2.全ての始まり
いったい、何が起こったのだろう。
アキラは昔……と言ってもたかだか一週間前だ……のことを朧気に思い出していた。
今でこそ七十を超える老体だが、その時、まだアキラは十五歳だったのだ。
その日は朝から家々に国旗が立てかけられ、街の広場には花山車が用意されていた。
戦績華々しい海軍の軍艦一隻がこの港町に補給のために寄航することになっており、その出迎えのパレードが行われる予定だった、
アキラが生まれた時から住むこの街は、地方豪族の城主が納める城下町である。
首都圏ほどの賑わいはないものの、正面を海岸に面し背後を山に囲まれた立地からなる豊かな土地だ。海から来る商業船と、山から下りてくる狩猟民族たちが下ろしてくる品物の交流でなかなかに栄えている。
アキラはその街の料理屋兼宿屋で三人兄弟の次男坊として生まれた。
兄は体も大きく堅実な性格で両親の期待を一身に背負う働き者。姉はきかん気な性格で「いつか首都の劇団で歌う歌手になる」という野望を抱きながらも、実家の宿屋で歌姫兼ウェイトレスをする看板娘として頑張っている。
祖父母からこの店を引き継いだ父は娘婿ながらもしっかりと店を盛りたて、町の中央部にパン屋の二号店を出すまでに繁盛させていた。
「今日は忙しくなりそうですねぇ」
「ああ、稼ぎ時だねぇ。今日もしっかりいくよ!」
小麦の袋を肩に担いで厨房に入ってきた旦那に、ユキは飛び切りの笑顔を見せた。
「こんな忙しい日だってのに……」
厨房でパン生地を捏ねながら、女主人のユキは盛大なため息をついた。
ユキはハリネズミを思わせる小柄な体をしているが、その体のどこから湧き出てくるのか、と思われる力であっという間に生地を仕立て上げる。
「アキラさんはまだ寝ているようですね」
横へのけられた生地を丁寧な手つきでまるめて整形しているのは主人のフジで、こちらはユキとは対照的にひょろりと細長い長身だ。
「末っ子だからって、甘やかしすぎたのかねぇ……」
「ユキさんは子供たちに対して平等だったと思いますよ。アキラだけ特別甘やかしたことはないと思いますが……」
姉さん女房のユキに対して、結婚二十年めを迎えてもフジは敬語を使う。
「じゃあ、やっぱりあれがいけなかったのかねぇ……」
決して手を休めることなく流れるような作業でパンを作り続けながら、夫婦は声を揃えて言った。
『あの、旅の預言者』
声を合わせて一瞬顔を見合わせると、夫婦はどちらともなく目を離した。
「父さんも母さんも、まさかあんな冒険者崩れの言うことを信じているわけじゃないだろうね」
朝の仕入れを終えて帰ってきた長男・マサルが野菜を腕いっぱいに抱えながら厨房に入ってきた。
短く固そうな黒い髪と意思の強そうな瞳は母のユキ譲り、立派な体躯は父譲りだ。
「客の戯言にいちいち振り回されていたんじゃ、宿屋仕事はやっていけないよ」
港の宿屋・かもめ亭には食事に来る湾岸労働者や商業船の商人の利用が多い。異国の珍しい話を聞けることも多く客との対話をこの家族は大事にしている。
しかし中には厄介な客が来ることもある。
それが『冒険者』を名乗る人間たちである。
「冒険者なんて言えば聞こえはいいけど、ただ単に儲け話を探してふらふらしてる住所不定自由業者だからね」
「お前は言うことが厳しいね」
兄と一緒に市場へ行ってきた娘・ラミが言い放ちながら牛乳を瓶に入れかえているのを横目で見ながらユキは小さく肩をすくめた。
「そんな態度をお客さんの前で見せるんじゃないよ」
「分かっているわよ。客商売してどれぐらいたっていると思っているの?」
「見せかけだけ繕ったってダメだってことだよ。だからお前の歌ははやらないんだ」
兄に叱責されラミは唸り声を上げた。しかしマサルの言っていることは的を射ているので言い返せないらしい。
「そう言えば船のお客さんが噂してたよ。もうすぐ隣国と戦になるんじゃないかって」
「え、お前、それほんとうかい」
「外洋を航海している船乗りさんが言ってたんだよ」
「まぁ、嫌だねぇ……」
調理の手はやすめず、母と息子は世間話に花を咲かせていた。
「この間も辺境民族の国を下したって言ってたじゃないか。そんなに領地を増やしてどうするのかねぇ」
「母さん、自分の領地を増やす為だけに戦うってわけじゃない。攻められたら守らなきゃ」
「そういう戦が増えれば、冒険者にも仕事が増えるのかしら」
「いやラミ。冒険者は戦には参加しないだろう。冒険をすることが仕事なんだから」
「なんだ、じゃやっぱり役には立たないのね」
妹の言葉に兄は肩をすくめた。
「戦以外にも王権に反対するテロリスト集団もなんだか不穏な動きを見せてるみたいだし」
「マリナーラでしょ。何で一生懸命国を治めてらっしゃる王様に歯向かうのかねぇ。
この間は砦が一つ落とされたって言うじゃないか」
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