第二章50話 信仰の痣
青海夜海です。
よろしくです。
信仰者に案内されるまま開かれた城門を恐る恐るくぐる。そして二人を迎え入れたのはまさに白亜の庭園。建物から石畳み、木々の葉々まですべてが白で統一された純美と均整の静清がルヴィアたちを驚かす。
「白いな」
「はい、白いです」
純白や透明の意味合いではなく白色として染められた都市ハッバーフ都内。見る端から端まで白に覆われ他の色は一切見当たらない。異質と同時に芸術性が宗教的価値観を物語ってくる。呆気に取られながらも身構える二人に前を歩く信仰者は振り返り。
「清らかな魂は神に拾われる。白愛の理念を僕らは信条としているのさ」
「白愛?」
「不純なき現世を全うすることさ」
「聖女の救済と純潔とは違うのですか?」
「確かに清き心は酷似するかもしれない。けれど、根本が異なるさ」
「根本ですか?」
頷く信仰者は足を進める。
ルヴィアはその背を見てから半端斜め後ろのノアルに振り返り「いいですか?」と視線で確認を取る。ノアルは軽く頷きカバラ教徒の背中を追いかけた。
信仰者は白愛に染まる我が信条の都市を見つめながら告げた。
「僕らの救済は終焉にあり革命だ。守護なる停滞と維持ではないのさ」
それが我らカバラ教が願う救世主であると。
「…………」
ここ宗教都市ハッバーフ。名の通りカバラ教徒が集まり統制運用する東南東中部に位置する八国の一つだ。
この世界の人間は大きく二種類に分かれる。
それが現状維持か現状打破、言い換えれば軍主主義かカバラ主義かの二択だ。
軍が掲げるのが現状維持——エリドゥ・アプスと人類の存護に対して、カバラ教が提示するのは現状打破——パンテオンの掃討だ。
正反対の意見は長らく対立状態にあり何度も抗戦を起こした。その結果、宗教都市としてカバラ教を切り離したのだ。
その結果、東南東に築かれた都市ハッバーフは東部半分の砦となり名高い勢力と栄光を轟かせることになる。
また、『時計塔』の崩れた管理都市センケレに属する軍主貴族として名高いサリファード家が、実は同盟貴族共々カバラ教だったことは判明しており、そのサリファード家が都市センケレの領土を駐屯地に東部北域の戦線を担っていることから、東部全域をカバラ教が守護していることになる。北東奥に位置する第十一ノ穴『ウンデキムゲート』、東部に位置する第六ノ穴『セクスゲート』、南東中心……都市ハッバーフと軍事都市アカリブの真ん中辺りに位置する第二ノ穴『ドゥオゲート』。この三つの穴より出現するパンテオンを駆逐している。
第二ノ穴『ドゥオゲート』に関しては軍が対応することもあるが、実勢に疑う余地はなくカバラ教はカバラ教でエリドゥ・アプスでの地位を築き得たのだ。
「では、その白愛に乗っ取りあなたたちカバラ教が引き起こした今回の事件は信条の下に許されることだと言うのですか」
切り込むルヴィア。先の問答でもそうだがルヴィアは駆け引きが苦手だ。だからと言ってすべてを鵜呑みにするような短絡思考というわけではないが、聖女としての因果だろう。善悪並び真実の問答に一直線である。まどろっこしくないだけ好感は持てるが、このタイプの人間はどうあれ己の信条に基づいて思考し行動する。ノアルには止められない。
一つ芯が整ったルヴィアを一瞥し信仰者は目じりを少し落とす。
「キミはどうにも僕らを真犯人にしたいみたいだけど、根拠に証拠、動機はあるのかい?」
「それはノアルさんが説明してくれます」
「……俺?」
突然話しを振られ戸惑うノアルに、ふんぬと拳を握りなぜかルヴィアが気合を入れて期待の眼差しを向けた。向けられても困るのだが、そもそもノアルに拒否権はないわけだし、と言ってもあくまでノアルの推察に過ぎない。証拠や根拠と言えるほど強いものは持っていないのだ。
そんな卑屈が眉を歪め「うえー」と。
「だ、だってです! わ、わたしではその、ちゃんと説明できる気がしませんので……」
「確かに」
「そうなんですけど! 納得されるのは複雑です!」
いじけるルヴィアにどうしろと。まあいい。ルヴィアは無視してノアルは今一度舞台に上がる。
長い長い白い一本道。同じ白さの街樹が立ち並ぶ街路を進む。一度小さく深呼吸して巡る情報を頭の中で整理して向き合う。端役としての役割くらいは果たそうではないか。
「――まず今回の事件で一番の問題点はなんだと思う?」
「もちろん、聖女の悪行さ。動機はわかりかねるが守護結界を嘯きパンテオンの襲撃を許していたこと、そこから始まった各都市への襲撃。トマト総司令官殺害の協力だったかな。人々の怒りは奈落の焔のようだったさ」
「ちがう! わたしたちは——」
食いかかろうとするルヴィアを御し、ノアルは言葉にする。
「聖女は問題にされた被害者だ。重視しなければいけない本来の問題点をすり替えるための替え玉だ。もちろん、他にも聖女を狙った理由はあるんだろうけど」
横目に覗くカバラ教徒の眼はどこか愉しそうで、けれど冷気を孕んだ鋭さが言葉の端から端までを射抜く。ノアルはつっかえそうな喉を鳴らし億尾など見せずたたみかける。
「一番の問題点——それはパンテオンだ」
瞳孔が促すように光る。
「パンテオン襲撃理由が聖女の守護結界にすり替えられたのが惨状を招いたミスリードだ。聖女による守護結界の意図した脆弱性がパンテオンの襲撃を許したとマザランは言ったが、そもそもパンテオンはどうやって厳重な各都市に侵入できて奇襲を仕掛けられたと思う?」
「さーね。それこそ聖女の巧妙な手練手管によるものなんじゃないのかい?」
「それが本当なら詐欺師に転職するべきだな」
隣から「ノアルさん!」と叱られるが今は無視する。
今、目先の信仰者はノアルの推理を観察している。それはこの舞台に立つことを許すかどうかの試練のようであり、一つ間違えると容赦なく冷徹な眼光が心臓を射抜かんだろう。
静かなノアルにだけわかる圧に一度瞼を閉じて開く。
「不可能なんだよ」
「どうしてだい?」
「聖女の力はパンテオンを浄化、心歌術の精神解離の側面を持っている。パンテオンが犬のように大人しく従うとは思えない。従ったとしたら、ここにいる聖女を襲った理由はどう説明つける?」
「…………」
「俺とこいつが一緒にいた目撃証言が俺たちと聖女の関係を怪しく見せ、マザランが宣った共犯関係が民衆に浸透した。聖女が犯人だとすればルヴィアの行動に説明がつかない」
「彼女だけ仲間外れだったんじゃないのかい」
「そうだろうな。こいつだけ『天啓』を与えられていた。それが俺との接触だ。それが仕組まれたものだとして」
「え?」
そこでルヴィアが戸惑いの声を上げた。どこか訴えるような揺れる眼差しに喉が詰まりそうになり、その痛みをぐっと呑み込み。
「なら『神託』自体も怪しく思える。ここから考えられることは一つ、聖女の中に裏切り者が一人いるということだ」
「ま、待ってください! そ、それは……わたしたちの中に、事件に関わってる者が……その、いると、言うことですか?」
訴える眼差し。嘘だと言ってほしいと、今のは冗談だと言ってほしいと。
今後こそルヴィアの息が詰まった。自分の言葉は今、ルヴィアを酷く傷つけている。わかっていたことだ。だからずっと言わなかった。彼女はあまりにも聖女のみんなを愛していたから。それこそ本当の家族のように。
「…………」
それに、きっと——
「口を閉ざせばキミたちの人生はここで終わりさ」
信仰者の眼光が許さない。そうだ、ここは敵陣。何らかの理由で歓迎されたが、いつ攻撃を受けてもおかしくはない。
あくまで主導権を握っているのは信仰者であり、ノアルとルヴィアは信仰者に許された客人に過ぎない。
推察の発露を求める信仰者に背く行為は徹底的な反意の意志と捉えられる。
だから、ノアルは口を閉ざさなかった。
彼女の強さに縋った。
「……都市ウルクに行くように言ったのは誰だ?」
唯一人だけ『天啓』を得た聖女ルヴィア。ノアルと思わす『天啓』を授け接触するように誘導させた。パンテオンの準備は各都市でされていたとして、それでも偶然に接触できる割合は少ない。
ルヴィアは一度口を噤み引き結び、それでも時間をかけて悲しみを吐露するように、とある聖女の名を呟いた。
「…………マーナ様です」
「…………」
「け、けれど! マーナ様がそのようなことするとは思えません! だってマーナ様はとても優しくていつもわたしたちを導いてくださる素敵な聖女です! 軍と……いえ、カバラ教と繋がっているだなんて、とても……」
考えられないと。その声は萎むように自信を段々と無くして風に当てられた。
わかっているのだ。それでも受け入れられないのだ。積年の思い出が認められないのだ。ルヴィアがマーナを母のように愛しているから。
否定から滲み出たのはそんな愛だった。愛だった、だけどあらゆる情報と真偽が信頼を酷薄にして霞にさらす。愛しているのに疑ってしまう醜さに悲嘆に歪め唇を噛む。
その唇は物語っている。マーナの無実を証明したいと。けれど、揺れる瞳も物語る。すべての辻褄が合いマーナはルヴィアたち聖女を罠に嵌めたのかもしれないと。
泣くのを堪えるように俯くルヴィアを横目に、ノアルは、やはり気の利いたことなど一切言えず彼女に変わって話しを続ける。
「昏睡事件。同時期に起こっていた事件だが、この事件がカバラ教に対する強い疑惑を生み出した」
「ボクらの都市でも起こっていたさ。けど、それがどう関係あると言うのかい?」
「はっきりとした発生次期はわからないが、パンテオン襲撃が起こる前の二週間近くで突如急増した。感染症と恐れられた症状は三日三晩の昏睡状態になることだった。三日経てば何事もなかったように目覚める。後遺症も何もなく命に別状もない。だけど、一つだけ気にあることがあった」
「気になることかい?」
コクリと頷いたノアルは一度息を吸い込み、そしてはっきりと告げた。
「逆さの樹木の痣だ」
ほんの微かに、信仰者の相貌がピクリと揺れた。
恐らくノアルでしか気づくことができなかったであろう。
この世界の歴史書や神話を熟読しても『逆さの樹木の痣』の意味は乗っていない。けれど、異邦人だからこそノアルは『逆さの樹木の痣』が描く本性を見抜き可能性を立てることができた。それを前提とした時、カバラ教へと繋がったのだ。
怜悧な一声が白の風に乗って信仰者を貫いた。
「——生命の樹の反転——死命の樹を表す痣だ」
瞳孔の動きと纏う空気感の変動がノアルに確証を与える。
「生命の循環、輪廻転生を象徴する生命の樹に対して、死命の樹は魂の停滞を司る。つまり魂の帰還を捻じ曲げる摂理だ。それを象徴する反転した樹のマークが昏睡者には痣としてマーキングされていた」
副作用でも後遺症でもなんでもない、本当にただの痣。その意味を知らなければ、誰も見向きもしないようなものだ。
「一見意味がないように思える痣だが、生憎と俺らを嵌めようとした奴のお陰で俺とこいつはパンテオンがどうやって都内に出現したのが知り得た。人がパンテオンになるその瞬間を。その人間に痣があったのをな」
二日前、都市ウルクにて『天啓』という策略によって鉢合わせさせられたノアルとルヴィアの前に恐らく最初のパンテオンが現れた。人がパンテオンに変貌する瞬間を目に焼き付け、その人間の身体に例の痣があったことは判明に覚えている。
「パンテオン化……パンテオンには魂は必要だ。人間として死に、しかしその魂のままパンテオンとして生まれ変わる。その条件こそが昏睡で、『逆さの樹木の痣』がそのマークだと俺は考えた。そこから真っ先に思いついたのが合成獣だ。四八二年前に起こったらしい都市同士の抗戦で仕様された戦闘兵器。だが、お前も知ってる通り合成獣の製造工程は破棄させ製法が欠片も残っていないのが現状だ」
「なるほどさ。ボクらカバラ教がパンテオンの研究をしていること耳にして僕らを疑ったということか。残念ながらボクらの研究はパンテオン駆逐のためにあらゆる種の生態系を調べているだけさ。人にパンテオンの力を宿す? そんな悍ましいこと、ボクらだって人だ。できっこないさ」
先手を打たれノアルの追求を押し留めようとする意図に、あるいは誘いに眼を細め思考を馳せる。信仰者が求める解は何かと考えながら、話しを続ける。
「俺はとある事情からお前たちカバラ教について調べていた」
「知っているさ」
「……その中で一人、ギウン・フォルス・サリファードについて調べる依頼を受けたんだ。奴の家系と周辺の貴族を調べていくと全員がカバラ教だと判明した。ついでに言っておくがギウン・フォルス・サリファードがパンテオン化したのをセルリア・メモルが認知していたぞ」
「…………っち。異端者の入れ知恵か」
明確な苛立ちに核心をついたことを悟り、彼の反応からどうやら双子が絡んでいたようだ。それでも、さすがは最強の歌姫と言った所。心歌術を発動しながらの数百メル先での双子の監視。最強の名は伊達ではない。
「話しは戻すが、あらかたカバラ教の貴族が判明した後も俺はサリファード家を中心に調べていた。サリファード家の屋敷に隠された地下室を見つけて、そこの蔵書を調べて家系譜を見つけた。家系図の中に一つ、呪泥で塗りつぶされた項目があってそこを聖水で解呪して見れば驚いた。その隠された人物の名はリカルトだったよ」
「それって——」
目を大きく開く知見を得るルヴィアに首肯し、信仰者を見つめながら結論へと入る。
「合成獣の製造人物の名もリカルド。これが偶然の一致とは考えにくい。もしも合成獣の創造主リカルドがカバラ教貴族サリファード家の系譜の人間と同一人物だった場合。俺たちが見た人がパンテオンになる変貌の説明が通る」
「…………」
「合成獣の製法、あるいは似た技法で人がパンテオン化する術を仕掛けた。それが昏睡事件の真相であり『逆さの樹木』が対象者……いや、協力者とでも言うか。そしてそれができるのがパンテオンの研究をしていて、軍のギウンやマザランのように各都市に潜んでるカバラ教——お前たちだけだ」
「…………」
そこで一度呼吸を置き、ちらりとルヴィアを見る。消沈している彼女にこれ以上の追求は酷だろう。だが、すべてを明らかにしなければ救えるものは救えず、己の無力や臆病さを呪い続けることになる。
そんな後悔の怨嗟に囚われたノアルだからこそ、それは慈悲なんだとルヴィアに向き直る。ノアルの視線を感じて、ルヴィアの瞳もまたノアルを見つめた。
アイコンタクトでの意志の疎通は……彼女は小さく頷く。
ノアルは己の無能さを呪いながら口にした。
「その痣を持つ奴が聖女の中で一人いた——そうだなルヴィア」
「…………っ」
ありがとうございました。
次の更新は金曜日にできればします。
それでは。




