第二章63話 追い越す春
青海夜海です。
もう、二年くらい家族としか話してないので、人と関わるのが思った以上に怖くなってます。
東部戦線 氷獄の鳥
生命体がどうして寒さに弱いのか。
動物や植物、人間に限らずありとあらゆる生命体は寒さや冷気にめっぽう弱い。もちろん、往々にして例外はあり、厳しい環境で進化を遂げればその限りではない。だが、一般論、生物学や植物学に連なる生命学において寒さこそ一番の敵とみなしている。
さて、どうして生命体は寒さに弱いのかと問われれば解はおのずとでる。
生命の魂は『火』から産まれたものだからだ。
原初、虚空に現れたのは『水』と『火』。二大元素によって世界は混沌の下に産まれた。
『水』は『大地』を『火』は『天』を。
『灯る火』は『光』と『影』に世界の形相を担い、やがて『吹いた風』が火種を虚空中にばら撒き、『水』の塊りによって生まれた『土』が胎盤なり『大地』、そして『海』を生み出した。
『火』と『風』は『空』を。
『水』と『土』は『大地』を。
そして、生命が属するは『空』なる『火』にあった。
『魂』は『天の火』より存在し、それが『肉』の大地の胎盤によって生れ落ちる。
四大元素すべてに適応する唯一の生命体でありながら、根本の『魂』は髄まで『火』を宿すのだ。
よって、生命体は『暖』を好み反する『寒』に弱いのだ。また、人間は寒さに対して身体系を適応させるために進化させるのではなく、知恵を用いた文明の発展による厚手の衣を纏うようになった。これが、人間が特に寒さに弱い要因となっている。
「この程度の冷気などわたくしの高貴なる熱で吹き飛ばしてみせますわ。くちゅ」
と、東部戦線にて前方より荒む冷気の嵐に向かって豪語した途端に案外に可愛らしいくしゃみをした女がいた。
朱のウェーブのかかった髪に身分と教養の高さがうかがえる高貴な雰囲気と佇まい、自信に満ち溢れた美しい相貌……は、少しだけ鼻水が垂れているが。加えて自負の宿る実力を兼ね揃えた美女。そんな美女一人を前線に残して他の者たちは後方へと下がっていく。
「じゃあよろよろ。あ、風邪には気を付けて」
「え?」
「ざますお嬢様がこの冷気を吹き飛ばしてくれるんだって」
「見物だな」
副部隊長の地位を持つコートン・エガスの煽りに、部隊長のラベット・ホルスターも乗っかる始末。
「ざます先輩の萌えシーンですね」
「寒いから早くしてくれない。脳みそ凍っちゃいそう」
「オイ、リースのためにさっさとしやがれ」
「馴れ馴れしく名前を呼ばないで。脳筋の頭を藻屑にしてティアマト海に沈めるよ」
「す、すまん……フォルト」
「ドルマ・ゲドン先輩、今の萌えですよ! カルくんもそう思いますよね」
「…………」
最初にシャフティーが騒ぎ出したかと思えば、問題児たちの奇行によって高貴な美女、シリベス・ユーリクスの影がどんどん薄まっていく。
「ちょっと⁉ なんでわたくしを置いてけぼりで騒いでますの! ホントにできるんですからね! 本当なんですから! くちゅ」
とこっち見なさいよーと憤慨しながらくしゃみをするシリベス。最早駄々を捏ねる子どものようですらあり。
「今に見てなさい! わたくしの崇高にして可憐で美しい身姿を!」
「「ですわ!」」
「そこ! 弄らないでくださいまし! くちゅ!」
リースとシャフティーを指差し声を上げたシリベスはまったく、と呆れながら前方に向き直る。
そこには天高くまで吹雪きあげる雪嵐。すべてを絶寒の零度へと奪い来る雪嵐は見境なく規模を広げていき、およそ数十分で東部全域を呑み込む勢いだ。
今ここにいるセルリアを除く第十一部隊、シリベスたちが食い止めなければ、どの道人類の未来は氷河に埋まる。
絶望を煽り浸し襲い来る絶対零度の嵐に向け、ただ一人愉快にも阻まんと立つ女は告げる。
「氷河の豹! 貴方の好きなようにはさせませんわ! このわたくし【紅姫】シリベス・ユーリクスの名において焼き払ってみせましょう!」
「「ですわ!」」
「おだまりなさい!」
懲りない二人である。
そんなシリベスから十メルほど離れた彼らは置いておき、朱の髪を靡かせルビーの瞳に光輪を浮かび上がる。それは彼女の足元にも現れ、輪は炎を波のように勢いを立てて周囲を回り出す。赤く高貴な軍服とその上から羽織る火絡の聖衣はたちまち紅のドレスのように優雅になびいた。その手に持つ紅蓮の装飾が成された一筋の剣は楽園を差す導きの光のようであり、また勝利を飾り凱歌を振るう栄光と勝利への宣誓のようでもあり。あらゆる意味や意思を刻むその剣をシリベスは天へと掲げた。
その瞬間、その剣は世界に顕名する。
「【エアナよ歌え・これより私の紅唇を持って・暖かな春を謳おう】」
唱えられた詠唱に従い、紅輪が辺り一面の地面を奔り、眼前に迫る雪嵐の氷雪領域とぶつかり合う。雪嵐は滾るも穏やかな紅炎が足を咳止めてみせる。
一瞬の停滞はその娘の名を預かり解き、彼女の血脈を証に歌い語る。
「【その日私は出会い・百花の秘かに触れ・袖に紅を落す】」
とある女神の娘だった頃の名を飾り、密に恋文を読むかのように。されど、豪胆美麗に詠う者は紅の唇でその春を息する。
「【その日私は知る・海聲と血野原・万感は虚に愛を啄む】」
紅蓮の炎は勢いを増し、涙のような紅子を空へと昇り、目をゆっくりと閉じるように土の生命は強く露わとなる。まるで時の流れにひと春の航海をするように。
氷雪領域へと侵入していく。
「【その日私は失う・紅涙を剣に蒼執を瞳に・残酷の運命に・私は戦旗を剣とし勇気を瞳とする】」
詠唱するシリベスを中心に八芒星の陣を展開。
緋色に輝きだし八芒星に応えるように紅子がそれぞれ凝縮しだし無数の炎剣となる。それは戦場へと向かう戦士のように宙に浮かびその時を待つ。
紅波が取り巻く領域の完成に、しかし氷河の獣がさせぬと咆哮を上げた。
甲高く鋭い一撃が暴風雪となりシリベスの領域を打ち消しにかかる。猛烈な冷気がシリベスたちの肌を差し一瞬して体温を奪い去る。それほどの冷気の塊りだ。人にとって死地となんら変わらず、冥界が寒地と恐れられている言われでもある。
まさに破滅の狂咆哮。
絶対零度と破滅の意を持って氷河の豹は荒び睨む。
形成していた己の領域を侵略しようと懲りずに抗う人間どもに。積もり積もった鬱憤を死滅の使命で報復する。二度も追い返された挙句、今度はエリドゥ・アプス全域を氷雪に変えてやらんと力を蓄積していた所にまたも邪魔をしに現れた蛮族に。うまく行かない事実が獣を苛立たせ短気な思考へと陥らせる。
だが、かの獣は『十一の獣』に敵わなくとも劣らん氷獣だ。人類の天敵であり、制止と再生を繰り返す冷土の支配者にしてその気になれば【エリア】一層全土すら氷海に変えてしまわんほどの脅威を持つ。その力によって場面は一転し状況は覆る。
「ぐっ⁉ なんですかこの氷気⁉」
「|火絡の聖衣着てるのに⁉」
「このままじゃヤバいわ!」
火絡の聖衣の加護もシリベスの魔術の恩恵も虚しく、騎士たちの体温と感覚器官や神経を殺しにくる。ただただ痛く苦しく、だけどその全部がどこか他人事のような感覚が己を命を麻痺させる。脳裏に浮かぶ絶滅の二文字を払拭するように、ラベットが怒声混じりの大声を炸裂させた。
「魔術をぶっ放せーーっ!」
「わかってんだよォオオオオオオオオ!」
間髪入れずドルマ・ゲドンの火魔術が放たれ氷風とぶつかり爆破を起こすも、後から追いかけて来る氷風に残響すら凍らされ瞬間的な熱の供給と冷気の阻害しかできない。
「それで充分だ」
部隊長ラベットの指示に従い、ドルマ・ゲドンに続いて騎士たちは次から次へと魔術をぶっ放した。もちろん氷属性の素となる水と土の魔術は除き、火魔術で反撃し風魔術で防壁を張って耐え忍ぶ。しかし、その火焔も風壁も戦場に孤立することを選んだシリベスには届かない。
「シリベスお嬢様!」
「今! シリベスお嬢様を助けてみせます!」
「それまで耐えてください、お嬢様!」
部下たちが懇願と焦燥、使命感に強く魔術を研ぎ澄ませ生き残る一興を買う。しかし、それでも押し返すには遠く及ばない。
「二度の戦いが嘘みたいですね! 本気を見せる場面は萌えなんで、アタシはアリですけど」
「私も手応えがありそうで好き。頭もちゃんと脳が詰まってるみたいだし」
「相手にとって不足はねーってな!」
「…………殴れる」
「カルくん、顔」
悦に浸ったカルテルタルは顔を引き締めるが残りの三名のせいで誤魔化せていない。そもそも誤魔化す気などないのだろう、狂っているとしか思えない思想にラベットが呆れといつもの事かと寒いという理由から諦観する。だが、極度な緊張を和らげるのは自分ではなく隊員たちであり、部隊長としての課せられる役割は当に理解している。
息を吸えば冷気が喉と肺に凍てつき呼吸に苦しみを覚えるという矛盾を抱えながら声を張る。
「狼狽えるな! 僕らに任された役割は今ここで生き延びることだび 思い勝手に死地に飛び込むことではない!」
「で、でも隊長! シリベスお嬢様が⁉」
「僕らに生きろと命令を下したのは誰だ?」
「そ、それは……」
「シリベスお嬢様です」
「そうだ。彼女が約束した。最高の戦場を容易するから必ず生き残れと」
そうだ。ラビットたちがシリベスから距離を取ったのも、こうして吹雪の猛攻から耐えているのも、すべてはシリベスが降した命令だ。彼女からのバトンだ。誰も死なずにかの災害を排除するための作戦だ。
「僕たちは軍人だ。パンテオンを倒す使命がある。だからと言って犠牲を容認するほど僕も鬼じゃない。誰も死なないためであり、勝機があると見て、あいつはこの作戦を提案し、僕たちは最初の鬼門をあいつに任せた」
「…………」
「なら信じればいい。僕らにできる唯一の援護だ」
あいつを無条件に信じることは得意だろ、と冗談めかしに言ってやると。シリベスお嬢様を溺愛する隊員たち一同が背筋を伸ばし声高らかに宣言した。
「「「「「シリベスお嬢様に不可能は御座いません!」」」」」
信じて疑わない眼差しが愚門ですと物語る。一人、シリベス精鋭隊を代表してヨツバが宣う。
「わたしたちはシリベスお嬢様を心より愛と憧憬と尊敬と慈愛と幸福と希望と奇跡とトキメキと愛と愛と愛を込めて信じております」
「重いは」
愛の三コンボにはさすがにドン引きであるが、成果としては上々。落ち着きを取り戻したシリベス精鋭隊たちはヨツバの指示の下、押し寄せる吹雪に全力で対処に励み出した。
そんな隊員たちの愛と信頼に応えるように、氷海の破片の中から一輪花のような凛と佇む声音が鼓動し、刻む鼓動に昂るような氷嵐の中で一輪花が赤く灯る。
シリベスは詠唱を紡ぐ。
「【その日私は決意する・願うは暖気・到るは氷期・伸ばす手は変わらず剣を持つ・されど私の瞳よ映す春の園を目指し・その手に紅蓮の剣とせん】」
強く滑らかに風の合間を縫うように詩は響き渡った。彼女が定めた戦場全域に彼女の言霊が行き渡り停滞していた魔術が再起動を始める。
炎を高らかに、八芒星の陣を紅蓮で染め上げ、それは血脈のように炎の亀裂となって外縁まで走りだす。無数の炎剣は走る亀裂より炎が噴き出す箇所へと鍵のように差しこまれ遥かな意思と数多の願が血脈に流れて逝く。
「【受け継ぐは一縷の希望火・携えるは彼方と狭間の哀悼・契りは戦旗と共に勝利をここに・私は春を待つ】」
意思の強さに反応して強まる円光の炎が纏わりつく氷雪の嵐を払いのけ、シリベスの姿が露わにとなる。
白く凍り付いた髪は美しい朱へと輝き、生気を奪い去られた肌に色を取り戻し、炎で己を着飾る。【紅姫】を象るシリベスはその称号に相応しい超常の現象を成す。
「【来たれ春・剣は蒼涙を流し瞳は紅悔に滲ませる・其はこれより楽園を築く】」
激しさを増す炎波と氷嵐は絶え間ない衝突を繰り返し、かの戦場を阿鼻叫喚に狂わせる。曖昧な気温と二色背反のエレメントが鬩ぎ合い、灼熱と氷雪の明滅を幾度と繰り返し混沌は混色へと転じようとする。
しかし、そのような曖昧を二人は許さない。
「【私の願はただ一つ・紅鏡の星よ・紅髄の魂よ・娘の名を騙り千紫万紅とする】」
血脈に刺さる無数の剣の鍔の中心が光点する。点在する無数の光点は特定の光点と線を結びだし、幾何学的な模様を形勢しだす。それこそが魔術陣の昇華であり詠唱の終局を表す最後の大仕事。
紅の線と線が象る八芒星。その総数六十四は接触を繰り返しその幾何学模様が六十四個の八芒星には見えないだろう。だが、シリベスを中心に八方角にそれぞれ八つずつ、それらすべては大円の炎波に囲まれ都市一つ分の大魔術陣を形勢した。
氷河の豹は誰よりも早くその実態に気が付いた。しかし、その時には既に遅い。炎環は春のうららを謳い、氷雪領域ごと内包されている。
そして、歌は終局をなぞる。
「【春よ出でよ・日照りの春よ・育みの春よ・汝の名は慈恵の春陽の娘・私は希い哀願する・朱の刹那よ我らに治徳の愛と春の囁きを羅針せよ】」
紅蓮に包まれたシリベスは開花する。紅涙と春心を纏い願いを顕現する。
その身は紅蓮のドレスに銀盃花の羽織を纏い、血に残滓する記憶を宿しとある娘の悲願を再来させる。
とある女神の町娘。その血を受け継ぐかの令嬢の名はシリベス・エアナ・ユーリクス。
彼女は掲げる昇格顕在した〈アカシアの剣〉を振り下ろし、剣先に標的を定め。
魔術の名を解き放つ。
「【春はここに】――【ルフス・ミストスウェール】」
エアナの血脈に受け継がれる領域変革の秘術が発動した。
大地が轟震しだし地中を破るように輝炎が打ち上った。敵味方関係なく魔術陣内を埋め尽くす輝炎は春風のように渦を巻き始めすべてを払拭し新たな紅炎の形成を始める。
氷雪の一切合切を吹き飛ばし、とある町娘が望んだ春を訪れさせる。
「これは……火の粉か?」
話しには聞いていたが初めてみるシリベスの大技。輝炎に呑まれたと思えば、なんら痛みはなく眼を開けると炎として渦巻いているものは、炎ではない別のなにか。
「これ、花です」
コートンが指で掴んだ火の粉は黄色の花びらであり、花びら一枚一枚が小指の爪よりも小さく、それが万……いや、千万か更に上の数の黄色の花びらが輝炎となって魔術陣すべてを覆っていた。
渦巻く花びらたちはやがて集い始め一種の樹木へと形成されていく。輝く樹木は点々と存在し、晴れて来た視界にその樹木が咲かせる花が何の花かようやく理解得た。
「アカシア……友誼と秘密の聖樹」
「リース先輩よく知ってましたね?」
「うん、セルリアが教えてくれたから」
「あの人、変なことまで知ってますよねー」
「スポンジの穴に本が詰まってるはず」
「頭がスポンジなことに変わりはないんですね」
「? だってセルリアって基本バカでしょ」
「リース先輩に言われちゃ元も子もないですよ」
そうこうしている内に場面は転換する。
アカシアの樹木が立ち並ぶ戦場の大地が波のように一度大きくしなると、まるで【エリア】第二層の花園のように、暖かな気候と穏やかな草花が茂りだし、そこは正しく春の原であった。
月光に勝る光輪が疑似太陽となり眩く戦場を照らし、装甲のすべてを取り払われた氷河の豹がその身を露わにする。
氷雪の一切がなく、荒れ果てていた戦場はアカシアの木々と共に豊かな野原へと変貌し、春の輝希が紅鏡となって領域に勝利の兆しを差しこむ。
そして、【ルフス・ミストスウェール】の効果により味方全員に強力な能力が付与させた。
「なんだ? 力が沸き上がってくるぜ」
「…………!」
こんな時でも喋らないカルテルタルと違い、ドルマ・ゲドンの反応こそ求めるもの。
「全魔術と身体の強化、全能力限界突破時における強力な補正。他にも連繋度に合わせた思考力や洞察力、俊敏性などの上昇補正、持続的治癒効果なども含まれてる」
付与された効果の広さに驚愕する一同の視線を受け、ラベットはシリベスを見つめた。
紅蓮の衣を纏い春の血を引き継ぐ聖純の娘。聖女とは異なるものの、聖火と性質の似た紅火を秘めるエアナの子孫。
「これがあいつ、シリベス・エアナ・ユーリクスの真髄だ」
この時、多くの者は悟る。いや、理解すると言った方が正しい。
その高貴なる後ろ姿は最早只人の領域に在らず。そして、かの者の紅蓮火に敵う者はないと。それは、リースやドルマ・ゲドン、シャフティーとて同じ感慨と畏怖を覚えた。誰にも勝る圧倒的脅威。
春の大地にてシリベス・エアナ・ユーリクスは最強の支配者してこの戦場に参戦した。
「さあ、舞う時よ」
ありがとうございました。
詠唱くそ長いですね(笑)。けどその分、クルール戦の【雷霆領域】とは比較にならないくらい強いです。ま、氷河の豹も大概なんですけど。
次の更新は水曜日を予定しています。
それでは。




