうございました。