第二章64話 氷獄と春紅の糸音
青海夜海です。
お金がない。
「お嬢様……」
感涙する侍女部隊員たち。その期待に応えるように一度振り返った彼女は、コクリと頷き再び顔を戻す。
『ゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ』
「…………」
見据えるは氷雪を霧散された氷河の豹——ニクスレオパルドゥス。
一度目に見た時の巨体とは打って変わり、その全長は十メルほど。春の領域内ではその身の冬は封殺され、しかしさすがは災厄に値するパンテオン。奴の周りだけはニクスレオパルドゥスの氷雪領域内を維持し、じりじりと拡大させようとしている。
手の内はまだすべて明かされたわけでも明かしたわけでもない。それでも舞台は整い役者は揃い意思は交差する。
ならば、後は己と己の牙で舞踏を奏でるのみ。その地を我が覇道の礎とするために。
シリベスは〈アカシアの剣〉を左鞘に仕舞い、背に担ぐ紅鳥弓を両手に持ち形成する火矢の番える構えを取る。
「わたくし実は怒っていますの。貴方にではなく貴方のお仲間に」
怒りを宿す紅の瞳が語る。
「わたくしはエアナ様の血脈者として『春』を好いております。皆が優しく慎ましく美しく、あの暖かで名残のある刹那な時を愛していますわ。それはシリベスとしてもそう。だからこそ、わたくしはこうして『春』を脅かす貴方たちと戦っていますの」
『春』……それはかつての名残だ。あの日、あの暖かで穏やかだった日。誰かを愛し誰かと語らい、ふと風の心地よさを感じながら花を慈しむ、そんな刹那な名残。
「わたくしの血と願いに込められた悲願は『春』の訪れを告げることにありますわ。もう現在では見ることのできない季節の一つでありますが、わたくしはその景色を待ち望んでおります。そして、『春』が訪れるには皆が幸せを感じられなければいけません。決して恐怖に怯え誰かの死が悲惨であってはいけないのですわ」
『春』は幸せと共に想起させたもの。かつて町娘のエアナが願った慈しみの日々。その景色は現在の世界とかけ離れている。だからこそシリベスは軍人になることを決意した。
「だからわたくしはここに立っております。貴方という『冬』を倒すために、ですわ」
平和や秩序を守護する軍の意思とかなり近いが、その実まったく異なる思想だ。
シリベスが叶えようとする『春の悲願』はあくまでエアナの『春』に過ぎず、それこそがこの領域を意味する。
多くを守護し社会の秩序を敷く軍とは違い、シリベスの悲願はあくまでエアナの血に刻まれたかけがえのない認められた人々への慈愛と慈悲でしかない。この【ルフス・ミストスウェール】が心歌術のようにニクスレオパルドゥスを迫害しようとするように、すべてに手を差し伸べるわけではない。悪者だからと排除しているわけではない。そしてシリベスにも聖女のような等しく恵む思想はもっていない。
だが、己らの理想を阻むパンテオンを排除する意思は同じ。
「覚悟なさい。『春』の芽吹きを持って『冬』の寒波を制します」
天幕は上り、地幕は下がり、寒春と暖冬の紗幕が交わる。
シリベスは弓構えの形から両拳を軽く上げ、弓を押しながら弦を引く。弓を持つ両拳を下げていき、矢を頬骨のすぐ下に添え狙いを定める。
「――――」
『――――』
刹那の沈黙を挟み——シリベスは火矢を放った。
「は————」
『――――ガァア!』
火矢は地に流れる炎を巻き上げアカシアの花びらを衣のようにその身を黄金の火鳥へと。飛翔するは『冬』の命を穿つ『春』の征矢。呼吸を置き去りに風すらも裂き抜き標点へ一気に加速する。
殺すべき標的と定めたニクスレオパルドゥスもまた、対抗せんと瞬時に氷柱の矢を生成し冬の矢として射る。暖気を凍てつかせる狂暴な氷柱は吸い込まれるように火鳥へと走り。
寒気と暖気の渦を膨らませ、明滅のように白と赤が光柱となりて爆ぜた。寒暖の混ざり合う爆風が視界を覆い尽くし一切する。
それは停滞と静寂の破壊であり、彼らは動き出した。
「ふ————」
「オラァアアアアアア‼」
まず、爆風を裂いて突貫したのはリースとドルマ・ゲドン。彼らは佇むニクスレオパルドゥスへ左右からの挟撃を仕掛けた。
風魔の斬撃と火球の重撃。切れ味の高いリースのレイピアと攻撃力を重視したドルマ・ゲドンの大剣の一撃は、しかし、形成された重厚な氷壁が二撃を阻む。亀裂の走る氷壁だが終ぞ割れることはなく咆哮による冷圧によって吹き飛ばす。
その合間を狙ったラベットの銃弾が雷足を描きニクスレオパルドゥスの額へと放たれた。当たったと思った銃弾は急に減速していき額に当たる直前で凍り付きボトリと地面に落ちる。それを踏み砕いたニクスレオパルドゥスは天高く氷解を割るかのように獣声を劈いた。
『ガラァアアアアアアアアアアアアアアアッッッ‼』
否、それは産声でもあった。ニクスレオパルドゥスが半径五メルほど氷雪領域を新たに展開し、氷狼を生み出す。その数ざっと七十匹。
「わたくしの『春』に抗うことお見事。氷狼ですか、豹が狼を従えるとは。しかし、わたくしの領域に敵うことはありませんわ。さあ貴女たちやってしまいなさい!」
「「「「「了解しました。お嬢様!」」」」」
いくら数を増やしても氷体は氷体だ。肉があろうと血が通おうと属性は氷。『春』の紅鏡には抗えない。氷雪領域から踏み出すとたちまち紅蓮火が焼き尽くすだろう。
「奴らは動けません。遠距離攻撃で一気に仕留めます。シリベスお嬢様の頑張りに背き恥をかくことは許されません。いきますよ皆さん」
「「「「「はい!」」」」」
ヨツバの号令と共に侍女騎士たちは魔術を形勢し一斉に解き放った。
【ルフス・ミストスウェール】の効果で十分に強化された魔術を容赦なく叩き込む。
「……そう簡単には倒れてくれませんか」
またもニクスレオパルドゥスによる氷壁が侍女騎士たちの魔術を防いでみせた。その光景を見てコートンは。
「ニクスレオパルドゥスを守るために作られたわけじゃない。もしかして」
「ああ、厄介なことをしてくれた!」
コートンの思考に首肯するラベットは苦悩の顔を浮かべ、唇を噛んでは思考を走らせている間にニクスレオパルドゥスは動き出す。
否、奴が動いたわけではない。奴が形成した七十ほどの氷狼が動き始めたのだ。
霧散する魔術の痕跡、エネルギーが光子の塊りとなり氷狼たちに吸収されていく。
「――――っ!」
「カルくん! それじゃあただの顔芸だから!」
無表情で無口なカルテルタルの驚愕に突っ込むシャフティーもまた同じ思想に到り。そんな彼らに猶予を与える慈悲はなく、開かれた口へとエネルギーが集いだし——氷でコーティングされたエネルギー砲が放たれた。
「散開して躱せ!」
応えるより早く砲撃は十一部隊に直撃する。風爆する冷気を陣営中心に戻ってきていたドルマ・ゲドンが切り払う。
「クソッ! いて―じゃねーか!」
「どうやらスポンジには魔術書も入ってるみたいね」
「げほげほ。リース先輩ってほんと、スポンジ好きですね」
「大丈夫よ。すぐに藻屑にしてティアマト海に沈めるから」
「なんですか? それがリース先輩の宿業か何かなんですか?」
「別に。ただこれを言うとみんな私に本気を見せてくれるの。やっぱり戦うのは本気じゃないとつまらないでしょ」
「ただ煽ってるようにしか聞こえませんけどね」
「というわけで私は左に行くわ」
「じゃあ、俺も——」
「貴方は邪魔だから右よ。精々、私のために囮として頑張ってね」
「リースから頑張って……おう! 頑張るぜ!」
「名前で呼ばないで」
「ドルマ・ゲドン先輩……囮で良いんですか?」
リースに囮として頼られたドルマ・ゲドンはやる気十分に右手へと走り去っていく。
「じゃあ、私も行く」
「はい、行ってらっしゃいです」
「ん」
顎を小さく下げたリースは左手へと走り去る。その背を追うようにヨツバ率いるシリベス隊が追随し。
「リース様。シリベスお嬢様の指示よりわたしたちは貴女に同行いたします」
「勝手にして」
「はい。勝手にさせていただきます」
これで左翼部隊は形成させた。残りは単独行動するドルマ・ゲドンだが。
「僕たちが行く。僕の部隊は近距離型だし、囮には丁度いいでしょ」
コートンの部隊員たちは既に動き出しているのか、冷気が晴れたシリベスの周囲には提案者のコートンと部隊長のラベット。そしてシャフティーとカルテルタルのみとなり、氷狼の狙う対象もバラけ出した。
第一の目的は達成され、なら今度はあの七十の砲撃を無効化する策を講じなければいけなく。
「ギミックは間違いなく魔術の残骸の吸収だ。だが、ニクスレオパルドゥスの氷壁と領域がある限り遠距離攻撃しか今のところ打つ手段がない」
「わかってるよ。僕らが接近して注意を引きながら吸収する隙を潰していく。砲撃がリースくんの方に集まってニクスレオパルドゥスが直接攻撃してきたら吉」
「砲撃の分散と隙を与えない攻防をしろ」
「了解」
部隊員たちを追いかけて走り去っていくコートンを見送り、残された四名は改めて見ると奇特な四人組だ。
部隊長にして唯一の銃使いのラベットに、幻術使いのシャフティー。『春』の領域支配者のシリベスに殴ることが好きなカルテルタル。汎用性の高そうな組み合わせだが、圧倒的に数が少ない。が、問題はそこじゃない。
「わたくしたちのすべきことはわかっていますわね」
振り返るシリベスに一瞬見惚れながらシャフティーは頷く。
「萌え萌えな致命傷をぶち込むことですよね」
「そうですわ。可憐に優雅で気品の溢れる見惚れるような渾身の一撃を叩き込むことですわ」
「さてはお前ら同じ穴の狢だな」
「な、失礼ですね。わたくしをこのような奇特な後輩と一緒にしないでくださいまし」
「アタシに失礼だけど、ツンな先輩も萌えなんで許してあげます」
「可憐で優雅といいなさい」
くだらないとため息を吐いてラベットがカルテルタルを見るが、相も変わらず無言で無表情な彼が何を考えているのか一切わからず、改めてこの部隊には真面な奴はいないのかとため息を吐くラベットだった。
「そんなことはどうでもよく、二人の言う通りだ」
話しを戻すラベットは告げる。
「俺らのやることはただ一つ。ニクスレオパルドゥスを倒す必殺を打つこと。その役目はわかってるな」
ラベットが見つめる先。見つめられたシリベスはふふっと優雅に微笑み紅蓮火にドレスを翻し強調される胸を張って。
「わかっておりますわ。わたくしの一撃で必ずや『冬』を倒してみせますわ」
揺らぎや不安の欠片はない。信じて疑わない、正しく高貴な佇まいは意味もなくシャフティーたちを信じ込ませた。それだけの自信と実力が彼女にはある。加えても美しさもだ。
「決まりだ。俺たちはシリベスの援護とニクスレオパルドゥスの分析及び攻撃の穴を作る。いいな?」
「りょーかいです!」
「(コクリ)」
見据える彼らの視線の先では既に攻防戦が始まっている。
左翼ではリースを前線に侍女部隊が魔術の砲撃でサポートしながら果敢に攻めている。が氷壁に阻まれ魔術の残骸は氷狼に吸収。その口から氷でコーティングしたエネルギー砲が放たれる。
一方、右翼では侍女部隊の魔術から吸収された砲撃に襲われるが、その砲撃を分散させる形でラベットたちの対極、ニクスレオパルドゥスの背後の方まで陣を展開し、近接戦闘を持ちかけている。隙を与えない攻防を目指すが、今はまだエネルギー効率の方が速い。
【ルフス・ミストスウェール】によって強化された『春』の領域内で、今なお抗う氷河の豹は左右翼の雑踏など意に還さず、その凍てつく青い眼はシャフティーたちのみを捕えていた。
『…………』
「どうやらそう簡単に仕掛けさせてはくれなそうだな」
「あはは……警戒されちゃいました」
だが、それも作戦の内だ。背筋を伸ばしたシャフティーは「よし!」と気合を入れ直し。
「さて、アタシの萌え萌えな戦闘姿を特別に見せてあげますね」
そして、百の幻体を生み出しニクスレオパルドゥス目掛けて一斉に駆け出した。
ありがとうございました。
次の更新は土曜日に予定しています。
それでは。




