第二章22話 谷間と嘘つき
青海夜海です。
遅くなりました。どうぞよろしくお願いいたします。
時は同じく、民衆都市ウハイミルにて。
かの都市も同様の事態に巻き込まれていた。第一声は女の悲鳴だ。
店主の女は店前でしんどそうに座り込む老父を憐みと商売の邪魔と思うので七割、残り二割を心配で他はめんどくささの眼で見つめながら、世間体や周囲の目を気にして話しかけた。
「おじいさん。大丈夫ですか? 立てますか?」
柔和な笑みと心配気を全面にだす表情。取り繕う店主の女の訊ねに、しかし老父は答えなかった。わずかに呻くだけで店の前から退こうともしない。店主はまたかと呆れながら真言する。
「ナンパならお断りです。体調悪い振りをして構ってもらおうとかマジでやめてください。頭の底辺さが滲み出てます。気持ち悪いですから」
店主は言う間でもなく美人だった。特に屈む時に覗く巨乳の谷間が絶品絶景であった。世界三大渓谷の一つに讃えてもいいほどである。
加え店主の店は薬局であった。薬師として自ら調合した薬を売る、錬金術の腕と美貌が相まって店主の谷間を一目覗かんとする老父が多発するようになっていた。
だから店主は店前で座り込む老父も仮病のナンパ爺だと思い込んだ。どうせ谷間を見せれば元気に立ち上がるだろうと。
「……?」
しかし、その老父は店主の谷間に一切視線を寄越さなければ、反応すらも覚束ない様子。
「ねえ。あんた! 返事しなさい! 大丈夫なわけ?」
やはり老父の反応は鈍い。薬師としての勘が囁く。この老父はナンパのために一芝居打っているわけではないと。
店主は「あーもう!」と憤りながら老父に呼びかける。
「あんた! っ私の声聞こえてたら手を握りなさい! 寝るのはちゃんとベッドに入ってからよ!」
必至に意識を手繰り寄せようと呼びかけていると、老父がゆっくりと顔をあげていき。
「眼を覚ましたわね。自分のことがわか」
「―――――いだぁ」
「はい?」
何かを零した老父の口元に耳を近づけようとして。彼の声は途端に大きく激昂するように吠えた。
『あの女たちのぉせいだァアアアアアアアア!』
キーーィン!と金属を金属で殴った時の甲高い音が響き渡った。その叫喚は容易く店主の左耳の鼓膜を破った。
「~~~~ッっ⁉」
両耳を抑え痛苦に喘ぐ店主と、彼女を苦痛に晒した老父。否、立ち止まる人々の目には既に老父として映っていなかった。
全身が燃焼したかのように皮膚が爛れていき、身体から吹き出る煙が老父を包み込んでいく。それは焼け落ちた皮膚へと進化し、黒光りの肉体が宿る。唐突な異変に戸惑い凝視してしまった人々へ。最後の土産だと言わんばかりに、その背を貫いて二本一対の腕が誕生した。
その光景を見て人々は理解する。あれは老父などではない。ましてや人類の進化などでもない。到底、老父が罪を改め転生した姿でもあるまい。
誰かが、いや、人々は口にする。
「「「パンテオンだぁああああああああああああああ⁉」」」
逃げ出す彼らに名乗り答えるように。
『ダァラアアアアアアアアアア!』
と叫び、伸びる背中の腕が怪力を持って店々を粉砕し脆弱な人間の胴体を貫き見せしめの殺戮を開始。まるでそれが号令だったように、都市ウハイミルのあちこちで獣の咆哮と人の悲鳴が空を劈き、破壊音が轟震を及ぼした。
「……っぁ」
腰が抜けた店主は目の前の怪物から後退る。けれど、お尻を引きずる滑稽さを嘲笑うかのようにパンテオンは店主に気づき、店主は悲鳴を漏らす。
『…………』
しかし、パンテオンはしばらく店主を見下げたのち、人が集まる方へと走り去っていってしまった。
助かったことに安堵する店主は脱力と共に胸を撫でおろし気づく。いつの間にか上の服の胸元がざっくりと裂かれており、悩ましい豊潤な果実が二つ、魅惑的にして壮大的で神秘的な谷間が丸見え状態だったのだ。
店主はすっと冷めた目で思った。
「やっぱり、おっぱいなのかよ」
時は少し遡り、管理都市センケレに悲劇が起った。
それは都市ウルクと南東方面二ノ穴『ドゥオゲート』よりパンテオンの襲撃を警告放送し終わった直後の出来事だった。
エリドゥ・アプスの観察と管理を担う『時計塔』。管理都市センケレにとって、いや全人類にとって最も価値があり生きるために必要な神代の遺跡――『時計塔』が何者かの攻撃を受けたのだ。
外部からの超強力な一撃が『時計塔』上層を破壊し、尖塔が崩れ落ちて行く。そんな有り得てはならない光景を、エリドゥ・アプスの管理の役職に就く使徒たちは瞠目しながら目に焼き付けられた。
自然の摂理の中で人類の存続を守る管理の権能の崩壊に、誰もが言葉を失いそして未来を失った。
犯人捜しを行う頭はなく、ただただに『時計塔』の崩壊に唖然と絶望を喰らう。
「『時計塔』が……人類存続の許しが、崩れてっ、いく」
次の瞬間、多くの嘆きと叫喚が大地を波のように埋め尽くした。管理の宿命を背負う彼らにとって『時計塔』の損失は存在理由の剥奪に違いはなく、摂理への守護から解き放たれた、言わば文明の終着点の定まりだった。
何百何千、あるいは万の嘆きが大地から這うように『時計塔』の下半身を登り出す。そんな熱気のような、それこそ死人か獣の唸りのように這い上がってきた。
「なにがどうなっているのだ⁉」
『時計塔』現在の最上階。頭上がいきなり音を立てて倒壊していき、この層では見上げても見ることのできない月光が天の目玉のように彼らを覗き込む。
唐突な出来事に声を荒げたのは管理都市センケレの大賢者アルビスだ。金髪碧眼の黄金比率に整った顔と肢体を持つ彼の年は二十代前半に見えるが実際は五十を超えているらしい。
「『時計塔』の破壊だと? ふざけるなア! 『時計塔』が失われるなどあるはずがない!」
「貴方! 落ち着いてください! 聖女様たちの前ですよ」
「うるさい! 今はそれどころではないことくらい愚鈍なオマエでもわかるだろォ!」
妻と思われる三十代ほどの女性がアルビスに突き飛ばされる。声を上げて倒れる彼女など見向きもせず。
「状況の把握を速やかに行え! 原因より『時計塔』の権能の安否を優先的に止まった管理システムを洗い出せ!」
「「「御意!」」」
アルビスの指示にその場所、会談所として設けた大ホールに集まる使徒たちが一斉に動きだす。
その傍ら、会談の取り付けをして昨晩に引き続き面会の機会を与えてもらい集まっていた聖女三名は突き飛ばされたアルビスの妻、スルーズを支える。
「大賢者! 緊急事態なのは理解できます。けど! アンタの妻をこのように蔑ろにするのは間違ってます!」
「ハウナ……」
ハウナと呼ばれた聖女の諫言に、しかしアルビスは鋭い眼差しで怒鳴る。
「聖女如きが私たち管理者に口をだすなァ! 愚鈍、低能、脆弱。そこに察しの悪さまで身に着けて、それを気遣う価値がどこにあるか!」
「なっ⁉ 彼女は貴方様のただ一人の愛した妻でしょう。そのような言い方はあまりです!」
あまりの言い分にもう一人の聖女フェンネルが擁護するが、アルビスは鼻で笑い裂罅物を見放す眼差しで嘲笑を讃えた。
「聖女と名ばかりの小娘ども。今知れ。思い知れ。『時計塔』の意義はその女の価値に比例などするはずもない。『時計塔』はエリドゥ・アプスの管理権限であり自然摂理から人類の存続を許される契約の源だ。その女は多少に打撲を負っただけだろうな。が、『時計塔』の倒壊は人類の消滅を意味する! 命の価値を測ればおのずと理解できるだろう」
「――ぐっ」
「そもそもだ。私はその女を愛してなどいない。魔力適正があったから娶っただけだ。私の偉大なる使命と知識を引き継ぐ賢者を産み出すための受精袋でしかない」
「――ふざけんなッ! 女はっ! 彼女はアンタの娼婦でも奴隷でもない! 大賢者が人身差別、性差別をするなんて程度が知れる! 妻一人守れない男が誰を守れるって言うの!」
「ハウナ! やめてハウナ!」
「止めないでラベンラル! 聖女としても女としてもあの男は許せない!」
憤怒憤慨するハウナは真っ当だ。男女に差別はあってはならない。
女だからと種を残すための袋にされてなるものか。男だからと言って死ぬまで労働を強いられてなるものか。思いやる心と気遣う優しさ。それこそ人が人を愛する上で最も大切なことだ。
しかし、アルビスはそもそも愛していないと宣い、性別に収まらず彼女の存在自体を咎めるように侮辱した。スルーズを、人間を道具としか思っていないような眼がハウナには度し難いものだった。
「大賢者が聞いて呆れる。アンタは独り善がりの悪魔だ」
「抜かして呆れる。その女が強ければいい。賢ければいい。私の真の役に立てばいい。女としの魅力があればいい。私に愛させればいい」
「そ、それは……」
口籠るスルーズにアルビスは嘆息を一つ。白けた眼差しで。
「だが、オマエは何もしなかった。なんの取りえもなかった。失望だけが私を支配した。期待の欠片もかけられない。道徳で人が救えるものか」
「貴方……」
収まらない失望と悲壮。含む義憤と虚無。スルーズはやはり口籠る。だからアルビスは失望し続ける。やはり何も言えない何もできない愚かで虚しい妻に。
ハウナは人の心に寄り添う優しい子だ。だからアルビスの言葉に同情を抱いてしまった。よって口は先のように開かない。ラベンラルがその事に安堵する。臆病なラベンラルは争いごとを好まない。聖女であっても、必要以上に厄介事には関わらないようにしている。そんなラベンラルだが、苦手な人種が二つあった。
一つがハウナのように正義心を掲げて問題事に自分から突っ込む人種。だが、こういった人物は行動力があっても意志が強いとは限らない。
そしてその意志が強い人種こそ、ラベンラルが最も苦手とする人種だった。何があっても折れない、迷いなく己の信じる道を進む。それが憎らしく眩しく嫌な存在なのだ。
一人の聖女が立ち憚る。淡い金色の髪に黄緑の瞳の彼女は声を出す。
「大賢者様は、貴方様の失望を取り除くように、奥様を導いてあげたのですか?」
「なに?」
睨みつけるアルビスに、されどその聖女は臆せずに。
「奥様に大賢者様の妻として知識や技能などを教えてさしあげたのですか?」
嗚呼、その聖女こそラベンラルが最も苦手として、誰よりも羨望する意志の強い聖女だった。
その聖女フェンネルの問いにアルビスは。
「私は教えてもらったことなど何一つとしてない。誰かに指図されて従うだけのでくの坊は最低限ができなければ案山子にさえ劣るもの。元から低能な人間はそもそも発展すらせぬもの。私の時間を割く価値などない」
「大賢者様と奥様は違う人間です。大賢者様の主観と価値観のみで相手方を否定するのは、大賢者様の怠惰が原因です」
「なっ! わ、私の怠惰がその女を無能にさせていると言うか!」
「いえ。大賢者様の妻として大賢者様が指導しませんでした。でしたら、大賢者様が奥様を無能などと責め立てるのは筋違いです」
「なっ! 貴様ァアア! なにふざけたことをッ!」
「まったくその通りだ」
激昂するアルビスに対抗する聖女との間にその声が割り込んだ。
下層と繋がる螺旋階段より昇ってきた人物、金の髪に紫の瞳の、その軍服の胸元に将官の紋章を持つ若い男は口を開く。
「大賢者アルビス・ソア・ドンナー、裏切り者の戯言など無視しろ。彼女たちの言葉に最早価値などないからな」
「マザラン・ダク・テリバン将官……」
その男の声はよく響き通った。開け放たれた空より大地で嘆く使徒たちもまた顔を上げる。
アルビスが呼んだ彼の名を聖女たち全員が知っていた。特務班の軍事部代表として華麗なる功績を残し、次の総司令官と噂高い軍事力の頭脳や砦と言わしめる男だ。
そんな軍の重鎮がどうして今ここに?
戸惑う彼らにマザランは答えず、護衛騎士四名が聖女たちに刃先を向けて囲い込んだ。身を寄せ合い驚く聖女たちを、マザランはアルビスの隣に並び眺める。その構図、護衛の行動が何を意味しているのか、誰にだってわかってしまった。
「マザラン将官! こ、これはどういうことだ⁉ なんであたしたちが」
「いえそれよりも裏切り者とはどういうことでしょうか?」
恐らくその裏切りなる認識がこの状態を招いている。
世界や人々の平和に貢献している聖女にとって裏切り者などという侮辱は不愉快極まりなく許せないものだった。憤りを見せるハウナがフェンネルの問いに上乗り反撃する。
「そうだ! 裏切り者ってどういうこと! あたしたちが何したっていうの!」
睨みつけるハウナの眼に冷ややかで無情な眼差しが向けられる。失望や諦観、それらに類する見下す高みからの視線。ハウナは息が詰まり言葉を見失う。マザランは溜め息を吐き捨て冷酷に打ち据える。
「聖女とはいつ嘘つきになった」
「嘘つきですか?」
「そうだ。お前たちの世迷言が多くを惑わし不安にさせた。剰え重罪を犯してなお、それが世の為と信じる愚脳と来た。片腹痛い話しだ」
「な、なんのこと? そんなの知らないんだけど」
ラベンラルが困惑を示すが、それが余計にマザランに不審を抱かせる。
そして、彼は民衆に演説するかのように声を張り上げ真実を暴露した。
「聞け! 今朝。都市アカリブでトマス・リーカー・トムズ総司令官が何者かに殺害された!」
「な、バカな⁉」
アルビスの反応と違わないどよめきが地上でも起こり、聖女たちも同じように驚きを露わにした。が、マザランの眼の色は変わらない。
彼は告げる。
「トムズ総司令官は尖閣の頂上で十字架に張りつけられた姿で我らに血の悲しみを与えた」
「十字架だと? それは」
「神罰の紋章……」
アルビスの言葉を引き継ぐ形でラベンラルが呟いた。俊寛、聡明なラベンラルとフェンネルはマザランの言う『嘘』と『裏切り』が何を差すものなのか瞬時に理解する。同時にハウナもその結論に至っては侮辱だと怒りを露わに噛みついた。
「なに? それであたしらのこと疑ってるわけ? 十字架の意味を一番よく知る聖女の仕業だって……ふざけんなッ! あたしたちは聖女だ! トマス総司令官を殺してなんてない!」
だが、マザランは取り合わない。まるで負け犬の遠吠えだと言う眼で見下し。
「そして、『時計塔』の破壊……それも聖女たちの仕業だ」
「――――」
それが決定的な一言だった。先にある程度の疑いを聖女へかけ、その上での使徒たちにとって最も重い罪の暴露。それが真実だろうが真実じゃなかろうが構わない。
「『時計塔』の破壊……」
「なにをっ⁉ 大賢者様! 私たちはそのような罪行はしておりません。どうか今一度考え直してください! 破壊された時、私たちは大賢者様と一緒にいたではありませんか!」
「そのようだが。見事お前たちより上層だけ破壊されたようだが。意図的に見えるのは私の考えすぎるだろうか?」
「マザラン将官! 貴方様は何を言って」
その時だった。聖女の言葉も存在も意味を無くしたのは。
「ふざけるなァ! クソ女どもォオオオ!」
「『時計塔』を返しやがれェエエエエエ!」
「この犯罪者のアバズレどもォオオオオオオオオオオオオ! そこら飛び降りて死ねッ!」
「聖女なんて偽りの姿で本性は悪魔だったのよ! 祈祷なんて嘘で穴を大きくしていたのよきっと!」
「貴様らのせいで何人が死ぬと思ってやがるッ! 世界がどうなると思ってやがるッ!」
「人殺しめッ! そこで死ねッ! 神に懺悔しろ! テメェーらが神罰くらっとけッ」
「『時計塔』を直しなさい!」
使徒たちが一斉に聖女を糾弾し悪語で罪状を読み上げ突きつける。たとえ身に覚えのないものだとしても、『時計塔』を、エリドゥ・アプス管理塔を破壊した大罪人に既に定められてしまったのだ。
まるで獣の咆哮のように地上から這い上がってきた憤怒は聖女を逃さない。塔を登ってきた使徒たちが周囲を囲い込み、護衛騎士に刃先を向けられていた聖女たちに逃げ場はなくなった。
声を張って否定するハウナとフェンネル。諦観を浮かべ蹲るラベンラル。
マザランは冷酷に告げた。
「すべての証拠は集まっている。呪うなら己の正義を呪え」
そして、捕えろと命令を出す。
聖女三名は新たな罪を加えて、軍によって捕らえられた。
ありがとうございました。
次の更新は木曜日を予定しています。
それでは。




