プロローグ
自分の番号を合格者掲示板に見つけたあの年ほどに、寒い冬の雪解けが輝かしかったことはなかった。医学部に入ると決めたその日から、甘き幼少時代の時間を捨てて、眩しき青春時代の時間を消費し、この板を見るためだけに勉学に励んできたのだ。
無邪気に何も考えず校庭を皆が走り回る放課後、自分の進路を見据え、少しでも夢を叶える可能性を上げるために塾へ通う背中のどんなに重かったことか。汗と涙が眩しい同級生が部活動や恋に打ち込んでいる中、机に這いつくばってひたすら参考書を睨んだ目のどんなに辛かったことか。
中にはどちらも両立させている、意味が分からないほどの天才もいらっしゃったが、あいにく僕はそんな要領も勇気も持ち合わせていなかったから仕方がない。
親族中でも関係者のいない世界に無茶な目標を定めた僕を、戸惑いながらも経済面を含めて精一杯応援してくれた両親には誰よりも本当に感謝している。まず不可能だろうと言いつつも最後の望みを捨てずに協力してくれた教師陣にも感謝を忘れてはいけない。
馬鹿が無理をしていると陰で舌を出して笑っていた奴らは、ざまあみやがれ。報告を聞いてどんな表情をするのか、色々な意味で楽しみだと思うのは、少し性格が悪すぎるだろうか。
面接会場の広い部屋の中、無表情な黒いスーツの軍隊に囲まれ過呼吸を発症しそうなほど緊張した結果、試験官の待つ部屋に入室した瞬間受験番号を言い間違えた僕は、来年度の四月から医学部生となることが無事確約されたのだ。
同じ部屋にいた中の後何人が僕と同じく合格をつかみ取ったのだろうか。五人に一人しか選ばれない、とても厳しい世界だ。きっとあの場にいた全員がそれなりの努力は重ねていたことだろう、ある程度まで頑張った後の結果は運命の流れに任せるしかないところもあるから、きっと運も僕に味方してくれたのかもしれない。
これから遠くにはっきりと見えるゴールに向けて、真っ直ぐに伸びるコースのスタートラインにようやく僕は立つことが出来たのだ。何とめでたい日なのだろう。
これからはこのコースを道なりに、周りに振り落とされぬように進んでいけば、出会った全てのヒトの命を助け感謝され、社会的にも認められ尊敬される、幼い頃ドラマやドキュメンタリー番組で見たような、医師としての豊かな人生がきっと約束されている。そしてそれは今日同じラインに立った仲間たちにも同じことが言えるであろう。
息子の人生の成功をまるで自分のことのように喜ぶ母親の顔を見ながら僕はそんなことを考え、満足感に浸っていた。僕の明るく華やかな光に包まれているであろう、夢の医学部生活が、あとひと月ほどで始まろうとしていた。先に控えている高校の卒業式の準備も忘れて、僕は合格の余韻にいつまでもいつまでも浸っていた。