5.聖なる託宣
「で、あんたに会いたいって言うもんだから」
「ふーん……」
頬に絆創膏を張りながら説明するユキに生返事をすると、アキラは目の前に座った少年を見つめた。
かもめ亭は一階は厨房と食堂が占めており、朝の早い宿泊客たちや一仕事を終えた漁師たちが朝食をかっ込んでいる。朝早いとはいえ、活気に満ちた食堂だ。特に今日は遠方から軍艦を見に来た客も多く、テーブル席はほぼ満席状態だ。
その片隅。厨房との境のカウンターに小さく陣取ってアキラと少年は対峙していた。
カイと名乗った少年は、おとなしく食堂の椅子に座っている。
先ほどの狼狽した様子はなりを潜めているが、明からさまに警戒した目つきでアキラを見据えていた。
煤けた頬や埃はすっかり払われており、随分とすっきりした様子だ。
テーブルに立てかけている剣や身に着けたブレストアーマーなど、町の武器屋のディスプレイでしか見たことのない物々しい様子にアキラは眉をしかめた。
「俺、芝居とか興味ないんだけど……」
「私は劇団の役者でもチンドン屋でもない!」
言われ慣れているのか、膝の上で握り締めた拳に力を込めると、少年はよく通る声で抗議した。
ちらちらと物珍しそうな視線が常連客たちからふられ、そのチクチクとした痛みを背中に感じてアキラは顔をしかめた。
確かに視線のおおよその原因はこの他所者の少年であることは間違いないが、アキラへ物珍しげな視線があることも確かだ。
兄姉に比べ、アキラがこの食堂に姿を現すことは滅多にない。
起きてこないからだ。
面倒なことになる前にさっさと話を終えようと、アキラは口を開いた。
「で、俺に何の用?」
「お手前が『魔王になる』と託宣を受けたというのは本当か?」
一瞬、食堂の空気が凍る気配がした。
なんで朝っぱらからこの話……、とアキラは苦虫を噛み潰したような顔で答えた。
「確かに俺がまだ母さんの腹の中にいる時、そんなことを言った客がいるって話は聞いたけど……」
「それは白く長い髭を蓄え、柳のように細い体を剣闘士の二の腕もありそうな樫の木の杖で支えたご老体か?」
「ああ、確かそんな感じだったねぇ」
救急箱を片付けながらユキが代わって答えた。
「行き倒れ寸前でうちの前に倒れていてね、うちの人が担ぎ込んでご飯を食べさせてやったんだよ。そのお礼とか言って勝手にブツブツ言っていったんだけどねぇ……」
頬に手をやるとユキは渋面になった。
「あんまり縁起のいいお話じゃないだろ。まったく何がお礼なんだかね」
「一応、親切心で言ってくれたみたいでしたけどね」
厨房から顔を出して言うフジからユキは料理の盆を受け取ると、配膳に去っていった。
「ただの戯言だって。この怠け者のどこが魔王?」
どんどん、とアキラとカイの前に二つ盆を置くとラミは腰に手を当てて胸を反らした。
こうすると少し見栄えが良くなるのよ、とラミが言っていたことを思い出し、アキラはこんな年下相手にしなくても……と心の中でつぶやいた。
「まったく、この忙しい朝になんで今頃そんな話を持ってくるのよ!
戦、戦の世の中で何が魔王? 夢物語じゃない、そんなの。もっと現実を見なさいよ」
「すみません。もう少し時間を見てから来たかったんですが、やっとここの街にたどり着いたのが深夜だったもので……。街の門が空くまで待ってやっとここまで来られたのでこんな時間になってしまいました」
「え、じゃ、あんた。外郭で夜を明かしたの?」
夜の門の外、外郭はそれなりに危険である。
野生動物がうろついていることもあるし、このご時世、性質のよくない輩もいる。
「それしきのこと、なんでもありません。勇者ですから」
「確かにそんな物騒な物を持っている奴を襲う奴もいないとは思うけどな……」
傍らの剣に手をかけて胸を張るカイにアキラはぼそっとつぶやいた。
「宿屋だとも聞いていたので皆さん、朝は早いのかと思っていました。
そう言えば、皆さんが厨房にいる時も彼はいなかったが……」
「まったくお恥ずかしい話でね」
厨房から顔を出しラミに盆を渡すと、マサルは渋面を浮かべた。
「こいつときたら寝てるかぼーっとしているかで、まったく仕事をしやしないんだから」
「今そのこと話さなくてもいいだろ、兄貴」
アキラは口を尖らせた。話の流れについていけていないのか、カイは真面目な顔でこちら
を見つめている。というよりは、目の前の食事に気を取られているらしい。喧騒にまぎれているが、よく聞けばぐるぐると腹の虫が鳴っているようだ。
その音に同じく空腹を感じ始めたアキラは、小麦粉を平たく練って焼いたパンに肉と野菜と挟み一口齧った。つられるように少し戸惑った様子でカイは恐る恐るといった様子でトウモロコシのスープをすすり始めた。
「全くこの歳になって毎日ふらふらふらふら……。いい穀潰しだよ」
「そこまで言うのかよ。後で家の中で言えばいいじゃん」
「いいや、お前が顔を出すことなんてなかなかないんだから、今のうちに言っておく」
カウンターから身を乗り出すと、マサルはアキラの首根っこを掴んだ。
「お前、もういい加減十五にもなって仕事の一つもしていないってのは、どれだけみっともないことか、分かっているのか? お前の場合実家が商売やってるんだから、それを手伝うぐらいしろ!」
「……昨日はパンの配達したじゃないか」
「昼に一回パン屋に仕込みを納品したぐらいで仕事した気になるな!」
「いでっ!」
岩のような拳骨を脳天にくらい、アキラは涙目になった。
「仕事をしないならしないで学校にでも行けばいいものを。それともいっそのこと軍隊に入るか?」
迫力のある笑顔を向けられて、アキラは慌てて首を振った。
人と争うのは大の苦手、というよりはおっかない。
「結局何もしない。一体お前は何をしたいんだ?!」
大声でどなるマサルにアキラは周囲の客の様子を振り返ったが、気にしている風な者はいない。
自分のことを気にしている人間など、いないのだ。皆あわただしく食事を終え、勘定を払って去っていく。アキラはほっとしながらも内心小さく舌を打った。
「つまり」
静かに響く声にアキラとマサルははっとしてカイを振り返った。
話に夢中でカイの存在をすっかり忘れていたのである。
なぜか苦虫を百万匹ほど噛み潰したような表情でカイは続けた。
「この少年は、朝も早くから働くご家族を手伝うでもなく、学校に行くわけでもなく、自らを研磨することなくただ毎日惰眠を貪っている、と、そういうわけになりますか」
「まったくその通りだね」
「……なんで部外者のお前にそんなこと言われなくちゃならないんだよ。
関係ないだろ?」
「……関係ない、だと?」
不機嫌そうにそっぽを向いたアキラに、その数倍の苛立ちを込めて言うとカイはやおら立ち上がりアキラの胸倉を掴んだ。