第二章52話 拍動の渇望
青海夜海です。
米津玄師さんのアルバム楽しみ!
紅月の刻 十七日 地下 深月二十時。
時としてノアルとルヴィアが宗教都市ハッバーフに到着した時——十ハ日 昇月二時——と重なり、【エリア】第二層『花舞いの旧庭園』にて二つの事情が異なる炎を上げた。
一つは凄惨な地獄の焔。花舞い人共々焼き殺しそれは炎人となってアディルの前に立ちふさがった。因縁と言える死者——ギウンが蘇りアディルへと殺意を差し向け、その傍らには彼の初恋の女性——アクレミアが死んだ日の姿のまま、敵対者としてアディルを迎えた。
もう一つは淀んだ闇のような炎だ。特別激しくはなく地面を這うように悲痛で重々しい焔が幻想へと巻き込む。少女の愉し気な笑い声が木霊し、へたり込む生気の抜けたリヴが見上げる視線の先……夢で見た血濡れた彼女——ミリエラが大人の姿になってリヴを見下ろしていた。
そんな二つの局面も苛烈で熾烈で惨烈な運命へと動き出そうとする中、最後の場面もまた静かに動き出した。
夜の中を進む霧のようにゆっくりと。その摩訶不思議は花舞い人の集落花村の庭園に招かれ、一角の家で眠りに着いたルナを連れ去っていく。誰にも気づかれず迷夢のその果ての夢幻へと。
誰かは言った——ようこそ帰還者。キミを待っていた、と。
どこかで嗅いだ花の香りが鼻孔をくすぐり、少し冷たい緩やかな清風が肌を撫で、どこか感覚の掴めない不安定さに意識が目を覚ましていく。
白い空と花のない平野。寂しげな大地にて、顔を上げ瞼を開き瞬きを繰り返すルナの瞳いっぱいにそれは映り込む。
荘厳にして古風。幻想神秘を纏う色褪せた相貌。かつて神が鎮座していたような古の風貌を見せつけるは神殿。
色褪せた神殿がルナを見下ろし、その神殿の入り口十六の柱の中心に立つ誰かが両腕を広げて言霊を響かせた。
「待っていたさ帰還者。さあ、キミの答えを聞かせてもらおう」
「ここはどこ?」
見知らぬ景色に戸惑うルナは記憶を辿る。
「ソフィアに泊る家に案内してもらって、それで私寝ちゃったんだ」
よっぽど疲れていたのか泥のように眠りについたルナ。その時も確かソフィアがルナの傍にいたはずで。
「ソフィア!」
花舞い人の彼女の名を呼んでみるが反応はない。そもそも人一人っ子いない平野には花吹雪きすら吹雪いていない。感覚としては花村の庭園に似ているが、嫌でも眼に入る巌威で壮麗な神殿。厳かな雰囲気がルナを誘うが、足は動きそうにない。
言葉を失うルナに、その人物は神殿入り口からルナのいる平野まで階段を降りて来る。
「キミは特殊さ。記憶を失っているからでも、純粋だからでもない。キミという存在自体がボクらにとって特別でこれはどうにも奇縁と言うのだろうさ」
その者を見上げ、抱いた感想はこの神殿の主のようであるだった。肩上までの灰色の髪に長身と小さな喉仏が男性だと思わせるが鮮麗な顔立ちと細身の体躯が女性の印象も強く抱かせる。
「キミという人間が今抱く正しさを持ち合わせていなければボクらの出逢いはありえなかったさ。また、ボクもボクらの悲願が叶っていなければキミに出逢えることはなかったさ。ボクらの選択がボクらをここへと導き、そしてキミの瞳にボクが映る」
階段を降りきった信仰者は座り込み唖然とするルナの傍へと歩みを進める。
「この出逢いは幸福であり宿業でもあって故に奇縁な出逢いと言えるだろうさ。だからこそ、ボクらとキミとの分水嶺——明確な敵対者となる可能性もあるわけさ」
白い空が祝福のように雪を、終焉のように灰を。その二つが混じり合った灰雪が光子のように降り注ぐ。しんしんとした静穏を征く清風はどこか我が物顔で二人の髪の毛を揺らし瞳を隠しては見せつける。そうして見つめ合う度に互いの瞳に自分を映し、立ち止まった信仰者は手を差し伸ばした。女性のように白く柔い肌の男性のようにがっしりとした指で。
「それでもボクは願うさ。キミがボクらの理念なる悲願を共に歩んでくれることを」
見上げるルナの瞳が奪われ、その先で彼は微笑んだ。
「ボクの名前はルリア・ムーナ」
「…………ルリアさん」
彼に名を呼ぶとコクリと頷く。ルリアと名乗った人物は恐る恐る彷徨うルナの手を掴み引っ張り起こす。
「わぁっ!」
突然なことで驚きふらつくルナはしっかりと両足で立ってみせる。胸の中でふーと息を吐き、改めてルリアと対面した。
不思議な感覚だった。見た目は二十代に見えるのに貫禄と言えばいいのか、纏う空気感は神殿を前にした時ととてもよく似ている。
ふと思い浮かぶのはアイレだ。彼はそういった雰囲気は抑えていたと思われるが、アイレは三百年生き抜いた人間だ。クルールの鱗で一部をパンテオン化したことで寿命を延ばした彼に倣うなら、ルリアという存在もアイレに似ているのかもしれない。
けれど、彼とも違ってなんとも言い難い感覚がルナに判断を迷わせた。
緊張気味なルナにルリアは「キミはルナだね?」と訊ねる。
「はい……あの、ここは? 私さっきまでソフィアと一緒に家にいたんだけど……」
困惑を露わに訊ねてみるルナ。彼が奇縁だとか選択がどうのと宣っていたが、正直ルナにはルリアのような感慨はない。そもそもルリアの正体も本当の自分もわからないのだ。運命も因縁もあったものじゃない。
すぐにでもソフィアの下に戻らないと戸惑うルナにルリアは答える。
「ここは『夢幻』。つまり『幻想』と『追憶』の狭間さ」
「『夢幻』? つまり『夢』ってこと?」
「そうとも捉えられるし、だからと言って現実じゃないわけでもない」
「どういうこと?」
首を傾けるルナ。ルリアは微笑を浮かべたまま右手にルナの人形とソフィアの人形を。左手には色が異なるルナの人形とルリアの人形を出現させた。
「いいかい。今キミの意識は左手にある。けれど左手はキミの言う所の『夢』だ。つまり今のキミは精神の存在ということになるさ」
「……は、はい?」
「でも、キミは今現実のように実態を持ってここにいるだろう」
確かにそうだ。服装も感触や香りも現実と何ら遜色なく感じている。夢と言われても実態を認識してしまえば夢に思えないほどに精密だ。
「つまり、ルナという少女は現実と夢、その二つの世界に存在しているのさ」
「???」
分裂の術ですか。それとも双子だったのですか。
「ど、どういうこと⁉ 私が二人ってありえないよ!」
「そう、実態を持つ状態では有り得ないのさ。それこそ時間の超越や複製体でない限り。ま、その可能性はないから安心していいさ」
「安心できないんだけど⁉」
元々記憶が薄いルナが更に分裂か分身などしてしまえば頭に残っているものは鮮烈な死闘のみとなってしまう。それもなかなかにハードだが。
ルリアはいいかいと。
「存在の確定は他者に認識されて初めて確定するのさ。別に一固体の世界なら名前やちょっとした記憶で充分。けれど、二固体の世界となるとキミの実態が存在するように、実態そのものを認識されなければその世界の存在を確定できない。つまり、この『夢幻』でボクがキミを認識しているからキミはここに存在しているさ。対して現実のキミは誰にも認識されていない状態にある。つまり存在が確定されていないのさ」
右手のソフィアの人形がその場から消える。
「えっとそれって、情報だけが先にあって開けてない箱みたいな感じ?」
「あらかたその認識で間違いじゃないさ。けれど、ここで一番のポイントは確定されている時間が長引くことで世界の修正力が働きキミの存在が今現在において確定されている方に定められ、キミをその世界に固定してしまうという点さ」
右手に持つ人形がパンと弾けて消えた。そして残るのはルリアの眼が見る左手の人形のみ。
「……ということは、このままだと現実の私が消えてここにいる夢の私が本当の私になるってこと……だよね?」
その通りと褒め称えるルリアには悪いが改めて情報を整理すると一つ懸念点が浮かび上がり、思わず声を上げてしまう。
「まって! それじゃあ私、夢の住人になっちゃうの! それって現実にもう帰ることができないってこと!」
「それは安心していいさ。ここは『夢幻』。キミの夢ではなくこの世界の夢、言い換えれば追憶さ。この夢が終わればキミは今のキミとして現実に戻れるさ」
「そ、そうなの? じゃあいいのかな?」
イマイチこの世界の事情を理解しきれていないルナには難しいことばかりだ。そもそも三百年生きているとか、夢で意識を持っているとかもルナ的にはあり得ない荒唐無稽ファンタジックである。そこに実態だの存在認識だの。リヴよりは賢いルナでもリヴの錬金術の作業場ほどにぐちゃぐちゃでちゃんと判断できない。
「ううん。考えるのは後にしてやることをしないと」
それが何かわからないので改めてルリアを見返す。
ルリアは踵を返し「ついて来て」と神殿へ歩き出す。二歩の距離を開けてルナは追いかけた。
*
「この世界は終焉へと向かっている。ボクら人類が存続するためには救世主が必要なのさ」
それはカバラ教が掲げる信条の一つ。やがて来る終焉に抗う術として名もなき神に祈る救世主の誕生。信仰者は宣う。
「しかし、どれだけ神に祈っても願っても救世主は現れない。ボクらを救ってくれる存在はいない。指をくわえて嘆きながら終焉を迎える人生なんてボクは受け入れらないのさ」
だから——
「ボクは……ボクらは人類を救うことにしたのさ。ボクらの手でボクらの汗でボクらの知恵と勇気と本願で——人類を存護させる」
とても強く揺るぎない果ての無いほどに深い凪の海のような言霊にノアルとルヴィアは痺れる。
先頭を歩く信仰者の相貌は窺えない。でも真摯な眼差しで射抜かれた気がした。心臓が一瞬だけ呼気を止め、バクバクと発汗と共に動き出す。
終焉とはなにか。どのように人類を救うのか。存護の定義はなにか。多くの訊きたいことは見えてきた壮麗な神殿によって押し込まれた。
左右シンメトリーの庭園の中心に聳え立つ宮殿に似た神殿。そのすべてが白く白く白く。左右から弧を描いて中心の入り口へと昇る階段周辺を覆う水場の水のみがその透明を誇っていた。
「ここは?」
「教会さ」
どうやら外見は神殿や宮殿の類だが内装や意味合いは教会であるらしい。信仰者はそれ以上何も言わず庭園を進んでいく。
「どうしますか?」
強張るルヴィアは正しい。街路には人一人もいなかったが、教会は信者たちの本巣のようなものだろう。全員がノアルたちを仕留めんと待機している可能性もある。危険を顧みるなら今すぐ踵を返す逃走すべきだ。
だけど。
「俺は行く。ここまで来て引き下がれるはずがない」
弱いなりの覚悟と抵抗だ。もしも待ちかまえられていた場合、ノアルは瞬殺されるのがオチだ。その可能性があっても彼の意志は変わらない。
「それではわたしも行きます」
「今更だけど帰ってもいいぞ」
「薄情です。ここまでノアルさんと一緒に来ました。今更気遣いは無用です」
「逞しい限りだ」
まったくだ。男のノアルよりずっと男らしい。などと言えば頬を膨らませそうだが、戦闘力も意志の強さもノアルに勝っているのだがら仕方がない。ノアルの男としての面目は丸つぶれである。ついでに顔面がいいのでノアルに勝てる要素は万に一つもなかった。
ごほん、どうでもいいことはどうでもよく。
「行くぞ」
「はい」
二人は庭園に足を踏み入れ、階段を上った先の扉の前で待ち受ける信仰者の下へ。階段を上り、見下げる信仰者を見上げ。
「ようこそ、人類救済の真実と運命へ」
開けられた荘厳な扉をくぐり——
「やられた」
ノアルは一人、見覚えのない教会の内部に転移させられた。
ありがとうございました。
夢幻ですが、夢の世界で強く認知されていると、現実の対象者の存在感は薄くなりますので認知されにくいです。けど、万が一に認知されたら現実での存在感が強くなると、夢が覚めるように夢幻で実態が保てなくなり元に戻ります。
次の更新は木曜日を予定しています。
それでは。




