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死贈りの歌姫(旧タイトル:死に急ぐ冒険者は踊り歌って愛叫ぶ)  作者: 青海夜海
第二章 星蘭と存続の足跡
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第二章61話 聖戦の銀音

お久しぶりです。

青海夜海です。

やっと、体調がよくなってきたのでこれまで通り二日、三日の頻度で更新予定です。

よろしくお願いいたします。

 

「マザランが大炎者スルトに合成獣(キマエラ)化したことは知っているかしら?」

「はい。……聖女たちが利用されたことも、その見てました」


 カバラ教司教ルリア・ムーナによってマザランが聖女を柱とし、聖歌術(アンリート)を用いて合成獣(キマエラ)化したところをはっきりと見せられた。あの現象をどう説明すればいいのかわからないので割愛する。

 マリネットは察し良く詳しい部分には触れずに話しを進める。


合成獣(キマエラ)の原理は予想だけれど、パンテオンの遺伝子を人体に組み込んで変貌させるものでしょう。けれど、彼がやったことはそこから大きくかけ離れているわ」

聖歌術(アンリート)に大量の魂ね」


 セルリアの回答にマリネットは頷く。


聖歌術(アンリート)は超常現象における儀式、それは人理と摂理に反しない限りあらゆる現象を引き起こすことは可能なのよね?」

「概ねその解釈で正しいです。ただ、想像する超常現象のすべてが可能と言うより、その現象を引き起こすために複雑で難解な儀式を行う必要があると考えてもらったほうがいいです。人数や魔術陣もそうですが、聖歌の技術が何よりも大切です。なので、わたしとマーナ様を除いた聖女たちでは想像するほどの超常現象は引き起こせません」

「なら、あそこで行われた聖歌術(アンリート)の術式は何かしら? 見ていたのよね」


 ルヴィアは思い出す。あの意識の介入などできない、自分として認識もできない不思議な狭間で、カバラ教に見せしめられたマザランが大炎者スルトになる瞬間を。

 あの時、聖女たちが歌っていた聖歌。描かれていた魔術陣。そこから導き出せるのは一つ。

 ルヴィアを見つめるマリネットの真摯な眼を見つめ返し、そっと息を吸って。


「……【人力の護手】です」


 眼を移らせるセルリアとノアル。マリネットは続けてとしゃくる。


「【人力の護手】は比較的簡単な聖歌術(アンリート)です。効果としてはどのような現象や流れ、法則でも構いません。力が流れるものに対してその力の代替え、簡単に言えば指定する力と同じ力となり支える効果を持ちます。例えば荒波に対する抑制力に変化して波の力を弱めたり、火の力に対して風の力となり引火を防いだりなど。要は、あらゆる物質や現象の持つ力に変化する能力です」

「なるほどね。自然災害の不自然な消滅はこの力が関係していたのね」

「はい。『時計塔』から送られてくる自然災害等をこの【人力の護手】を歌って人々を守っていましたので」


 なるほど。聖女のルヴィアが言うならば本当なのだろう。当の儀式を目視したわけではないマリネットだが、聖女の実証によってマリネットの予測は大きく確証へと動いた。


「それはおかしくないか? 俺も見てたがその儀式であいつはスルトになったんだぞ。守護の力のどこに悪魔になる力があるんだ?」


 まるで物語を進める端役と言わんばかりの馬鹿馬鹿しい問いを披露するノアル。「あなたそんなにバカだったかしら?」と白けた眼を向けるマリネットとセルリアの脇を越え。


「確かに変ですね。間違いではありませんが……どうしてそのような聖歌術(アンリート)を使ったのでしょう?」


 と、ここにお馬鹿さんがいた。これにはさすがの二人も口を噤み、彼の端役に付き合う。


「恐らくだけれど、マザランはスルトになるために多大なるエネルギー、言い換えれば生命力かしらね。とにかく力が必要だったのよ」

「大量の魂も集めてたしね。きっとその魂をエネルギー原にしたのでしょう」


 そこで、ふとノアルが「話しの途中で悪い」と割り込んだ。


「なに? あのバカな子たちみたいにくだらないことだったらヘリオみたいにするわよ」

「殺意がヤバすぎる」

「そうよ。ノアル、覚悟することね」

「貴女もバカの一味よ」

「うそ⁉」


 ガーンと項垂れるセルリアは置いておいて、話せと鋭い眼に促されノアルは問いかける。


「もちろん俺たちは現場を見てたわけだから魂が吸収されたことに疑いはない」

「そうね。私たちより詳しいわね」

「棘で刺すな。けど、あの膨大な魂が……恐らくカバラ教徒の奴らだと思うけど、あれだけの量があるとは思えない。ざっと四千近くはあった気がする」

「よ、四千⁉ 人口の三分の一ですか⁉」

「目測というか感覚に近いけどな」


 本当にそれだけの魂があったのかはわからない。実はもっと少ない可能性だってある。けれど、ノアルの眼にあの魂群はあまねく大光のようで、地元の世界で見える太陽の一光線のようでもあった。眩く輝かしく神々しく、目を細めてしまうような光。

 その光の正体を問いかけるノアルと困惑するルヴィアに。


「そう……知らなかったのね」


 と、どこか痛々しく哀し気な顔を見せた。セルリアもまた慎重な顔付きで言葉を譲る。そうして、その淡い唇が紡いだ言葉は異邦人と聖女に痛みとなる衝撃を与えた。


「――この騒動で亡くなったすべての人が生き返ったのよ」


 ——複製体(ホムンクルス)、永遠の命、死なない魂、死命の樹木(クリフォト)

 浮かび上がったいくつかの残響。振り払った悪魔の手は、既に蔓延(はびこ)っていたのだ。想像よりずっと広く深く悍ましく。

 呟き声すら出せず、開いた口も閉じず、信じられないと眼を大きく開いたノアルに。


「聖女マーナの火刑を皮切りに死者は蘇ったわ。お陰で聖女は完全に人類の敵と定められ、誰もが主導者マザランに心酔した」

「……いま、マーナ様が……か、え?」


 想像などしていたものか。むしろ自分たちの敵だと苦しみながら見つめた相手だった。その名は忘れることはない。その名は幸福と不幸の両方を持ち合わせ、それでも大切だと思い続けている存在。


 誰が火刑された?


「嘘です! ま、マーナ様が! マーナ様がっ!」

「落ち着きなさい」

「落ち着けません! お、落ち着けるわけ……ない、ですぅ」


 マリネットに詰め寄り彼女の肩を掴んだルヴィアは、すぐに言葉端を(しぼ)めていく。倣って弱まる手が選択枠を掴み損ねたみたいにだらりと下がり、視線はいつの間にか地面に映る暗い影を見つめていた。


「マーナ様が、火刑された……? ど、どうしてマーナ様が? だってマーナ様は」


 一人ぶつぶつと呟くルヴィア。困り顔のマリネットが視線でノアルに呼びかけるが、当の彼も信じられない思いでいっぱいなようで放心状態。

 最悪な予想として抱いていた危惧が現実となり、頭を悩ませるマリネットは見た。ノアルの前へと出たセルリアを。彼を見上げ見据える紫陽花の眼が呼ぶ。


「――ノアル」


 冷気を切り裂くような一声は言霊を落とし込む。その言霊は『名』である。彼を表す唯一無二の『名』である。その『名』を呼ばれて反応しないわけがなかった。


「――――」


 瞬間に我に帰ったノアルは捉える。己を見つめる冷静な眼を。ずっと凛然とした冷たい川のような瞳を。美しさのなかに絶対の畏怖を覚え、ノアルは無意識に唾を呑み込み謝罪を吐き出しかけて。


「違うわよ。他にあなたがするべきことがあるでしょ」


 そう、ノアルの唇を人差し指で軽く、されど頑なに抑えたセルリア。その声が差す方角をノアルは理解して、すっと顎を引く。すると彼女は細く微笑み指を離した。

 ノアルは眼だけで感謝を告げ、深呼吸を繰り返す、あらゆる言の葉を一度受け入れる。そうして胸の中で収まったそれらを俯瞰しながら一つずつ整理していく。そうしてノアルはルヴィアに告げた。


「――問題ない。その聖女は生きてる」


 はっきりとした口調で、もはや今更ありえないなどと言えない言の葉をぶつける。


「え?」


 緩みそうな眼で顔を上げたルヴィア。マリネットもノアルに視線を寄越す。


「大聖女マーナには『逆さの樹木(クリフォト)の痣』がある。つまり、奴はカバラ教徒であり複製体(ホムンクルス)——永遠の命を受け入れた人間だ」

「――――」

「自作自演……マザランと結託してわざと見せしめてとして死んだ」

「なんで、ですか……?」

「死者の蘇生に整合性を持たせるためだ。その上でマリネットが言ってたがマザランに深く信仰させる。それが人間たちを盲目にさせた」

「…………」

「俺の予想が正しければ、蘇生を受け入れた奴ら全員が生贄にされた。蘇生は恐らく」

「私の知らないこともあるけれど、その件においては貴方の予想は正しいわ。その『逆さあの樹木(クリフォト)の痣』だったかしら? 恐らくそれが条件ね。蘇生した人間は痣を持たない人間に接触し、何等かの方法で痣を発症させたとみているわ」

「そうね、昨日は夜中お祭り騒ぎだったものね。料理に毒を混ぜてあっても、きっと気づかないわ……て、なにホムンクルスって? 逆さの樹木(クリフォト)ってなに? 永遠の命ってなに⁉」

「寄るな! 近い!」


 今度はセルリアが興奮気味にノアルに問い詰める格好。ルヴィアといいセルリアといい、どうにも興奮すると距離を詰めて来る女が多い。顔がいいのが猶更(なおさら)悩みどころである。

 ノアルは「だから近いんだよ!」とセルリアを無理矢理に引き離す。が、マリネットの鋭い視線が突き刺さり。


「簡単でいいから説明しなさい」


 と言われたからには簡単に説明せざるを得ない。ため息を吐きながらむしろ吐き出せることに安堵を覚え、カバラ教の詳細を口にする。


「今回の事件はカバラ教の仕業だ。カバラ教は人類の永続、永遠の命を目指してずっと研究していたらしく、その結果カバラ教は複製体(ホムンクルス)を作り上げた」

「永遠の命なんて、バカなことを考えるわね」

「けれど、わたしたちの停滞と怠惰が招いた事でもあります。いずれパンテオンの侵攻に押し負けてしまうと」


 一理あると理解得ているのか、二人は特に何も言わなかった。


「それで、そのホムンクルス?が永遠の命とどう関係あるわけ?」

「カバラ教の永遠の命は魂の帰還、輪廻転生を留めること。つまり、()()()()()()()()()()()()らしい。原理は知らないけど、魂の捕縛によって死んでも生き返る循環を作り上げた。その生き返った人間を複製体——ホムンクルスとカバラ教徒の奴は呼んでいた」


 突飛な話しだ。信じてくれとしか言いようのない真に恐ろしい事象だ。しかし。


「なるほどね。なら多くの説明がつくわね」

「はーなにその勘違い英雄感。そっちの勝手な正義感で私たちまで巻き込まないでよね。摂理に反してまでやることとは思えないわ。滅びるなら滅びればいいのよ」


 極端な言い分だが、セルリアの意見こそ尊重すべきだろう。人類が滅びるというのなら、きっとそれが正しい世の循環にして運命なのだろう。ならば受け入れるべきだ。

 ここで一度会話が途切れ、マリネットが本題に戻す。


「つまり、複製体(ホムンクルス)となった、あるいはその資格を有する人たちが魂を抜かれてマザランの養分となったということよ。大量の魂は大量の魔力やエネルギーと同じ。それを使ってマザランをスルトへと進化させたとして、貴女が教えてくれた【人力の護手】……どんな力にも変換できるのよね?」

「はい、力が流れるものに変換できます」

「なら明白よ。あれだけの大量の魂を吸収や維持ができるとは思えないわ。きっと【人力の護手】がそれらのエネルギー原を留め支える役割を担っているのよ」

「それじゃあ……」


 思いつく答えは一つ。


「マザランはまだ完全体スルトにパンテオン化したわけじゃないわ。聖女の支えによって今の姿と力を維持している、そう見て言いはずよ」

「けれど、ずっとそのままってわけじゃないでしょうね」

「セルリアの言う通りね。時間の経過と共に適応していくことでしょう。そうなる前に」

「聖女のみんなを助ける——」


 強い眼差しが逞しく決意する。もしも、マリネットの仮説が正しければ聖女たちはスルトの内部でエネルギーを支える役割、つまるところ人柱を担っていることになる。つまり、聖女たちが生きている証明になるわけだ。生きているならば助けられる。それがマーナに対してどうしようもない感情を抱きながら、それでもカバラの意思に反する正義を宿す聖女ルヴィアとしての救いであった。同時に只のルヴィアとしての覚悟でもあった。


「恐らくあの不自然に剥き出しになっている『アバラ』が関係あるでしょうね」

「長さが違うな? 浸食具合か?」

「そうかもね。にしてもどうやって解放するの? さすがに私の心歌術(エルリート)じゃ効き目はないわ。それぞれの魂にパンテオン化が侵攻している節があるから精神解離は通用しないわ」


 パンテオンの肉体と魂を解離する心歌術(エルリート)の歌。その術の最高技術を持つセルリアですら、千の魂の前に効き目は薄いと言う。肉体に対して魂の割合が多く、力が分散され表面しか削ることができない。凡庸魔術よりずっと体力と精神力を使う心歌術(エルリート)をすべての魂を切り離すまで酷使するなど不可能だ。肝心の本命と邂逅(かいこう)した時に歌えなくなっているだろう。


「でも、それはあくまで遠距離から表面を攻撃する心歌術(エルリート)に限った話しよ。癪だけどね。つまり、標的をそのまま切り離すことができればいいのよ」

「そんなこと可能な……」


 奴はいないだろう、と言いかけたノアルの口が止まり凝視するようにルヴィアを見つめた。


「な、なんですか?」


 恥じらうように戸惑うルヴィアを見て思い出す。かの女は聖女。その身は清く純潔にして誠実の果実。神の恩恵を得ている聖女が受け継ぐ聖火の力。


「そうだ。お前の浄化ならスルトから聖女たちを切り離せるんじゃないのか!」

「わ、わたしですか⁉」


 唐突なことに驚き声を上げるルヴィアだが、「確かにわたしの力であれば、邪を祓うことは可能ですが……」と思案し始める。

 そんな彼女の背を押すように。


「私とノアルで援護するわ。マリネットは指揮してね」

「わかったわ。ヘリオも使いなさい」

「りょ」


 そう戦う準備を始める一同に戸惑うルヴィア。その肩をポンとノアルが優しく叩く。

 振り向くルヴィアの相貌に彼が映って。


「やるだけやるぞ」


 その一言に——助けるぞ、という強い意志を感じ取りルヴィアは今一度ぐっと力を込めた。

 できないや自信がない、確証がないじゃない。やらなければ助けられない。誰も守れない。

 だから、ルヴィアは宣誓した。


「わたしがみんなを救いだします。だから道を切り開いてください!」


 その逞しい彼女に、一同はほのかな笑みの中に激情に似た灯火を宿し。


「ええ、任せなさい」


 そう、胸を張るセルリアに倣ってノアルとマリネットも頷いた。





 戦場の激化はスルトの苛立ちに呼応して増していた。


『コノッ! 痴レ者ガァ! 今スグニ死ネッ!』


 激昂するスルトの大火焔が撃ち放たれ痴れ者を灰にせんと爆炎となり一掃する。万物を灰燼にせん熱気の一撃は、しかし。


「あちちちちち⁉ 俺の尻がっ⁉ ハゲワシの頭か猿の尻になりそうなんだけど⁉」


 ふざけた声を上げながら間一髪回避してみせたヘリオ。焼け焦げた尻を叩きながら「マジで尻が焼けるかと思ったぜ」などとほざく姿は、まさにスルトにとって侮蔑もいいところだった。

 それよりもだ。その男の頭のおかしさもそうだが。もっと明確にヘリオを得体が知れないと忌避することがあった。

 ヘリオとスルトの交戦時間はおおよそ十分ほど。あまりにも短く、されど人一人殺すには充分な時間だ。先のノアルとルヴィアのようにものの数分で薙ぎ払えばいい。焼き潰せばいい。それだけの力をスルトは有している。人類殲滅を執行するカバラ教徒として、ただ一人を殺すなど造作もない。

 だというのに、どうだその男は。十数分が経った現在、その男の容態はどうだ。死んでいるか? 瀕死の状態か? 否だ。


『ドウシテッ! ドウシテオマエハ死ナナイッ!』


 何度も何度も死の狭間に誘い、その度に運命からはみ出るみたいに間一髪で死から逃れてくる。黒十字剣(レーヴァテイン)の超撃も、黒炎の爆破も、炎弾の豪雨も。その男は逃れて見せた。殺したと思う決定的な一撃さえ、奴は回避してみせた。周囲を一掃する大炎爆ですら死に至らしめなかった。


『オマエハ何ダァ!』


 あまりの異質さに怒号するスルト。炎が呼応するように噴火し、ヘリオをこちらへと向かせる。相も変わらない訓練に疲れたような疲弊の顔でヘリオは言う。


「何って……あーんーえーー……じゃあアレにするぜ。そう! 俺は正義のヒーロー!」

『クタバレェエエエエエエエエエエエッ!』

「ぎゃぁああああああああああ⁉」


 ふざけたことを抜かすバカを今度こそ塵も残らず殺してやる、と黒十字剣(レーヴァテイン)を振り下ろし業火が荒波のように爆ぜた。高々と跳ねた炎は炎弾となって降りしきり逃げ場を無くす。まさに灼熱の牢獄。広範囲に及ぶ獄炎は何人たりとも逃がさない。


『…………』


 今度こそやったかと息を潜めるスルトの眼に、硝煙が晴れていくその狭間(はざま)からやはりその男は忌々しく映り込んで来た。


「ゲホゲホ……うえぇえーー灰吸っちゃったぜ。ぺっ」


 外傷がないわけではない。しっかりと傷を負わせることはできている。だけど、そのどれもが致命傷からは遠くスルトの自信は打ち砕かれる。


『フザケルナ……フザケルナァアアアアアア! 異端者如キガァアアアアアアア!』


 激昂に果てはなく己を(もてあそ)ぶ異端者に殺戮の鉄槌を今——


「教えてあげるわ。彼はバカなのよ。だから、運命からはみ出ることができるのよ」


 瞬間だった。そんな女の声を合図に展開された魔術陣から特大の放水が放たれた。全長五十メルの巨体の腹部を打ち抜く殴撃のような水砲撃はスルトの不意を突き横っ腹から吹き飛ばす。ヘリオに盲目だったスルトは咄嗟の奇襲に対応できずに放水に攫われ大地を転がる。


『グッ、ナンダ!』

「あら? 思ったより柔いのね。これなら私一人で事が済みそうね」


 そう、悠然と宙に現れた碧髪の女が掲げた手を横たわるスルトへと降す。


「【噛み砕け】」


 刹那、女の周囲に展開された八つの魔術陣より水のエレメントが水龍を象り一斉に駆け出した。火属性に有効な水属性での攻撃は、凶悪なパンテオンだとしても一定の効果をもたらす。水龍の顎が黒炎の身を噛み千切り、またはその胴体を貫かんと衝突。スルトを蒸発させんと八の水龍たちは巻き付くようにスルトを雁字搦(がんじがら)めにしていき、炎を捕食する。

 最強の歌姫による最強ランクの水魔術はスルトに痛哭を(ほとばし)らせた。

 が——それで倒れる破滅者ではない。



『グゥゥゥァアアアアアアアアアアアアアアア‼ 私ヲ舐メルナァアアアアアアアアアアアアアアアア‼』



 スルトの周囲を軌道上に動き回る十の火玉が速度を増していき、それは炎の膜のように何人の接触を阻害した後に波紋のように地平線上に爆ぜた。十の重なる炎波が水龍を一瞬で消し去り、迸る炎波が空中にいるセルリアまでも脅かす。


「なんて熱気!」


 息をするだけで内臓が焼かれてしまいかねない熱気は強風のように立ちふさがりセルリアの行動を押し留める。


「邪魔よ!」


 風魔術でなんとか薙ぎ払って知る。灼熱を纏いて激情と情動のままに、その身は黒い火焔へと昇華し黄金と緋色のオッドアイがセルリアを定めていることに。

 行動反応は時を刻むような差。しかし、スルトによって放たれた大火砲がセルリアを呑み込んだ。斜光のように天へと駆けていく大火砲は黒炎の雲雲を貫き一瞬の月光を差しこむが、その光すら焼き焦がすように赤かった。

 大火砲の通り過ぎた跡地にて、火の粉の中からセルリアが姿を現す。水を気泡にようにして自分を纏わせた姿で、されど毛先や袖が黒く焦げていた。

 スルトは悠然と立ち上がり、今ここに真価を見せる。


『我ガ名ハ【スルト】。オマエ達人間ニ死滅ヲ降ス終焉ノ執行者ナリ』


 奴は降す。この身の炎がオマエたちを焼き殺す死滅の炎となるだろうと。


『カバラノ意志ニ従イ、我ラガ悲願ヲ必ズヤ果タス』


 惑いも憂いも後悔もない。毅然とした勇壮は一つの願望者として正しい在り方だった。


『故ニ、コノ身ノ炎デオマエ達、異端者ヲ排除スル』


 スルトの身体から黒炎の玉となって落ちて行く。火の塊りは孵化する、いや変貌するように魂の記憶から象った人間へと変貌していった。その数ざっと千。


「厄介なことをしてくれたわね……」


 マリネットが舌を巻く。作戦に実行する前に先手を打たれ、指揮者の頭脳は急速に回転し始めた。


「それでも、俺たちのやることは変わらない」


 そう、今一度意思を明らかにするノアルに。


「はい。変わりません。みんなを助けて世界を救います」


 ルヴィアは毅然と言い放った。その言の葉に宿る火はスルトの意思と変わらぬ熱さを誇り。

 そんな二人から離れた場所でやれやれと息を吐き捨てたヘリオは。


「ま、乗りかかった船って奴だし。あいつらが帰って来ても帰る場所がなかったら困るしな。ここは一丁、アディルの大親友のヘリオ様が一肌脱いでやるぜ!」


 と、彼は白い歯を見せてその両手に双短剣を装備して炎者たちへと悠然と歩み出した。

 それぞれの役割は明確となり、それぞれの想いは一際強く、この戦場にて想いは火種となり激しく灯る。

 大炎者スルトは見据える。五十メルの己の視線と同じ高さに浮遊する女を。

 歌姫(ディーヴァ)セルリアは微笑む。傷の欠片もない一段階覚醒した怪物を。

 交わう視線が火花を散らし一挙一動を見守った。

 スルトは告げる。


『コレ以上ノ邪魔ハサセン。今度コソ魂ノ髄マデ焼キ殺シテヤル【異端神の歌姫(ゼノディヴァーラ)】』


 そんなスルトに、されどセルリアは笑みを浮かべ。


「貴方に一つ謝るわ」


 そう、セルリアは己の手に長剣型の杖を出現させ。


「貴方は想像以上に強いわ。きっと私よりもずっとね」


 それは諦めの宣告か。許しの希いか。否だ。

 彼女の淡い朱の唇は綺麗な弧を描き、手の持つ愛剣杖を構え戦う意志をその眼に。


「だからこそ——貴方を私たちの異端(うた)で倒してみせる」


 見つめ合う歌姫と信仰者。守護と破滅の運命が交わり、其は歌と剣を彼は炎と不滅を。

 ただ一つ呼吸を置いて——



『アァアアアアアアアアアアアアアアアッッッ‼』

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ‼」



 黒十字剣と蒼剣杖が本当の聖戦の開幕の銀音を響かせた。


ありがとうございました。

北の戦場、大炎者スルトVS異端者と聖女が開幕。

ですが、次は氷狼との東戦線の話しです。

次の更新は日曜日を予定しています。

それでは。

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