第二章17話 今一度、この膝の上で
青海夜海です。
訂正です。ルナのソフィアの呼び方ですが、「ソフィアさん× ではなく ソフィアちゃん〇」です。
第二章16話の修正は既に完了しています。
引き続き、ソフィアさん改めソフィアちゃんをよろしくお願いいたします。
変な誤解を招いたルナは熱を冷まし、改めて周囲を観察する。
ソフィアと同じ根の模様と身体に花を咲かせる人々――花舞い人のみが生息する第二層の神秘。天場の石工業と異なり樹木や草や蔓を使った木造作り。家具や農具、家々も植物を利用して作られている。規則正しく並んでいるわけではなく、好きなところに家を建てており、自分の土地を囲うようにその人たち特融の花々が咲いている。それ以外は共有スペースなのだろうが、道という概念はないのか歩いて来た道乗りすべてに草花が覆い尽くしていた。
ソフィアは一度くるりと振り返り腕を広げて。
「ようこそ、花姫の庭園へ」
白光の空の下、庭園のような美しい大自然の村が迎え入れる。
「あれ? さっきの所は花姫の庭園じゃなかったの?」
「ずっと花姫の庭園だよ」
「え? じゃあなんで突然」
「一度やってみたかったんだ」
「……」
大人びた雰囲気を感じていたが、当人は案外にお茶目である。
言いたい言葉を呑み込み、ルナは改めて村の中枢から全体を見渡し——ルナの眼にその庭園が業火に包まれた赤い景色が映り込んだ。
「――――」
しかし、それは一瞬のこと。瞬きと共に消え去った刹那な光景。瞬きを繰り返し見る今目の前に広がるのは赤とはかけ離れた豊な緑と色とりどりの花々の庭園だ。恐らく世界で一番華やかで穏やかで綺麗な花園だろう。
そこがソフィアたち花舞い人が命を育む故郷である。
手を招くソフィアの後にルナは続く。
「ここがソフィアさんが暮らしている村なんだね」
「そう、綺麗でしょ」
「うん。すごく綺麗でなんだか気持ちが落ち着くよ」
「そう思ってくれたならうれしいな」
よっぽど自慢なのか子どものようにはにかむソフィア。フローラスの方々とすれ違う際に会釈をされるので邪険にはされていないようだ。ルナは会釈し返す。
「……そう言えばなんだけど? 男の人は仕事でいないの? 女の人ばかりだけど……?」
見渡す限り外で作業しているのは女性ばかりだ。男性の姿が一人も見当たらない。不思議に思い尋ねると彼女は首を横に振った。
「単為生殖って知ってる?」
「単為生殖?」
オウム返しするルナにソフィアが簡単に説明する。
「花は受粉して種子を作るよね。でも、わたしたちは自分の中で生殖できるの。人間のように雄と雌が交尾する必要がないってわけ。ルナはきっとみんながわたしと似ていると思っているのよね」
「また心を読まれた……」
「いじけないいじけなーい。単為生殖は他の人の遺伝を引き継がない、自分の中で完結して生殖するの。姉妹と思ってくれていいよ」
「姉妹……」
「みんな家族。背丈とか年もみんな一緒に見えるのはわたし自身を増やしてるって感じだね。でも、魂は違うから同じフローラスじゃないよ。だから親よりもみんな姉妹で家族って感じなの」
つまり、遺伝情報をコピーして産み出してるということだろうか。だからソフィアと同じ姿で同じ年齢。でも、魂が異なるから自我が異なり、髪型や生息する花の違いがある。
きっと彼女たちフローラスにとって子どもや親という概念意識より、集団体という意識が強いのだろう。皆等しく同じ。つまりみんな家族。みんな姉妹。なんだかそれは。
「ちょっと楽しいそうかも」
「うん……楽しいよ。独りよりずっと良い」
しばらく歩くと「ここがわたしのお家よ」と立ち止まった。他の木造建築と変わらない一階建ての家。周囲には星蘭が花園を築き二本の樹木が傘を差す。家を蔓延る蔓には小さな紫の花や青い花が。家の後ろの農園には果物の樹が生えている。
「さあ入って」
「お邪魔します」
会釈して入室。簡素な室内だった。ルナは知らないが、アンギアの部屋の簡素さに近い。
木材作りの机とロッキングチェアが一つずつ。室内の壁にも植物が浸食しており、鮮やかな緑と淀みのない白花が灯火のついていない家の中を明るく色づけてみせる。キッチンルームはなく、水浴び場となっていると言う。
「人間とは少し勝手が違うと思うけれど、ルナの家だと思ってくつろいでね」
「ありがとう、ソフィアちゃん」
「それじゃあ」
そう言うとソフィアはその場に植物でソファーを作り出し、腰を下ろした。人が余裕で横たわれるくらいの大きさの端に腰掛けた彼女は自分の膝をぽんぽんと叩きルナを見つめる。
「えっと……なに?」
困惑するルナ。そんなルナを見つめるソフィアの木漏れ日の瞳は慈悲に潤むように、どこか寂し気であった。なんだかもの凄い罪悪感に苛まれながら、けれどそんな眼を向けられる意味がわからず、ルナは戸惑ってしまう。
ソフィアは儚げなまま視線をそっと落とし。
「ルナは強いんだね」
「え?」
唐突に褒められてさらに狼狽する。彼女の真意がわからず口を挟むことができないまま耳を傾け。
「あなたは強い。きっとどんな困難でも挫けない……そんな強さを持ってるの」
「…………」
「わたしがいくら二人が大丈夫だよって言っても、探しに行く気なんだよね?」
まるでルナの心を見透かす瞳。差し込む木漏れ日にルナは嘘をつけなかった。
「うん。行くよ。ソフィアちゃんを信じてないわけじゃない。ただ、私が助けたい、逢いたいだけなんだ」
ソフィアは集落のみんなが家族だといった。姉妹のようだと。きっとルナが二人に抱く感情も似ているのだ。明確にはできなくて、今は仲間としか言いようがないけど。
「二人はね、私にとっての希望なんだ」
「――――」
『ルナ』という名前をくれて、冒険する理由を与えてくれて、ここまで一緒にいてくれて、助けようとしてくれて。ルナは二人の背中を追いかけている。いつかちゃんと二人の隣に並べるように。それが求める強さで在りたい姿。
嗚呼、やっぱりアディルとリヴは希望だ。
毅然とした姿。迷いなく惑いなく彷徨うことなく、はっきりと見据えた眼。簡単には折れない志に、だからこそソフィアは慈しみながらも悲しく思ってしまう。
だって――
「でも――ルナの身体は疲れてるよ」
「……っ⁉ つ、疲れてなんて」
「ううん。このままじゃ心の前に身体が倒れちゃう」
「…………」
そうだ。ルナは超人ではない。アディルやリヴのように冒険のために長年鍛えてわけもなければ、身体能力が高いわけでも才能があるわけでもない。あくまで心歌術が使える凡人に過ぎないのだ。
「きっと、ルナは心歌術を使う度に無意識に自分を癒していたんだと思う。心歌術は精神力を削るけど、ルナは心が強いから大丈夫なんでしょ。でも、あなたの身体は違う」
「で、でも! 今まで大丈夫だった! まだ一回しか戦ってないからきっと大丈夫だよ!」
「いつもは大丈夫かもしれない。でも、わたしと出逢ったルナは酷く憔悴していた。心も身体もボロボロだった。今にも倒れちゃいそうで、すごく痛々しくて……何か身に覚えがあるんじゃないの?」
「そ、それは……」
口籠るルナ。
ただ一つ、ルナを襲ったのは『孤独』だった。でも、それはソフィアと出逢ったことで癒えた傷だ。もう大丈夫なことで、けど忘れられない苦しみで。
それでも奮い立たせ食い下がろうとして——
「このままじゃ、二人と再開する前にルナが倒れちゃうよ」
「――――」
喉がつっかえ身動きが取れなくなった。
きっとソフィアの言い分は正しく、ルナは無力な自分を思い出す。実感したばかりじゃないかと胸の内が呆れる。
一人になった時、自分に何ができたか。必死に逃げて無様に足掻いて情けなく泣きそうになって。無理矢理に心歌術を発動させてパンテオンを殺した。そこに欠片の余裕もなく、二人の指示に従うこともできず、綺麗な歌を歌うこともできなかった。
そして、二人と逸れて勝手に悲観的になり孤独に苛まれ死にたくなり。でも、そんなネガティブは自前の前向きさで立ち直ってみせた。
今思えばきっとそれも虚勢に近い自分騙しなのかもしれない。だって、ソフィアと出逢えた時、ルナはみっともなく泣いてしまった。口では助けに行かないと、と言いながらも縋って甘えてしまっている。ここにいるのがその証拠だ。
歩き続けた足は重く、指摘されて身体に怠さ感じて、馬鹿みたいにしんどく感じてしまう。
それでも、と意固地になるのは弱さを認めたくないからなのか。それともソフィアが信用できないからなのか。あるいは憧れや尊敬ではなくただの依存なのだろうか。
頭を押さえふらりと揺れた身体。力の抜けた腕をソフィアの白く冷たい手が掴み、ぎゅんっと自分の方へと引っ張り寄せた。
「え? きゃっ」
逆らうこともできず、ソフィアに倒れ込みぎゅっと目を瞑る。
身体に痛みはなく、馳せる鼓動を落ち着かせる綺麗な香りが鼻孔をくすぐり、頭には柔らかな感触と髪を梳く心地よさがルナの緊張を全身から解していく。
「ほら、一度眠りなさい」
「ソフィア、ちゃん……で、でも……わたしは」
眠るわけにはいかない。まだリヴとアディルが助かった保障はないのだ。一刻も早く二人と合流しなくてはいけない。ここで眠ることは許されない。だって、二人は今も戦っているかもしれないんだから。
強迫観念染みた正義感が凝り固まっている疲労から眼を逸らして奮い立たせる。
ルナは自分だけの幸福を許せない。誰かの不幸や犠牲の上に得られる傲慢強欲を嫌う。一種の自罰が愛他的意識に駆り立てる。
愚かしい優しさに心を駆り立てるが。
「ダメよ」
「え?」
起き上がろうとしたルナの肩を掴まれソフィアの膝に戻される。なんで、と視線を仰向けに向けるとソフィアの相貌が映り込む。その木漏れ日の淡い瞳が告げる。
「一度寝て。それからでも大丈夫」
「でも…………」
「ルナの優しさは好き。でも、ルナが死んじゃうのはわたしが嫌なの」
「…………」
「大丈夫。あなたを否定しないよ。ただ、今は少し休もう。元気になって万全な状態で仲間の二人を助けに行こ、ね」
まるで子どもをあやすように。
「大丈夫。ほら、目を閉じて」
顔を覆うように白い手がルナの瞼をそっと閉じる。
囁き声が耳朶を馴染ませ、心音に沈めていく。
「眠りなさい、優しい子。今は夢に休みなさい。
眠りなさい、急ぐ子。今は心の音に耳を済ませなさい。
眠りなさい、そして穏やかな朝を望みなさい。
大丈夫よ、ほらわたしはここにいるわ。
あなたもここにいるわ。夢を見て微笑みなさい」
子守歌のような歌が紡がれルナを眠りへと落していく。
数秒と経たず、眠気に逆らう瞼を深く落としていき、ささやかな空白を開けてか細い寝息がすぅーっと流れだした。
やはり精神的に追い詰められていたのだろう。一度泣いたことも相まって疲労が自覚よりずっと溜まっていたとみる。
彼女はまだ子どもだ。成長も衰えもないソフィアとは違い、ルナの寝顔は年相応の幼さが残るそんな寝顔だった。
記憶がないと語った彼女は近い年の双子に拾われて日々を過ごした。大人に甘えることもできず、頼ることもできず、泣きつくこともできず。また、その過去ももたず。
「あなたは誰にも打ち明けられなかったんだね。甘えたいこと、頼りたいこと、弱音もぜんぶ」
だからこそなのだろう。強さや憧憬、在りたい自分に執着していたのは。
頭を撫でるように髪を梳く。その寝息がおだやかであり続けるように。いい夢が見られるように。
「休みなさい。わたしはずーとルナの味方だからね」
だから、よく甘えて、と。
木漏れ日が毛布をかけるように光で包む。草木が束の間の静穏をもたらし、花々が香りで傷を癒していく。
響くのは彼女の寝息だけ。満たすのは大量の愛情。その口元には慈愛が込められ、その指先が愛おしさに満ち、その瞳が愛を語る。
どうか今だけが子どものように眠りなさい。
光が落ちて行く。白い空が暗くなっていきやがて闇に包まれる。カンテラや松明ではなく、燐光する花を光源に夜を過ごすフローラスたち。全員が似た相貌の、けれど異なる魂を持つ花の娘たち。そんな娘たちの中の一人、ソフィアは庭園の端でとある客人と対面していた。
「…………」
「そう睨まないでよね。僕だって酔狂でここに来たわけじゃないのさ」
その客人の見た目は男か女か判断が難しい。ボブカットの鼠色の髪に女性のように華奢な体躯。しかし、声音は声質の声高い青年のようで筋力は男のように力強い。黒のパンツとローブの客人の佇まいは優雅の欠片もないが気品と気高さがあった。
「それで、何の用?」
警戒に鋭くなる声音。忌み嫌っているのがよく伝わるが、当人は何でもない風に。
「なに、眠り姫に一度会ってみたかっただけさ」
「…………」
「本当さ。危害を加えるつもりなんてさらさらないし。彼女にはまだまだ利用価値があると僕が考えているわけさ。こんな所で死ぬことを僕は願わないし……キミだって好まないろう」
「…………っ!」
わざとらしく開けた間はソフィアを煽るためだろう。ソフィアの心の変動を読み取るため。奇しくもソフィアは怒りを露わにしてしまった。瞬間、客人はソフィアの真横に現れ。
「今のキミがいるのは僕の優しささ。不自由なキミへのささやかな慈悲さ。キミはキミの立場を弁えなければいけないのさ」
「…………」
忠告され何も言えなくなるソフィアに客人は満足とソフィアの髪をなぞった。広がる白い髪の向こうで、客人は笑みを浮かべる。
「僕は愛してるんだよ。人類を」
遥かな日、その唇は紡いだ。
「この世界に生きる誰よりも愛し焦がれ憐れんでいる」
彼方先で、その眼は予見した。
「あまりにも脆弱で人類はいずれ滅びるのだろう」
明日の光に、その心は切願と哀悼をする。
「僕はね、その結末がどうしても嫌なだけなんだ」
だから、救世の光が必要だと。大樹を逆さにした紋章を左の心臓に。
「僕たちはね、異種族になりたいだけなのさ」
だから、これ以上の邪魔は許さないと。
ソフィアの右腕が吹き飛んだ。墳血は一切なく、ただ右腕が宙を舞って転がっていく。正常な痛覚に声を抑え必至に耐えるソフィアに客人は告げる。
「君は道具に過ぎないことをゆめゆめ忘れないように」
それだけ言い残して客人は目の前から消えていった。
そんな客人を見送ったソフィアはすぐに植物をかき集め右腕を蘇生する。ふーと息を吐いて目を開いて——そこは自分の家だった。辺りを見渡して変わっているのは部屋が暗くなってきていることだろう。
「はぁー……またやられた。どうしてこんなことに……わたしは……」
それは定められた運命だと告げるように、逃げられなかった。この宿命からは解き放たれない。楔に縛られ永遠の契約に従い季節を跨ぐ。終わることのない循環を担い、世界の歯車として生き地獄を味わい続ける。世界が終わるその時まで。
「すぅーぅ……すぅーすぅー」
ふと、膝の重みとか細い寝息に視線を降ろす。今日出会ったばかりの、そしてソフィアの運命に巻き込まれる優しい少女。少女と言うには十六の彼女には失礼かもしれないが。
「…………」
寝息を立てて穏やかに眠る姿は少女そのものだ。彼女の寝顔を見ていると心が穏やかに凪いでいく。その反面でどうしようもない罪悪感にそっと。
「…………ごめんなさい」
ソフィアは少女の頭をそっと撫で、何かに対して謝った。
ソフィアの運命に巻き込んでしまったことにだろうか。あるいはもっと違うことについてだろうか。
それがわかることはなかった。ソフィアの相貌は散り際の花のようで、寂しさを堪えて笑う旧友のようで。
どうして? ——その問いをかけられる者はこの場におらず。ルナの寝息だけが響き渡る。
それでいい。それがいい。
「どうか、幸せでいてね」
ソフィアはルナの額に一つ唇を落し、彼女の見る夢にとある願いをかけた。
そして——ソフィアの身体は花びらとなり散り去った。
ありがとうございました
いいねなどありがとうございます! とても励みになっています。
次話から再び天場の話しに戻ります。
それではまた。
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