第二章67話 花が芽吹く前
青海夜海です。
すみません、遅くなりました。
がんばります。ルナの話しです。
『星の道標と花舞いの姫』——
【エリア】第二層『花舞の旧庭園』を舞台に最古の異種族、花舞い人の繁栄と集落の発展、そして壊滅までを綴った幻想譚である。
最古の異種族でありながら人間の世界に幻想譚として彼女たちの繁栄と崩落が残されているかというと、それは【エリア】第二層という比較的に天場から近い位置で生息していたからである。だが、この『星の道標と花舞いの姫』の原点や執筆者は明らかになっていない。古代の冒険家が綴ったとも言われていれば、フローラス自身が日記のように残したものを誰かが編集して物語にしたのだという説もある。
ただ、幻想譚としてかの物語は他の幻想譚と比べ異質と不明瞭であった。
そもそも幻想譚とは自然の神秘や世の摩訶不思議、奇跡のような事情を抒情的に綴られた物語である。例えば、森に迷った際に妖精らしきものに導かれ、辿り着いた湖畔にて亡き妻とひと時の再開を果たしたなど。破滅的な要素はなく、世の不思議と自然の壮大さに重きを置きロマンティックに書かれている。自然の尊さや世の神秘性を後世に残す自然書として今でも多くの者に親しまれている。一遍ではあるが、幻想譚は子どもたちの冒険心を誘発する惑わしの書と評する過激な者もいるが、そのような側面は持ち合わせていないからこその幻想なのだ。
そのような幻想譚だが、事『星の道標と花舞いの姫』は異例の作品として語り告げられていた。なぜなら、かの物語は愛と神秘に非ず悲哀と破滅にあったからだ。
かの幻想譚は文字通り『悲劇』である。他の幻想譚に比べ神秘的側面も弱く奇跡もなく、剰え自然破壊が妙実に描かれているのだ。
生物学と植物学がフローラスの生態を議論するように、『星の道標と花舞いの姫』も幻想譚であるか否かの論争が行われていた。
だが、すべてはかの物語の一頁目にて証明されている。
——これは幻想だ。僕らの短く儚い幻だ。この透けるように消える命に変わって、この眼に映る幻想をここに残花とする。
明確な著者の意思が伝わり、『星の道標と花舞いの姫』はその名のとおり幻想譚として語られることとなった。だが、その背景にある『星の道標と花舞いの姫』を幻想譚と表明する最もな理由は、かの物語に瞬くような幻想があったからだ。
読めた者は間違いなくこの物語は幻想譚だと言い張った。破滅と哀しみに暮れる悲劇に変わりはないが、これは確かに幻想なのだ。
美しも儚く、尊くも哀しい悲哀に満ちたかの物語を今一度、その古びた頁を捲ろう。
かの愛心が残花となることを祈りながら。
花吹雪の嵐に埋まった第二層『花舞の旧庭園』と打って変わり、ただ白光の空で満ちる花園にて。
とある少女は前方遠くに壮麗と聳える神殿のような趣の庭園国と、自分の隣に立ち並ぶもう一人の女に脳は激しく混乱していた。膝をつく姿でゆっくりと見返す桃色の髪と天色の瞳の齢十八あたりの少女。記憶喪失の彼女は自分の名すら思い出せず、けれどこの世界で生きていく者として彼女にはとある名が与えられていた。
それは、ここ【エリア】では決して見ることのできない、天場を照らす生命の光源。その静穏の美を誇る光の名を、見下ろす女が口にした。
「ルナ——」
たった一言。月の哀愁に謂うような、儚む刹那を愛おしむような。
ただ友の無事に胸を撫でおろしながら危惧するような。
たった一言。少女の名を呼ぶ彼女のたった一言が、少女――ルナに多くの感情を与えた。
それは、彼女と初めて出会った日。寂しさと孤独の中、見つけてくれた彼女はとある一言と抱きしめたくれた温もりのようで。
「大丈夫?」
嗚呼、やっぱり彼女は彼女だった。
手を差し伸びてくる、白の衣の合間から見える腕に走る根の痕。何者にも染まらぬ白い髪に首筋や耳裏から芽吹く花たち。彼女の実態をなぞるように見上げていき、その木漏れ日の眼差しに出逢う。優しさで包む慈しみに満ちた瞳。
その瞳と重なり合い、ルナはようやく自分の存在を認識した。瞬間、沸き立つのは安堵よりも嬉しさよりも、もっとずっと強烈な覚悟の源だった。
胸に詰まるしこりを吐き出すように一度顔を俯き、そして改めて顔を上げて見せた。
「――うん。大丈夫だよ」
「――――」
彼女は一瞬驚いたように目を大きく開き、呆然とする彼女の手は握られる。
掴む手は強く熱く強く。立ち上がったルナの眼差しは揺れながらも揺るがなく。そっと花束を作るように。
「ソフィアが私を助けてくれたんだね。ソフィアは私の命の恩人だね」
「……っふふ、なにそれ」
「本当だよ。ソフィアはずっと私を守ってくれてたんだよね」
「……気づいてたの?」
束となった花々はまるで涙のように吹雪いていく。
「うん。それに、ここにいるソフィアはあの樹に閉じ込められたソフィアじゃないんでしょ」
「……わたしはわたしだよ」
「うん、きっとそうだと私も思う。だから——」
その先の言葉はきっと誰もがわかっていた。
ルナという人物を知る者なら彼女が何を言おうとしているのか、わかるだろう。
もちろん、ソフィアもわかっていた。その揺るがぬ瞳がどうして揺るがないのか。こんな状況でどうして困惑せずに冷静でいられているのか。
わかる、だからこそ言わせたくはなかった。その選択はルナを危険に合わせるものだから。
けれど、うん。これもわかっていた。
待って——その言葉を待ってくれないことも。
「待って——」
「待たない」
ほらやっぱり。あなたは待ってくれない。揺らいでくれない。逃げてくれない。
貫くあなたの意志が月光のように照らし出す。
「私はソフィアを助ける」
あの月灯りはあまりにも無垢で無知で愛に溢れていて。
「だから、私を逃がそうとしないで」
こちらの心情など見透かしたと言わんばかりの声音は、勇ましく。
「お願いソフィア。私にあなたを助けさせて」
場違いな懇願は偽りなどなく恐ろしいほどに純潔で。
それでいて吹雪き続ける燃える花びらのように強かった。
それでも、ソフィアは簡単に頷くことはできない。
「ルナ……あなたの言うそれがどれだけ困難で険しくて、辛いことかわかってるの? さっきみたいに殺さるかもしれないんだよ?」
脅すような文句は。
「わかってるよ。私一人じゃ何もできないことも、ちゃんとわかってる」
「ならわかるよね。ルナが死ぬことを、ルナが傷つくことも悲しむ人だっているの。わたしだってそうだし、きっとルナの仲間だってそう」
情に訴える美辞麗句は。
「……うん。きっとね、私も同じこと、思うよ」
「だったら——」
強い強い語句は。
「思うからこそ、私は助けたい」
やっぱり、ルナの覚悟の前には敵わなかった。
彼女はそこにいる。
「誰にも死んでほしくないの。大切な人、みんなが幸せでいてほしい。生きていてほしい。これが理想で難しいことなのは、わかってる」
「……」
「それでも私は理想のために走ることを決めたの。大切な人を助けること……ソフィアを助けることを決めたの」
「……なんで?」
それはなんのことはない問いかけ。様々な考えや感情に困惑するソフィアの手を今一度強くぎゅっと握りしめ。ルナは微笑みを浮かべた。
「友達だもん」
嗚呼、ルナにとってそれだけで十分なのだ。友達であるだけで、仲間であるだけで、彼女は命を賭して危険に身をさらし一生懸命に手を差し伸ばす。
その弱い身体で、その頼りない手で、その幼い記憶で、その純潔な眼差しで。
(わたしの手は、掴まれてる)
ソフィアは少しだけ口端で笑った。でもだからこそ、ようやく実感できたのかもしれない。
目の前のルナという少女は相も変わらず友達だということに。
「ふふ、はあーー……」
息を吐いたソフィアは身体の力を抜き、そっと握る手を解いていくルナの小指と自分の小指だけを絡める。
「うん、友達だよ」
「?」
妙な指の仕草に首を傾げるルナにくすりと笑い。
「ずっとずっと友達。ルナのことはわたしが絶対に守る」
絡めた小指を心音と同じ速さで揺らす。
ルナは苦笑した。
「助けるのに助けられるって、へんてこ」
「いいの」
そうして、ソフィアはそっと己の胸の内で誓いを刻み、そっと指を離した。
ありがとうございました。
月曜日に更新します。
それでは。




