残念姫
オレンジ色のノウゼンカズラが咲き誇る庭園で僕は彼女に出会った。
幼いながらもその美しさは完成されていて、誰もが彼女を褒め称えていた。まるで天使のように出会う人すべてを虜にするその微笑みは、彼女の輝かしい未来を暗示しているように思えた。
夏の日差しの中で光り輝く彼女を僕だけのものに出来たなら全てを捨ててもいい。
僕にはそう思えたんだーー
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
「オーウェン家の娘が王太子殿下の婚約者に決まったそうだ」
夕食のテーブルにつくやいなやクスバート公爵は口を開いた。
「まあ……クリスティンが? それはようございました」
「いいわけないだろう。同い年の娘がいるというのに我が家はオーウェンの後塵を拝すことになってしまった。いまいましい」
「だってあなた、こればっかりは仕方がありませんわ。殿下のお決めになったことですもの」
「ふん。せめて第二王子殿下にはフロウを輿入れさせたいものだ」
アンジェリカは両親の会話をいたたまれない思いで聞いていた。本来ならば自分が殿下の婚約者に選ばれなければならなかったのだ。父が次期宰相に近づくためにも。
「あんな大した事のない平凡な娘が王太子妃になるとはな。だがそれでもアンジェリカよりはマシなのが辛いところだ」
「あなた!」
公爵夫人は夫をたしなめた。
「アンジェは良い娘ですわ。ピアノもダンスも上手ですし外国語もできます。なぜか学校の成績は振るわないのですけれど、きっと試験では緊張してしまうのでしょう」
一生懸命に自分を持ち上げてくれる母に対して申し訳なく、アンジェリカはますます縮こまった。
「大丈夫よお父様。私が絶対に第二王子様の婚約者になってみせるわ」
大きな目をキラキラさせて妹のフローレンスが口を挟む。
「これフロウ。大人の会話に入ってくるのはマナー違反ですよ。食事の時は喋ってはいけません」
「はあい」
すっかり食事が喉を通らなくなってしまったアンジェリカをよそに、フローレンスはメインディッシュに取り掛かった。可愛らしい口を精一杯に開けて美味しそうに頬張る。
兄のデイビスはもとより喋らない性質で、成人した大人ではあるがいつも話には入ってこない。兄の心の内はわからないが、何も言わないでいてくれることがアンジェリカには嬉しかった。
「明日、早速お祝いの品をオーウェン家に贈っておきますわ。そのうち、夫人の自慢話も聞かされることになるでしょうねえ。あの方、ホントに話が長くて」
その後は社交界の話題に移ったのでアンジェリカはホッとして、なんとか食事を終えることが出来た。
夕食後、早々に部屋に戻ったアンジェリカは机に向かって勉強を始めようとした。だがペンは止まったまま動かない。
(勉強なんてもうする必要はないのよね。見た目がこんなだからせめて教養だけは身に付けなさいとお母様に言われて頑張ってきたけれど、やっぱり王太子殿下からは選ばれなかった。もちろん、最初からわかっていたことだわ)
アンジェリカは生まれた時はたいそう可愛らしかった。両親はまるで天使のようだと喜び、アンジェリカと名付けたのである。
家族、親戚、使用人、屋敷を訪れる全ての人が彼女を褒めそやした。どんな美女に成長するのか楽しみだ、同い年の王太子殿下の妃になるのはこの子で決まりだと。
六歳の誕生日、今でもはっきりと覚えている。父が盛大な誕生日パーティーを催してくれた。
上位から下位まで、ありとあらゆる貴族の子供が招待された。みんなからプレゼントを貰い、夏の花が咲き乱れる美しい庭園で遊んだ。最高に幸せなキラキラした思い出だ。
だがその後、フローレンスが生まれた。彼女もまた天使のように愛らしく、家族みんなが夢中になった。
以前のように構ってもらえなくなったアンジェリカはみんなの気を引こうといたずらをしたり我儘を言ったりと愚行に走った。
やがて自分を見る父の目が冷たくなってきたことに気が付いてはいたが、態度を改めることはなかった。六年間の甘やかしは彼女を増長させるには充分だったのである。
「以前ほど可愛らしくないな」
ある日父はアンジェリカをまじまじと見ながら言った。
「こんなにロバみたいな顔だったか?」
それを聞いたメイドの一人がプッと笑いを漏らした。
傷付いたアンジェリカは自分の部屋に駆け戻り、鏡台の前に座った。春の日差しのように輝いていた金髪はくすみ、すべすべだった頬にはそばかすが浮かんでいた。
皆から珍しいと褒められていた菫色の瞳は、こんなに小さくて左右に離れていたっけ? 形が良いと言われた鼻はやけに大きすぎるし、鼻の下が長くてロバみたいだ。口も大きくて、今にも草をムシャムシャと食べ始めそう。
(私、いつの間にこんな顔になっちゃったの? みんな、天使みたいだってついこの間まで誉めてくれていたのに。私、これからもずっとこのロバみたいな顔で、お父様に嫌われたままなのかなあ)
鏡の前でアンジェリカはワンワン泣いた。だが誰も慰めには来てくれなかった。彼女は、自分の世界が終わったことを知った。
それからアンジェリカは変わった。天真爛漫だった彼女はいつも俯くようになった。他人に顔を見られたくないのだ。
学校に通うようになってもそれは変わらず、教室の隅で暗い顔をして俯いている。
いつしか彼女のあだ名は『残念姫』になった。小さい頃は可愛かったのに、残念な成長をしたという意味である。
誰も彼女には話し掛けなかったし、友達になろうともしなかった。ただ一人を除いては。
「アンジェ、お昼を一緒に食べよう」
ウォルター・モーガンだ。彼だけが、初等科の頃からアンジェリカの友達でいてくれた。いつも一人ぼっちのアンジェリカと一緒にいてくれるのだ。
ただ、彼は身体が弱く、学校を休むことが多かった。そんな時には、クリスティンをはじめとするリーダー格の女子たちがからかってきたりする。
「残念姫、今日はナイトがいなくて寂しいわねえ」
「せっかく公爵家に生まれたのに、その顔では王太子殿下には選ばれないでしょうからねえ。せいぜい、成り上がりのモーガン男爵に結婚してもらうといいわ」
ほほほ、と笑いながら去って行くクリスティン達。だがアンジェリカには言い返す気力はないのだった。
(言われていることは本当だもの。ウォルターまで悪く言われるのはとても申し訳ないけれど……)
何を言われても俯いて黙っているだけなのだ。