第二章71話 真実証明過去
青海夜海です。
寒くなってきた。
結論を言うとその戦いは三割の奮闘と七割の惨殺で成り立った。
ヒュドラの毒炎があらゆる物体を爛壊させ足場すら遂にはなくなり、戦場すべてを毒牙に支配された。
それでも、毒に侵略されながらソルは懸命に足掻き続けた。
スフィンクスの胴体はあらゆる攻撃を無効化した。『不正解』という一文があらゆる攻撃を無意味に突き落とす。
『問——朝は声を、昼は青を、夕暮れは七度死を、夜は月を、宵はリングを』
『宵は月を、夜は雨が降り、夕暮れに花が咲き、昼に歌を歌い、朝は火を灯す——表す者を解せ』
問いを解く時間はなく、はずす度に切り殺す鷲の尾が復活し、生きている状態なら二体に増えていった。
攻撃が通らないうえに増え続けた五の鷲の尾に翻弄され、忽ちに肉を食い破られる。それでも、足を動かし守り続けた右手で長剣を振るい続けた。
底の無し番犬の黒き足は環境に左右されることなく駆け回り、もちろん奴の毒が効くこともなかった。
ゴールドシープの黄金翼はその光輝から幾度とソルの戦意を奪い取り、心を奈落へと突き落とした。
それでも、ソルは何度と心に炎を灯し立ち向かった。
パイルの角は遠距離からの魔術を吸収してカウンター攻撃。一度見たため愚策とわかっていても、近距離が敵わなくなれば遠距離からの攻撃手段しかなくなった。流し過ぎた血が脳の回転を鈍足にやけくその遠距離魔術は一度目と同じ結末を辿り右腕と長剣を紛失した。
「…………こ、こんなの……っ」
「…………」
助けに駆け出そうとするルナをソフィアが片腕を広げて止める。キィっと睨みつけるルナに、しかしソフィアは冷静に言うのだ。
「この夢が終わるとわたしたちも戦うことになる」
「……で、でも!」
「ルナ。これは記憶なの。わたしたちがどう足掻いても過去には干渉できない」
「それは……わかってるよ。でも……こんなの見ていられないよ!」
広げたソフィアの腕を強く握り、痛々しい過去から目を背ける。そのことにソフィアは何も言わなかった。彼女はただ、ソルが惨たらしく殺されていく惨劇を見続けていた。
「――これはわたしたちの負債なの」
「え————」
ルナが目を向けたその時、星の運命に決着がついた。
『がぁっっっぅぁ…………』
ソルの胴体を鷲の尾が貫いたのだ。なんとも呆気なく彼は最期を迎えた。
特大の穴の開いた腹部を鷲の尾の胴体と繋がり、やがて爛れていた肉が限界を迎え腹部の端の脇腹の肉が崩れ落ち圧倒的な焼ける虚無に包まれソルは顔面から前屈みに倒れ込んだ。
「きゃっぁ」
惨い死に際にルナは思わず声を漏らし涙ぐむ。ソフィアは……拳を強く強く血が滲むまで強く握りしめていた。
『…………は、はやく……たたない、と』
彼は立とうと残る左腕に力を込めるが。
『あれ? 足は…………僕の足は?』
どうしてかうまく力が伝わらない。お腹から下が空白のようで、どこか空虚な笑みが零れ落ちた。
『はは……はは、なんだよ…………くそ』
拳を地面に叩きつける。自分の血飛沫が跳ね、歯を噛み締めて涙を耐える。震える身体はその機能の大半を失い、そこで俯けに倒れているのは死体と変わらなかった。
やがて、獣は歩き出す。奴にとってソルはただの羽虫過ぎず、死に際すらどうでもいいのだろう。
『悔しいっ』
なにが悔しいか。言うまでもない。だって彼はそのために戦ってきたのだから。
『僕は…………僕はっ…………ソフィアを……、…………』
「………………………………………ソル」
それ以上、彼は何も言葉にすることはなく、その身は沈黙に沈んでいった。
心音を測れないルナとソフィアでもわかってしまう。
胴体が半分に千切れたソルが生きているのか否か。
「~~~~~~~~~こっこんな! イヤっイヤッイヤァあああああああああああ!」
ルナは叫んだ。涙混じりの嗚咽で彼の彼女らの死に声を上げた。
あまりにも理不尽な仕打ちに、どこまでも惨たらしい結末に、どうして何もできない自分に、そして大っ嫌いな死に。
耐えられない罪悪感と喪失感に切り刻まれ、思わずルナは。
「どうしてッ!」
そう、ソフィアの腕を掴んで問い詰めるように叫んでいた。
「どうしてっ見ないといけなかったの!」
「さっきも言ったけど、あの獣に勝つため」
「違う! そうじゃないよ! こ、んなの……死体荒し、だよ……」
握る手の力が弱まる。それでもソフィアは腕を逃がさなかった。その姿は責められることを受け入れ、その上で譲れないという姿勢に他ならず。ルナを更に困惑させる。
「ねえ……ソフィア?」
「なに?」
その声音は相変わらず優し気だ。気遣いがあり慈愛があり申し訳なさがあり。それが今は突き放されているようで痛い。だからルナは問いかける。
「ソフィアはどうしてそこまで戦おうとするの?」
「…………何度も言ったよ。世界を——」
「そうじゃないよ」
世界を守るため、約束を果たすため、ルナを夢幻から生き返すため。
何度も聴いた答えに頭を振る。そうじゃない。
「そうじゃない。私が聞きたいのはソフィア自身が苦しんでまで頑張ってる理由だよ」
「…………」
「わかるよ。ソフィアが、心を痛めてることくらい……わかるよ」
「……」
当たり前だ。当事者でないルナでさえ悲惨な物語に涙を流し胸を痛め何度頭を振ったことか。当事者のソフィアが何も思わないはずがない。昨日出逢ったばかりのルナにさえ優しい彼女が平然なわけがない。
「ちゃんと答えて。ちゃんと教えて! 私を納得させて!」
「ルナ……」
「私、誰かが死ぬのは嫌なの。大切な人が死ぬのはもっと嫌なの」
「…………」
ルナの瞳が問いかける。——あなたもそうでしょ、と。
ルナは欲しいのだ。
この悲惨な現状に向き合うだけの理由を。
それをソフィアから与えてほしいのだ。
なぜなら。
「ソフィアは私の大切な友達だから」
ソフィアは一つ間違えていた。
ルナという少女が強い女の子であると思っていた。どんな苦境でも負けず抗い続ける女の子。だから、涙を流さないように毅然に振舞い、甘えることを我慢して、そこに立ち続ける。
でも、違った。ソフィアは知ったのだ。
ルナが強くあるための理由を欲する、でないと立ち向かえない弱い女の子であることを。
そうだ、ルナは本当は弱い。彼女の強さとは単に意志や理由の強さであり、それがなければただのか弱い少女でしかない。
今までだって、生きる理由をもらい、強くなる憧れを抱き、成し遂げたい夢を見て、たくさんの大切で標を作り一歩一歩踏みしめてきた。
過去の記憶のないルナにはそうすることでしか自分を見つめられないから。
ソフィアは思う。彼女はやはり彼女だと。
だから決して言いたくなかった言葉を、その口はポロリと零した。
「――ソルを一人にしたくなかった」
「うん……」
零れ出た懇願のような本心は、ルナの首肯によって歯止めが利かなくなる。
「っソルはわたしたちのためにたくさん頑張ってくれた! あんなにボロボロに傷つきながら……頑張ってくれたの」
自罰でも後悔でもない、だけど愛おしいばかりではない嗚咽混じりの本心が頬を伝う。
「わたしが……フローラスがどんな存在か知っても、ソルはわたしをわたしだけを見てくれた」
それはとある日のこと。フローラスの正体を知った彼が、
『それでも君は君だよ。僕が知るソフィアで、ただ一人の姫だよ』
と名を呼んでくれたちっぽけな日のこと。
あなたが呼ぶわたしの名にどれだけ心が掻き乱されたことか。
「獣が襲い掛かって来た時にあなたは助けてくれた」
それは些細なことだった。集落の外に出ていた日、一人で大丈夫だと出かけたソフィアは油断して獣に襲われた時だった。颯爽と現れたソルがソフィアを守ってくれた。彼は言うんだ。
『やっぱりついて来て正解だった』
ソフィアは言い訳を並べたが、いつでも見てくれている彼にその額は熱を持ち始めていたことを。
「ソルはっ、いつも『約束』をしてくれた。大丈夫——君の傍にずっといる——、結んだ小指が忘れられない」
それは彼の癖なんだろう。小指を絡めてソルは『約束』をする。
例えば『明日は一緒に外に行こう』なんていう簡単な約束。例えば『大丈夫だ。僕が絶対に君たちを守る』という強い約束。例えば——
「わたしは……きっとソルに恋をしていたの」
——僕と永遠を生きてくれ。
——うん、約束だよ。
——ああ、約束だ。
「最後まで頑張ってくれたあなたに今も恋をしているよ」
それがソフィアの答えだった。
「だから、わたしはソルを見送りたかった。そして、彼との『最後の約束』を果たさないといけない」
そう微笑んだ顔でルナを見つめる儚げな木漏れ日の瞳は、花のような少女は——恋の告白をするためと言っているようだった。
ううん、違う。今この瞬間もソフィアは愛を伝えているのだ。誰も知ることなく終わったソルの最後を見ることで。
ルナは「じゃあ」とソフィアの手を今度は優しく掴んだ。
「私も頑張るよ」
ソフィアの本音にルナもまた覚悟を決めた。たったそれだけでルナは強くなれる。それはソフィアが本気だからだ。彼女が偽ることなく自分の本心を吐露してくれたからだ。なら——
「どうして?」
今度は問いかけるソフィアにルナは頷く。
「友達の恋は応援しないとね」
「…………ルナって、ちょっと変」
「そうかな? 普通だよ」
「ふふ、でもありがとう」
見つめ合う瞳に憂いはない。二人は手を繋いで走りだす。
幻想譚『星の道標と花舞いの姫』には出てこなかった最後の舞台へ。
ありがとうございました。
金曜日に更新頑張ります。
では。




