第二章7話 聖女奮闘
青海夜海です。
こんな天気が続けばいいなーと思います。
本日もよろしくお願いいたします。
真っ赤な眼玉がノアルとルヴィアを射抜くようにねめつける。差す視線は憤怒に濡れ憎悪に燃え殺意に研ぎ澄まされている。馬鹿でもわかる恨みの殺意。
唐突に襲い掛かってきた男はゆったりとした動きで、けれどその口は忙しなく怨嗟を叫び出す。
「お前らのせいだ! お前らのせいだ! お前らのせいだ!」
苛烈な怨嗟の斬撃にたじろいだノアルとルヴィアだが、彼女はすぐに毅然と立ち直し迎え出る。
「ど、どういうことですか? わたしたちがあなたに何かしたのですか?」
「お前らのせいだ! お前らのせいだ! お前らのせいだ! お前らのせいだ!」
「話しを聞いてください! 失礼をしたのならちゃんと謝りますので」
誠意を見せるルヴィアに、しかし男は狂ったように「お前らのせいだ!」と連呼する。明らかな異常事態だ。焦点ははっきりしているようだが、それ以外が薬につけ込んだみたいに不潔で異様だ。
「とにかくここは逃げたほうがいい」
「しかし!」
「あれが何かわからない以上、下手に動くのは危なすぎる」
「……っ」
逃げる選択は合理的だ。しかし、狂った男がそれを許さなかった。
呪詛のように「お前らのせいだ!」と吐き続ける、その身体が変化し始めた。
身体中の皮膚を破って墳血する。血管の破裂が男の身体を血塗れにしノアルとルヴィアの言葉と脚を奪った。纏わりついた血は黒くなっていき肌に新しい皮膚となって張り付いていく。背中に巨大な血豆のように膨れが出来上がり四肢の半分を呑み込んでいく。潰れた目玉が充血していき深紅に染まり切る。それでも男は二人を見つめ続けていた。
「お前らのせいだ!お前らのせいだ!お前らのせいだ!お前らのせいだ!お前らのせいだ!お前らのせいだ!お前らのせいだ!」
「っ危ない!」
膨れ上がった血豆が破裂した。それは血弾となり周囲一帯を一掃する。まるで弾丸の光線だ。ルヴィアが展開した結界が血弾から防ぐ。
凄まじい爆発力に路地を囲む家々と倒壊した残骸が塵煙となって霧散し、舞台に観客の動員を許す。唐突な家々の崩壊に騒然となる人々。彼らの視線が砂煙の隙間を縫ってノアルとルヴィア、そして、砂煙を払いのけた男だった存在をしかとみる。
黒血の鎧をまとった怪物はその左手を剣の刀身に、右腕は五つに分かれ、伸びた長髪が完全に怪物の顔を隠す。もやは人とは言い難い姿に慄き叫喚する者たち。そんな者たちにも耳に刷り込むような怒声で、その怪物は迸る。
「お前らのせいだ!お前らのせいだ!お前らのせいだ!お前らのせいだっ!お前らのせいだっ!お前らのせいだッ!お前らのせいだッ!お前らのせいだァ!お前らのせいだァ!お前らのせいだァアアアアアアアアアアアアアアア!」
大地が粉砕。直観に突き動かされたノアルがルヴィアの前に出る。繰り出される左刀が構えた旗錫杖越しにノアルの脚を地面に埋め込む。
「ぐぅっ⁉」
「ノアルさん⁉」
「お前らのせいだァアアアアアアアアアアアアアアア!」
凄まじい力に押し込まれるノアルはこのままだと耐えきれなく押し潰されると判断し逃亡を選択。
「っっふっ!」
無理矢理に旗錫杖と身体を傾け斬撃を斜めへ往なし逃げる。旗錫杖を滑るように怪物は大地を叩きつけ、ギョロリと首が九十度に曲がり目の見えない顔がノアルを狙い定める。反射神経で負けたノアルは怪物のモーションに遅れを取り、伸びる五つの右腕がその首、腕、足を絡め捕ろうと迫り。
「させません!」
銀閃が走った。
五つの右腕が手首と第一関節の間から切れ跳んだ。
そして、白い炎の光から錬成されたような細剣——〈白火の閃剣〉が邪を浄化し始める。
『ラァアアアアアアアアアアアアアアアっっっ⁉』
苦痛を迸った怪物は切り飛ばされた腕を凝視。そこには浄化の聖痕なる粒子が浸食しており、それは己の何かを消し去っていく。本能的に危機を感じた怪物は左腕の付け根から切断し、聖痕の浸食を防ぐ。
後退する怪物からノアルを守るように〈白火の閃剣〉を構えたルヴィアが前に出た。
「悪い、助かった」
「あなたが無事でよかったです。それで、あれはいったいなんなのですか?」
「俺に聞かれても……」
いや、荒唐無稽な憶測よりも噂に近い話しとして、そこから考えた憶測は存在する。だが、確証が一つもない。
「わたしの目には目の前の男性が突然パンテオンのような怪物に変貌したように見えました」
「一緒だ。お前はパンテオンに詳しいか?」
「……恥ずかしながらそこまででは。症状から推測することはできますが……」
「ただのパンテオンじゃないから、その症状すら正しいとは思えないな」
「はい」
人間のパンテオン化。それがカバラ教を探るノアルが憶測としてもっていた意見だ。しかし、ノアルもルヴィアもパンテオンについてそこまで詳しくない。だからそれっぽく見えても一様に断定できない。
周囲が騒ぎ立てたため、数分後には憲兵がやって来るだろう。彼らと力を合わせればなんなくと処理できそうだが。
『オマエのセイだ! オマエのセイだ! オマエのセイだ!』
「時間は与えてくれないか」
憤怒のままに右腕を再生した怪物は再び挑みかかってきた。左刀とレイピアの交差する衝撃が瓦礫を吹き飛ばす。触手のように伸びた右五本の腕があらゆる方向からルヴィアを捕えに走る。
「はっ!」
左刀を弾いたレイピアで左上と背後の腕を切り払う。残りの三つはノアルが旗錫杖で薙ぎ払った。
「これくらいはできる。援護は任せろ」
「わかりました。援護をお願いします」
何度も再生する五本腕が絶え間なく強襲する。ルヴィアに背を向ける形でノアルは己にできる精一杯の限りに対処していく。
背丈大の旗錫杖を器用に持ちかえながら身体の動きが倣うように、まるで舞踏のようにその身に刻まれた旗舞い、槍使いの洗練させた槍戟に似た動きで対処する。リーチの長さが各腕の対処に充分な猶予を与えたのもノアルが渡り合える要因だ。
そんなノアルの懸命さに支えられたルヴィアは怪物に果敢に攻める。
一、二等兵の技量と思われる怪物の斬撃を身体を逸らして回避し、容赦なく腕を切り飛ばす。そして聖女の浄化が聖痕を刻み邪を祓う。それを嫌った怪物は長髪を操って腕の付け根から左刀を切り落とす
。再生される前に怪物の心臓を狙うが、意志を持った髪の毛が束となって阻む。魔術が込められているのか鉄の固さを誇りルヴィアの力量では切ることは叶わない。
『オマエのセイだァアアアアアアアアアアアアアアア!』
再生を終えた左刀が右わき腹へと突貫。背をできる限り逸らし、わずかな隙を生み出す。刀ほどの細さであれば間一髪で反る背のすぐそこを通り過ぎた。身体の動きに合わせて大地を蹴り宙回転。横に振るわれた斬撃が髪先を掠る。上空より迫った右腕を切り飛ばして着地。唸った怪物の意志が髪の毛に宿り、九つの突起体となり穿たれる。
「いきます」
姿勢を低く真向から迎撃する。
一つ目を切り落とし、足元を狙った二つ目を軽く跳躍して回避。すかさず左右からの挟撃を身体をくねらせレイピアの腹で往なし、それを支えに更に上へと飛びあがる。
目先を狙って走る四つ目を切断。着地しても足は止めず彼我の距離を詰める。五つ目、六つ目を回避し七つ目を切り払う。八つ目を跳躍して飛び乗り、真下から狙った九つ目がルヴィアを遥か上空へと連れ去った。
しかし、白い輝きが髪束に亀裂を差し込み、粒子へと切り裂く。聖女によって邪を祓う輝きよりルヴィアが怪物の目先へと迫った。
『――ッ⁉』
初めてみせた感情らしい感情に、しかし慈悲は与えられない。
「あなたは多くの人を不幸にしました。わたしは聖女の忠義を持ってあなたを制裁します」
確かに彼は人だったと思う。けれど、怪物に堕ち都市を破壊し被害者をだした。それは到底許されることではない。
聖女の意義は神の使いにあり。聖女の意志とは神の裁定。聖女の裁定が降る時、それは神の言霊として聖光が降される。
「静かに眠りなさい――聖なる裁き」
怪物の胸に聖光を纏った〈白火の閃剣〉が突き刺さった。白き聖火が怪物を浄化する。肉体のすべて魂までも汚染され変貌した男を正しい死生へと解放する。
怪物は光の粒となって花びらのように散っていき、静音を取り戻した。
「あなたの次なる生に幸福があらんことを」
弔いを終えたルヴィアの剣は〈ユリの金紋の首飾り〉へと戻し一息吐いてノアルへ振り返り近づく。
「大丈夫でしたか?」
「ああお陰様で。お前は?」
「わたしも大丈夫です。ノアルさんが背中を守ってくれたお陰です」
「は……大して役に立ってない。途中、そっちに二つ行かせたし」
「それでも」
「でもじゃないんだよ」
やはりノアルは己の無能に呪わずにはいられない。
一切の武の才がないこの身が、いずれ誰かを危険に晒すことがあるだろう。もしも、ルヴィアがノアルを信じ切って背中に意識を裂いていなかった場合、ノアルの無力で取り逃した二つの腕が彼女を傷つけていた。それは死だった可能性だってあったわけだ。
結果だけに満足できるほどノアルは腑抜けていない。劣等である自覚が彼女の労いや慰めを拒絶する。
「わかっただろ。俺は弱いんだ。お前の脚を引っ張ることしかできない。いつ、俺の無力がお前を殺すかわからない。こんな俺が世界を救えるはずないんだ」
ああそうだ。そうだろう。誰が見たって彼は聖女に劣っていた。とてもじゃないが世界を救える存在だとは思えない。もしここにアディルがいて、第三者に救世主と思えるのはどちらかと訊ねれば、八割以上がアディルを指差す。残りの二割が異端者を嫌う者たちというわけで、ノアルに向けられるのは失望と同情と嘲笑だ。資格以前の問題だ。
正しく理解して履き違えないように律するノアルは背を向けようとして。
「わたしは違います」
と、そんな否定が投げつけられた。
「わたしがノアルさんに抱いた印象は誠実な人です」
なにを馬鹿な、そう否定する言葉を強い眼差しいが吐かせてくれない。
「あなたは自分が弱いと言いました。弱いパンテオンしか倒せない、わたしの足手纏いになると」
ああそうだ。足手纏いで役立たずで、いるだけ邪魔な存在だ。自分で見つけられない自分の価値を、どうして他者の言葉で受け入れられるか。その次のわかりきった慰めなどノアルは望んでいない。だから、虚無感を抱いたその胸に、彼女の言葉は突き刺さった。
「けれど、あなたは弱いと言いながらもわたしを助けるために命を張って戦ってくれました。わたしよりあなたの方が死ぬ確率は高かったはずです」
「…………」
「どうして、ノアルさんはわたしのために戦ってくれたのですか?」
「…………それは」
答えは簡単だった。けれど、答えたくなかった。
この身が憧れ目指した姿は今も脳裏に焼き付いて剥がれない。
あの人の志す光が好きだった。
ルヴィアはノアルの心情を読み取ったかのように、そっと微笑んだ。
「やっぱり、ノアルさんは誠実な人です。わたしは嬉しかったのです。一緒に戦ってくれたことがです」
「…………お前って聖人なの?」
「ふふ、聖女です」
「そうだったな……聖女って感じだ」
「それはありがとうございます。それからそろそろお前ではなく名前で呼んでほしのですが……」
「気が向いたらな」
「それは礼儀として……いえ、そうですね。名前を呼んでもらえるように頑張らないといけませんね」
ルヴィアは聖女だった。
その笑顔には年相応の朗らかさがあった。清く純粋で決して人を悪だけと判断しない。誰もがノアルに向けた失望と同情と嘲笑を彼女は一回もしなかった。その上でノアルを否定せずに違う見方からノアルの魅了を見つけた。弱さへの同情ではなく、弱くても戦う志に敬意を向けてくれた。
聖女の彼女はノアルの誠実を褒めてくれた。
ルヴィアには言わない。その在り方がどれだけ嬉しかったか。
「…………」
ふと、緩んでいた心の隙がその存在を見逃していた。
いつからいたか。ノアルの真横を通り過ぎていく誰かが耳元で囁いた。
「逃げないと手遅れになるよ」
「なっ――」
ばっと振り返るも誰もいない。
「どうしましたか?」
ルヴィアには見えて、いや違う。
「俺だけに……」
誰かはわからない。ただ冷静になった頭と視野が状況を深く観察させた。
憲兵たちの足音。多くの野次馬。怪物の討伐。怪物の妄言。
――お前のせいだ。
「――っ。まさか――」
奇跡的に閃いたとある可能性に、凄まじい悪感を感じ取り急速に身体を冷ましていく。訝しむルヴィアを見返し。
「――逃げるぞ」
「え? ど、どうしてですか?」
困惑するルヴィアに説明している暇はない。だから卑怯と知りながら彼女の手を強引に握り。
「ルヴィア、俺を信じろ」
「え? 今なまえ……ってちょっとまってくださいぃい!」
ノアルはルヴィアの手を引いて地獄となり変わるであろう、都市ウルクから脱出すべく走り出した。
ありがとうございました。
『浄化』は魔術とは少し異なり、聖女が恩恵によって与えられた固有能力、特殊能力です。浄化の基準は使い手の聖女に依存します。
明日も更新予定です。
それでは。




