第二章46話 緋は黒く、金は赤く、白は灰へ囚う
青海夜海です。
義妹生活おもしろいよ。
熱中症に気を付けてください。
臆病なラベンラルは戦場から逃げるように吹き飛ばされたベリーナの下へと駆けだし、近接戦闘に自信のあるハウナとハルヴェナがフェンネルの後に続く。
「ミーシャたちは援護します!」
三つ編みのミーシャと蒼炎を構えるセミレットが魔術の準備。エスタが詠唱を始めた。
「【メヴィアの輪よ・三度の祈祷より金星へ来たれ・翡翠の星・蒼の大気・フェニスの心・躍動せよ・汝は慈愛の輪の主なり・躍進せよ・其は寵愛を受けしメデアなり】」
大聖堂いっぱいに広がる光輪のような方陣を足下に、無数の翡翠が宙に輝き静謐な蒼が満ちていく。あらゆる感動を鎮めていき新たなる激情を灯す。
エスタは神聖魔術の名を解き放つ。
「【珊瑚の五月雨】」
翡翠の星が大地へと降りだし蒼の大気と反応して神秘を産み出す。蒼翠の輝きが満ち、その光は対象に宿って星のように輝かす。魔術の名はとある星の名。その星は守護に在り。
全属性に対する受ける攻撃ダメージダウンと受ける物理攻撃ダメージダウン。加えて魔術発動時に治癒効果の発動。大守護の効果が聖女全員に付与された。
「行くよハウナ!」
「わかってる!」
マーナの首を掴むマザランへ二人は飛び掛かる。
赤茶のボブカットを揺らしながらハルヴェナは両手に持つ湾曲刀を交差させてクロスに斬撃を放つ。狙い定めたマザランの首裏を切り裂くがまるで手ごたえがない。
「なんだこれ⁉」
「おりゃぁあああ!」
すぐさま右斜めから割り込んでマザランの腕へハウナが手甲鉤を振り下ろす。が、大気を裂いて真横からやって来た強烈な一撃に肩を無理矢理持ち上げ両腕で防御するも、その強烈な一撃はハウナを容易く戦線から吹き飛ばした。俊敏なそれは切り返し背後のハルヴェナをも薙ぎ払った。まるで巨大な鞭のようなその実態を言葉にするより早く、セミレットとミーシャが魔術を放つ。
「【サラマンダーよ・蒼く紅く其を蹂躙せよ】」
「【ノームよ・砕け砕け砕いて散らせ】」
セミレットの放つ蒼炎がマーナ諸共包み込む。聖女を傷つけない誇り高い炎が邪を霧散せんと渦を巻き上げ、そこに「いっけええー!」とミーシャの岩拳が五つ投擲された。しかしだ。岩拳が到達する瞬間。蒼炎に穴が開き赤黒い炎が噴出した。黒炎は岩拳を一瞬で灰に。終焉を象る地獄の焔は蒼炎を掻き消しその姿を露わにする。
「うそ、でしょ……
誰かの呟きにその体躯は雄弁に語る。
硝煙を払う緋色の尾。覗く緋色の瞳は左目を緋色のままに右目が金眼に変貌し、その肢体は服の上から同じ緋色の鱗が侵食していた。金髪だった髪の色は赤黒く炎のように揺蕩い、爪も黒く長く八重歯がギラリと死のにおいを嗅ぐわせる。
気絶したと思われるマーナを地面に捨て置き、マザラン……いや、マザランだったというべきか。しかし、その赤と金のオッドアイはどこまでも理性を垣間見せていた。
声がでない。身体が動かない。絶望的なほどにありえない光景に身体を竦ませ痙攣させ熱を奪われ。しばらくの静寂はマザランの放つ黒炎が大気と運命を焼き焦がし焦土の夢を見せた。はっと、勢いよく空気を吸い込み喉が焼かれたように痛みを発する。水を求める渇きにこの大聖堂が火のエレメントで覆い尽くされたことに気づいた。
正に地獄の焔か。指揮していたフェンネルが問うた。
「なんですか、その姿は?」
『オマエを躾ける姿だ』
口答えにさえ違和感はなく滲み出る知性と理性がマザランを色濃く怪物に乗せる。否、奴はマザランだ。マザランという獣と言うべきか。だが、片眼の金眼と緋色の鱗と尾。その特徴から一種のパンテオンが想起された。まさかと思いながら、それならば辻褄が合うと睨み、フェンネルが恐る恐るパンテオンの名を口にした。
「……黒い者」
『正解だ。この身は黒い者、炎龍、吸血鬼、百鬼。他数種類のパンテオンによって作られた、オマエたちが嫌う合成獣だ』
「合成獣⁉ それって禁忌とされてるアレだよね?」
「ええ、人の身体にパンテオンの力を宿そうとして人災となった脅威です。その禁忌術を成し得たのはかつてカバラ教に司祭及び研究者として所属していたリカルド・リーカー、彼しか合成獣の術は知らないはずです」
遥か昔、それは天場に大穴が開くよりもずっと前のこと。今でいう軍とカバラ教なる二か国が戦争をしていた時だ。
カバラ教の国が合成獣を兵器として投入し、それは敵味方関係なく人災となって壮大な被害をもたらした。かの合成獣は不完全だったことから数十分後には完全消滅し、それと共に戦争は終わりを迎えた。その時の調査で、カバラ教の存在と合成獣なる兵器の開発を発見し、軍側の人間がそれをすべて消滅させた。これが合成獣が禁忌の術とされ封殺されたあらましだ。
そう、確かに封殺されたはずなのだ。しかし、マザランはその口で己は合成獣と宣った。信じる信じないの域ではない。マザラン・ダク・テリバンがその黒い者に似た怪物に変貌した、その事実がすべてを物語りながら様々な不可解な点に辻褄が合って来る。
だが、マザランは聖女に答え合わせの時間はくれないようだ。獣の足を動かし歩き始めた。凄まじい熱気と威圧に吹き飛ばされそうになるのを堪えながら、彼我の距離が禅問答を許された時間。フェンネルは口早に訊ねる。
「つまり、あなたたちはカバラ教なのですね?」
『ふ、実に遅い。総司令官は五年前ほどから気づいていたようだったがな』
「合成獣の禁呪。それが各都市をパンテオンが襲った実態ですね」
『その兆候に気づけというのは酷だろうが、聖女も只人に違いないということだ』
「……何を企んでいるのですか?」
彼我の距離は数十メル。もう、あと少しでフェンネルは死線を跨ぐ。
『終焉を生き残る救世主の誕生だ』
「救世主とはなんですかっ――」
フェンネルはマザランから離れるように背後へ駆け出した。
『道具のオマエたち聖女に答える義理はない——」
マザランは大地を踏み込み急加速。一瞬でフェンネルへと追いつき、その獣の手が胴体を背中から貫かんと——
「倍返しだッ!」
「はあぁああああああああ!」
左右からフェンネルを追い越し突貫してきたハウナとハルヴェナ。手甲鉤と湾曲刀の挟撃を、しかしマザランは両手で受け止める。刹那、マザランの足下に何かが転がり、ちゃぷんという音とともに球体が破裂する。聖水の噴爆がマザランを貫いた。錬金物、聖水噴球。
「炎には水です」
聖水はパンテオンや邪のものを清める効果があり、聖女には癒しが効果として現れる。さすがの効果覿面にはマザランも後退る。そこをハウナとハルヴェナが猛攻を仕掛ける。
「せやぁああー!」
ハウナの手甲鉤がマザランの腕をひっかくが強固な鱗が切り裂くことを許してくれない。
「まだまだ!」
背後へ下がり距離を取ろうとするマザランを離さずに前方へ跳躍。身体を捻り遠心力をつけて両腕で横に切り裂く。が、マザランは大きく跳躍して回避。相当聖水を警戒しているのか距離を取りたがる彼を、しかしハウナに変わってハルヴェナが追いかける。
「【シルフよ・風刃となって切り裂け】」
振り下ろす湾曲刀が風刃となって遠距離攻撃を仕掛けた。
『邪魔だ』
腕を振るって簡単に相殺される。マザランは着地して前方より迫りくるハルヴェナへ駆け出した。
「今度こそ、その首掻っ切ってやる!」
『それはオマエの末路だ』
両腕の湾曲刀の斬撃と黒炎の拳が衝突を奏で大聖堂を轟震させる。
合成獣となったマザランの怪力はパンテオンに由来し、矮小な聖女など物ともせずに吹き飛ばした。弾丸のように飛んでいくハルヴェナを容赦なく追撃。
微かに開いた眼より頭上に見えるはマザランの姿。次には強烈な踵落としが放たれ、負けずと勢いよく身体を捻りなんとか回避するもバランスを崩す。
「っく⁉」
肩から地面に一度激突するも湾曲刀で摩擦を起こし勢いを殺してなんとか制止。荒い息をしながらそれらを呑み込み顔を上げた瞬間——眼前に迫った靴裏が視界を奪い。
「【ハルヴェナ】!」
対象の名前をトリガーに間一髪で守護結界が蹴撃の直撃を阻止する。
「今だよ!」
ハルヴェナを守護したエスタの号令にミーシャとセミレットが魔術を解き放つ。
「【ウンディーネよ・波動となり捕えろ】!」
「【ウンディーネよ・水槍となり穿て】!」
ミーシャの水魔術が波動のように足元を流れマザランを捕えて離さない。そこへ無数の水槍が展開させハルヴェナの離脱の直後に発射された。
それは【翠星の獣】には遠く及ばないが、普通のパンテオンであれば蜂の巣にせん威力と量を誇った必殺だった。
けたたましく飛沫を上げ大聖堂の一角にクレーターを築く。罰当たりになりそうだが許してもらえると信じておく。
「やった?」
「わからない。でも直撃はしたはずだし」
マザランが合成獣に変化したことには驚いたが、要はパンテオンになったのと同じこと。軍人ほど慣れているわけではないが戦闘の心得を持つ聖女たちが一丸となれば対処できないわけがない。
「聖水も混ぜたし、ミーシャは倒したと思うけど……」
どう見ても火属性のマザランに水属性、そこに聖水を混ぜての波状攻撃。逃げ場はなく直撃は確か。それでも身構えてしまうのは今なお一撃目を相殺された感覚が消えないからだろう。
侮ってはいない。けれど、期待があって——砕けた。
『息の合った攻撃には賛美を送ろう。だが、私を侮るなよ小娘ども』
——黒炎が爆ぜた。
水魔術を一瞬で蒸発させ聖女の微かな驕り共々灰に還す。
黒炎に包まれたマザランはそっと腕を突き出した。すると纏っていた黒炎が突き出す右手に凝縮されていき——横へと振り払った。刹那、何が起こったのかセミレットたちは理解ができなかった。それは熱波か。あるいは業火だったか。わからない。ただ猛烈な灼熱が瞬きや呼吸と同時に襲い掛かり、成す術もなくセミレットとミーシャはその場から消滅。死を謳うように黒炎が大聖堂の高い天井に届くほど大きく燃え上がった。
瞬間的なことに唖然として理解できず身動きできず思考できず。ただ、腕を振るっただけの化け物が成したのだと、恐怖が命を掴んだ。闇が押し寄せてきて瞳には黒炎の揺らめきとマザランの佇まいだけが映り、ふと怪物の瞳とエスタの瞳が交わった。
——————っ
次にはエスタの意識は途絶え、彼女のいた場所は死者をくべる如く死火が大円に残されていた。
「エスタ⁉」
フェンネルが焔から姿を現した時には既に遅し。業火はミーシャもセミレットもエスタも呑み込みくべてしまったのだ。
「貴方よくもっ!」
歯を噛み締め震える手でナイフを構える。冷徹な眼差しを向けるマザランは失望のため息を吐き捨て——四つの黒炎が爆ぜ上がった。
それが何を燃やしたのか、想像難くも想像できてしまう。連ねて打ちあがった大炎火は大聖堂のほぼすべてを覆い尽くし地獄を再演させた。
「…………」
ただ一人、取り残されたフェンネルは愕然と身体の力が抜けていく。抗うことすら等しく虚しい。ただ絶望が燃え上がるだけ。空気を奪い、心意気を奪い、記憶を奪い、家族を奪い、人生を奪われた。
それでも、カチカチと歯を鳴らしながら問うたのは聖女としての矜持だったのだろうか。あるいは子どもの我儘のような滑稽な抗いだったか。
ただ、フェンネルは冥途の土産に訊ねた。
「私たち……聖女を、どうする気、なのですか……?」
緋と金のオッドアイで見据えるマザランは憐れだと教えてくれた。
そして、それがフェンネルが耳にした最後の言葉だった。
『喜べ。オマエたちは炎の巫女となり新時代を切り開く柱となるのだから』
すべては黒炎に閉ざされた。
ありがとうございました。
ベリーナとラベンラルも炎に囚われてます。マザラン強いね。
アテェルセは赤と金のオッドアイと竜の尾と緋色の鱗のパンテオンです。とある一体のパンテオンが分裂して生まれたパンテオンでもありますので、原型、本体は別のパンテオンです。
次の更新は水曜日を予定しています。
それでは。




