第二章9話 優しさの毒
青海夜海です。
今日からしばらく地下side、ルナたちの話しです。
よろしくお願いいたします。
花の香りが懐かしい夢を見た。
周囲が白くぼやける視界の中、一人の男の子が腰を下ろして土をいじっていた。いや、側面から覗き込むと彼は花壇の手入れをしていた。邪魔な雑草をせっせと抜いている。
その花壇には色とりどりの花々がイキイキと光を浴びて咲き誇っていた。蒼い花、黄色い花、赤い花、ピンクの花。緑の葉と茎。
名前のわからない花たちがお喋りするように風に揺れる。
私はそっと彼に声をかけた。
「お花綺麗だね」
雑草を抜く手を止めた少年が振り向く。どうしてか覚えられない彼の顔が、眼が私を見つめていた。どこか感慨深く見られていた気がする。
彼は立ち上がった。わたしと向かい合う彼の口が動く。
「―――ん――まっ―。―めん。――し――あえ――――い」
「え?」
途切れ途切れな言葉。彼が何を言っているのかわからなかった。
「勝手――――かって―。――、お願い―」
「なに? お願い? まって! あなたは誰なの?」
途轍もない不安に駆られ尋ねる。けれど、視界がやけにぼやけていき、そこにいるはずの彼がもっと曖昧になっていく。まるで霧に溶かされて消えていくような。
「――ィアを――てあげて」
「待って――! あなたは――」
霞んでいく。曖昧に白く塗りつぶされていく。霧の向こう側へ、蜃気楼の先へ、伸ばす手の走る脚の叫ぶ声の届かないずっとずっと先へ。
すべてが霞に掻き消え、そしてわたしの夢はここで途絶えた。
*
【翠星の獣】クルールとアイレとの激戦後。アディルたち一同は動けるようになってから無法都市フリーダムへと帰路についた。
クルールの蘇生のための被験体となったネルファ・アルザーノをアディルが担ぎ先頭を歩く。その後ろをルナが続き、フリーダムの冒険者の唯一の生き残りであるアンギア・セブンが数歩離れて後を追う。
そして、その数メル後からまるで今にも壊れてしまいそうなリヴが大地を踏みしめて歩いた。
「…………」
心配で振り返るルナはかける言葉が見つからず、視線を戻して俯いてしまう。
彼らの間には最後まで会話はなかった。
クルールに敵わなかったアディルは悔しさを噛み締め。
ルナとしての生き方を見つけた彼女の胸には確かな炎が灯り。
過去の悔恨に苛まれていたアンギアは、違った形で向き合うことを決め。
そして…………
「…………」
生きているだけで罪だ――
アイレが告げた罪の存在に、圧し掛かり喉元に構えられたナイフの刃先に。何より罪を背負う本当の覚悟を持って救済を実行した歌姫に。
リヴの心は生き方を見失っていた。
「……なんで」
呟きは湿地の水面に吸い込まれ、向けた視線の先が嫌に眩しくて逸らした。
なんで……人を殺したの?
「もう、わかんないよ……」
ただ、生きたいだけ。自分らしく、楽しく、輝かしい日々を冒険したいだけ。
ただ、罪人になりたくないだけ。誰にも責められたくないだけ。その眼が怖いだけ。
リヴは虚無の闇に覆われていく感覚に囚われながら、ひたすらにルナたちの後を歩いた。
無法都市フリーダムに到着したのは十八時を回った深月だった。
迎えに出てくれた冒険者たちによって左腕を失ったアンギアと、アンギアが預かることになったネルファをよろしく頼み、アディルたちは宿屋へと戻った。
お風呂に入る気力もなく、簡単な治療して、皆ベッドに倒れ込むと死ぬように眠りについたのだった。
紅月の刻 地下 十四日。
ルナが目を覚ましたのは既に九時を回った昼過ぎだった。だらしなく垂れていた涎を拭い、恥ずかしく思いながら隣のベッドを見たが、既にリヴの姿はなかった。
「どこに行ったんだろう?」
昨日のことを思い出して心配になる。リヴがどうしてあれだけ傷ついていたのかルナにはよくわかっていない。けど、リヴが最後までルナがクルールとアイレを殺すことを止めようと声を上げていたことは覚えている。
酷く憔悴、いや絶望したリヴの顔は忘れようがない。
「……リヴ、私は悪かったのかな?」
自分の中で直ぐに解が出る。
あれは救いであり、人を殺す罪は胸に刻まれていると。そうだ、ルナは善人じゃない。
「私は人殺しになったんだ……」
言葉にして強く実感する。自分の歌がクルールとアイレを殺した実感を。
アイレはクルールが不滅から開放されることを、死なせることを願った。彼の拙くも優しい恋心を知り報われてほしいと思った。それが二人にとっての救いだった。
だから、ルナは決断した。
誰も死んでほしくない……その胸の奥で見つけた、大切な人を助けたいという気持ち。それがあったから、二人を解放するために歌う決断ができた。
そのことに、殺人者となったことに悔いはない。
「うん、ちゃんとわかってるよ。それでもね」
ああ、それでもさ。やっぱり——
「私は誰も死んでほしくないと思うんだ」
やっぱり死んでほしくないいから。
「だから、強くならないと。アディルとリヴを守れるくらいにずっと強くなろう」
言霊にして強く名に刻み込む。この果てなく理不尽と絶望が犇めく世界で『ルナ』として生きていくことを誓って。
いつか、本当の自分を取り戻すために。
「よし! じゃあ早速アディルのケガの具合見に行こうかな」
ばたばたとベッドから降りて入り口に向かうルナは姿身に今の自分の姿を見て脚を止めた。血痕と砂だらけの戦闘服にぼさぼさの桃色の髪。くんくんと腕のにおいを嗅いで。
「まずはお風呂に入らないと」
乙女としての尊厳を無事守ることのできたルナは頬を赤らめた。
トントンとノックが響く。誰だと訊ねると「ルナです」と返答。入れと言うとルナは恐る恐る扉を開けて「お邪魔します」と姿を見せた。
ベッドに座るアディルは上半身裸の状態で、腕の包帯を巻き直していた。アディルが何か言う間もなく。
「私がやります!」
と慌てて近寄ってくる。
「いい。自分でできる」
「だめだよ。アディルさんは怪我してるんだから安静にしてないと。手当とか雑用も私に任せて」
そう言うとルナはアディルから半ば奪うように包帯を受け取り腕に巻いていく。腕の傷は一か所だけではない。小さな擦り傷はルナの心歌術で治療できたが、切り刻まれたように残る傷痕がそれでも目立つ。
「ごめんなさい。私がもっとうまく治せたら」
ルナの実力では傷口を塞ぐので精一杯だ。深すぎる傷はこうして包帯を巻いておかないと傷口が開く恐れがあり、塞がった傷も痕となって完全に消し去ることができなかった。
腕だけじゃない。彼は何でもない風だけれど身体中が傷だらけだ。きっと動くだけでも痛みが走るだろう。自分の無力を呪うルナに、アディルは溜め息を落す。
「オマエはよくやった。これは、俺が弱かった証拠だ。オマエがいなかったらそもそも俺が生きてねーよ」
「…………アディルさんは強かったです」
「皮肉か?」
「ううん、私にはずっと強く見えたよ」
微笑みで返すルナにアディルは毒気を抜かれ「そうか」と黙った。
少しずつだけどお互いをわかり合えてきたと思う。
怜悧な眼差しのアディルが怒っているのか呆れているのかがわかるようになり。アディルもまたルナが本気で自分を強い存在だと憧れていることなど。
互いにわかり合えて来ていることがむず痒く沈黙が下りる。
よしできた、と完璧な包帯固定が輝きを放った。
「……オマエ、包帯結べたんだな」
「言われてみれば……やったことあるような気がする」
ルナは記憶喪失だ。過去の一切を忘れており、一般的な知識や倫理観、身体の記憶は残っているようで、包帯の技法も身体記憶の一環だろ。
アディルとリヴ、ルナはそれぞれの目標を持って【エリア】にいる。それを互いに尊重し合い助け合い語り合う。彼らは仲間だ。
「その調子で思い出せるだろ」
だから、彼のその言葉は何よりもうれしかった。
「うん! 私も二人のためにもっと頑張るね」
仲間だ。もしかしたら友だちかもしれない。そんな感じの繋がりがあってそれは確かに温もりだ。
だというのに……ああ、どうしてそんな悲しそうな顔をするのだろうか。
それはルナの見間違えか……彼は平常に戻り腕を軽く動かし額を寄せる。
「痛い?」
「別に。この程度なんでもねーよ。あと二日もあれば治る」
「そっか。でも一応心歌術してもいい?」
「…………その前に下も着替えるからどっか行け」
「え?……あ、う、うん!」
気恥ずかしくルナはそそそと扉の前までいき背を向ける。アディルは痛む身体を酷使しながら襤褸同然の戦闘着を脱ぎ、浴室で濡らした布で下半身を拭く。こういう時に水魔術が使える奴は便利だとつくづく思う。
ルナの方に視線を向けると彼女はどこか所在なさげな様子。リヴとは正反対で少し面白く思う反面、めんどくさくも思った。
「……オマエの調子はどうだ?」
「え、う、うん。私は大丈夫です。気づいたらお昼でたくさん寝ちゃってて自分でもびっくりだったよ」
「ま、昨日は激戦だったからな。……オマエの功績は大きい。オマエが決断してなかったら全員死んでただろうな」
「アディルさんは、その……どう思いましたか?」
なにを、なんて野暮なことは聴かない。それに彼女の口ぶりはアディルが否定した所で揺らぎない逞しさがあった。それは酷く眩くも悍ましく思えてならない。
だが、アディルの感想は一つ。
「俺の眼にはオマエが……あいつらのために殺ったように見えた。今のオマエも随分逞しく見違えて見えるくらいだ」
「――っ!」
「オマエが悪の道に堕ちたわけじゃねー、ちゃんと理由があってしたことなら俺は否定しねーよ。日は浅いがオマエが馬鹿みたいに甘ちゃんなことは知ってっからな」
「あまちゃんじゃないよ! って、服⁉」
思わず振り向いて先には鍛え上げられた傷痕だらけの肉体に下着一枚のアディルがいて、まるで少年が女性の下着を見てしまったような初心な赤面をして顔を戻す。
「んな恥ずかしがることないだろ。大事な部分は隠れてやがる。てか、さっきは問題なかったじゃねーか」
「はっ恥ずかしいよ! さ、さっきは気づかなかったの! そ、それにだってその……」
「なんだ?」
言い淀んだルナはぼそぼそと。
「男の人の……その、見るの初めてだから……」
「…………」
なんとも気まずい雰囲気が漂い始めた。
失念していた。そうだ、ルナには記憶がない。この十数日が彼女を形成している。軍でも女性ばかりの歌姫科にいたわけだし、そうそう男性の裸を見る機会などなかったわけだ。リヴお手製の戦闘服もやたらめったら頑丈だし。
相手するのがリヴという気分だったようで、まだ少しルナと二人という状況には慣れていないようだ。
「ごほん……あー……でだ。あの馬鹿妹はどうしてる?」
無理矢理な話題修正にルナが大声で乗っかる。
「起きたらいなかったですぅ!」
「普通に喋れや」
「は、はい……」
アディルは服を着替え水を一杯喉に流す。
「で、いなかっただ? 書置きもなくか?」
「うん。荷物はあったからいなくなったわけじゃないと思う。……私と顔を合わせるのが気まずかったのかな?」
それもあるだろう。今のリヴは一昨日とは見違えるほどに弱っている。その原因の一端がルナにないとは言い切れない。だが。
「そうだとしても、オマエがんな顔する必要はねーよ」
「でも……」
「これはあいつが乗り越えねーといけねーことだ。あいつ自身、どう生きていくか。そういう自分だけの決意ってのは自分でしか見つけられねー。ましてや正反対ならなおさらな」
「…………。アディルさんは、リヴが何に悩んでるのかわかってるんだね」
「まーな。伊達に兄妹してねーよ」
そうさ。伊達に兄妹していない。
リヴの過去に何があり、どうしてあそこまで罪に恐れ、ルナの純潔に執拗したのか。完璧でないにしろ大体はわかっているつもりだ。
あの時、アイレに罪の定義をひっくり返され、おまえも罪人だと突きつけられた時。リヴの中でどれだけの衝撃が絶望となって押し寄せたか。繋ぎ止めていたものを覆される恐ろしさはわかってやれる。けど、アディルとてそこまでだ。その後の心の機微と思考まではわかりえない。兄として何もできなかったことを今更に歯がゆく思う。
もういいぞと言うとルナは振り返り胸を撫でおろしたかと思えばすぐに表情を萎める。
「私はわかりませんでした。リヴが何に悩んでいて、どんなに苦しいのか……。それがとっても悔しいです」
「…………」
「何もできなかった自分自身が情けないです」
他者にここまで思えるルナは本当に心優しいのだろう。だが、その優しさがリヴにとっては毒であり、リヴを余計に苦しめる要因となった。優しさとは依存の的だ。その恩恵を得ているだけで正しく思える。自分も優しい人間だと錯覚できる。許されてる気になれる。
リヴのルナへの固執はまさに優しさへの依存なのだろう。
だが、ルナは罪を犯した。つまり、彼女はもうただ優しいだけの人間ではなくなった。純潔ではなくなった。
更に悲劇だったのがその罪を受けいれてなお優しいままでいたことだ。
それは酷くも強く心根を奪い視る。罪を嫌うリヴには酷なことであり、皮肉なことに自分とは正反対のルナが輝いてみせたのだ。リヴにとってはどうしようもないだろう。
アディルにできることは些細なことだ。
「とにかく、オマエはあいつをなるべく刺激しないようにしろ。俺が話しを聞く」
「……わかった。リヴをお願いします」
本当にどこまで優しいのか。未来が不安になるレベルだ。
「それじゃあ心歌術していいですか?」
「必要ねーと思うが」
「念のためです。……アディルさんもリヴも時間が限られているんだから」
それを一番悲しんでいるのはルナだろうに、とは言わなかった。
ベッドに横になるアディルを見守るように椅子に腰かけたルナは歌を歌い始める。
あなたが癒えるささやかながらも幸福な歌を。
ありがとうございました。
ルナの性知識は小学生レベルです。なので認識も小学生に毛が生えたレベルなので、意識しないと赤面しません。意識したら初心で可愛いです。
次は土曜日に更新します。
それでは。




