第二章43話 咀嚼の怪炎
青海夜海です。
なんとか締め切り前の課題が終わりました。九月の課題は九月にします。
十六日に起こった襲撃にて、都市ウルクは壊滅した。
全民が黒血のパンテオンに殺され都市は焦土の成れの果て。遺跡の息吹も感じられず、錬金物などの製品制作の主要部分は機能できない状態に陥り、そもそも起動させる錬金術師が既に殺されている惨状。セフィラの制作や武具などの物資の補給は望めなくなり、この事態は軍に大ダメージを与えていた。が、そのダメージが深く刺さるのはもう少し時間が経ってからのこと。
現在、都市ウルクの壊滅が及ぼす効果は、恐慌にある。
武具を扱う故に、他都市よりは戦いの心得を持つ都市ウルクが数時間で壊滅した。つまり彼らでは手も足も出なかったことを意味する。聖女と異端者の仲間三名が招いた惨劇はこうして人々に凄まじい恐怖を与え恐慌へと突き落とした。都市ウルク壊滅も聖女たちへのクーデターの一因となっていた。
「これが、本当に聖女たちによるものと思うか?」
しかし、現状に疑惑を覚えるものは確かにいた。惨劇を目の当たりにし、聖女の守護を知覚できて軍に所属している彼、イリュジアン・ザード一等騎士。金髪碧眼のイケメン騎士だが、その美しい相貌は酷く疲労を滲ませ身体中汚れ塗れである。よく見ると火傷の痕や血糊もみられ、普段の爽やかさとは雲泥の差。その汚れた姿は彼の境遇を物語っていた。
「僕が思うに聖女や彼らを犯人に仕向けられた凶作なんじゃないかと思う。事件のタイミングに情報の伝達速度、どれをとっても都合が良すぎる展開だ。画策されたとも考えられる」
トマト総司令官が殺され、その死体を発見した途端に各都市でパンテオンが暴れ始めた。そして都合よく各都市に聖女が『神託』に関して訪れていた。何よりイリュジアンが不審に思った一番が時間にあった。
「聖女の訪問が十五日、一昨日だ。そして、その他の事件がすべて昨日の十六日に起こり、収拾がついたのも昨日の月沈みのころ。その時点で犯人が断定された」
「情報の精査もできず混乱する状態で早すぎと言いたいのね」
隣に座る同期で同じ部隊の女性に「ああ」と頷く。
そうだ、事件が起こり解決までの時間があまりにも早すぎるのだ。昇月の二時の少し前にパンテオンの襲撃が始まり、マザランの演説が始まったのが十六時過ぎ。
街灯の明かりが木霊する笑い声のように灯る街並みは、しかしその日に限り蛇のように炎が街中を連ねていた。遠くからみれば戦火のようにも見えたことだろう。人の心が鬼となり悪しきを食わんと徘徊する様は異様とはっきり言えよう。自然にして逆に不自然なまでの完璧さにイリュジアンは疑念を覚えたのだ。
「思い過ごしならいいんだけど……」
この思考の結末は決まっていた。この事件の中核、つまり収拾をつけた人物に疑念の根は行きつく。それ即ち。
「反逆行為ね」
「…………」
イリュジアンが言葉にしなかったことを隣に座る女性、カトレアがはっきりと言霊にして解き放つ。
イリュジアンの精鋭部隊の隊員の一人。同じく一等騎士の彼女カトレアの装いも彼と同じく火傷や血糊などで汚れ塗れ。いつも後ろで三つ編みにして束ねている菫色の長髪は解け、今はポニーテールに纏めている。緋色の瞳は理知的で男性のように一七二セルチと身長も高くモデルのようだ。しかし、美しい顔にもイリュジアンと同じく色濃い疲労が見え、脱力するように何度目かのため息を吐いた。
「それよりもやるべきことがあるわよ」
「そうだね」
二人が身を寄せて隠れているのは都市ウルクの沛然となった瓦礫の山の一角。三方を瓦礫で塞がれ頭上からも死角となる部分だ。開いている右手側から後方を覗くと想像よりずっと最悪な状況と化していた。
「けど、ダメね。数が多すぎる。パンテオンは調教できないのがネックね」
「まるで動物は調教してるみたいな言い方だね」
「……私の犬がいなくなったのは悔しいわ」
「それ、ニードとミトンだよね? 一応言っとくけど二人は人だよ」
「何言ってるの? 人は動物よ」
「あははは……」
さぞ天に還った二人は『動物扱いありがとうございます! わんわん!』とかほざいているのだろう。やけに鮮明に想像ができたことが悲しきかな。
カトレアは頭を横に振って顔を引っ込めた。
「戦闘音を聞きつけてあの化け物がやって来たら最悪も最悪よ」
あの化け物……その名が示す存在。それこそがイリュジアンたちをボロボロにさせ、ニードとミトンを失うきっかけとなった炎の悪魔だ。
時は遡り、昨日の昇月の四時頃。
都市ウルクにてパンテオンの襲撃通報を受けたイリュジアンの部隊は転移門を使って都市ウルクへと出陣した。規定重量があるので出撃人数は三十弱と少数だが、精鋭部隊の彼らには充分な戦力だった。
命令通り沸き上がる見たことのない黒血のパンテオンを相手に戦線を持ち上げ市民を避難誘導。全方位から襲って来るパンテオンに前衛と後衛に分けて対抗していた。
パンテオンの脅威はそこまで高くはなく、様々な種類がいるわけでもなく一過性の攻撃ばかり。順応性と洞察力の高い精鋭部隊の騎士たちはすぐに対応して撃破していった。
その心の隙が仇となったわけではない。対策を怠っていたわけでもない。慎重に慎重をきして任務をこなしていた。きっと誰も気を緩めてなどおらず、手を抜くことも下手を打ったこともなかった。
ただ、それがあまりにも速すぎたのだ。
まるで閃光のようだった。赤い閃光。瞬間に煌めいた赤い閃光は、一度の瞬きで目の前を猛き焔で包み焦土に変えて見せた。まるで異なる世界を見せられたような瞬間的な変貌。
ニードとミントは赤い閃光に反応できず、その身を炎にくべた。消灯するように何の前触れもなく消え去った命。それが誰なのか理解する暇もなく、大きな炎は塊りとなって揺らめき——
「は——」
意識が追いつく前に裾を焼き駆けた存在は、イリュジアンとカトレアの背後、二十人弱の隊員を全焼させた。
爆ぜる焔が絶叫を消し去り、皮膚が爛れ肉が焼かれ骨となっていく焼死体を、その化け物は長い手で掴みバリバリと噛み砕く。一目でわかりながら本能は理解を拒絶する。それでも目の前の真実に理解をしなければいけなかった。
「たべ、てる……」
そう、その化け物は死体を食べていた。仲間を食べていた。三メルほどありそうな両腕で死体を握りしめてバリバリバリバリと。
一気に体温が下がる。吹雪に放り込まれたような寒気が思考を奪う。手足を奪い身体を振るえさせ恐怖を目覚めさせる。
全感覚が死を前にしたように動かない。——動けば死ぬ、そう言われているようだった。
ここで、イリュジアンが動かない判断をしたのはさすがだった。彼は戦場で生き残る術、最適解を見出していたのだ。
しかし、カトレアは動いてしまった。ただ一歩足を後退させる。その足の踵が小石に当たり咀嚼音と火種の音が充満する中で、どうしてかどの音よりも鮮明に響いた。
『―――――――――。』
「ぁ…………」
「…………っ」
咀嚼を止めた化け物は振り返った。眼玉のない老怪のような顔面がイリュジアンたちを射止めた。
その姿は蜘蛛だろうか。ただアラーニェやアラクネのように多足ではない。最もその化け物に畏怖と忌避を抱いたのはその姿だ。人が四つん這いになり、お尻を突き上げて膝を伸ばした姿。それが最適な見識だった。
そうだ、奴の姿は『人』だった。身体を爛れた肉とその周囲の炎で包む全長三メルほどの人間。偽造人獣や狂戦獣、愚風の歌鳥人とも違う。身体だけや顔だけではなく、全身が人間。身体も顔も骨格などもそう。焼死体となった人間が呪われそのまま化け物にされたような姿、それが二人に今まで感じなかった忌憚を植え付けた。
化け物――怪炎人は獲物を定め猛威を振るった。赤き閃光となり瞬間にして彼我の距離は埋まり、カトレアへと大きく振り上げた唸る両腕が叩きつけられる。
「せるかっ!」
間一髪、カトレアとヤモモデオートの間に割り込んだイリュジアンの剣が殴撃を受け止めた。両腕で剣を支え地面を練り込ませる威力が身体を強く痺れさせた。骨が軋み血管がはち切れそうに戦慄く。
俊足からの強撃。何より厄介なのが炎の伝染だ。
「こっちまで焼き殺す気か!」
触れた腕より剣を通じて奴の身体の炎が伝ってくる。このままでは仲間たちの二の前だ。しかし、重い攻撃に力を緩めることも捌くこともできない。魔術で対抗しようとナギでエレメントに干渉した矢先。
「――従僕しろ、犬め」
見上げるイリュジアンの視界にカトレアのレイピアが映り込み。強烈な突撃が放たれた。迅雷の如き一撃はヤモモデオートの顔面を激しく突き上げ風でコーティングした回し蹴りが大きく吹き飛ばした。瓦礫の山に頭から衝突したのを見送り、着地したカトレアは大量の汗と荒い息を引き換えに汚名返上してみせ、すぐにイリュジアンへと駆け寄る。
「申し訳ないわ、私としたことが」
「はあはあ……謝罪は後だ。今は一度引くぞ。僕らが死ねば奴を報告する手段がなくなる」
「わかったわ」
物資と人員の焼失にあの化け物に対抗するのは凶と判断したイリュジアンは、戦士の矜持などかなぐり捨てて騎士のあるべき選択をした。
この選択には皮肉なことに都市ウルクに救助すべき人間が既にいないことが決断の一助となった。
イリュジアンとカトレアは背を向けてヤモモデオートから逃走する。しかし、無傷な奴は咆哮をあげて二手二足を忙しなく動かして追いかけてきた。
「奴は眼が見えてない可能性がある」
「音ね」
「僕が遊撃する。進路の確保は頼む」
「了解よ」
この都市に蔓延るのはヤモモデオートだけではない。得体の知れない黒血のパンテオンがうじゃうじゃと音に引き付けられてやって来る。前方を塞ぎ、左右から襲撃してくるパンテオンをカトレアが疾風迅雷の剣戟で掃討。足を止めず進路を確保する。
「【サラマンダーよ・渦となり爆ぜろ】」
イリュジアンはナギで火のエレメントに干渉し凡庸魔術を発動。指定した左手のポイントに炎渦をけたたましく巻き起こす。僅かに反応を示したヤモモデオートに追撃とばかりに炎渦を爆破。瓦礫の山を吹き飛ばし爆音を轟かせた。すると、ヤモモデオートは進路を変更し爆音の上がった方へと大跳躍して閃光の如く着地し大炎火をもたらす。
「狙い通り。このまま続けて」
遠ざけるように爆破を三度立て続けに起こす。やはり音に反応しているらしく、イリュジアンたちを無視して空白の爆庭へ襲撃する。
「カトレア! 僕に掴まれ」
背中から生やす両腕が伸びて迫り、それを横凪に惨殺して突貫してきた二体の顔面を踏み場に宙返り。背後から迫るイリュジアンの肩に掴まり。
「【シルフよ・疾く駆けろ】」
風魔術を身体中に纏わせ一陣の風魔となりて駆け抜けた。パンテオンを振り切り、ヤモモデオートを誘導した方角とは逆方向に。なるべく派手な音、戦闘音は経てずに逃げる。
こうしてあの場から離脱したイリュジアンとカトレアは、しかし逃亡は不発に終わる。
「これは……予想外だ」
「犬にしては小賢しくて、私は嫌いだわ」
「どうしても僕らを食べたいみたいだな」
「猛犬ね」
二人の視線は阻まれる。都市外へと続く城壁の手前にて、天高くまで伸びる炎の壁が二人を阻んだ。
まるで牢獄の如く、一切の入国と出国を許さない。
炎の檻が都市ウルク全域を包囲するようにドーム型に形勢されていたのだった。
ヤモモデオートの炎の壁により都市ウルクを出ることができない二人は、とにかく身を隠せる場所を探し現在位置についた。そうして日を跨ぎ昇月を迎え今に到る。
都市に浸透するのは心臓を煽るような静けさ。耳にする音はパンテオンたちの物音のみ。昨日の夜からヤモモデオートの炎は眼にしていないということは。
「もう、誰もいないようね」
「そう、みたいだな」
それが良いのか悪いのか。できる限りの人民は避難を終えている。その彼らがヤモモデオートのことを伝えることはできず、二人が残されていることもきっと外には伝わらない。
「マザラン将官の演説に都市ウルクは壊滅されたとあった。炎の壁は外からも見えるはずだ。それでも、壊滅と宣言して僕らの存在は公表されなかった」
「見捨てられた……いえ、排除されたと考えるべきかしら」
「それもこれもすべてはマザラン将官に訊ねるしかないな」
最早己の疑念に疑う必要はないだろう。そもそもの問題、都市にパンテオンが唐突に発生する事態有り得ないことなのだ。穴からの進出はすぐに管理都市センケレへと通達がいく。自然発生にしては大量過ぎるし一種の感染病の疑いも持ったが、イリュジアンもカトレアも身体に異変は感じない。ならば人為的と考えるのが自然だ。
もしも、イリュジアンたち、軍の精鋭部隊を排除するために都市ウルクに出陣されたとすれば、イリュジアンの部隊に出撃命令をだしたマザランこそ首謀者となる。もう一つの理由として、マザランが軍のトップ、総司令官の座を狙っているのは周知にある。トマト総司令官の死はただその座が宙浮きになるだけだが、この大事件を前にあの宣誓をした彼は一躍英雄だ。総司令官を名乗るだけの栄光は得ている。総司令官の座を得るために策略した自作自演……考えられない話しではない。
とにもかくにも、真偽を確かめるためには生きて帰らなければいけない。しかし現状は八方塞がり。背後は炎の壁が阻み、前方はパンテオンが跋扈し、食飲料が不足状態にある。腹は携帯食のカロリーフラワーで凌げるが、携帯している回復薬がそれぞれ二本ずつ。水は魔術で形勢できるが身体によくはない。訓練の成果で二日三日は眠らなくても動けるが、万全ではない状態で怪炎人を討伐できるかどうか。
「外の状況もわからないし、僕らが生き残るにはやっぱりあの化け物を討伐する必要がある。だから、しばらくは休憩だな。いいか?」
「ええ。仲間を悼む時間もなかったものね。……犬を二匹も失ったのは痛手だわ。折角骨の髄まで調教したのに」
「それ悼んでるの? まったく悲しんでるように聴こえないけど」
「悲しいわよ。けど、罵倒してあげた方が喜ぶでしょ」
「難易度の高い弔いだこと」
「問題ないわ。罵倒は好きよ」
「僕にはしないでね」
きっと天ではニードとミントが「わんわん!」と喜んでいるだろう。やばい、これ二回目だ。
はあーとため息を吐いたイリュジアンを横目に見たカトレアがそっと言う。
「眼、瞑っていいわよ。警戒は私がしておくから」
「僕は大丈夫だから。君の方こそ連戦だっただろ」
「貴方の指揮に比べれば大したことないわよ」
どうやらカトレアにはイリュジアンがすごく疲れているように見えるらしい。自覚がないイリュジアンはカトレアこそと譲るが、頑なな彼女に折れるしかなかった。最速束の間の休息を無駄にするわけにはいかない。
胸いっぱいに空気を吸い込むと肺を煤が突いた。
「じゃあ、十五分で交代にしようか」
「……わかったわ」
有限の時間を一人のために多くは使えない。短時間でも二人とも軽く睡眠を得ることを目標に時間を設定して、ふーと息を吐きながら目を瞑る。大きな眠気に軽く身を預けようとイリュジアンが瞼を降ろしたその時だった。
コツコツ——ッ。
聴覚を震わす新たな音にすぐに目を開く。パンテオンのものとは違い、人が走っている靴音に近い。静かな戦場にやけに響く足音は段々と近づき、目で合図をし合いカトレアが音のする方に覗き込み、イリュジアンは戦闘の構えを取る。
コツコツ。近づく足音が遂に姿を現して——
「…………人よ、イリュジアン」
「まさか、パンテオンはどうしてるんだ?」
カトレアの視線の先、現れたのは女性だった。二十歳の自分たちと同い年くらいの女の人。身体中が煤だらけで膝に手を置いて肩で息をする。彷徨うパンテオンが敵愾心を向けるが、彼女がビビりながらも突き出すペンダントに反応して攻撃の手を降ろした。
その姿、人らしい顔と表情。間違いなく人間だった。何より二人の眼を引いたのは彼女が手にするペンダント。
「錬金物の類かしら?」
「どっちにしろ、助けないとだね」
イリュジアンは聖人気質で。基本疑わず、誰に対しても好意的に接するのが彼だ。だが、彼の中で善悪の選別はきっちりとなされており、時には疑うこともできる。
聖女が無差別の救いを掲げるなら、イリュジアンは目の前の救いに固執する人間だ。
故に煤だらけの彼女が魔の手とは疑わず救いの手を差し伸ばそうとする。それがイリュジアン・ザードだった。
彼でなければ彼女はきっとペンダントだけを盗まれ口封じされていただろう。
イリュジアンの人となりをよく知るカトレアは反論など一つもせずに彼に従う。
イリュジアンの土魔術でキョロキョロする彼女の足元に矢印を彫る。ほんの少しの振動を起こし、気づいた彼女は矢印の方向へと眼を向けた。
「こっちよ。気づかない振りをして近づきなさい」
と、貌を覗かせるカトレアが口パクで指示する。声を出しそうになった彼女は口を手で塞ぎ周囲を確認してからとぼとぼと歩くように慎重に近づいた。彼女が持つペンダントのお陰でパンテオンは近づいては来ない。
慎重に時間をかけながら、イリュジアンたちがいる瓦礫の角へと身を滑り込ませた彼女をカトレアが抱擁した。
「よく頑張ったわね、もう大丈夫よ」
「よかったっ……あり、がとう」
人に出逢えたことへの安堵で張っていた気が緩んだ彼女は震える身体でカトレアを抱きしめえる。が、気丈に涙を流さないと必死に噛み堪えていた。それは誰かの死を堪えるように。
そうして、イリュジアンとカトレアは、ヒマリと名乗る女性と合流した。
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