第二章65話 西部戦線 糜爛が疾る
青海夜海です。
よろしくです。
西部戦線 食人の晩餐
北部と東部で各々の相敵と邂逅しているこの時、既に西部戦線では戦いが始まっていた。
炎監獄によって孤立する壊滅した遺跡の都市ウルク。ウルク内部にてけたたましい業火が柱のように打ちあがる。それは天の炎監獄の天幕にぶつかり円形の天幕に沿って全方位へ分散し火の雨を降らせた。払拭する紅雨はもはや血雨と言ったほうが相応しいほどに禍々しく、血雨の意は呪いのような死のみに依存していた。
よって、皮膚を糜爛させ、肉を焼死させ、骨を嬲る。果てに命を赤く染め魂を歪める。それはそう、死肉や爛熟のように。
剰え、その炎を振り撒く暗黒はそのすべてを咀嚼した。
人の身を穢しながら生物の本能に忠実に従い、醜悪を擬態に同族喰いの意義を有しあらゆる肉と血を喰らう赤き顎を開く。二メルを越える長腕で掴む食材となった黒血のパンテオンを頬張り、ガリガリグシャグシャと咀嚼する。それは奴の血肉となり炎の勢いを増す。
人が嫌厭の果てに禁忌した同族喰らい。
その人型の化け物は愉悦を浮かべながら同族を無慈悲に喰らう。人を食うことこそが楽しみであるかのように。
「――――はっ」
食事の隙を狙った風魔の突貫は……しかし、超反応で追いつかれ炎を纏った拳で迎撃される。
「くっ、はっ」
超速で放たれた一撃は重く熱く、カトレアは攻撃を受け流す形で後退する。風を縫い灰と炭に染まった地面に着地。その微かな足音と小石が転がる微音が奏でた瞬間——カトレアの眼前に人の顔をした大きな顎がカトレアを呑み込まんと迫り——
「そこ!」
顎の下から盛り上がった岩塔が化け物を大きく吹き飛ばす。が、喜ぶ暇もなくカトレアはすぐさまその場を離脱。
瞬間に岩塔は大きく爆ぜた。衝撃を上回る熱波が辺りの炭に着火し鎮火したはずの火は再び咆哮のように燃え上がった。
「調教する暇も隙もないわねっ」
炎波を風で往なし、宙を見上げる。岩塔によって打ち上げられた人型の化け物は反れる身体をぐっと戻し、宙を蹴るように前進して激しく着地した。
腰をつき上げる格好の四つ這い。二メルを越える両腕にそれよりも長い脚。衣を纏わない全身は赤く爛れノミのように炎が徘徊する身体。重度の火傷を負った身体だがその顔面は似つかわしくないほどに人肌を残していた。カトレアたちと変わらない造型に肌色。されど普通の人間より数倍大きい身体に合わせて顔自体も大きく、血肉の破片が混じる涎を零す口は、大きく開けば人一人など呑み込める。目は見えないのか黒く塗り潰れており、その化け物の感覚器官の一番の神秘性は聴覚にあった。人間ではとてもとらえきれない小さな音を聴き取り、音の反響から周囲の物体を認識する。加えて四つ這いとは思えないほどの超速移動が圧倒的脅威として瞬殺を可能にした。
「眼が見えない弱点すらも、特出した能力の前には無意味ね」
と、ぼやく声すらその化け物は反応してみせる。炎波や距離に阻まれようと、その化け物は聴き取り把握してしまうのだ。
「――――っ」
『―――――――――!』
奴の肉声はとてもじゃないが形容難く、もたらされる感覚としては贓物を握り潰すようなもの。気色の悪さと得体の知れない不快が一瞬の硬直を迫る。が、予想としていればなんのことはない……
「って言えないのがサイアクね!」
肉声の気味の悪さには慣れた。だが、超速に対して攻めのパターンもわからなければ、この眼で追い切れるものでもなく、攻撃の瞬間の大きくなる気配のみで察知し反応しなければいけない。それが、今カトレアたちが奴に対応できる唯一の手法だった。
「後ろ!」
離れた場所より、戦場の全体を把握するイリュジアンの声と共に魔術が発動。カトレアの背後に先と同じ岩塔を複数出現させる。が、タイミングがズレたのか、化け物はすべてに反応してみせる。腹部を突き破らん岩棘を左足で踏み潰し、眼前を阻む岩棘二つを両腕で掴み身体を伸ばすゴムのように腕に力を込め自分自身を押し出す。前進への跳躍に超速が乗り、残りすべて岩棘を置き去りにする。五秒にも満たない阻害は、しかしカトレアには充分だ。
人型の化け物はその腕を鞭のように大きくしならせ叩き込む。五秒未満のアドバンテージと己自身の反射能力や瞬発性、俊敏性などの能力を余すことなく発揮し、右側へ身体を逸らし間一髪で直撃を回避してみせた。鼻先を掠るほどに近い炎纏う腕はすぐさま火種を誘発し爆破。周囲を熱波で吹き飛ばし炭に着火する。
が、それもすでに織り込み済み。身体を纏う風の膜の出力を上げ衝撃波を防ぐ。
そして——
「この瞬間こそ、好機!」
奴の特性は敏感過ぎる聴覚と超速の足。加えて纏う炎による誘爆と火のエレメントで満たされた環境による発火。
炎の誘爆がある限り接近戦は荷が重く、だからといって遠距離戦を選ぼうとも奴の超速がゼロ距離にしてしまう。
そこで見出した活路こそ音の重複化だ。
「近いほど音が大きくて判断しにくいでしょ」
奴の聴覚の敏感さは音の種類ではなく、音の大きさにある。音の高低や大小によって聴き分けているのだ。それが敏感過ぎる故に距離があっても音による判別ができるが、こう超近距離となると敏感さは仇となり高音と大きい音に聴覚の大半を奪われてしまう。この瞬間、微かではあるが小さな音への反応が鈍るのだ。
「【シルフよ・貫け】!」
レイピアに突風の一突きを宿し爛壊の人肉体へと放った。一陣の風魔は纏う炎を払い除け、奴の胴を貫く——それは残像であった。
「――――っな⁉」
それは本当に刹那的で瞬間的で、どちらにサイコロが転がってもおかしくない、そんな僅かで微かな差だった。
敏感な聴覚を裏目にとったカトレアの一撃は、されど進化した超速の前には一歩足りなかった。だが、残像の残り端で、回避した化け物の右肩が抉れ墳血する。
傷を与えれただけで良い……などと口が裂けても言えるわけがない。
なぜなら——
「逃げろッ!」
遠くからこちらへと走りだしながら叫ぶイリュジアン。彼の声が届くのと同時にカトレアは風の勢いのままに戦場から離脱しようと駆け出し——
「――――」
背後に猛烈な腐蝕のにおいと死を連想する熱気と、嫌厭の恐怖が現れ。それは時の流れを置き去りにそっとカトレアの背を舐めるように、冷気で満たした。
それが死の感覚だった。
振り返ることも声をあげる暇もなく、カトレアの胴体は化け物の腕に握られ——
枝を握り潰すように、カトレアは握り潰された————
そんな、結末が確定された——
「――――――」
その時——
「はぁあああああああ——っ!」
まるで瞬間移動したかのよう突如現れたイリュジアンの斬撃が化け物の腕半ばからを切断した。
『~~~~~~~~~っッっッっッっッ⁉』
けたたましくまたも形容難い痛苦は奴を悶えさせ、その間にカトレアに絡まる爛れた手を剥ぎ取り。
「あんた……」
「いいから逃げるぞ!」
イリュジアンに手を引かれカトレアは戦線を一時離脱した。
「大丈夫か?」
「ええお陰様で。風の膜を張っておいてよかったわ。それでも、上着はダメね」
イリュジアンのお陰でなんとか戦線から離脱することに成功したカトレア。なるべくあの化け物から距離を置き、奇襲されても対応できるよう、今にも崩れそうな建物を背に一息を吐く。
「奴の腐蝕は厄介だな」
腐蝕……あの化け物の血肉そのものであり、病原体のような効果を持つ。あの肉や血に触れたり摂取してしまうと、たちまち触れたものは爛れていき死んでしまう。呪や病魔の類と同じだ。
故に奴の腕に掴まれたカトレアの上着は腐蝕し物理魔術防御と環境保護に適した軍服は廃棄せざるを得なくなった。防御性があるとは言え、シャツ一枚は心もとないが、この荒地に補完できるだけの物資はないだろう。
「僕の上着を貸そうか?」
「遠慮しておくわ。サイズが合わないし、機動力は私の方が上だもの。貴方こそ……使ったのでしょ?」
そうカトレアに厳しい目で問われ、息を押さえていたイリュジアンは「やっぱりバレるかー」と大きく息を吐き切り、少しだけ呼吸を繰り返した。
「わかるわよ。何年一緒にいると思っているのよ。あの時、私は絶対に死んでいたわ」
「…………」
彼の顔色が悪くなったのはついさっきのこと。ほんの数十分前には疲労は見えていても蒼白に近いほどの顔色の悪さではなかった。
決定づけられた死の回避。瞬発的に起こったイリュジアンの疲弊。そんな状況をもう何度見てきたか。
「……僕にできるのはこれくらいだ。僕が奴を倒すことはできないから、せめて君を助けるために全力になるのは当然だ」
「時間を止められるのをこれくらいねー。相変わらず謙虚なこと」
カトレアの吐き捨てる言い分にイリュジアンは苦笑した。
そう、イリュジアンが精鋭部隊の部隊長に選ばれた理由には、全属性のエレメントに適正があることや指揮能力の高さなども当てはまるが、それ以上に決定的なのがそう——
「【凍結時計】……だったかしら? 数秒間時間を止めることができるのよね」
「厳密には時間を凍らせることができるだけど。後、五秒が限界だから」
「どう違うのかしら?」
「内部や外部から力が加われば突破されるってこと」
そう、彼イリュジアン・ザードを精鋭部隊部隊長たらしめるのは彼の神聖魔術【凍結時計】による時間凍結があるからだ。
時間という絶対的概念を止めるのではなく、その場一定範囲の瞬間的時間を凍らせる能力だ。世界時計は動いているので想像するような時間停止とは異なり万物の法則にギリギリの範囲で則している。また、彼の言う通りあくまでその場の時間の凍結であるので強い力が加われば氷結可能時間の五秒を待たずして崩壊することもある。
先の攻防で、イリュジアンは【凍結時計】を使いカトレアを助け出した。大技の代償が凄まじい疲労となりイリュジアンを襲うが、カトレアの命と比べるほどではない。かの英断こそカトレアの生存であり、だからこそカトレアは己の失態を悔やまなければならない。
「仕留めたと思ったのだけれど……」
はあーとため息を吐きながら思考を整理する。
「奴の動きは想像を軽く超えているわ。恐らくだけれど、反射速度が異常ね」
「なるほど、音を聴いたらそのまま反応してるってことか」
「その感覚ね。思考はしてないと思うわ。それと対象をあの一瞬で確認はできてないわ」
「でも僕たちの攻撃は避けられる」
「そうね。でも思い返してみなさい。奴の挙動はいつだって大袈裟なほどに大きいわ。あの超速を利用してるとも考えられるけど、大きな音のほうに反応する短絡的な思考回路からして、確実的な対象の判明には咄嗟な事ではムリなのよ」
「音の反響で場面を把握する力か……つまり、一度奴の想像範囲外へ出てしまえば次の音を拾って想像域を更新するまでこちらの居場所がわからない」
「だからこそ大袈裟過ぎる行動に出るのよ。それが奴の超速を生かす利点でもあるけれど、唯一の欠点にもなりえるはずよ」
「…………あとは、それでも奴の移動速度が速すぎることだな。その速度に対応しない限り欠点がわかってもさっきと同じ結果に終わる」
「かと言って近づきすぎたらそれこそ二の舞いよ。速度や力もそうだけど、やっぱり腐蝕が厄介だわ。風の膜を張っていてもこの有様よ」
そう全身を見せつけるカトレアは重厚な軍服の上着を脱いだシャツとスカートのなんと軽装なことか。軍が誇る防御性の大半を失い、髪の毛の毛先が腐蝕され切り取った姿。シャツの上からでもわかる豊満な双丘や腰の括れなどの女性的魅を語る場はまた今度として、この状態で戦いに行くのは何とも心もとない。
ため息を吐いたカトレアは背後の壁に背を預けほんの少し脱力する。
今、遠くで鳴り響くイリュジアンが仕掛けた爆発がけたたましくなり、奴を誘導している。失った視覚の代わりに聴覚が異常発達した超速の化け物。その身は爛れと炎に包み四つん這いの五メルほどの巨体。
何より人の姿をした嫌厭の対象——同族を喰らう者。
その化け物のことは事細かくとある歴史の物語で綴られていた。幾度の戦争において、軍とカバラ教が決別と同居を選ぶきっかけとなった、彼らの最後の戦争。
それは天黎歴四九九九年の魂魄解離事件から始まり多大なる被害をもたらしながら最悪の形として終焉を迎えた四十九日間。
後の歴史に残る最後の戦争の名は軍宗戦争。だが、こと真実として当時を知る歴史学者たちはこう語る。
——あれは人治を歪める嫌厭を生み出した最凶の同族戦争だった、と。
それは、カバラ教のとある男により生み出された生物兵器。その時代には確認されていなかった化け物の遺伝子を人間に投入し作り出した歴史の汚点であり生物の進化の起点。
解き放たれた生物兵器は惨殺と残酷を迸り、すべてを蹂躙した。
その肉は死人の肉であり、その眼は獣の眼であり、その思想は破壊と食事のみに汚染された悪辣の極みであった。ただ殺すことを目的とし、その殺意と獣としての食欲が合わさった一種の厭世的思想を植え付ける愉悦の狂食者。
それは同族喰らいであり、嫌厭の果てに禁忌とした——その発端そのものを禁忌とした——そう。
「三七三年前、四十九日間に及ぶ軍宗戦争の際にカバラ教によって放たれた刺客。人とパンテオンの融合体として生み出された——奴は合成獣。その名は怪炎人」
それがあの化け物——同族喰らいの正体であった。
どうして今更、なんて感慨はいらない。外の状態もわからない彼らには奴を倒し炎獄を解くしか生き残る術はない。
黒雲に包まれた空の下で、突如として世界を変貌させた聖歌術の儀式。その力によって繭から孵化したヤモモデオート。
ふと、カトレアは思う。
「あの子、大丈夫かしら?」
「……あのロケットにはもの除けの効果があった。巻き込むわけにはいかないよ」
「…………」
この蹂躙と殺戮に支配された都市ウルクにて、唯一の生存者だった女の子。
今はここにいない彼女を想い馳せた。
ありがとうございました。
ヤモモデオートの腐蝕は物体であれば溶解できるので、魔術での対処、それこそ風の膜などでの対処でしか有効ではないです。聖水や聖女がいれば無効化できますが本体を傷つけることはできません。
次の更新は火曜日に予定しています。
それでは。




