第二章56話 魂に根付くもの。
青海夜海です。
今回も遅くなってすみません。
ルナのターンです。
生物学において生命体の定義とは肉体に魂が宿ることを示す。
耳に胼胝だと思うが、これはすべての生命体に置いて前提条件だ。生きるとはその過程と肯定を終えて産声を放つ。よって、複製体であれ魂が宿っているのであれば、それは生物学的に生命体と定義することができるのだ。
しかし、植物学における生命体の定義は生物学とは異なる。
彼ら植物は動物型の生命体より遥かに未知に溢れている。草花、木々などから始まり植物でありながら動物のように動くもの、人のように意志を持つものとその種類は多岐に渡り、生命体の定義が複雑化しているのだ。果たして植物に魂は宿っているのか。宿っていないとして、呼吸を行う植物は生命体と言わないのか。意志を持って動く植物は生命体と異なるのか。
様々な推考や思索が成されてきたが、今だこれと言った定義は定説されていない。
その原因として最もな存在こそ、花舞い人であった。
異種族でありながら、その生態のほとんどは植物の遺伝子からできている、けれど人型として産まれ人から学びを得て三大感覚を会得した。実にイレギュラーな存在。
まずフローラスを語るのに、植物か生物かで論争が巻き起こり、その議論の果てに必ずしもと言っていいほどに魂の在り処へと終着する。
簡単なことだ。花舞い人の生殖行為は単為生殖。自分の遺伝子をコピーして繁殖する、その一つ一つに魂というものが必ず宿っている。この神秘は生物体では決して見ることができない特殊な現象であった。
この単為生殖こそが植物学がフローラスを植物と定義する理由であり、その魂の存在こそが生物学がフローラスを生物と定説する理由であった。
よって、長年続くフローラスの生物植物の論争は今なお終わりが見えない。
「ボクら人類は世界にとって過ちの歴史を築き上げている」
コツコツ。コツコツ。
先頭を歩くルリアがゆっくりと語り出す。その男性で女性的な背中を見上げながら、ルナは後に続いた。
神殿へ続く階段を一歩一歩のぼり、見えて来る壮大な十の柱、そして神殿の本殿に多大なる緊張感が押し寄せる。だからこそ、ルリアの落ち着いた声音はよくルナの耳に入った。
「神より与えられた人間特有の三大感覚。それによる高度な自我の発達は創造主の神ですら予想を超える文明の発達へと行きつき、やがて生死感すら自分たちで意思決定してしまったのさ」
三大感覚が何か把握していないルナにはその三大感覚の高度な発達による過ちが何なのかわかりかねない。そもそもの問題。ルナにとって生とはなにか。死とはなにか。それが己の中で完全な答えを持たず曖昧模糊な状態であった。
それでも、大切な話しであることはわかり真剣に耳を傾ける。むしろ耳を傾けていないと神殿の圧迫感に階段を転げ落ちそうになるくらいだ。リヴお手製の装備をしているので怪我などはしないだろうが、嫌なものは嫌である。
ルリアはそんなルナを一瞥し、次のようにまとめた。
「このままではボクら人類の存続は危機的状態に追い込まれてしまう。やがて、来る終焉には成す術もなくボクらは滅亡するだろうさ」
「滅亡⁉」
スケールの大きさに思わず大きな声でオウム返ししてしまったルナ。ルリアは相も変わらず「そうさ」と淡泊に肯定する。
もうわかっている。ルナとルリアの間には計り知れないほどの認識と理解、知識の差があった。ルナが生涯かけて埋まるかどうかわからないほどのだ。
だから当然にルナには一つとして理解できないとまでは言わないが、ピントは来ない。
「今はその本当の意味がわからなくていいさ。ただボクがキミに伝えたいのはボクらが何を成そうとしているかさ」
その言葉と共に二人は十の柱が立ち並ぶ荘厳な神殿の入り口に辿り着いた。神聖な空気を帯びた神殿が二人を迎え入れる。人が横並びに二人分ほどの幅を持つ極太の柱を見上げるが、身体が反れてしまうほどに天井は高い。大理石と思われる白石は規律正しく整頓されているが、風化が激しいのが所々に罅や砕けた痕などが目に見えた。
「わぁー」
口を開けた間抜け面の可愛らしさは置いておき。
「キミに見せたいものがこの先にあるのさ」
と、先を進むルリアの背中を慌てて追いかける。
都市ウルクに行けば嫌というほど遺跡や神殿跡に溢れているが、ルナにとっては初めての経験。間抜け面と引き換えにそれとなく楽しんだ。
そうこうしている内に正門と思わしき神殿の入り口に辿り着くが、もとはあったと思われる扉がなく、破壊されたのか風化して朽ちたのか。とにもかくにも試練や資格などいらずにルナは神殿内部へと足を踏み入れた。
「お、おじゃまします……」
「キミって変だね」
「え?」
くすりと笑われ困惑と赤面をするルナだった。
ルリアは語る。
「ボクはね。人類は滅亡する未来をどうにかしたいのさ。愚かしくも悪質でも優しくなくとも、彼らが生を受けている限り、彼らの人生を謳歌してほしい。この普遍や平凡こそボクは一番の幸せと考えているさ」
「……素敵だと思います」
「そうかい?」
「はい」
普遍や平凡こそが一番の幸せ……その言葉はずっと強くルナに響いた。
皆の幸せを願うことはきっと——
「私は誰にも死んでほしくありません」
その甚だしい願望と同じだと思うから。
一度胸いっぱいに満たした呼吸は深く深く身体に浸透していき、ルナの胸の奥に眠る粗削りの原石を見つける。その原石の僅かな輝きを掴み取りそっと吐息を吐く。
「綺麗ごとで夢見がちかもしれません。それでも、みんな幸せでいてほしい。だから、大切な人が危険な目に会っていたり、大変な時は私がその人を守れるように強くなりたい」
「…………」
「今の私には人類を救うことも、それこそみんなを死なないようにすることだって難しいです。でも、いつかはアディルさんとリヴの隣に並んで誰かのために生きたい」
「…………」
「あははは。ごめんなさい熱くなっちゃって…………うん、だからみんなを幸せにしたいと願うルリアさんの考えは私にはすごく素晴らしいことだなーって思います」
そのはにかむ姿に裏表はなく、その優し気な眼に邪推はなく、その儚くも穏やかな声音に嘲りはなく。ただただに、純粋な慈しみと憧れだけに満ちていた。
記憶がないから……きっと理由はそれだけではない。
きっとだ。きっと彼女の魂がそういう形をしているのだ。ずっとずっとずっと。
誰かを慈しみ、時に非道になりながらもそれでも誰かのために罪に塗れ、それでも失わない純粋な慈愛は多くの者の幸せを願い走り出している。
誰かが否定しても、誰かが拒絶しても、誰かが嘲笑っても、誰もが突き放しても。
ルリアは改めて思うのだ。
——ルナという少女は光だと。
彼女自身が光。だから道を間違えない。迷夢に迷い込んでも、胸の奥で輝き続ける光を見つければどんな困難も逆境も乗り越えてしまうだろう。
まさに光。カバラの星、天灯だ。
だからこそ——
「キミがほしい」
ルリアが何を発したのか。その意味を問いかけようとして——続いていた正門の空洞を抜けた。
「――――わぁ」
感嘆の一息が零れた。それは柔らかな風に攫われ白い空高くへと昇っていく。
白い花吹雪く白愛の聖域。
そこはまるで神に隠れ家のようであった。
「……フィンブルム?」
「そうさ。ずっとずっと寂しげな、ね」
色彩の薄い草原。光の白さに覆われた空。ずっと穏やかで寂しげな花吹雪。
二人はそんな世界を歩き始めた。
風が抱きしめる愛おしさを教え、花が讃える喜びを伝え、光が灯す願望を許し、緑が微かな歌声を思い出させる。
二人は白愛の世界を歩いた。
静謐と侘しさの中に一粒の雫を落し、それは歌の粒のように反響した。
まるで涙のような恋を囁くように。
ルナは足を止めた。
それがルナの眼を釘付けにした。
その風花の美しさに。ただ白く白く白く。そっと頬のように桃色が溶けた。言い表せない絶美に。
ルナは心を奪われた。
その儚き美しさに。
立ち止まるルナと引き換えに、ルリアは足を止めない。美しさを無造作に荒すわけでもなく、むしろ儚い命を指先で恐る恐る触れるように。
ルリアの指が触れる、ルナが見惚れる——それは満開の大樹だった。
白とほのかな桃色の星型の花が風に揺れて散り吹雪く。まるで仇桜のような大樹はひっそりと鼓動に花々を揺らす。その大樹の幹に大きな星蘭の蕾が宿り、大樹そのものが一つの花のようでもあった。
見惚れるルナにルリアは語る。
「終焉を避けることはできないさ。ボクらは愚かさを悔いて滅亡する……それが世界の定めさ。だけど、ボクらは人類の滅亡を指をくわえて待っているだけなんてできないのさ」
強まる口調。沸沸と滲み出す狂気的な激情。
「だからボクらは考え続けたさ。どうすれば人類の存続は可能なのか。生の意味を記憶の遺託や継承に置き換えてしまった人類に繁殖による存続は不可能だ。ならば他の形で成さなければならない」
失望と諦観を覆して生まれ出る悲願。熱く熱く険しくも逞しい狂気。
「ボクらは考え続けたさ。あらゆる施策を試しあらゆる未知に手を出す、多くを失いながらも人類の未来を見据え動き続けた」
そして見つけ得たのだと、ルリアは瞳を輝かせた。
「もしもさ。もしも、人類が不滅を戴けることができるとしたら…………すべては解決すると思わないかい?」
振り返るルリアの眼差しはどこまでも真剣だ。
不滅、それは叶わぬことだとルナは身に沁みて知っていた。蘇生を望んだとある青年と、蘇生による復活したとある少女の、けれどあの日々には戻れなかった悲嘆を。
「人はいつか死にます。でも、がんばって生きるからこそきっと生きていることに意味がある! 私は不滅が正しいとは思わない」
ルリアはそっと目を細め、けれど予想もしていなかった一言を解き放った。
「――誰も死なない……キミの望む世界が築けるのにかい」
「――――」
「誰も死なない。人類は不滅によって守護され続けるさ。キミの大切な人も愛する人も死ぬ運命にある人も。皆等しく生を全うできる。これはキミの望む幸せではないのかい?」
「――――。そ、それは……」
言葉に詰まった。ルリアの述べたことはまさに理想郷。ルナが描く夢物語に酷似する楽園。
誰も死なない。誰かが死ぬところを目にしなくていい。アディルもリヴもネルファもセルリアたちも死なない。みんな幸せで何気ない日常を謳歌できる。
嗚呼、それはまさにルナが求め希う理想郷、夢の体現だった。
揺らめく心、騒めく思考、戸惑う光。
喉から手が出るほどにほしい世界。
それでも、それでも——ルナの脳裏を過るのは共に死ぬことを望んだ風と翠星だった。
「…………どうやって……不滅になるの?」
だから問わねばならない。知らなければいけない。彼女が『ルナ』として答えを出すために。
「ありとあらゆる生命体は肉体に魂が宿ることで生を成就できる。その前提はどうやっても覆らないし、生命の法則に違反するとたちまち泥になってしまうのさ。だからボクらが究極的に手に入れなければいけないのは、魂の複製と維持だった」
「魂の複製と維持……」
「その魂の維持は数百年前には完成していたのさ。けれど、魂の複製、それに類似る考案は浮かばなく途方に暮れた。そんなボクらの前にまさに神秘が舞い降りたのさ!」
そして、ルリアは白愛の大樹にそっと魔力を流し込んだ。すると幹に黄金の紋章が浮かび上がり、まるで開花するように幹の中部が縦に開かれていく。黄金の輝きが照らし出し、世界が生み出した生命の神秘を大樹の心臓に。
「魂とはなにさ? ボクらは魂こそが自我であり命であり生きる資格だと思っている。けれど、彼女たちにとって魂とは記憶だったのさ。記憶……つまり自分を表す概念、それこそが魂。それが世界の真理だったさ!」
顕在する。生物と植物の中枢にありその二つの遺伝子を受け継ぐ、この世界で唯一無二の生命体。まさに異種族という名にふさわしく花舞いの人と名に正しく、生命体の起源であり辿り着いた生き物の頂点。
「だから——彼女こそが人類存続の……いや、生命体の鍵さ!」
拓かれ幹の中枢よりその存在は現れる。しかと眼に焼き付けられ、そして忘れようのないその相貌と香り。
——あなたの白い髪。
ルナは、無意識にその花の名を呟いた。
「…………ソフィア……」
ありがとうございました。
次の話しで一括りです?
まだまだ続くのでよろしくお願いします。
更新は火曜日予定です。
それでは。




