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ドーナッツ

「ネギをたくさん食べたら、頭が賢くなるねんで」


 僕は妹と弟に向って偉そうにそう言うと、素麺つゆが入った小鉢にカットされたネギを大量に入れる。生姜のすりおろしも山盛り入れる。


「ヒロちゃん、そんなに入れたら素麺が入らないでしょ」


 母親は呆れた顔をして僕にそう言った。ザルにあげられた冷えた素麺を箸でつかむと、僕はそれを小鉢に突っ込む。ネギまみれになった素麺を今度は口の中に頬張る。生姜が少し辛かったけれど、僕は満足した顔で、次々と素麺を口に運んでいく。妹も弟も、ネギの美味しさや生姜の美味しさを分かっていない。僕は、ネギまみれで生姜辛い素麺を、美味しそうに食べている姿を見せることで、自分がちょっと大人になったような気がして得意になる。


 僕はお腹が一杯になると、二階の子供部屋に行き、また窓から表通りを眺めた。西村のおばさんの話だと、もうそろそろ帰って来る頃なのに、まだその様子がない。二階に上がってきた妹と弟を相手に遊び始めたが、しばらくすると、それも飽きてしまった。横になると、僕は寝てしまった。


「ヒロちゃん、ヒロちゃん」


 母親に肩をゆすられて僕は目を覚ました。


「お隣の西村のお姉さんが来ているから、早く起きなさい」


 僕は、西村のお姉さんと聞いて飛び起きる。そんな僕に母親は更に言葉を続ける。


「この間、本を頂いたんでしょ。ちゃんと御礼は言ったの」


「言った」


「お返しをしないといけないから、これを持っていきなさい。ありがとうございましたって、ちゃんと言うのよ」


「分かった」


 僕は母親から、ドーナッツを手渡されるとそれを持って玄関を飛び出した。貴子お姉さんは、表でニコニコしながら待っていてくれた。


「これ、お母さんから。。。本を、ありが、とう」


 ドーナッツを手渡して、僕はぎこちなくお礼を言う。お姉さんはドーナッツを受け取ると、僕に楽しそうに話しかける。


「ありがとう。私の家に来てくれたんだって」


 そこまで言って、声を小さくする。


「何か、進展があったの」


 僕は、コクっと頷く。


「ちょうどいいわ、私の部屋に来て」


 お姉さんは「早く早く」と言いながら、僕を促し玄関に入っていく。僕は、その後をついていく。


「お母さん、ヒロ君が家に来たからね」


「あら、そうなの」


「ドーナッツを頂いた」


 家の奥から、おばさんが出てくる。


「いらっしゃい、ドーナッツをありがとうね」


「お邪魔します」


 僕は緊張して、それだけ言うとペコリとお辞儀をする。


「貴子、お母さんはお買い物に行くから、お留守番頼むわね」


「わかった」


 貴子お姉さんは返事をすると、階段をトントントンと上がっていく。僕もその後に続いていく。部屋に入ると小さな声で僕にささやく。


「ね、ちょうど良かったでしょ。ちょっと待ってて」


 お姉さんは階段を下りていく。僕はまた、お姉さんの部屋で一人になる。少し緊張しているけど、前回と違って、なんだか心地がいい気がする。この間はお姉さんの威圧に押されて怖いところもあったけれど、今日のお姉さんは機嫌が良い。そのせいかもしれない。なんだか周りの時間が停まってしまって、お姉さんの部屋だけが別世界にいるような妙な気分になる。下の方からコップが当たる音がする。あの甘酸っぱいオレンジジュースをコップに注いでいるのだろうか。僕は、なんだかとっても嬉しい気持ちになる。さて、これまでの出来事を、どんな風に話そうか。治郎のことはもちろん話すけど、仲間ができたことも話さなきゃいけない。お姉さん、お怒るかな。内緒って言われていたけれど。


 お姉さんがお盆にジュースとドーナッツを載せて階段を上がってきた。


「ヒロ君、ドーナッツを一緒に食べよう。ねえ、聞いて。今日はね、私、ドーナッツの日みたいなの」


 そう言って、笑いながら僕の前にお盆を置くと、貴子姉さんは足を崩して座る。


「今日は、朝から学校でクラブがあったんだけど、終わりがけに卒業した先輩たちが来て差し入れをくれたの。それがね、ドーナッツなの。男子テニスの先輩なんだけど、男子も女子も集めてみんなに配ってくれたの」


 僕は「へー」と、相槌をうって、貴子お姉さんの話を聞く。


「面白いのがね、皆にドーナッツを配った後で、先輩の一人が、残っているこのドーナッツを持って帰ったらいいよって、私だけにくれたの。皆に悪かったけれど、返すわけにもいかないでしょ。それでね、家に帰って来て、ひろ君に会いに行ったら、またドーナッツだから、ビックリしちゃって。だから、今日はドーナッツの日なの。一緒に食べよ」


 貴子お姉さんは、美味しそうにドーナッツをかじる。かじった拍子に、ドーナッツの小さな屑がお姉さんのスカートの上に落ちていくのを見ていた。僕は、お姉さんの話を聞いてから、なんだかドーナツの甘さに心が動かない。オレンジジュースが入ったコップをを手に取ると、グビグビと飲んだ。自分の心の中が、なんとなく沈んでいるのを感じる。


「で、ヒロ君、自転車男のことで、何か分かったことがあるの」


 僕は何から話せばよく分からないので、まず分かっていることを伝えることにした。


「自転車男の名前は治郎。高槻南高校に通っている」


「えっ。どういう事、もうそこまで分かったの」


 貴子お姉さんは本当にびっくりした顔したので、僕は少し得意気になった。


「実は、昨日、僕の家に友達が来てたやろ。太田と小川っていう友達やねんけど、自転車に乗って赤いサイクリング自転車を探し始めてん」


 僕がそう言うと、貴子お姉さんが少し顔を歪める。


「ヒロ君、私のこと話したの」


 貴子お姉さんは、僕の目を真っすぐ見る。僕は首を振りながら話を続ける。


「違う違う、お姉さんが触られたことは言ってない」


 僕はお姉さんの顔を伺う。僕を疑った顔で見ている。僕は必死の弁明を試みることにした。


「お姉さんより背が高い奴がいたやろ、太田っていうねんけど、あいつがお姉さんのことが一目で好きになったみたいで」


 そこまで言って、貴子お姉さんの顔をみた。また、驚いた顔をしている。


「僕とお姉さんと怪人二十面相の関係について、しつこく聞いてきたんや。それで、お姉さんが、男に襲われそうで大変やって言ったら、あいつ、自転車男を俺らで探そうぜって言いだして」


「それで、見つけたの」


「いや、昨日は見つけることは出来なかった。見つけたのは今日。朝。またあの男がお姉さんの家にやって来てん」


「えっ、ほんとに」


 お姉さんは本当に嫌そうな顔をする。僕は今朝の追跡劇の話を詳しく話した。僕の話を聞きながら、お姉さんは考え始める。


「苗字は分からなくても、名前と学校まで分かったのは凄いことね。私のことを友達に話したことは許してあげる。でも、これ以上は駄目よ。本当に恥ずかしいんだから。お父さんもお母さんも知らないことなんだから」


「分かった」


「ただ、これからどうするかよね。その治郎という男の素性が知りたいわ」


「それは、あいつらと調べてみるよ」


「ありがとう。なんだか、ヒロ君たちって少年探偵団みたいね。今日はこの本をお礼にあげるわ」


 そう言ってお姉さんは江戸川乱歩の少年探偵団の本を僕に手渡した。僕は、目を輝かせてそれを受け取る。


「嬉しい。早く次の話を読んでみたかったんだ」


 僕が喜んでいる姿を楽しそうに見ていたお姉さんが、更に続ける。


「今後は、私とヒロ君の連絡方法を考えないといけないわね。今日みたいに、頻繁に家で相談ってわけにもいかないし、電話もね」


 そう言って、お姉さんが口を閉じたので、僕は思いついたことを口にした。


「新しいことが分かったら、お姉さんの部屋の窓を棒で二回叩くよ」


「そうね、隣り同士だもんね。じゃ、平日は夜の九時以降で私の部屋の電気が点いていたら、二回ノックして。ただ、それでも声を出して話をするわけにはいかないから、ヒロ君、私の為に手紙を書いてよ。私が窓を開けたら、その手紙を私に渡して。私からヒロ君に連絡したい時も同じ方法を使うから」


「分かった」


「それでも、うまく時間が合わなくて連絡が取りづらい時もあると思うけれど、その時はごめんね。先に言っておくと、今度の日曜日はテニスの試合なの。だから、今日みたいに話をするのは、多分出来ないと思う」


 そこまで言って、お姉さんはオレンジジュースを飲む。一息ついて、僕を見た。


「ヒロ君、本当にありがとう。あなただけよ、こんなにも私のことを助けてくれるのは」


 僕は顔を真っ赤にしてしまい、貴子お姉さんの顔を見ることが出来なくなった。その後、僕は少年探偵団の本を持って、お姉さんの家を出た。お姉さんはニコニコとしながら僕を見送ってくれた。結局、僕はドーナッツを口にしなかった。

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