第二章30話 恐らく静寂だ。
青海夜海です。
新キャラでます。
目を覚ます。いつの間にか眠ってしまっていた目をゆっくりと開く。見上げる天井はツタが絵画を描き標灯の花を咲かせる。それがほんのりと橙色の光を灯していること、窓枠から夕暮れと呼ばれる空が焼けるような現象が満ち満ちる。
「俺は、どんだけ寝てたんだ?」
それも敵陣かもしれない場所で。その迂闊さに嫌悪を覚え身体を起こし息を吐いて意識を入れ替える。
「いい夢は見れましたか?」
幼い少女の声音に動揺を悟られないように目だけで相手を見る。
「警戒しないでください……と言うのは無理でしょうが、私にあなたを害する意思はありません」
一定の洞察力を持つ少女と推測できた。口調から対話を望んでいる雰囲気を読み取りアディルは顔を上げはっきりとその少女を見収める。
朧月光の肩口までの髪に月のような蒼い瞳。齢十歳ほどに見える外見は愛らしくも端整。白のワンピース一枚の少女は笑みを浮かべることもなくお辞儀をした。
「初めまして。私はアリス。お兄さんの未来のお嫁さんです」
「……その冗談は笑えねーぞ」
「そうですか、笑ってくれませんか」
失敗ですと淡泊に目を伏せる。表情から読み取れる真意はなく、蒼月の瞳はこちらの心臓を射抜くような雰囲気を持っていた。一つしかない椅子に腰を下ろしている少女アリスとの距離は三メルもない。その気になれば一瞬で口封じできるだろう。しかし、どうにも異様な感覚を小娘から感じ取り、動くことに躊躇を生む。
真意を探るように睨みつけるアディルにアリスは頭を横に振った。
「私はただお兄さんにお願いをしに来ただけです」
「お願い?」
訝しむアディルに「はい」と頷く。やはり表情は崩れず声音に変化も見られない。
「その前にお兄さんと話したいことがあります」
「先に願いを言え」
「……お兄さんはこの世界をどう思いますか?」
「無視かよ」
いい度胸の小娘である。先にどうしてもお話しがしたいらしく、アディルの解をじーと待つ。アリスという少女が何者かわからない今、持ち掛けられた会話は相手の素性を探る糸口になりえる。加えて思考整理の時間にもなり下手な動きが何に繋がるかわからない今は少女の会話に乗るのが正解だと結論づけた。
「世界ってのは天場か? それとも【エリア】か?」
「その二つ含めての世界です。大地を人間が支配し、地下を獣がのさばる、そんな全体を一つと捉えた世界です」
つまり生態系が生み出す文化と自然と意思ということだろう。十歳の小娘が問うにはなかなかに学者気質な問題だが、これに対してアディルは一つの解を持っていた。
それは、深部ではないにしろ天場と【エリア】を歩みながら多くを失った少年の祈りのようなものだった。
「――儚い」
「…………」
「人も獣も自然も歴史すら生まれては死ぬ。その繰り返しだ。どれだけ願っても、がんばっても、覆らないことがある。美しさも尊さも醜さもやるせなさも、時が来ればすべてが花のように散る。怒りも憧れも恋心も喜びも愛も悲しみも苦しみも痛みも俺もオマエもだ」
「…………」
「抗いすらいずれは死に終わる。その世を俺は『儚く』て仕方がない」
移り変わる景色のように。成長する心のように。生まれては終わる生命のように。歩んでは忘れ去られていく記憶のように。
すべてが輪廻転生の循環のように終わりと始まりを紡ぎ続ける。
人のちっぽけな恋心など意に関せず。誰かの尊い愛に微塵も慈悲をかけず。死の嘆きに耳を傾けず。産声に慈愛を捧げず。
過ぎるままになるがままにあるがままに時のままに。
それが儚くて仕方がないのだ。
「世界なんざやるせないことばっかりだ」
いつか抱いた世界平和は薄れ消え。人命救助の意志は偽善に移り変わり。美しいものにはいつだって嘆きが付きまとい、醜いものには正しさが保護をする。
「だから、俺は今でも抗ってんだよ」
「どうしてですか?」
純粋な問いに感傷が過ぎたとアディルは口を噤んだ。それを答える義理はないと。
アリスが凝視するがアディルはその口を開くことはなく、数秒の果てにアリスが諦める。
「とても興味深い話しでした。できればお兄さんが生きる理由を聞きたかったですが」
「オマエには関係ねーことだ」
「そうでもないんですけど……」
それが何を意味するのか知らないし興味もない。
「俺とオマエは別の人間だ。理由ってのはオマエが決めるもんだ。他人を理由にするのは酷く虚しい」
「お兄さん……」
肝心なことは何一つ語らない。恐らくそこにアディルの真髄や過去があるからだろう。それを卑怯とは言わないが気になる言い方はやめていただきたいものだ。
アディルは改めてアリスを見る。この小娘の正体を探る視線を自分の問いを問われていると勘違いしたのか、アリスは語りだす。
「私にとって世界とは『非道』です。弱いものが強いものに搾取されて滅ぼされる……お兄さんの言う『儚い』に似ていますが、生きる上でこれほどまでに絶望的で無意味な生はないと思います」
それは例えば、自然の摂理。それは例えば、【エリア】の理不尽。それは例えば、生まれつきの才覚。それは例えば、境遇や環境の違い。それは例えば、人種の問題。
「私たち人間は遠くない未来に獣に滅ぼされます。抗ったこの数百年を意味のなかったものとして忘れ去られます。こうして今、私とお兄さんが話している瞬間も」
「…………」
「その未来、その世の中を私は『非道』と捉えます。生きていることを罪とは言わせたくありません。記録すら残らないのはとても悲しいです」
儚い……それは一種の諦観なのかもしれない。ならば非道は……足掻きなのだろう。だからアリスの瞳はずっと揺らぎない。目的の一点へ注がれている。危うくも畏敬を抱く覚悟だった。
偽善を抱える上で矛盾を孕むアディルとは違い、非道に足掻く言の葉はルナの『正義』に近しい。誰もが忘れてしまった希望に等しい。
アリスは立ち上がりアディルの前で立ち止まる。一四〇くらの身長だろうか。ベッドに座るアディルの視線の少し上にアリスの瞳が来る。蒼月の瞳はアディルを呑み込むように。
「確信しました。お兄さんはきっと私のお願いを叶えてくれます」
「……随分な自信だな」
「私にはわかります。お兄さんが本当に叶えたいことがなんなのか」
「…………。誰に聞いたか知らねーが、俺の目的なんざ兄貴の遺産を」
「それはただの理由ですね。お兄さんの寿命もただの理由です」
初めてアディルの微かな動揺をアリスは眼にした。本当に小さく指が不自然に動き瞬きが速かっただけだが、常に気を張り動揺を悟らせないように意識している彼だからこその致命的な動揺の証拠。アリスは口角を少しだけ持ち上げる。
「お兄さん、思ったことはありませんか? 誰も死なない、そんな奇跡のような世界だったらと」
「んなのねーよ」
「本当ですか? あの日あの人が……そう考えたことはありませんか?」
「…………」
「もしもです。もしも、誰も死なない世界があるとしたら――七年前を取り戻せるとしたら」
「――オマエなに言って」
アリスの真剣な眼差しが告げる。
「私たちの目的は――――」
その口が抗いの真髄を吐き出し————
「ちょっとアンタ! なんでアタシの家に来ないのよ! 普通後で来るみたいな感じだったでしょ! アンターー」
いきなりドアを開け放たれ猛烈なツインテールがパニッシュを打ち込んできた。怒り心頭なツインテールはアディルとアリス、男と女の二人っきりの状況に肩を震わし始め。
「あ、アタシがいながらアンタっっ!」
「おい、オマ――」
変なことを口走る前に止めようとしたが間に合わず、ツインテールは怒りを解き放つ。
「このォォォ浮気者ォオオオオオオオオオオオオ!」
うわァアアアアんと脱兎の如く走り去っていく。
唐突な独り芝居に唖然とする二人。アディルは特大のため息を吐き、アリスは子ども相応に目を大きく開きパチパチしていた。
「で、オマエらの目的は」
「ちょっと! 無視しないでよ! アタシが可哀そうじゃない!」
バタバタと戻ってきたツインテールは肩で息しながらアディルに詰め寄る。
「この浮気者! バカアホめんたいこ!」
「何が浮気だ? オマエの方がめんたいこだろうが」
「なっ⁉ 意味わかんないけどなんかすっごくバカにされてる気がするんだけど!」
「はあー、浮気って意味しってんのか?」
「さあー知らないわ」
「知らねーのかよ、マジでバカかよ」
「はい! アウトー! 今度はバカって言った!」
「んな勝負はしてねー」
本当に疲れる。特大のため息を十発くらい吐き出したい気分に陥るアディルは辟易とした目でアリスの、客人の存在をツンテールに告げる。ツインテールはアリスを視止め、凝視した。
「な、なんですか?」
「むむむ」
犯人を捜す騎士よろしく、アリスの全身を凝視したツインテールは。
「アンタだれ?」
「見覚えあるから見てたんじゃねーのか」
「違うわ。ほら、フローラスって子どもがいないじゃない。成長もしないわけだし、ずっと不思議だったのよ。こんな小さな人間がアディルみたいに大きくなるわけでしょ」
「花も木も種から芽吹いて花とかになりやがるだろ」
「言われてみれば確かにそうね」
でも、人間の姿での子どもを見るの初めてなのか、じろじろと困惑するアリスを見渡し、ぎゅっと抱きしめた。
「~~~~っ」
「なるほどなるほど。人間がどうして子どもが好きなのか分かったわ」
「な、なななな⁉」
それは母性だろうか。ツインテールがぎゅーーっとアリスを抱擁し頭を撫でる。顔を赤面させるアリスは動揺に「なななな」となを連呼する始末。憐れなり。アリスを生贄にここは戦略的退散しようと立ち上がるアディルに「待ちなさい」と声がかかり立ち止まる。
「アンタ、今アタシから逃げようとしたでしょ」
「……オマエの家に行ってやろうとしただけだ」
「嘘ね。このアタシのエレガントな目を騙せると思わないことね」
「エレガントな目ってなんだよ……」
ツインテールは眼を回すアリスを解き放ち、アディルの手を取ると引きずるように外へと連れ出す。
「まだアンタとは話しが終わってないんだから。きっちり今後のことを話すわよ」
「んで浮気した挙句に逃げようとしてる父親みたく言ってくんだよ!」
「うるさい。エレガントなアタシにひれ伏させてあげるわ」
拒絶も虚しく、アディルはなされるがままに外へと連れ出されてしまった。
一人取り残されたアリスは頬を赤いままに膝から崩れる。
「私としたことが。うっ……油断しました」
頬の赤みは次第に青白くなっていき、その身体は痙攣を引き起こしていた。
ありがとうございました。
新キャラのアリスです。よろしく。
次の更新は土曜日を予定しています。
それでは。




