隣国からの留学生
ある日のこと、学園に隣国からの留学生がやって来た。アステリアの第二王子、ヴィンセントである。
浅黒い肌、美しい黒髪。身長も高くスラリとしていながら程よく筋肉のついた引き締まった体躯。切長の青い瞳でチラリと視線を送るだけで女生徒は歓声を上げた。
彼はふと教室の隅にいるアンジェリカに目をやると、驚いた顔をした。そして案内役をしていた王太子にあれは誰かと尋ねたのだ。
「ああ、クスバート公爵家長女のアンジェリカさ。変わった見た目をしているだろう? 僕はもう少しで彼女と婚約させられるところだったんだが、すんでのところで助かったよ。ちなみに、僕の婚約者に決まったのはこちらのクリスティンだ。オーウェン公爵家の長女だよ」
「ヴィンセント殿下、クリスティンと申します。今後ともよろしくお願いいたしますわ」
「ああ、二人ともおめでとう。父から聞いたよ。僕もそろそろ婚約者を決めなければならないな。兄の王太子ほど厳格に決める必要もないので、この国で相手を見つけてもいいと言われているよ」
それを聞いた女生徒達は色めきたった。アステリアの王室に入れるかもしれないのだ!
すかさず女生徒達はヴィンセントの周りを取り囲み質問責めにしようとした。がしかし、彼はそれを掻き分けて進み、隅っこの席で一人で座っているアンジェリカの隣に座った。
「やあ。僕はヴィンセント。君はアンジェリカって言うんだね。こんなに美しい女性には初めて会ったよ。僕の友達になってくれないかな」
「ヴィンセント! 正気か?」
「当たり前じゃないか。美しい上にまだ婚約者がいないんだろう? 僕が立候補したいくらいだ」
教室中がどよめいた。あのアンジェリカを美しいだなんて! アステリアでは美人の基準が違うのだろうか?
「あ、あの……」
蚊の鳴くような声でアンジェリカが答える。
「何だい? アンジェリカ」
こんな美しい人に見つめられて、アンジェリカは針の筵にいる心地だった。この人のせいで今私は教室中の注目を浴びている。それはとても恐ろしい事だった。
「私はこんな顔ですからお友達は必要ありません。放っておいて下さい」
ヴィンセントはそれを聞いてまたも驚いた顔をした。
「なんだってそんな事を言うんだい? 君はとても綺麗だ。綺麗過ぎて周りから妬まれているんじゃないのかい」
クラスメイトのざわめきが大きくなる。アンジェリカはますます俯いて小さくなった。
「ヴィンセント、アンジェリカは人嫌いなんだよ。彼女が唯一話せるのはウォルターだけでね。今日は休んでいるけれど」
「君はそのウォルターって人と婚約しているの?」
微かに首を横に振るアンジェリカ。
「なら僕にもチャンスはあるってことだね。留学期間は三か月だ、その間に友達になれるよう頑張るよ」
ヴィンセントは美しい微笑みをアンジェリカに向けた。残念ながら俯いたままの彼女の目には映らなかったが。
授業が始まってもアンジェリカはずっと小さくなっていた。生徒達が振り向いて自分を見ながらコソコソと話している気がしてならなかったのだ。
(あと半年で卒業なのに。今さら波風を立てて欲しくない)
だがそんなアンジェリカの願いをよそに、ヴィンセントは積極的だった。放課後になると真っ先にアンジェリカのところにやって来てこう言ったのだ。
「アンジェリカ、今から街に出掛けないか?」
怯えた目で見上げるアンジェリカに、教室の後ろを指差した。いつもの王太子付きの護衛達の横に、男女の軍人らしき二人が立っていた。
「大丈夫、僕の護衛も一緒だから二人きりじゃないよ。この街を案内してもらいたいんだ」
屈託ない笑顔で、しかし有無を言わせない感じだ。もちろん、隣国の王子の申し出を断るなどという無礼なことが出来ないのはアンジェリカにもわかっていた。
「承知いたしました。私でよければご案内いたします」
「ありがとう! じゃあ行こうか」
さりげなく手を出して立ち上がらせてくれるヴィンセントのスマートさはアンジェリカの胸を弾ませた。
だがすぐに、これは王子の生来のものであり自分だけに向けられたものではないと自らを戒めた。
こんな顔の自分をレディ扱いしてくれた人など今までいないのだから。
ヴィンセントの馬車では向かい合って座り、男女の護衛がそれぞれの横についた。
こんな近くでしかも正面に座るなど拷問に近いと、アンジェリカは完全に下を向いてしまった。
「どうしてそんなに俯くの? 僕は君の顔がもっと見たいのに」
アンジェリカの肩がピクッと跳ねる。
「恐れながら、王子殿下のお目を汚してしまいますので……」
「わからないなあ。こんなに美しい人がどうしてこんなに自分を卑下しているのか。なあニール、我が国とは美の観点が違うのだろうか?」
ニールと呼ばれた男の護衛に向かってヴィンセントは語り掛けたが、当然彼は何も言わない。
(正直に言える訳ないわ。王子の審美眼がおかしいだなんて……)
「まあいいさ。ライバルがいないなら僕が頑張ればいいだけだしね。ところでアンジェリカ、この街で素敵なカフェと言えばどこだい?」
アンジェリカは焦った。ウォルターに禁じられているのでお洒落なカフェなどは訪れたことがないのだ。
「申し訳ありません。私はカフェに行ったことがありませんので、実際の雰囲気はわからないのですが、クラスメイトが話しておりますには五番街の『カフェ・フェリス』が評判が良いようです」
「よし、じゃあそこへ行こう。君はカフェに行ったことが無いのかい? じゃあ、今から君の初カフェの瞬間に僕は立ち会えるわけだ。光栄だな」
ヴィンセントは悪戯っぽくウインクして笑った。思わず、アンジェリカも口許が緩んでしまった。
「微笑んでくれたね! 君は笑顔だとより美しいよ。もっと笑っていて欲しいな」
アンジェリカはしまったという顔をして唇に手を当てて隠した。笑うとますますロバのようだとウォルターに言われていたのをすっかり忘れていたのだ。
それからカフェに着くまではまたしても下を向いていたが、ヴィンセントは気にする様子もなくあれこれと話し掛けてくれていた。