第二章39話 老獪と悪漢
青海夜海です。
久しぶりです。
天場にて、時は少し遡る。
紅月の刻 十五日 深月の三十時。
トマト総司令官の死体が見つかるまで残り六時間五十分。特務塔の一室、秘密の応接間にて二人の男が密会していた。
一人は白髪に精悍な顔つきの現役を引いた老躯とは思えない威圧を放つ老漢。名はトマス・リーカー・トムズ。軍の最高責任者である総司令官だ。
そんな重鎮と対峙するのは長髪の金髪に真摯な眼光を持つ齢二十代後半から三十代ほどの男、マザラン・ダク・テリバン。特務執行班軍事部代表の地位を受け持つ将官であり実質司令官の役を担う男だ。
「それで、わざわざ俺を呼んだ理由を話せマザラン」
鋭い眼光が並みの人間なら射竦められるだろう。しかし、下手でも将官だ。十代から戦線で戦果を挙げ続けこの地位まで昇りつめた英雄だ。トマト総司令官にビビる道理は当の昔に置いてきた。
マザランは肩を竦めて反応する。
「私と二人は嫌ですか?」
「用がないなら呼ぶな。俺は忙しい」
「聖女の件でしたら私は反対です」
立ち去ろうとしたトマトは足を止める。
「理由は昼間の議会の時と同じ。言っておきますが、私が否定しているのはあくまで『神託』であり『聖女』ではありません」
「つまり聖女が気に入らないという話しだろ」
「結界の存在を理解している、それだけです」
聖女とは偶像に祈祷してエリドゥ・アプスを守護する結界の起動維持する守り人なる存在。その力は『魔力』というものに依存し、その『魔力』は『魔力回路』を体内に持つ人間のみ知覚理解できる。神力のエネルギー型のようなものだ。その魔力を知覚できない者には聖女の力や役割をそもそも理解できない。供給された魔力を基に形勢される守護結界も同じ。故に多くの人間は聖女の力を伝承以上に信じることはない。
トマトとマザランは共に『魔力』を知覚できる側。聖女の性質を知りえる者たちだが、その事実、マザランの思想が最もだ。
「『魔力』による神聖魔術は信じるが、『神託』だの『天啓』だの根拠もなければそれこそ知覚できない。我々の五感のどこにも引っかからない。信じる方がどうかしている、そういうものだろ」
そうだ。こと議題に上がった『神託』と同系の『天啓』も聖女以外に読み取れる術はない。数百年前の事件に『神託』の存在が書かれていようとも、実在するかどうかは現世でしかわかりようがない。マザランやその他の将官たちが聖女を疑ったのも納得いくものである。
だが、どうやらトマト総司令官はマザランとは異なる考えを持つようだ。
「貴様の所感などそれほど重要ではない。俺たちが軍人であるように奴らは聖女であることそれだけだ。役割という分類でこれほどまでにはっきりとしているものはないだろ」
「その心は?」
「神話にあり」
「カバラ教と違ってですか?」
世界にはこの世代まで何千年、あるいは何万年の歴史がある。幾星霜の時に流れる星のような物語は時の詩人や吟遊詩人によって神話、幻想譚、英雄譚、異類婚姻譚、悲哀譚、悲劇、喜劇、惨劇、妖精神話、終末話、異界神話など、数多の物語として綴られ残され続けている。そして、最初の神話に出てくるエリドゥ・アプスを創造した神々。その神々こそ都市ヌファルが崇拝する神アヌンナキや女神イアンナの起源となる。名のある神というのはそれだけで存在の証明となる。神に名をつけるのは神のみだ。
故に名があり神話がある神を崇拝する聖女をトマトは認めていた。
それこそ名の無き神に救世主を願うカバラ教と違って。
トマトは一歩踏み込む。
「貴様の狙いはなんだ?」
それこそが本題と言わんばかりの圧に、しかしマザランは身じろぎもしない。彼は一度目を伏せて問う。
「その前に一つ訊ねさせてください」
「なんだ?」
「――どうして異端者を逃がしたんだ?」
「…………」
それこそがトマト総司令官に接触した真意だとマザランは口調から敬礼を外す。瞬間的に理解する。現在にて、軍での総司令官と将官という立場は終わりを告げ、所属のことなる者どうしての睨み合いの場となったと。
マザランの本質を見抜かんと眼を細めるトマトに笑みを浮かべる。
「軍は……いや、貴方はずっと異端者の保護を担っていた。それがどのような方法で彼らが軍についたのか知らないが、貴方は一度成功を収めた。カバラ教から異端者を守ることに」
「…………」
「私はずっと思っていた。恐らくギウン将官も同じだろう」
ギウンの名に少しだけトマトの瞳孔が開く。
「貴方が異端児を引き留める理由は保護にあると。しかし、思春期なのか楽観的なのか知らないが、異端者は軍を離れて【エリア】へと離れた。私は大捜索でも初めて幽閉でもするのかと思ってたんだがな」
「……奴らは罪人に成り下がった。これ以上は軍の利益になりえないと判断したまでだ」
「という真っ当な意見はいらん。私は訊いてるんだ。どうして永久帰還不可条などという軍から遠ざける選択をした?」
「何べんも言わせるな。奴らは」
「罪人なら殺すべきだ。でないと正義の味方としてのメンツが立たない」
ぐうの音も出ないは言い過ぎだが、正当であろう。
異端者の凶荒は甚大な被害をもたらした。死者はギウン・フォルス・サリファード一人であるが、軍の基地は破壊されパンテオン侵攻の警報で都市中をパニックに陥れた。【エリア】に行くだけに傍迷惑すぎる置き土産に感謝の意を示し彼らを大罪人と定めた。
軍内からも異端者の処刑を罰とする意見が多く集められ、民衆たちも軍は正義の味方だと信じて疑わない分、罪人の処刑を求めた。しかし、トマト総司令官が降したのは無期限の永久帰還不可の罰。
数日経った現在でも不満を覚える者は多いだろう。反対意見が多く上がってもトマト総司令官はこの処分内容を変更することはなく、異端者を天場から引き離した。
「どんな考えがあってのことだ?」
マザランは永久帰還不可条を強行した理由が度の過ぎた固執や【エリア】の死亡率を鑑みたものではないと推察した。変わらぬ表情で何も答えないトマトにマザランは眼を眇めて。
「もしかして、カバラ教から引き離すためか?」
「――ギウン・フォルス・サリファードがカバラ教徒だった以上、軍の内部がどれだけ汚染されているか甚だ不快極まるというものだ、カバラ教徒」
誤魔化さずに答えたトマトはその手に大剣を顕在させ獣のような眼光で捕らえる。その眼はマザランの正体に核心を持っている眼だ。声音は雷鳴のようにかつての英雄の怒気はマザランを震えさせた。
「貴様らの策略、今ここで砕いてやろう」
それが合図となり壁や天井が砕け、十を超えるトマトの精鋭の護衛騎士たちが飛び掛かった。卓越した身のこなしと魔術でマザラン一人を翻弄し打ち砕く。数多の剣が突き刺さり魔術によってズタボロにされたマザランは呆気なく絶命していた。
「ふん、この程度だったか。拍子抜けだ」
「それは私のセリフです」
感知して迎撃するよりも速く、トマトの腹は柱のような杭によって貫かれていた。
「ぐはっ」
血を吐くトマトは忌々しいと口端に忌憚を抱く。
「まさかっ、貴様もっ……」
「その様子だと私が誰か知っているようだな」
「……」
トマトの視線の先、十の護衛騎士は既に死体となって壁に叩きつけられていた。変わってそこにいるのはマザランに仕える兵士や騎士たち。
「最初から、俺を殺すのが目的、だったわけか……」
「貴方が仕掛けてくるとは考えていたからな。その不意をつけると思っていた」
「ふざけた、頭をしやがって」
「そんな私に負けた貴方を憐れに思います」
それが最後、胸を貫いた杭を引き抜かれてトマトは絶命した。
数十年間邪魔をしてくれた老獪に唾を吐き捨て。
「貴方は己の死を来世でも呪っていろ。貴様の死こそが悪源となるからな」
マザランは騎士たちに命令し、トマト総司令官の遺体をとある頂へと運ばせた。
すべては計画を成功させるための生贄として、十字架に捧げたのだ。
ありがとうございました。
天場のターンです。遂にカバラ教が動きます。
次の更新は月曜日を予定しています。
それでは。




