第二章45話 堕ちた信用、燃える悪罵、其は正義の火種。
青海夜海です。
帰省します。
悪評の罵声は聖女たちにも聴こえていた。
場所は神聖都市ヌファル。唯一パンテオンの襲撃を受けなかった都市であり神アヌンナキと女神イナンナの神殿を基盤とした神殿都市。
かの都市は二神に選ばれた者のみが入国、住居することを許される神聖域とそれを覆う城門街でできている。そして、その神に選ばれた者こそが聖女であり神の使徒だ。
聖女の役割は主に三つ。
一つ目が守護結界の起動維持のために偶像に祈祷すること。これが最も重要な役割だ。
二つ目が管理都市センケレから浄化の依頼を受け不浄環境の浄化を行うこと。これは病魔の浄化も含まれる。
三つ目が葬儀者として葬儀を執り行い弔慰する役割も持つ。
民衆を含め『魔力』を知覚できない人間は聖女の祈祷が本当に守護結界とやらを形勢しているのかわからない。それを謳い文句にしている分、余計に怪しまれるのだ。だが問題はそこではない。残り二つの役割は聖女が民衆と直接関わる役割だ。つまるところ、民衆が聖女を唯一知ることのできる場とも言える。
パンテオンの影響で腐敗した大地を復興させたり、病魔を浄化したり、故人を弔ってもらったり。聖女の純生な慈しみを民たちは眼にしていた。魔術や神託など関係なく、人となりに関して信用を寄せていたことだろう。でなければ故人を預けたりなどしない。慈愛と慈悲の心を持つ純潔な存在、それ民人が総意として抱く聖女だった。
だからこそだ。
だからこそ、裏切り者と軍が声明したことにより彼ら民人は憤怒の焔を叫んだのだ。
一つ言っておこう。彼らは確かに聖女を信用していた。だが、信頼はしていない。なぜなら神秘主義ではなく、軍主主義だからだ。
故に神を信じる聖女より、我らを守る軍を優先することは明白であった。
よって、民人は聖女に激怒を起こす。今までの善意をひっくり返してそれすらも火種に轟轟と猛き狂いし燃ゆる燃ゆる。
「オイ! 出てこい聖女のクソ女どもォ!」
「あなたたちは優しいと思ってたのに、この化け物ッ!」
「なにが葬儀だよ、お悔やみだよ……ずっとそうやって俺らを陰で嗤ってたのかよ! 死んだ人間を見て、悲しむ俺らを見て嗤ってたのかよ!」
「浄化とかもぜんぶ隠蔽工作だったんでしょ!」
「そうよそうに違いないわ! パンテオンの襲撃は聖女の仕業よきっと!」
「このッ! 狂神信者どもッ! 狂ってやがるのはオマエらだァ!」
「死んでしまえ! 死んでしまえ! 死んでしまえ! あんたたちの命で死んだ人を生き返らせなさいよ!」
「火だ! もっと火を放て!」
「あの子たちの痛みを思い知らせてあげるんだから!」
狂炎が吠える。噛みつく憎悪が城壁を囲い込み悪罵を投げつける。他者の悲しみを火種に新たな炎を産み出して叩きつける。それはたちまち何千何万の邪火となり偽りの聖火を呑み込まんと猛り狂いし雄叫びを上げた。
炎の波が、風の暴威が 水の波濤が、土の殴殺が都市ヌファルを轟震させた。
北に位置する一番小さな都市ヌファル。二神の神殿を起伝として守護結界を起動維持する動作根源として築かれた都市だ。神話においても都市ヌファルなる地名は存在し、そこでもやはり聖女が描かれていた。絶対安寧を築く秩序の基盤、それこそ平和を守る聖女であり、そんな聖女たちを休め育む神聖域こそ都市ヌファル。
だというのに、現在においては身に覚えのない罵声を浴び信用を燃やされ聖女は犯罪者として囚禁されている。傍から見ればもはやどちらが暴徒かわかったものではない。
各都市から逃げおおせた人々も躍起に当てられ都市ヌファルを目指した。このどこへぶつけたらいいのかわからない感情を解き放ち静穏を取り戻すべく。
「……聖女の信用も地に落ちたな」
その厳かな声の主の言う通り、聖女の信用は恐らく永遠に戻ることはない。なぜなら、軍が聖女と敵対関係についたからだ。
軍主主義の民衆は軍に信頼を寄せている。此度の事件より、聖女の計略が嘯かれ、今までのパンテオンの騒動すべてが聖女の所為と盲信された。これにより軍への同情が沸き上がり聖女の地位の落下を足場に軍の地位がぐーっと上へと登る。盲目的でも信用のできる軍を支持するのは当然であり、軍が民衆を守護してくれた実績があるので信用は信頼へと昇格する。それが揺らぎない軍主主義を灯させる。よって軍を疑うことは許されない。
「まるで、カバラ教ね」
「口を慎め、悪女」
「――ぐはっァ⁉」
皮肉と笑った聖女の一人、ベリーナは眼前に立つ男に腹を蹴られ蹲る。
「ベリーナ⁉」
「あなた何するし!」
マーナとセミレットがベリーラへと駆けだそうとするが、ガチャンっと背中に回す腕が引っ張られ数メルしか進めずベリーラを支えることは叶わなかった。両腕を後ろに手枷を嵌められ囚禁されている聖女たち。
「邪魔だし!」
何度無理矢理引っ張るが、彼女たちの非力では逃げることはまず不可能だった。
「聖女をいたぶって何がしたいの⁉ それが目的と言うのならわたしはあなたを絶対に許さない!」
「…………」
フェンネルが皆を代弁して噛みつき怒りを滲ませるが、敵対する男の冷徹な眼差しはなんの感慨も得ていないよう。全く相手にされていない事実に歯嚙みするフェンネルたち。
しかし、矛を向けることはできなかった。無理矢理に手枷を外し得物を振り下ろすことはできそうになかった。
男の相貌に見覚えはある。声音も聞き覚えるがあり、まさしく皆が知るその人だった。けれど、眼光が違ったのだ。人を守る勇敢な眼は、人を容赦なく殺す惨忍な眼へと転じており、今この場に聖女を嵌めた犯人が明らかとなった。
「まさか貴方が事件の首謀者だったなんてね、マザラン・ダク・テリバン将官」
フェンネルに指摘された男、マザラン将官改めマザラン総司令官は小馬鹿にするように鼻で笑う。
「私が首謀者だとしてそれがどうした? 皆に言い広めるか?」
「お望みならしてやる! あんたのあらゆる悪行をばら撒いて正してやる!」
怒りの形相を浮かべるハウナにマザランは滑稽だと嘲笑する。
「誰が信じると思う? 聴こえるだろ。悪女を祟る傀儡の悪罵が」
嗚呼、聴こえてくるのだ。身に覚えのない数多の罪状が勝手に読まれそれが世界の意志だとでも言うかのように炎を猛らせる。そのすべてが民人の声だった。これまで何度も手を差し伸べて良い関係性を育んできたはずの民たちだった。
今までの交流を唾棄するように、彼らは聖女に火矢を放つ。石を投げ子どもの叫びにエスタが「ひぃっ」と悲鳴を上げて「ごめんなさい」と謝った。
数多の罵詈雑言。狂信によって釘で打たれた罪状。驟雨は散弾となり火を灯して炙りだす。押し寄せる寒波が心の臓を咎め続け火刑へと参上させる。
「…………」
現在、聖女たちが幽閉されているのが神聖都市ヌファルのエアンナ神殿の大聖堂。大広間の前方奥に聖堂と二神の偶像があり、床には幾何学的な方陣が描かれており聖女たちはその方陣のそれぞれの定位置にて監禁されていた。鎖蛇の手枷が両腕両足を封じ、魔力封じの杭を左手の甲に打たれていた。これにより魔術の類はあらかた使うことができない状態だ。
この大聖堂で幽閉されている聖女は全員で十一名。他の聖女たちや聖女見習いは他の所で監禁されていると見ていい。逃亡中なのは、ここにはいないルヴィアただ一人だろう。
臆病なラベンラルがそっと呟きを零した。
「どうしてこんな目にあっちゃったんだろ……」
もう、ただただ悲痛だ。
怒りも悲しみの渦に呑まれ冷気に指を割るような痛みが身体中を絶え間なく響かせる。今までの頑張りのすべてが無駄となり、それも火種となって己を脅かす脅威とされた。なら何が生きている意味になろうか。この人生になんの意味があったのだろうか。自分は悪意の見せしめとして殺される、それが定められた結末というのか。
嗚呼、ただただに悲しくて痛い。
逃げ出す勇気すら沸いてこなかった。口答えもできず、陰鬱に俯く姿は聖女とはかけ離れてすらいる。
普段から勇ましく活発なベリーナもハウナも最初のように元気に噛みつくことはなかった。エスタはごめんなさいと無意味な悔恨を重ね、ラベンラルは生気が抜けたみたいに顔を俯いて動かない。セミレットもハルヴェナもミーシャも同じ。どうすればいいのか考えて諦めた。諦観を滲ませる淀んだ瞳が虚空を眺める。対してフェンネルとマーナは折れかけの心で、それでも必死に突破口を探していた。だが、簡単に見つかるはずもなく、鼓膜を打つ憎しみの咆哮が心身を削っていく。
それでも、諦めるわけにはいかなかった。
「マザラン様……貴方の目的はなんなのですか?」
そう訊ねたマーナに彼は目じりを下げる。一瞬の沈黙が降り、それをマーナが壊す。
「都市の破壊ですか? 総司令官の座ですか? 私たち聖女に何をさせるつもりなのですか?」
そうだ。本当の犯人はマザランと答えは得た。しかし動機が不明瞭な上、我々聖女を捕縛した意味が、それこそ何らかの用途があるとしか思えないわけだ。
マザランは辟易しながら「知ってどうする気だ?」と返答された。しかし、マーナは臆することなく大胆不敵に。
「もちろん、正しくないと証明するのです」
頑なな心意気に俯いていた聖女たちが手を引っ張られるように顔を上げた。
彼女たちの視線の先には光が見えた。
いつだって自分たちを導き支えてくれる大聖女マーナの希望のような輝きが。
憧れるその姿一つで、沈んでいた心は水面から顔を出し胸いっぱいに空気を吸い込む。母のような波音に浸り遠くの雷鳴に今だけは背を向ける。そっと水面の上に立ちあがり光が差し込む方角へと歩き出す。一歩一歩踏みしめながら痛みを噛み砕き血を流しながらそれでも慈愛を忘れずに。
マザランは見て知る。戦意喪失していた他の聖女たちが生気を取り戻し光を取り戻さんと意思を掲げたことに。
実に忌々しく愚かしく輝かしきか。
されど、敵対者としてマザランは不快でならない。知っているのだ。こういう輩は何度心が折られてもちょっとしたきっかけで立ち直ることを。ルナ然り、アディル然り、聖女然り。総じて彼女らは意志が固い。それは時に不可能すら可能にしてしまう。
数多の冒険譚で危機に瀕しながらも冒険を乗り越えた英雄たちは皆、不可能を可能へと転じてきた。未知を既知に変えて。絶望を勇気で灯して。
ため息を吐いたマザランは身動きが出来ずとも睨み上げるマーナの首を掴み身体を引き上げた。
「「マーナ様⁉」」
首を絞められ苦しむマーナを冷徹な眼差しが見つめる。
「マーナ様を離せ!」
真っ先に動いたのはベリーナだった。鎖蛇の手枷を腕力だけで引き千切り手の甲の杭を引き抜き炎の剣を形勢し加速。マーナの首を掴むマザランの腕へ一閃。
「ハァアアアアアアアアア!」
両手で持った炎剣を振り下ろした。周囲を焼きつぶす聖火が魔を絶たんと斬殺。しかし、腕を切りつける寸前で強固な何かが斬撃を阻んできた。
身を焦がす炎の猛りの中、ベリーナは驚愕を露わにする。止められたことにではない。ベリーナの一撃を止めた『体躯』にだ。
「なにそれ……?」
「見ての通りだ」
ああそうだろうさ。だとしても理解得ないのだ。
強固な何かが斬撃を阻んだのではなかった。マザランの腕自体が強固な赤い鱗の生えた竜のような腕となりベリーナの一撃を耐えていた。鱗を切りつけることすらできず、聖火がその身を焼くこともなく、相も変わらない冷徹な眼差しがベリーナを凍てつかせた。
「短慮で短気の脳筋。始末が負えないな」
瞬間、真横から迫った何かが目にも止まらぬ速度でベリーナを打ち抜く。
「ベリーナっ⁉」
ハウナの叫びを掻き消すひと凪がベリーナを連れ去り壁に激突。右腕が変な方向へと曲がり頭部から大量の出血。か細く哭いたベリーナはすぐに動かなくなってしまった。
愕然とする中、しかし切られた火蓋は閉じられない。フェンネルが無理矢理に手枷を外し即座に皆の手枷と杭を破壊する。
「――っラベンラルはベリーナの治療をして! ハウナとハルヴェナは私に続いてください!」
「わ、わわわかりました!」
「よくもベリーナを!」
「許さない!」
駆け出す聖女の紅の意志に、緋色の悪しき狂気は輝く血液のような眼光で迎え撃った。
ありがとうございました。
聖女VSマザランです。
次の更新は月曜日に予定しています。
それでは。




