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死贈りの歌姫(旧タイトル:死に急ぐ冒険者は踊り歌って愛叫ぶ)  作者: 青海夜海
第二章 星蘭と存続の足跡
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第二章11話 呪いと願い、それは選んだ記憶のように。

青海夜海です。

遅くなりました。

 

 アンギアに促され、リヴは二階へと上がった。

 二つある部屋の一つは開けっ放しにされており、どうやらアンギアの武器庫のようで冒険での戦利品が几帳面にまとめられていた。

 彼が指示したのはこっちの部屋ではないのだろう。戻って閉まっているドアの前に立つ。

 コンコンと二回ノックすると、「……どうぞ」と幼く少し控えめながらも凛々しさを含む女性の声が返って来た。その声を聴いてこのドアの向こうに誰がいるのか予想がつく。

 リヴは恐る恐るとドアを開いて覗き込む。

 恐らく目を覚ましている状態での邂逅はこれが初めてだ。奇縁によって関わりを持ち、数多の苦難を乗り越えてようやく対面できる瞬間へと到ることができた。

 そんな感慨を胸いっぱいに、リヴの瞳はその少女を映す。

 灰青色の肩下までのストレートな髪。全体的に細身で華奢。色白い肌とリヴより幼い相貌とが相まって余計に儚さを醸し出す。ベッドに腰掛けているからわからないが、一五五のリヴよりも背は小さく見えた。真新しい寝間着に身を包まれた少女は眼をキョトンとしてこちらを見つめる。


「だ、誰ですか……?」


 想像していた人物と違ったのか、少女はばっとタオルケットで身を包み、外敵から守るようにリヴへ戸惑いと敵愾心を覗かせる。


「大丈夫大丈夫。あたしは悪者じゃないから! アンギアさんが会っていけって」

「……えーと、アンギアさんの、お友達でしょうか?」

「……あ、うん。そんな感じ。そう間違いなくベストフレンド! グッドフレンド!」

「そうでしたか。私てっきりアンギアさんだと思ってまして……失礼な態度をとってごめんなさい。あと、こんな格好で」


 寝間着姿が恥ずかしいのか年相応の反応を見せる少女。それだけのことがやけに胸を締め付け、少しだけ泣きそうになった。

 感涙なままにぼーと見つめるリヴに少女はあからさまに困惑の表情を見せる。

 はっと現実に戻ったリヴは一度目元を掻くように涙腺を押さえ、微かな息を吐いて向き合う。


「あたしはリヴね。アンギアさんのマブダチ!」

「マブダチ? あ、えっと、私は……ネルファと言います。その……」

「ネルファね。オッケー。よろしく!」


 刺激しないように軽快に踊る。少女はほっと吐息を零し、幾分か柔らかくなった表情で。


「よろしくお願いしますわ」


 それは違和感と言うほどではなかった。だけど、どうにも目の前の少女ネルファには似合わない言葉遣いで。


「わ?」


 思わず首を傾げると、ネルファはあわわと顔を落ち込ませ。


「……す、すみません。なんだか偶にでてしまって……私はそんな言葉遣いじゃないはずなんですけど……」


 ネルファ自身が戸惑っており、彼女の言葉はどこかちぐはぐにリヴには感じた。ふと、カインとの会話を思い出していると、そう言えばネルファは貴族の御息女だったことを思い出す。


「…………」


 だが、どうにも一致しなかった。カインが語り聞かせてくれたネルファ・アルザーノという十四歳の娘と、タオルケットに包まり自分に自信を持てていないネルファとが。

 リヴが思考に沈んだことで沈黙が降り、気まずくなったネルファはもじもじしながら、あのーと声を出す。


「それで、その……リヴさんは、私に何か用があるのですか?」

「…………」


 おどおどした口調も身体を丸めた姿の伏目がちな視線も。カインと駈け落ちすることを選び、実の父親を殺した貴族令嬢の姿と不可解なほどに同じ人間には思えなかった。

 訝しく思いながら一先ずはネルファの現状を探ることにする。


「アンギアさんの代わりにあんたの調子を見て来るように頼まれたの」

「そうでしたか。すみません、迷惑をかけてしまって」

「ううん……あたしも丁度よかったし」

「?」


 先までの葛藤を上書きするようにリヴはネルファに集中した。逃げる手段だが、それでもずっと昂っていた頭を冷やすには丁度よかった。そして、ネルファの存在が思考に上書きをしてくれたことで自分のことを考えずに済む。

 今はそれが有難かった。


「それで、えっと調子はどう? どこか痛かったりする?」

「大丈夫です。えっと、どこも痛くないです」

「そう? あたしこう見えても天才美少女錬金術師だからねー。どんな病気も怪我もイチコロで治しちゃう」

「天才美少女錬金術師? えーと、すごいんですねリヴさんって」

「あれ? ツッコンでくれていいんだよ? 冗談じゃないけど渾身のジョークだからね」

「ジョーク? 嘘ってことですか?」

「ううん、ホントのことだけど」

「え?」


 果てしなくネルファを困惑させる。

 これぞ右に出るものはなし! 奇天烈な道化自称天才錬金術師(笑)リヴちゃんである! 

 という自己紹介は要らないとして、けれど道化の自分はとても心地よく心も口も羽のように羽ばたくことができた。

 そんなリヴでも怪我人の前でお茶ら気ばかりではさすがにいない。

 安堵に胸をほっと落すように。


「ホントよかったよ。これで約束は守れたわけだし、折角助けた子が死んじゃうのは後味悪いしね」

「? わたしを助けてくれたんですか?」

「そう言えば何も言ってなかったっけはて ていうか初対面だもんねー。まー助けたっていうか依頼を受けたって感じ。あんたの騎士様にね」

「私の騎士……」


 さすがにその人の名前をだす勇気はリヴにはなかった。人のテリトリーにズカズカと踏み込む無遠慮で評判のあるリヴであっても、その最終境界線は容易に踏み越えることは躊躇われる。

 リヴ自身はどれだけ惨劇を目の当たりにして、誰かを失い、誰かを殺したとしても。それはリヴの感情であり、誰かが完全に理解することも共鳴することもできない。

 そうだ、ネルファの痛みや苦しみ、悲しみをリヴは共鳴することも完全に理解することもできないのだ。

 言葉面で同じでものでも、抱く感情はまるで違う。

 恐る恐る窺うリヴに、しかしネルファはピンときていない風にぼーと虚空を見つめ。


「…………ぃん」

「ん?」

「あ、いえ。その……」


 その感情すら自分で理解できていないようだった。

 やはり違和感があった。確かに彼女の表情は晴れない。戸惑いが強く悲壮が滲み出ている。それでも、想像よりずっと淡泊だった。身構えてたいたリヴは拍子抜けするくらいに、ネルファはさほど喜怒哀楽の変化を見せず。


「えっと、助けてくれてありがとうございました」


 ただ感謝を告げた。


「…………」


 憤慨するでもなく、叫ぶでもなく、嘆くわけでもなく。どこか他人事のように。

 瞬間、リヴは途轍もない焦燥に駆り立てられ、不気味な気配を振り切るように、思わず阻まれた彼の名を口にした。


「それだけ……?」

「はい?」

「なんで? あんたの騎士だよ!」

「え? リヴさん——」

「――っあたしたちに依頼した騎士! あんたの騎士カインなんだよ!」

「カイン…………」

「そう! カイン! あんたが好きだった人!」


 止まらない。口が止まらない。失言に失言を重ねているのに、それは刃物だと言うのに……どうして? どうして――ネルファは困惑の表情を浮かべているの?

 それが堪らなく。


「カイン・ビルマー! あんたが好きな騎士で! あんたと駈け落ちしようとした男! なんで覚えてないの! わかるよね? カインだよっ!」


「私が、好きな人……カイン……ビルマ―」


「その人は……残念だけど亡くなった。でも、あんたを最後まで思ってた。あんたのために一生懸命だった! 攫猿の時だって——」




 っ――――――ッ




 次の瞬間だった。

 何か割れた。

 いや違う。

 何かが崩れ落ちそれは心臓を揺らす波長の絶叫となって劈いた。

 形成して積み上げていたものが崩れ落ちていく。

 認めたい怒号であり、拒絶の轟震であり。

 嗚呼——絶叫か。

 それは否定する——その存在、事象、原理のすべてを忌む。

 すべてを潰す。




「――――はっ!」




 今のなんだったのか。不思議で不快な感覚が鼓動を急かす。一瞬にして噴き出した汗。徐々に感覚が一定に戻っていき。



「すみません、カインさんって誰ですか?」



 そう、ネルファはきょとんと首を傾げていた。



「は?」



 思わず怪訝(けげん)な声を出してしまったリヴに怯えた少女は恐る恐ると。


「その……思い出せないんです。ここで目覚めた時より前のこと、ぜんぶが」

「…………」

「私がどうやって育ったのかも。何をしていたのかも、ぜんぶ」

「…………」

「何も、わからないんです。…………その、カインさんって人のことも」

「…………」


 ありえない。そうとしか思えなかった。そんな馬鹿なことはあり得ないと。ありえてはならないと。あってほしくないと。

 リヴはネルファへとがっと近づき、少女の両肩を掴み目線を無理矢理合わせ。


「うそだよね? 思い出せないって、何もわからないわけ?」

「は、はい。……どうしても思い出せなくて」

「なんで? ――あんた、カインが好きで! だから蘇生までさせよって頑張ってたじゃん!」

「わ、わかりません! わたしっ、わからないんです! どうして【エリア(ここ)】にいるのかも、そのカインさんって方も! なにもっ! っ――なにもわから、ないんですっ!」

「――――っ」


 どうしてかたまらないほどに苛立ちが(たかぶ)った。怒りが沸騰しネルファの肩を掴んだ手に力が入る。「いっ、イタイですっ」と涙目になる彼女に気遣ってなどあげられないほどに朱に染まった思考は叫ぶように。


「カインだよ! あんたを家から連れ出してここまで一緒に逃げてきた騎士! カイン・ビルマー! あんたは攫猿(かくえん)に攫われて知らないかもだけど、あの人、自分の命顧みないであんたを助けようとしたんだよ! わかるよね? 思い出したよね? あんたの好きなカイン。カインのためにあんたは――」


 叩きつける。リヴが一方的に知っている惨劇の真相を。

 カインの想いを受け取った者として報われてほしい傲慢な思いやり、それはアイレとの激戦を無意味にしないための利己心だとしても、確かにあるネルファとカインを思う優しさで殴りつける。魂を揺るがして無理矢理にでも思い出せと言わんばかりに。


 しかし――ネルファの瞳孔が大きく開いて。



「――――攫猿――」



 刹那——絶叫が劈いた。


 再び劈く波長が魂を締め付け思考を剥奪しすべてを崩落させていく。

 積み上げた記憶という己が崩れていく。

 カインの、その随時する思いの、連結する事象の、その出逢いからの思い出の、そして待ち受けた受け入れられない惨劇の——恐怖に繋がる一切合切を。



「――――っは!」



 はっと意識が戻る。大量の冷汗が己を呪うように這いまわり、心臓が咎めるように痛いくらいにうるさい。まるで寿命を無理矢理引き千切られたような感覚に。けれど、少女は何事もなかったようにやはりそう告げるのだ。


「――。大丈夫ですか?」

「う、うん…………大丈夫」

「そうですか。……えっと、すみません、何の話しをしていたんでしたっけ?」

「――――。カインって人、知ってる?」


 最後の悪あがきに、嗚呼、望まない苦笑が浮かべられた。


「えっと、ごめんなさい。その、わからないです……」

「…………」


 それは絶望だっただろうか。頑張りの無意味への落胆だったのだろか。あるいは世界への失望だったか。

 ただ、リヴの中から何かが抜け落ちていった。

 反応しないリヴに、首を傾げるネルファ。

 責め立てたい。思い出させたい。わからせてあげたい。

 そんな傲慢と強欲を呑み込み。


「――――。ううん、なんでもないの。じゃあ、元気で」

「えっと、はい。ありがとうございました」


 リヴは逃げるようにネルファの部屋を後にした。全身を穿たれたような感覚に狂いながら一階へと降りて、コーヒーを飲むアンギアに訊ねる。


「どういうこと? なんで? ……なんで⁉」


 彼はリヴの酷い有様に目を細め、カップをテーブルに置き。


「あいつが何歳に見えた」

「え? じゅ、十四歳でしょ。……カインが、教えてくれたもん」

「あいつはどんな目にあった」

「そ、それは……父親に無理矢理結婚させられそうになって、カインと二人で逃げた。それで、父親の雇った暗殺者に追われて、カインとネルファは離れ離れになって、ネルファは攫猿に……————」


 言葉が詰まったリヴにアンギアは問う。


「攫猿に何をされた?」


 どうして忘れていたんだろうか。リヴとルナはその眼でその残酷で悲惨な惨状を目にしたはずだ。ネルファが攫猿(かくえん)に何をされていたのかを。

 ゾッとリヴの血色が悪くなり身体を抱きしめた。アンギアは静かに語る。


「あいつはァ攫猿を筆頭にィそれに連なるすべての記憶を封じ込めたァ」

「…………」

「よっぽどォなトラウマなんだろうよォ。攫猿に繋がる記憶の一切がァ残ってねェー」

「うそ……」

「わかんだろォ。あいつはァカインも家のこともォ、それこそ蘇生もだァ。すべてにィカインが関わってやがるゥ。そのカインこそがァ攫猿と一番深く関わりやがるゥ」


 ネルファの人生の大半に、カイン・ビルマーという騎士は付き添い続けていた。


「カインのォ記憶を辿るとォ、クソ猿にィ繋がんだよォ。だから、何も覚えてねェー。一種の生存本能の防御術だなァ」


 それが真実だった。ずっとカインを失った事実で麻痺していた心は、何かしらの作用で立ち直ることに成功した。

 すると受け入れ始める現実の中で、受け入れられないものがでてきた。

 それはカインの死とは違ったベクトルでネルファの精神を大きく傷つけた。記憶を封印するとう本能的な防御に出るほどに。

 ああ、ネルファはまだ何一つ救われていない。彼女は胸の奥でずっと喪失を抱えている。記憶を失うほどの恐怖的喪失を。


「こんなの、あんまりだよ……っ」

「まったくだァ。ッチ」


 やるせない。ああ、やるせない。だからこそアンギアはリヴをここへ連れてきた。


「俺はァ、テメェーがァネルファに似てやがると思ったァ」

「あたしが?」

「アア。トラウマに魂を犯されてやがるゥ。テメェーを見た時、テメェーもこうなるかもしれねェーってな」

「あたしが、ネルファみたいに」

「ネルファもテメェーもトラウマから逃げてやがるゥ。テメェーにはただ、(すが)れるもんがァあっただけだァ」


 確かにそうだ。悲惨の強弱など関係なく、互いにトラウマから逃げている。

 リヴにはアディルや錬金術、マリネットなどの友がいたからなんとか【道化】を演じ誤魔化す形で押さえられてきた。

 しかし、ネルファは『孤独』だった。家族は一人としておらず、友もおらず、ここは奈落であり、自分の身は耐えがたい穢れにぐちゃぐちゃにされていて。けれど、魂に『生きる』が刻まれていた。だから、記憶を封印する術に本能が動いた。


 もしも、リヴがトラウマに耐えきれなくなり縋るものを失い守ってくれるものがなくなったら。もしかしたら――――


「テメェーはァこうなるなよォ」


 それがアンギアが伝えたかったことだった。

 リヴはこくりと頷いて、そっと彼の家を後にする。


 虚しい痛みだけが、酷く誰かの嗚咽を木霊させた。


ありがとうございました。 

感想などあればお気兼ねにお願いします。

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