一年の贖罪
初めて一人称で書きましたが、あまり向いてないなーって思いました。
拙い文ですが、何卒。
時刻、平日午後四時半。
「蓮。お友達が来たわよ」
母親が扉越しに俺を呼んでいる。
「......適当に帰らせといて」
俺は、それを拒んだ。
「言い方が悪かったわね。暖乃ちゃんが来たわよ」
母親が言葉を訂正した。
「ーーーーマジ?」
俺は勢いよく自室の扉を開け、食い入るように母親を見つめた。
俺の質問に、母親は言葉もなく頷いた。
その答えを受けると、何故か心臓の鼓動が体内に強く鳴り響く。これは祝福の鐘か、それとも警鐘か。
いずれにせよ、暖乃に会うことは不登校児になった俺にとってはハードルが高い出来事であることに違いはないのだろう。
だって、暖乃はたった一人の幼馴染で、たった一人のーー。
「ーー遅いなあ。待ちくたびれたから勝手に入るよ」
「うぉいおいおい!? それは困ります暖乃さん!?」
突然耳に飛び込んだ声に、俺はつい素っ頓狂な声を上げてしまう。いつの間にか母親の横に立っていた声の主は、呆れたように腰に手を当て、微笑んだ。
「なーんだ。不登校になっても、全然変わってないんだね。安心すると同時に失望した」
ーー上崎 暖乃の不適でいたずらで妖艶な笑みもまた、一年前から変わっていないようだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「ーーで。何の用ですかね」
「何その他人行儀感。私、仮にもアンタの唯一の幼馴染で、そこそこ以上にアンタと仲良いつもりなんだけど」
「一年ぶりの再会でその感じ出せんの寧ろ尊敬するぜ俺は......」
陳腐な会話が、感動の再会から一分も経たない今、交わされている。
何かに気を利かせた母親は、一階のリビングでテレビを見ているようだ。
俺ーー鬼塚 蓮は幼馴染の女子と共に自室で二人きりでいる。それが、現状だ。
正直なところ緊張しているが、それは異性を意識しているからではなく、シンプルに他人との会話が久しぶりだからだ。
俺は、自他共に認める不登校児である。
「......時間が空いたからこそ、今まで通りを演じてるの。鈍感ヘタレ坊主」
「別に坊主は良いだろ」
面倒だからという理由だけで俺は髪を坊主にしている。
ーーいや。面倒だからというだけではない。
俺には人目を気にする理由が存在しない。
そもそも、基本的に外には出歩かないのだから。
「で、ホントになんの用なんだ? 今四時半ってことは......お前も学校終わってすぐココ来たってことだろ?」
「そうね。いつも通りならクラスの皆と寄り道して仲良く帰って楽しく過ごしてるところ」
「......お前なあ」
暖乃は俺が不登校になった経緯を知らない。
中学一年生の夏に不登校になった俺は、今現在中学二年の夏を怠惰に生きていた。
一年間、一度も会っていない以上、互いに気まずいはずの状況なのに、過去と変わらず煽り合いの会話が出来ていることに俺は不思議な感覚を覚えていた。
だが、その違和感とも呼べる感慨に耽る前に、暖乃の鋭い視線が俺の双眼を射抜いていた。
「ーー蓮。アンタの現状に私は同情する気はない。私のどんな発言がアンタの心を抉ったとしても、知ったこっちゃない」
「おいおい。急に冷たくなってどうしたよ」
「逆に私が聞きたい。ーー急に、どうしたの。蓮」
「ーーーー」
「どうして、あの夏に姿を消したの。どうして、あのタイミングだったの」
「暖乃......」
「ーーどうして、私を置いていったの」
「ぁ............」
何も、言えなかった。
口からは掠れた吐息が自然と漏れただけで、俺は目に涙を滲ませる大切な幼馴染に、なんと言えばいいのか分からなかった。
胸の奥底が、灰色の靄に包まれる感覚があった。
この感覚は『不思議な感覚』などと甘えた表現に頼るまでもない。はっきりと断言できる。
それは、『申し訳なさ』だった。
さらに言えば、申し訳なさからくる焦りだ。
そして、焦る自分を客観的に見た心が、焦りを諦観する感覚も入り混じっている。
核となる感情は申し訳なさだが、その周辺に纏わりつくドロドロとしたアンビバレントな感情がその色を濁らせていた。
だから、何も言えなかった。
「......沈黙も、ある種の答え。私もそう思うわ」
暖乃は、そんな俺から視線を逸らして呟いた。
「いや、ある種の答えになる場合があるって言った方が正しいかもね。アンタのその沈黙は、答えがないからこそのモノだろうし」
全て、お見通しのようだ。
「でも。私はハッキリとした答えを聞きたいから一年間待った。あの時、アンタが葛藤してるってことだけは理解出来たから」
だから、と暖乃は続ける。
「お願い。私に、聞かせてよ」
強気な印象が常にある彼女の声は、震えていた。
何に涙してるのかは分からないが、彼女が怒っていることだけは肌感覚で理解出来た。
「..................悪い」
「ーーーーッ!」
俯いて放った俺の言葉に、暖乃は一瞬だけ眼を大きく開き、その後すぐさま綺麗な面立ちは破顔した。
「どうしてっ......どうして、なの............?」
「悪い」
「それ、一年前と、同じじゃないっ......。やめてよ、やめてよ......」
「悪い」
「やめて............」
「ーーーー悪い」
言えるわけがなかった。
未来への、世界への不条理に耐えらなかったなんて。
ーー暖乃が残り三ヶ月で死ぬという、そんな現実に。
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俺がその事実を知ったのは、まさしく一年前の夏のことだった。
暖乃が住む上崎家が隣にある関係である以上、親同士は当然仲が良かった。家族ぐるみで外食へ行くこともあったし、俺らが幼い頃は遊園地に共にいくほどの関係性だった。
ある日の深夜一時。トイレに起きた俺は、両親がリビングで会話を繰り広げている場面を目撃した。
「気の毒ねえ......何か、してあげられれば良いのだけれど」
「暖乃ちゃん自身はまだ聞かされてないみたいだからなあ。今まで通り接し続けてあげるのが彼女の為のような気もするが」
「そうは言っても......あと、一年と三ヶ月だったかしら? そんなに短いなら、その期間を暖乃ちゃんにとって濃いモノにしてあげたいわねえ......」
ーー察するには、十分すぎる内容だった。
直接的に、余命宣告がなされたという発言はなかったものの、先の内容の真意を汲み取れないほど俺も馬鹿ではなかった。
調べたところ、小児がんというものがこの世には存在するらしい。恐らく、彼女が悩まされているのはそんなところなのだろうなと思った。
確かに、思い返せば暖乃は度々学校を休んでいた。彼女は、サボりだなんて笑い誤魔化していたものだが。
ーーどんな病に侵されているか。そんなこと、どうでも良かった。俺にとって重要なのは、あと一年と少しで彼女が死ぬという、その事実だけだった。
何もする気が起きなくなった。
暖乃という人間の存在は、俺の人生の半分を占めるほど、大きなものだった。
当然、俺は彼女のことが好きだった。
小学四年生くらいの時に、その感情に気付き始めた気がする。でも、幼馴染という関係が崩れるのが怖くて、結果的には悪友を演じ続けていた。
ーー全てが、どうでもよくなってしまったのだ。
ふと目の前を覆っていた暖乃という景色が剥ぎ取られた瞬間、俺の視界には暗闇しか映っていなかった。暖乃がその事実を知らないことだけが微かな光となって闇を舞っていたが、それもただドス黒い闇の中にいつの間にか飲み込まれていた。未来には、深い深い闇だけが待ち構えていた。
そんな未来を見せられた時、俺は世界そのものを達観した気分になった。十三歳のガキが、生きる意味を初めて考えた瞬間であった。
考えた結果、その意味は見つからなかった。
見つからなかったからこそ、見えた意味が有った。
この不条理な世界を憎み続けることだけが、俺の生きる意味だと知った。言い換えれば、それ以外に何もする意味はないと悟った。
だから、鬼塚 蓮は不登校児になった。
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泣きじゃくる幼馴染を前に、俺は不登校になった経緯を思い出した。彼女に対する想いの再確認が出来た。
想いが変わる気配はなかった。たとえ大好きな幼馴染がいくら悲しい表情を見せようと、全てを話す気にはなれなかった。話したところで、現実は覆らない。
暖乃は流石にもう余命のことは知っているのだろうな、とは思った。身体には異変がいくつも起きているだろうし、彼女の両親だっていつまでも黙っておくわけにはいかないだろうから。
「余命のっ......ことなら......分かってるっ......!」
「な............!?」
心を見透かされたかのように、暖乃は怒りを湛えて口を開いた。俺は、そんな彼女の様子と、彼女の口から余命というワードが出てきたことに驚く。分かっていたことではあったが、余命のことは俺の勘違いという僅かな可能性すら潰されたことが、今この瞬間確定したからだ。
「そうだよ......! 確かに私はあと三ヶ月で多分死ぬ。それが理由でアンタが不登校になったんなら......それこそ話してほしいっ......!」
「話す、って......」
「ーーどうして、私を置いてくの?」
先程と、似たようで全く違うニュアンスが含まれた問いだった。だが、その問いに答えられない現実は変わらない。
「私、は、幸せだったよ......? アンタと......蓮と過ごした、この十四年......いや、十三年間......!」
「ーーーー」
「他人のことを第一に考えて行動して無茶までしちゃう蓮をフォローしてる時とか、そんな蓮に無茶されてる時とか、ホントに、幸せだったんだよ......?」
「はる、の......」
「でも! この一年間、残り短い中での一年間。私は、今までで、一番不幸だったっ......!!」
俺は、またしても何も言えなかった。
先程のように、言葉が思い浮かばないからではない。
暖乃の言葉に、今までの自分の行動に、打ちのめされていたからだ。
暖乃を想った結果為された行動が、暖乃を傷付けていた?
だとしたら、だとしたら。
この一年間は、何のために存在したと云うのだ。
気付くと、俺の頬にも雫が流れていた。
小さな眼を大きく見開いて、ただただ液体がそこから流れ出ていた。視線は朧気に、でもそんな光だけを映し何も見えない視界が心地良かった。
暖乃を見ることなど、到底出来そうになかったから。
「......悪い」
暫くの沈黙を切り裂いたのは、彼女を幾度も苦しめた言葉だった。
「ーー悪かった」
願わくば、この言葉が彼女を救う言葉になりますよう。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「おい、鬼塚! ここ脱字、ここ計算間違ってる! 締切ギリギリにこの資料って、本来ならあり得ねえぞ!」
「す、スミマセン......。以後、気をつけ......」
「以後じゃねえ! お前それ何回目だ!」
ーー職場には、激しい怒号が鳴り響いていた。
耳がキーンとなるほどのそれは、無論俺に向けられたものである。
鬼塚 蓮は、二十五歳になっていた。
なんとか不登校児を辞めた俺は、死に物狂いで入社した会社を辞めそうになりながらも何だかんだ充実した日々を過ごしている。
独身だが、それは俺の充実を損なう要素ではない。
「ーーふう。やっぱ、ここは良いな。花も空気も。何もかもが綺麗だ」
この日、仕事を早めに切り上げた俺はとある場所に来ていた。辺りには色とりどりの花々が咲き誇り、俺を歓迎しているかのようである。綺麗な空気に混じる人工的な香りも、それはそれで味がある。
そしてもう一つ。俺を歓迎しているものがある。
「おっす。俺は元気してるよ。お前のおかげでな」
彼女に似て、大きくて頼りになりそうな墓石に話しかける。『彼女』は、何も答えない。
「あの一年分の時間、こうやってちょくちょく返していくからよ。それでお前は幸せになってくれるか?」
そう言い切り、なけなしの金で買った花束をそっと置くと、俺は無言で『彼女』に手を合わせた。
目を瞑り、何も見えない闇の中。光は確かにあった。
ーー仕方ないわね。
緩やかな風が、俺の長い前髪を微かに揺らした。